造られた幸福

真城詩

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造られた幸福

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 彼が差し出した薔薇の花束は深紅に色づいていたと確かに記憶しているのに、差し出した当の彼はまるで人形のように無機質な笑顔で笑っていたことを思い出す。微動だにせずその口角は持ち上げられ、細められた瞳はまっすぐに俺を見つめていた。すぐに気付いたのは質量をもって俺を殴るかのように追い詰めてくる違和感で、けれどその違和感の正体は分からないまま。俺には、「嬉しい」と微笑んでその花束を受け取る選択肢しかなかった。

 彼は一体どうしたというのだろう? 全て彼のままの筈で、例えば、今目の前で俺のために珈琲を淹れてくれている彼の動作は何十回、否、何百回と見てきた記憶の中の彼そのままなのだ。それなのに拭えない違和感はどうして。

「さあ、珈琲が入ったよ」

 そう言って俺にカップを差し出してくれるその仕草だって、俺が昨日まで大好きでたまらなかった慈愛に満ちたものだ。彼は自分の分のコーヒーカップを俺の正面の席に置くと、そのまま椅子を引いて語りだす。

「飲まないのかい、君にしては随分と珍しいね。いつもだったら、飛びつくように飲み干すのに」
「……悪いかよ、今日はなんとなく気分じゃねえんだ」
「いや、悪いなんてことはない。冷めた珈琲は温かいそれとはまた違った美味しさを持つ。ようやく君がその美味しさに目覚めたのかと思ってね」
「そういうわけじゃねえけど、さ……」

 今晩は生憎の雨で、 俺には曇った硝子の向こうは見えない。生憎というのは、今日が祝福すべき俺と彼の同棲生活一日目だからだ。今日から同棲するということはずっと前から決まっていたが、まさか同棲生活初日の朝に彼からプロポーズを受けるなんて、考えてもみなかった。今朝受け取った紅い紅い薔薇の花束は、玄関の花瓶に活けてある。彼はいつだって用意周到で、この日のためにとわざわざ大きな花瓶まで花束と一緒に用意してくれていた。

 ずず、と珈琲を行儀悪く、音を立てて啜った。いつもの彼なら、指摘して、困ったように微笑んで、そうして俺に行儀良くしなさいと静かに言うのだ。目の前の彼ではない彼は、俺の記憶通りに、想像通りに、音を立てたことを指摘して、少しだけ口角を上げながら眉を下げ、「行儀良くね」と、声を荒らげることなく告げた。どこまでも、どこまでも本当の彼だ。記憶・想像の通りに動き、俺の頭の中の彼を演じている。でも、もう彼が本物でないと言われても頷ける。それほどまでの違和感が今の彼にはあった。一体、どこの誰が「君の恋人は今日から、昨日までの本物ではありません」そう言われて、嗚呼そうですかと言えるだろうか。いや、絶賛俺が今そう答えられるんだけど……何が言いたいかって、俺が今覚えている彼の”偽物”感。つまりは違和感。しかし、それだけでは警察は動いちゃくれないし、探偵だって調べてほしいと言われたって無視する気がする。まあ、俺はこの違和感をどうにか自分で処理しなければいけないということだ。新しい生活のスタートはなんとなく重苦しかった。




昨晩、ご主人様は亡くなられた。病死だった。ご主人様はそれはもう永いことその病気と闘っていらっしゃって、医師にいずれ訪れる死の話をされた時だって気丈に振舞っていらっしゃった。何故かって、それはご主人様の「彼氏」なる存在の為だった。私はその「彼氏」に会ったことはなかったけれど、その人についてはよく知っていた。ご主人様が教えてくださったからだ。私のプログラムに「彼氏」の全てを組み込んでいったからだ。そう、私はいつか亡くなられるご主人様に成り代わる為にご主人様が手ずから作り上げたアンドロイド。ご主人様が愛した彼のための遺物。昨日、ご主人様は明日から俺たちは同棲するんだと仰った。ああ、楽しみだなあとも仰った。そして、それが最期の言葉になった。震える手で私の自立スイッチを押して、ご主人様、否、「僕」は死んだ。僕は、僕が用意した薔薇の花束を持って、彼と同棲する家へと向かった。彼は「嬉しい」と頬を染めて受け取ってくれたけれど、その顔は何処か不安げだった。
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