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1日目 退社後
しおりを挟む一日の仕事を終えてオフィスビルを出たのは、もう6時を回った頃だった。
仕事に熱中していたせいか、気がついたら退社時間になっていた。
それでも午後からの外回りのせいで、ワイシャツは汗でベトベト。
相変わらず日差しは強いままで、暑さはちっとも和らいでくれない。
「くそぅ。夕方だってのに、いつまでも暑いな」
ひとり愚痴りながら、俺は帰りのバスに乗り込む。
行きと違って、帰りは時間がマチマチなせいか、知ってる顔ぶれに出くわす事はあまりない。
帰りのバスでは、仕事を終えてほっとした反面、なんとなく孤独感が募ってくる。
大学に入るまでは、ずっと日田の実家で過ごしていて、だれかがいつも家にいる環境に慣れっこになっていた。
朝、起きると、味噌汁の香りが家中に漂っていて、台所には忙しく立ち回るお袋の背中があった。
夕方、学校から帰ると、農作業を終えた父が、庭で農具の手入れをしていたり、ばあちゃんがニワトリの世話をしていたり、近所のおばちゃんが家でできた野菜を持ってきていたりした。
『おはよう、稜ちゃん。もうごはんできるから早く顔洗っといで』
『おう、稜哉。帰ってきたか。宿題ないんだったら、父ちゃんの仕事をちょっと手伝わんか』
『稜くん学校はどう? 大学はどこに行きんしゃるんね?』
いつでもだれかが周りにいて、笑顔で声をかけてくれた。
なので、だれも待つ人のいない、電灯さえついてない部屋に帰るのは、気が滅入ってくる。
『仕事終わって家に帰ってるとこ。今夜もまたコンビニ弁当』
バスに揺られながらスマホを取り出し、ありさへメールを送って、俺は寂しさを紛らした。
降りる頃にレスが来る。
『お疲れさま。いつもコンビニ弁当だと、栄養偏るよ』
…そうだな。
外食やコンビニ弁当より、ありさが作ってくれるメシがいい。
ぶっちゃけ、お袋の年期の入った手料理と較べると、ありさの料理はまだまだ修行が必要だけど、それでも『レシピ+愛』の手料理は格別だ。
休みの日などにたまに家で作ってくれる事があるが、さりげなく俺の嗜好を察知して、好みに合わせながらも、栄養のバランスを上手くとれる様にと、献立に気配りしている。
結婚すれば、そんなありさの手料理が毎日食べられると思うと、嬉しくなってくる。
男はやっぱり、胃袋掴まれると弱いんだよな~。
部屋に帰る前に、マンションのはす向かいにあるコンビニに寄って、ハンバーグ弁当を買う。
あまりの暑さに、思わずビールにも手が伸びてしまう。
部屋に入るとさっさと暑苦しいスーツを脱ぎ、シャワーで汗を流す。
夏の間はわざわざバスタブにお湯を溜めなくても、これだけで充分だ。
気持ちのいい水の流れに身をまかせながら、頭からシャワーを浴び、シャンプーのボトルをプッシュしてゴシゴシと髪を洗い、顔やからだも洗って、俺は一日の汚れを落とした。
風呂が終わると、ボクサーパンツだけを穿いて冷蔵庫からビールを取り出し、テレビをつけてコンビニ弁当を広げ、録画していた映画を観ながら、ひとり寂しく弁当を口に運び、ビールを喉に流し込む。
今日も熱帯夜だ。
クーラーが壊れてるんじゃないか、と思うくらいだ。
昼間の日差しの熱がまだ壁や床に残っていて、蒸し暑くて寝つけない。
寝る前にもう一度シャワーを浴びて少しは涼しくなったが、それも気休めに過ぎない。
俺は何度も、ベッドの上で寝返りを打った。
そうやって悶々としていると、スマホからメールの着信音が聞こえてきた。
『もう寝た? わたしは今、髪乾かしてるとこ。おやすみなさい』
ありさからのメールだった。
ありさも俺と同じ様に、ひとり暮らしをしている。
ターミナルから地下鉄で10分程走った、湖を抱えた都心の大きな公園の側にある、なかなか高級そうなワンルームマンションの7階だ。
12帖程の洋室には白いスチールのベッドが置いてあって、その脇にはローチェストと小さなテーブル。
クッションやベッドカバー、カーテンは、淡いオリーブグリーンとくすんだ水色で、落ち着いた雰囲気を醸している。インテリアや小物も地味だけど、シックでさりげなく趣味がいい。
そんな部屋で、お気に入りのクッションにもたれながら、ありさが長い髪にドライヤーを当ててメールを打つ姿を、俺は想像した。
細い肩ひものキャミソールに、シルクのショートパンツ姿で、長い脚を床に投げ出しているありさ。
薄いキャミソールは彼女の豊かな胸でふっくらと盛り上がり、濡れた髪がうなじに貼りつく。
その姿はさぞかしセクシ―だろう。
最愛の恋人をベッドのなかで想像しながら、俺は次に彼女に会えるのを心待ちにして、いつの間にか深い眠りに落ちた。
こうしていつもと同じ、平凡な一日が終わった。
つづく
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