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「あの人とはじめて会ったのは、あたしが中学三年生になった年の春だったわ」
懐かしそうにかすかに瞳を細めたみっこは、わたしの焼いたマドレーヌをひとくち口にした。
「ん。おいしい!
しっとり上品な甘みで、バターの風味がよくて」
「マドレーヌは作りたてより、一日置いた方が美味しいのよ」
「そうなんだ。さつきってお菓子づくりの天才ね」
「あは。ありがと。それで?」
「ああ。あたしはまだ14歳で、直樹さんも21歳の大学生だったわ。はじめはあたしの家庭教師として、家に派遣されてきたのよ」
「先生と生徒かぁ。なんだか危険な香り」
「なに変な想像してるの? さつきってば、ハーレクイン小説の読み過ぎよ」
「ごめんごめん。で?」
「それでね… あたし、勉強はあまり得意じゃなかったけど、両親、特にママは、あたしを都内の『お嬢様高校』に行かせたくて、このときだけは熱心に勉強させようとしてたの。まったく、都合のいい話よね」
「まあまあ。それで、みっこは藍沢さんにひと目惚れだったの?」
わたしがそう訊くと、みっこはぽっと頬を染めた。
「見てのとおりのハンサムでしょ。まだ中学生の小娘が、動揺しないわけがないじゃない」
「そっか~。中学生のみっこかぁ。見てみたかったな~」
「ふふ。はじめてあの人が家に来た日のことは、今でもよく覚えているわ。
チャイムが鳴って、ママが玄関からあたしを呼んで。
階段を降りながら、ホールに立っているあの人の顔を見たとたん、あたし、緊張してアガってしまって、つい『あたし、勉強なんかキライです』って、言っちゃったの。
ママは怒ったけど、直樹さんは『あっそう。ぼくも嫌いだな。でも美湖ちゃんのことは、好きになれそうだよ』なんて、涼しい顔して言うのよ。
『なんなの? この人』って思って、あたしムッときて、その日は全然勉強しようとしなかった。
そうしたら彼も教科書も広げないで、2時間の授業中、ずっと世間話やおかしな話ばかりしてたわ。
なんだか、気が抜けちゃった。
でも授業の時間が終わって帰り際に、真剣な顔して、あたしを見つめて言ったの。
『美湖ちゃんがほんとに勉強したくないなら、ぼくはもう、ここに来れないね』って。
そういう言い方されると、反抗したくなるじゃない?
『じゃあ、もう来なくていいわ』って言っちゃったけど、彼が帰ってしまうとすごく寂しくなって、『ほんとにもう来ないのかな?』って、とっても心配になってしまったの。
なのに次の週に、そんなこと言ったのも忘れたかのように、ケロッとした顔でうちに来た直樹さんを見て、ムッときたけど、ほんとはとっても嬉しかった。
今から考えると、直樹さんって、最初からあたしの扱い方がうまかったのかもしれない。
直樹さんは家庭教師のバイトをいくつか持っていて、はじめのうちは家に週2回の2時間だけ教えに来てくれたけど、受験の追い込みに入る秋の終わりくらいからは、ほとんど毎日来てくれたわ。難しい試験に受かったのも、直樹さんのおかげだった」
「みっこはその頃からもう、藍沢さんのこと、好きだったの?」
喋りっぱなしで乾いた喉を潤すように、みっこは紅茶を飲みながら、コクンとうなずく。
「多分… さつきの言うように、はじめて会った瞬間から、好きだったんだと思うわ。
なにもかも、あたしよりずっと大人びていて、あたしが思いっきりぶつかっていっても、すんなりと受け止めてくれるような、そんな余裕が好きだった」
「そうよね。藍沢さんって、話し上手で聞き上手だもん。やっぱり大人の余裕よね」
「でも、あたしは受験で勉強浸けだったし、あの人とは七つも歳が離れているでしょ。だからあの人は、中学生のあたしなんか、問題にしてないだろうって感じてて、ほとんどあきらめていたの。
それでもあの人の来る日は、いちばんお気に入りのお洋服を着たりとか、部屋を綺麗に片づけて、ポプリを置いたりとかして、少しでもあたしのこと好きになってもらいたくて、落ち着かなかった。
ただ、勉強を教えにきてくれるだけで、そんなにそわそわしてしまうなんて、今考えると、なんだか照れくさくって、恥ずかしい」
「でもそういうのって、とっても素敵なことよね~」
わたしの言葉にみっこは軽く瞳を閉じて、しばらく口を噤んだ。
その頃の甘酸っぱい、綺麗な想い出を、味わうように…
つづく
懐かしそうにかすかに瞳を細めたみっこは、わたしの焼いたマドレーヌをひとくち口にした。
「ん。おいしい!
しっとり上品な甘みで、バターの風味がよくて」
「マドレーヌは作りたてより、一日置いた方が美味しいのよ」
「そうなんだ。さつきってお菓子づくりの天才ね」
「あは。ありがと。それで?」
「ああ。あたしはまだ14歳で、直樹さんも21歳の大学生だったわ。はじめはあたしの家庭教師として、家に派遣されてきたのよ」
「先生と生徒かぁ。なんだか危険な香り」
「なに変な想像してるの? さつきってば、ハーレクイン小説の読み過ぎよ」
「ごめんごめん。で?」
「それでね… あたし、勉強はあまり得意じゃなかったけど、両親、特にママは、あたしを都内の『お嬢様高校』に行かせたくて、このときだけは熱心に勉強させようとしてたの。まったく、都合のいい話よね」
「まあまあ。それで、みっこは藍沢さんにひと目惚れだったの?」
わたしがそう訊くと、みっこはぽっと頬を染めた。
「見てのとおりのハンサムでしょ。まだ中学生の小娘が、動揺しないわけがないじゃない」
「そっか~。中学生のみっこかぁ。見てみたかったな~」
「ふふ。はじめてあの人が家に来た日のことは、今でもよく覚えているわ。
チャイムが鳴って、ママが玄関からあたしを呼んで。
階段を降りながら、ホールに立っているあの人の顔を見たとたん、あたし、緊張してアガってしまって、つい『あたし、勉強なんかキライです』って、言っちゃったの。
ママは怒ったけど、直樹さんは『あっそう。ぼくも嫌いだな。でも美湖ちゃんのことは、好きになれそうだよ』なんて、涼しい顔して言うのよ。
『なんなの? この人』って思って、あたしムッときて、その日は全然勉強しようとしなかった。
そうしたら彼も教科書も広げないで、2時間の授業中、ずっと世間話やおかしな話ばかりしてたわ。
なんだか、気が抜けちゃった。
でも授業の時間が終わって帰り際に、真剣な顔して、あたしを見つめて言ったの。
『美湖ちゃんがほんとに勉強したくないなら、ぼくはもう、ここに来れないね』って。
そういう言い方されると、反抗したくなるじゃない?
『じゃあ、もう来なくていいわ』って言っちゃったけど、彼が帰ってしまうとすごく寂しくなって、『ほんとにもう来ないのかな?』って、とっても心配になってしまったの。
なのに次の週に、そんなこと言ったのも忘れたかのように、ケロッとした顔でうちに来た直樹さんを見て、ムッときたけど、ほんとはとっても嬉しかった。
今から考えると、直樹さんって、最初からあたしの扱い方がうまかったのかもしれない。
直樹さんは家庭教師のバイトをいくつか持っていて、はじめのうちは家に週2回の2時間だけ教えに来てくれたけど、受験の追い込みに入る秋の終わりくらいからは、ほとんど毎日来てくれたわ。難しい試験に受かったのも、直樹さんのおかげだった」
「みっこはその頃からもう、藍沢さんのこと、好きだったの?」
喋りっぱなしで乾いた喉を潤すように、みっこは紅茶を飲みながら、コクンとうなずく。
「多分… さつきの言うように、はじめて会った瞬間から、好きだったんだと思うわ。
なにもかも、あたしよりずっと大人びていて、あたしが思いっきりぶつかっていっても、すんなりと受け止めてくれるような、そんな余裕が好きだった」
「そうよね。藍沢さんって、話し上手で聞き上手だもん。やっぱり大人の余裕よね」
「でも、あたしは受験で勉強浸けだったし、あの人とは七つも歳が離れているでしょ。だからあの人は、中学生のあたしなんか、問題にしてないだろうって感じてて、ほとんどあきらめていたの。
それでもあの人の来る日は、いちばんお気に入りのお洋服を着たりとか、部屋を綺麗に片づけて、ポプリを置いたりとかして、少しでもあたしのこと好きになってもらいたくて、落ち着かなかった。
ただ、勉強を教えにきてくれるだけで、そんなにそわそわしてしまうなんて、今考えると、なんだか照れくさくって、恥ずかしい」
「でもそういうのって、とっても素敵なことよね~」
わたしの言葉にみっこは軽く瞳を閉じて、しばらく口を噤んだ。
その頃の甘酸っぱい、綺麗な想い出を、味わうように…
つづく
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