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09 Moulin Rouge
Moulin Rouge 18
しおりを挟むチークナンバーが数曲続き、フロアにユーロビートの活気が戻ってきた頃、みっこはようやく躊躇いがちに、それでいて、意するところがあるようなしっかりとした眼差しで、ドレッシングルームから戻ってきた。
わたしは真っ先に、そばに駆け寄る。
「みっこ…」
ちょっと驚いたようにこちらを見たみっこは、すぐにわたしの心配を察して、それを打ち消してくれるかのように、かすかに微笑んでうなずいた。
さっきまでの森田美湖とは、もう違う。
はにかむような微笑を見て、わたしはそう感じた。
ドレッシングルームでひとり、気がすむまで泣いて、みっこはなにかを掴んだのかもしれない。
川島君の言うように、彼女は自立心の強い子だから、下手にわたしが声なんてかけない方がよかったんだ。
藍沢氏が座っているソファの前まで進んだみっこは、明るく声をかけた。
「あら直樹さん、まだこんなとこにいたの? あなたの恋人、ずっと放ったらかしでしょ?」
「え? そうだな。まあいいさ。今日は大勢で来てるから、ぼくひとりが抜けたところで、どうってことないよ」
「ばかね。彼女に紹介してほしいのよ」
「え?」
「さっきはあんなに会わせたがっていたじゃない? だったら、ここに連れてきてよ」
「みっこがそれでいいなら、ぼくはかまわないけど…」
不意打ちを食らったように藍沢氏は戸惑っていたが、おもむろにソファから立ち上がると決心するようにうなずき、みっこに言った。
「君のことは、やっぱり愛しているよ。一年経って、今日ようやく気づいた」
「…」
「ぼくたち、どうしてこんなことになってしまったのかな?
こんなに傷つけあう必要は、なかったはずなのに」
「…」
「結局、君のことを思いどおりにできなくなってきた苛立ちから、君を屈服させようとして、ぼくはずっと悪あがきしていたのかもしれないな」
「…」
「君のことは、中学生の頃から知っているけど、きっといつまでも子ども扱いしていたんだ。
だけど君はいつの間にか、おとなの女性になっていた。
これからはお互いに、ひとりのおとなとして、つきあっていかないか?」
「答えはもう、一年前に出したわ」
「だからもう一度…」
「あたし、あなたが知らないこの一年で、ずいぶん変わったわ。だからもう、あなたの知ってるあの頃のあたしとは、全然違うと思うの。
あたしがおとなになったことに気がつかなかったように、あなたはそれにも気がつかない。だからもう、わかりあえないわ」
「そんなことはない! 君のことをいちばん理解しているのは、このぼくしかいない」
「じゃあ、あたしが今、なにを考えているか、わかる?」
「君は… 後悔している。モデルをやめたことを。ぼくから離れたことを。でも君は強情だから、それを認めたくない」
「…」
「ぼくもわがままが過ぎた。これからは君を大切にするよ。一年前のことは、もう忘れよう」
「…ダメね」
「え?」
「たった一年で新しい彼女を作ってるような人に、そのセリフは説得力がないわよ」
「それは…」
「第一、別れた女との思い出の場所に、今の彼女を連れてくるなんて、デリカシーなさすぎ」
「彼女と言ってもまだ…」
「言い訳はいいから、彼女、連れてきて。あたし、今は、あなたがあたしより素敵な人と、幸せになってほしいって。それしか考えてないの」
「そんなの… ははは…」
しぼむように笑いが消えてしまった藍沢氏は、みっこに促されて、フロアを横切っていった。そしてすぐにひとりの女性を連れて、戻ってきた。
背が高くて細身で色白の、さらりと綺麗なロングヘアがとっても清楚で魅力的な、おとなしい感じの女の人だった。
ウエストがきゅっと締まったAラインのロングワンピースが、よく似合っている。
顔も小さくて整っていて、澄んだ瞳が美しく、まさに『モデル級』。
彼女とみっこの間に立って、藍沢氏はお互いを紹介した。
「美由紀さん。彼女は森田美湖さん、ぼくの、友だちなんだ」
「はっきり言ってもかまわないんじゃない? 『昔の恋人』だって」
みっこがそう言って茶化す。
その言葉に、美由紀さんはわずかに眉をひそめて、唇を固くむすんだ。
「…みっこ、彼女は酒野美由紀さん。でも厳密には恋人ってわけじゃないんだ」
「あら、直樹さん。そういう言い方は相手に失礼よ。マナー違反だわ」
藍沢氏にそうやり返すと、みっこは美由紀さんに向かって左手を差し出す。
「よろしく。森田美湖です。もうお会いすることはないでしょうけど」
みっこの言葉に美由紀さんはかすかに構えて、その手を握り返した。
握手するふたりを、藍沢氏はなにも言わずに見つめていた。
ふたりの間でぎこちなく、居心地悪そうにしている。
そんな彼がわたしには、オペラグラスを逆さに覗くように、小さく見えた。
握っていた左手をほどくと、みっこは藍沢氏を振り返り、とっても可憐で素敵な微笑みを浮かべながら、明るく言った。
「おめでとう直樹さん。あたしの負けね」
END
20th Apr. 2011 初稿
18th Jun.2017 改稿
30th Jan.2020 改稿
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