Campus91

茉莉 佳

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09 Moulin Rouge

Moulin Rouge 11

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藍沢氏が加わってからというもの、みっこはもう、見栄もプライドも繕う余裕さえないように、彼から目を逸らして、ソファに深く埋もれたっきり、黙り込んでいる。
あの、『生意気でわがままな小娘』の森田美湖をこんなにしてしまうほど、藍沢氏の存在は彼女にとって、大きなものなのに…

「…」
ふと、会話がとぎれ、気まずい沈黙が漂った。
そんな雰囲気を拭おうとするかのように、藍沢氏はみっこに向かって注文した。
「そうだみっこ。久し振りにカクテル作ってくれないか? 昔よく作ってくれただろう。ぼくの好きな『マンハッタン』」
「もう、忘れたわ」
視線をそらせたまま、みっこはそっけなく答える。
「しかたないな。じゃあ教えてあげるよ。いいかい? ほらみっこ、こっちを向いて!」
目を合わせようともしないみっこを、藍沢氏はたしなめる。
「人が話しかけているのにそっぽを向くのは、マナー違反だろう」
みっこはしぶしぶ、藍沢氏の方に向き直った。
「ウイスキーと… あ、弥生さん。それ取ってくれる?」
そう言いながら彼は、わたしの手元に置いてあった『HAIG』を指差す。
「ウイスキーにベルモットを三分の一。アンゴスチュラを数滴たらすだろ…」
まったく気のない様子で、みっこは藍沢氏の手元を眺めている。わたしは興味深く、彼がカクテルを作っていく様子を見守った。長くて綺麗な指先が、ちょっとセクシー。
「…そしてステア。思い出したかい? これが『マンハッタン』」
藍沢氏はそう言って、笑いながらグラスを傾けた。琥珀色の輝きがとても綺麗なカクテル。

ん?
あれ? このカクテル…

そうだわ。
さっきみっこが作ったカクテルだわ!

『あたし、作れるカクテルあるのよ』
みっこはそう言って、これと同じものを作った。
そして、それをアイスバケットに捨ててしまって、まるで張りつめた糸が切れるかのように、沈み込んでしまったんだ。

そうだったのね。
カクテル『マンハッタン』は、みっこの恋の思い出…

みっこ。
あなたにとって藍沢直樹氏は、本当に大きな存在だったのね。
彼が好きだったカクテルを、知らず知らずのうちに作ってしまうくらいに…

ううん。今日だけじゃない。
みっこからはいつも、失った恋の影が見え隠れしていた。
川島君への片想いの相談をした喫茶店でも、いつかの港の埠頭でも、もっと遡って、あの夏の日に、はじめて恋の話をしたときも、みっこはいつだって、なくした恋を追っていたような気がする。
『生意気でわがままな小娘』の微笑みの裏側に、こんなにもくすぶった、やるせない執着があったなんて…

そう。執着。

藍沢氏のことを完全に拒絶しないと、自分が保てないほどの、強い執着。
もしかして、学園祭の夜にみっこの告白を聞いて、わたしが「足りない」と感じていたジグソーパズルの最後のかけらは、これなのかもしれない。
藍沢直樹氏との確執が、みっこがモデルを頑なに拒んでいる原因になっているんじゃ…

「あれ? そのカクテル、みっこがさっき作って、捨てちまったやつだろ?」
わたしの思いを遮るように、芳賀さんが声を上げた。
あんっ!
この人、なんて気が利かないの?
今のたったひとことで、なんとか釣り合っていた森田美湖と藍沢直樹の天秤は、大きく傾きはじめた。

つづく
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