お隣の王子様

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本編

王子様のヒミツ

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 クリスマスから一夜明けて。布団の中で昨日の色々を反芻する。
 まあ当然エロいことも考えるんだけど……。

「指輪、貰っちゃったなあ」

 一番は、これだ。左手薬指に光るリング。それにそっとキスをして、また眺める。
 指輪なんて初めて貰った。彼女がいたこともあるけれど、指輪を贈ったことはない。そんな余裕も愛もなかったから。

 でも……余裕がなくても東吾さんには贈りたいって思っちゃうな。誕生日とか何か機会があれば安物でもいいから、あの人のすらりとした綺麗な指に僕のモノだっていう証をはめたい。
 無事に就職できて、余裕ができたらちゃんとした物を買い直してプロポーズ。なんて、さすがに妄想がすぎるか。

 やっぱり泊まってってほしかったなあ。傍にいてくれないから、こんな過ぎた妄想しちゃうんだよ。
 毛布にくるまれた温かい身体を抱きしめて寝たかった。襲ったりなんてしないから。多分。いや、ちょっとくらいは……しちゃうかも、だけど。

 とりあえずそろそろ現実を見て、後片付けするか。
 キャンドルライトはいつか電気が止められた時のためにとっておこう……。




 幸い今日は燃えるゴミの日。パーティーの残骸を大きなゴミ袋に入れて持っていく。収集所の前には、待ち構えたようにCが立っていた。
 見張っていることは普段からバレバレだけど一応隠れているつもりらしい彼らが堂々と現れたということは、何か僕に言いたいことがあるはず。心当りはもちろんある。

「東吾様に手を出しましたね!?」

 案の定、Cにそう物凄い剣幕で迫られた。寒いはずなのに、こちらに熱気が伝わりそうなほど暑苦しい。あと怖い。食べられそう。食欲的な意味で。

「友情だと微笑ましく見守っていたのにまさか……。我らの天使が……!」

 ノリがAと一緒だ。
 東吾さんの使用人はみんなこんな感じなのか?

 嘆きは伝わってくるけど、反応的に急いで連れ帰ろうとかそういう様子はなさそうだな……。
 今時そんなとは思うけど、やっぱり東吾さんと僕じゃあ身分は違うだろうから、そこだけ少し不安だ。
 もし二人の関係を報告されて、連れ帰られることがあれば……ファンタジーの世界と違って、僕じゃラスボスを倒しに行けはしないだろうし。

「東吾さんも普通に大人なんですから、自由にさせてあげてくださいよ。覗き見なんて趣味が悪いです」
「さすがにプライベートを覗き見してはおりません。部屋に戻られるとき、喉元にキスマークがついているのを拝見しました」

 非常灯の光だけで見えたというのか。ありえない。
 というか、情事を見られていたわけじゃないのか。ぬかった。

「あー。それ、ダニですよ。ボロアパートだからダニが凄いんですよね」
「なるほど、そうでしたか。東吾様の部屋には気を遣っておりましたが、そこまで気が回りませんでした。今度伊尾様の部屋も駆除しておきます」

 僕ごと駆除されないよな、これ……。
 絶対に信じてないって顔をしてるし、多分普通にバレてるんだろうし、ここは素直に認めとめたほうが後々良さそうだ。

「……その。貴方たちの大事なご主人様に手を出してすみません。でも、大切にしますから!」
「絶対に絶対ですよ! うう、東吾様を……東吾様を幸せにしてください!」

 Cは巨体をゆさゆさ揺らしながら走り去った。サングラスから涙がつたうのが見えた。
 さすがにそろそろ、彼らのことを東吾さんに話したほうがいいか……。

 僕は僕で、現実と向き合う時が来たのかもしれない。
 ふわふわしたおとぎ話みたいな恋愛を、もう少し楽しんでいたかった気もするけど。
 あえて訊かずにきた東吾さんの家のこと。少しずつ、訊いていこう。
 お互いの生活をこれでもかってほど近くで見ているのに、まだ知らないことがたくさんある。

「今日は鍋にしよう……」

 こたつで鍋を囲みながら、ゆっくり話そう。昨日食べ過ぎたから、量も調整できていい。
 東吾さんは今頃、お持ち帰りしたケーキを朝ごはんがわりに食べてるのかな。それともまだ寝てるか。
 なんだか今すぐ顔を見たい……。でも、昨日の今日で朝から押し掛けるのも少し気が引けた。
 頬がやたらとほてって、ひんやりとした外気が心地よく感じる。
 僕はゴミを収集所へポイして、来た道を引き返した。




 バイトの帰り道『今日は東吾さんの部屋でご飯を作ります』とメールをする。恋人になる前からしていたやりとりだけど、今となっては少し気恥ずかしい。『早く君の顔が見たいな』なんて返事をもらってしまって尚更。

 スーパーで購入した材料を手に訪れると、着る毛布を着た東吾さんが玄関先で抱擁つきの熱烈な歓迎をしてくれた。もうどこへ出しても恥ずかしくない、ラブラブバカップルだ。

 毛布のせいで王子様オーラは4割減してるけど、僕の恋人は今日もかっこよくて、可愛い。

「今日は凄く、君のいない時間が長かった。指輪、きちんとつけてくれていたんだね。嬉しいよ」

 うおっ。手を取って指輪にキスか。サマになっているのがスゴイ。着る毛布でも王子様は王子様だな……。

「僕も早く会いたかったです」
「本当? 嬉しいな」

 心底嬉しそうにしてくれて、僕も嬉しい。こんなの見せられたらデレデレになるに決まってるだろ……。

「今すぐ鍋つくるんで、ゆっくりしていてください」
「あ……。私も何か、手伝いたいんだけど、ダメかな」
「手伝うって……料理をですか?」
「そう。最近、少しずつ料理の練習をしているんだ」

 今は一人暮らしの練習中だ、みたいなことを前に言ってたけど、本当に頑張ってたんだな。てっきりニートを満喫中かと。
 幸い今日は材料をぶったぎって鍋の素で煮るだけだ。料理とも呼べないくらいだけど、慣れるにはもってこいだろう。

「じゃあこれ、切ってくれますか? 白菜」
「まかせてくれ!」

 台所は狭くて、男二人ではぎゅうぎゅうになってしまう。
 でも、真剣な顔で野菜を切る東吾さんを見逃すわけにはいかない。別の意味でも怖くて目が離せないけど。

「手元に気をつけて、ゆっくり」
「うん……」

 少しだけ指の先を震わせながらも、割と器用にざく切りにしていく。
 トン、トンと包丁がまな板にあたる音。これ、自分以外が立てているの、どれくらいぶりに聞くかな。
 毎日聞いているはずなのに自分で刻む音とは違っていて、なんだかとても懐かしく泣きそうな気分になる。

「この音、懐かしいな。昔はなんとも思わなかったのに、今聞くと凄い……」
「私は……君が作ってくれる時に初めて聞いたけど、凄く感動したよ。こんなに素敵な音楽が存在するんだなって思った」

 相変わらずキザだ。聞いてるこっちが恥ずかしくなる。
 ちょっとときめいてしまった自分が気持ち悪い。

 でも……思い出補正がなくても、そんなふうに感じるものなんだな。
 子供のうちに聞くのと、大人になってから初めて聞くのではまた何か違うものがあるのかもしれない。

「昔、おばあちゃんが古い台所に立って、こうしてご飯を作ってくれてたんです」
「おばあさまが?」
「はい。僕の両親は僕が小さな頃、亡くなってしまったので」

 東吾さんは自分のことをあまり話さないけど……。僕も自分の生い立ちを語るのはこれが初めてだ。そんなにベラベラ言うようなことでもなかったし。
 だけど。言いたくなる時っていうのは、自然にくるものなんだな。
 こういうの、なんていうのかな。思い出を共有したい気持ち?

「あ、そ、そうなんだ」

 でも、東吾さんは少し気まずそう。
 それもそうだよな。料理してる時に、サラリとこんなことを言われて。手元が狂って指まで切るハメになったら大変だ。

「昔の話ですから、気にしないでください。それより、指を切らないように気をつけて」
「うん……」

 再び、心地のよい音が聞こえ始める。
 僕が妙なことを言ってしまったせいか、空気がどこか気まずくなっていて残念。せっかくいい雰囲気だったのに。
 別に同情してもらおうとか、そういうんで言ったんじゃないんだけどな。
 ただ、包丁の音が懐かしかったから……少し、話したくなっただけで。
 それに東吾さんのことを聞きたいのに自分は何も話さないというのはフェアじゃないとかも、思ったし……。
 うん、せめて、ご飯を食べ終えてから話せばよかったな。

「これって、手料理ですよね。東吾さんの手料理が食べられるなんて、幸せだな」
「形、イビツだけどね」
「全然。これなら充分ですよ」
「ありがとう」

 不揃いだけど、きちんと切れている。慣れれば手際もよくなるだろう。

「切ってる途中ですけど、そろそろ鍋の準備を始めましょうか」

 二人用サイズの鍋に水と素を入れて火にかける。

「ぐつぐつしてきたら、材料を入れます。煮えにくいものから先に入れていくんですよ」
「なるほど」

 説明しつつ材料を入れていき、煮えるまでの間に自分の部屋に戻り、どんぶりにいれたご飯を持ってくる。前回のシメはうどんだったから、今日は雑炊にするつもり。
 僕らはこたつの上にカセットコンロと鍋を置いて、煮えたものから小皿へ取り分ける。つぎたす用の具材も、横に積んである。ちなみに肉は豚だ。

「どうですか? 自分で材料を切った鍋は」
「せーたが作ったほうが、美味しい気がする」
「切って煮るだけで、味なんて鍋の素を使ってますし、そんな変わりませんて」

 ……いや、変わる、かも。
 今食べてみたら、僕には今日の鍋のが美味しく感じる。もうヤバイくらい。
 ちょっと待ってくれよ。最大のスパイスは愛情だなんて物語の世界だけかと思ってたよ。

「僕は東吾さんが作ってくれた鍋のほうが好きです」
「本当かい? それならいいんだが……」

 東吾さんは釈然としないようで眉間にシワを寄せている。
 理由は鍋だけじゃないだろうけど。さっきからどこか沈んだままだし。

「東吾さん、眉間にシワ」
「えっ……」
「楽しく食べましょ? 食事前に変なこと言ってすみませんでした」
「あ……。ちが、違うんだ。誤解をさせていたらすまない。こういったらなんだけれど、凄く不思議だったから」

 不思議。予想外の単語がきたぞ。僕にとっては王子様の思考回路がファンタジーだ。

「何がですか?」
「せーたにも、過去があるんだって」
「そりゃ、ありますよ。普通に」
「おかしな話だけどね、私は他の人がどういう人生を送ってどう過ごしてきたのか、想像すらしたことがなかったんだよ」

 東吾さんが会社で周囲に馴染めなかった理由がわかった気がする……。
 他人の過去というか、東吾さんは自分以外の人間をあまり気にしていなかったんだろう。そして、そういうことを話してくれるような相手もいなかった。

「せーたの……前の恋人の話を聞きたい。今までどうやって暮らしてきたのか知りたい。君のことが、とても知りたい」

 それは今まで言われた数々のキザな口説き文句よりもずっと、深く心に染み込んだ。
 相手を知りたいと思うことが恋愛の第一歩だなんて聞いたことがあるけど、東吾さんのこれはまさにソレなのかも。
 なんだか照れくさくて、でも凄く嬉しい。物語の世界にいた王子様が、絵本から飛び出して自分を見てくれたような感覚。

「僕も貴方のことが知りたいな。東吾さんって謎な人だし」
「ええ? でも、君、訊いてきたことなかったじゃないか」
「それは東吾さんがあまり話したくなさそうだったから、やめておいたんですよ」
「そう。そうか……。これが、空気を読むってことなんだね。せーたは凄いな……」

 会社の人に空気が読めないって陰口でも叩かれたんだろうか。
 でも、僕が知る限り東吾さんは割りと空気を読むタイプではあると思う。ただ、感覚や感性が人とズレているから、結果空気を読んでない感じになってしまうだけで。

「……なら、勇気を出して話すけれど……実は私には、言い出せずにいた重大な秘密があるんだ。何を聞いても嫌いにならないと約束してくれる?」
「はい」

 一体どんな秘密が明らかに……。

「こんなところに住んではいるけれど、私の実家はとても裕福なんだ」
「………………知ってますけど」
「えっ!? 話したことないのに!?」

 むしろ間を持たせた割にぼんやりした内容で、そのほうがビックリっていうか。というか、まさかまだ気づかれていないと思っていたとは。

「言動とか見てれば、なんとなくわかりますよ」
「えー……」

 東吾さんがみるみるうちに赤くなる。

「そんな恥ずかしいことでもないでしょう」
「いや、だって。傍目から見てわかりやすいから、王子様とかコソコソ言われたりしているんだろう?」

 確かに近所の人も、東吾さんのこと王子様って呼んでるもんな。
 東吾さんは、お金持ちに見えるからって理由だと思っているみたいだけど、それは少し違う。

「あの。普通に容姿のせいだと思いますよ。王子様っぽい外見だから、東吾さん」
「も、もしかして、せーたもそう思って……」
「ます」

 今でも心の中で普通に呼んでるとはさすがに言えない。

「恥ずかしいからやめてほしい……」
「別に、そう呼んだことないでしょ? ……ないですよね?」
「確証が持てないくらい、そんなに思ってたんだ」

 しまった。
 別に悪口とかじゃ、ない……わけでもない、か。
 確かに容姿のこともあるけど東吾さんの場合、どこか浮世離れしたその感じが王子様らしさに拍車をかけているから。
 彼自身もそういう自覚があるからこそ、恥ずかしいのかもしれない。
 でも、僕は東吾さんのそんなところが可愛いと思うわけだし。難しいな。

「そ、それより、なんでお金持ちだと嫌われると思ってたんですか?」
「主には……それを黙っていたっていうこと……かな。お金を持っているとわかると態度を変えてくる人もいるから、言い出せずにいて、そのままずるずると……」
「あー……。でも僕、貴方が越してきたその日から、この人お金持ちで何か事情があってこのおんぼろアパートにきたんだろーなって思いましたけど」
「初日から!?」

 ショックを受けている様子の東吾さんに、僕がどうしてそう思ったか、鍋を食べつつゆっくり説明してあげた。
 気持ちが落ち着いてきたのか、東吾さんもちびちび食べながら聞いていた。

「言われてみれば確かにそうか……」
「初めは身の危険があるかもって、かなり不安でしたよ」
「それなのに、私を家にあげてくれて蕎麦までご馳走してくれて……せーたは優しいね」
「別に優しいってほどじゃ……」
「優しいよ。せーたは優しい」

 そんなことはない。本当は貴方を見捨てようとしていたし。
 結果助けたけれど、蕎麦目当てだったし……。そもそもご馳走したその蕎麦、貴方が持ってきてくれたものですから。

 僕は面倒事が大嫌いで。でも、何故か損なことを押し付けられることが多い役回り。
 いつもいつも、助けてから後悔することも多い。でも今回は違う。あの時拾って良かったと心から思う。
 本当は声をかけるのすら躊躇したなんて、今では考えられない。

「それより東吾さんが、こんなおんぼろアパートに押し込まれるハメになった理由が知りたいです」
「そうだね。話せば長くなるんだけど……。私もせーたと同じで、実の両親はもういないんだ。今の両親に会社の跡継ぎにするべく厳しく育てるぞって引き取られたんだよ」
「えっ。それが……」

 どうしてこんなふうに成長を?
 僕は言葉の続きを飲み込んだ。

「実際は厳しくどころか、それはもう蝶よ花よと育てられてね。毎日着せ替えされて、写真や動画をいっぱいとられて……私も気に入られようと必死で、最大限あざとく甘え倒した」

 やっぱり空気自体は読めてるよな……。いや、この場合は子供の本能的なものかも。

「でもその数年後、弟が産まれた……」
「えっ!?」

 これは、まさかの……ドロドロ展開。

「それが追い出された理由ですか?」
「や、差別されたりとかはないよ。むしろ、私が気にすると思ったのか、実の子供よりも甘やかして育ててくれてね」

 継がせる必要がなくなったから、安心して更に甘やかしたパターンだったりするんだろうか。
 だってこの素直可愛すぎる王子様を一度手懐けたら、もう手放せないだろ。可愛がるだろ普通……。

「でも、そのせいか弟には嫌われていて、私の一人暮らしを提案したのも弟なんだ。両親がそれに乗ってしまったのがショックでね。ついに愛想を尽かされて追い出されるのかと」
「弟はどうだかわかりませんけど、両親は多分、親心じゃないですかね……」
「うん。今はそうだろうなって思ってるよ。おかげでだいぶ、世間に馴染めた気がするから。それに……せーたにも出会えたし」

 ふふっと嬉しそうに笑う。天使か。

「僕も東吾さんに出会えて嬉しいです! 弟さんや家の人には感謝しなきゃ」
「そうだね。特に使用人たちは、ここを見つけてくれて……。お隣には絶対、挨拶に行くようにって蕎麦を持たせてくれたし」
「そうなんですか」

 もしかして僕、東吾さんの独り立ち計画に知らず組み込まれてたんじゃあ。
 金持ちが可愛い我が子に旅をさせるなら、近隣の情報くらいは事前に調べておくものだろうし……。
 それなら、こんなボロアパートに押し込んでおきながら、きちんと護衛がついているのも頷ける。

 あ。そうだ。護衛といえば、ABCのことをそろそろ……。

「あの、東吾さん」
「ん?」

 いや。ダメだ!
 見られてるってわかったら、恥ずかしがって僕とあまりイチャイチャしてくれなくなるかもしれない……!

「と、東吾さんが親しくしていた使用人とかって、いますか? 聞きたいなあ」
「ああ。うん。お付きのような感じで、仕えてくれていた使用人はいたよ。浅野、馬場、椎名といってね、物語の人物のように三人三様の体格をしていて」

 ABCそのまますぎるだろ。

「いつかせーたを紹介したいな」

 既に。しかも今日よろしくされたばかり。

「今はお屋敷でそのまま勤めていると思うから」

 割とすぐ傍にいると思います。

「はは。なんだか、私のことばかりだね。私にもせーたのことを聞かせて? とりあえず、彼女のことがいい」
「あ……。え、えーと、いいですけど、なんでそんなこと聞きたいんです?」
「好きな人のことなら、なんでも知りたいものじゃないか? それに恥ずかしい話、私には恋愛経験がないので……参考にしたいという気持ちもある」
「あまり参考になんてならないと思いますけど」

 でも、好きな人のことならなんでも知りたいって気持ちはわかる。
 正確には、東吾さんのことを好きになってわかるようになった。
 今までだったら、人の過去を知るなんて面倒なこと、したいとも思わなかったから。

「……僕は恋愛に興味なんてなかったんで告白とかされても断ってたんですけど……。一人だけ、私のこと好きじゃなくてもいいからって押してきてですね。情に心が動かされたわけじゃなくて……肉欲に負けたクズ男なんです。高校卒業と同時にフラれました」

 悔いばかりが残る恋愛だった。いや、恋愛とは呼べなかった。
 さすがにこれは、今まで誰にも話したことがなくて……。それを初めて話す相手が、現在付き合っている人ってどんな冗談。
 僕も何をクソ真面目に答えてるんだ。適当にお茶を濁しておけばいいものを。僕がこんな最低な奴だって知られたら、幻滅されるかもしれないのに。
 それでも話してしまうのは、どこかで本当の自分を知ってほしいという気持ちがあるからなんだろう。

 心の奥底まで見透かすような青い瞳で、東吾さんが僕を見る。
 汚いところが、全部暴かれてしまうような気がした。

「だから、貴方の……東吾さんのことは、大切にしたいです」
「前の恋愛を、後悔してるから?」
「……そ、う、かもしれません」
「引きずってたら、ちょっと嫌だな。まあ、君のことは私が幸せにしてみせるから、いいけど」

 それだけ言って、東吾さんは鍋の残りを口へ運んだ。
 甘い言葉を吐いてはいるけど、少し不機嫌。自分から訊いてきたくせに。
 ん? あれ。これって、もしかして……。

「あの、もしかして妬いてます?」
「……そうかも。そうなのかな。ごめん。自分から訊いたくせに、失礼な態度をとって」
「僕は嬉しいです。東吾さんが妬いてくれて」
「そういうものなのかい?」
「はい」

 本当に我ながら最低な男だと思うけど、僕が何を一番後悔してるかって。
 初めては貴方がよかったなってところなんですよ。

「ね。参考にはならなかったでしょう?」
「せーたが……押しに弱いというのは、わかった」
「あっ。そうかも。それ重要ですよー。いっぱい押してくださいね、東吾さん」
「少しニヤニヤしすぎだぞ、君」

 まだちょっと拗ねた顔してる。可愛い。

「東吾さんは僕から押して恋人同士になったようなものですし。面倒な恋愛も、貴方とだったらしたいなって思ったんですよ」
「せーた……。私もだよ。君と恋愛ができて、嬉しい」
「ふふっ。さあ、そろそろ雑炊にしましょうか」

 鍋の中身はいつの間にかかなり減って、ご飯を投入するのにちょうどよいくらいになっていた。

「嬉しいな。楽しみにしていたんだ」
「味が染みて美味しいんですよ。薄かったら少し味噌を足したり塩を足したり、鍋の素にあわせて色々……」

 寒い冬、こたつで暖まりながら二人で鍋なんて、去年なら考えられなかったな。
 お互いの仲も、更に暖まった気がする。
 東吾さんのことで知らないことなんて、きっとまだまだあるけれど……これから、少しずつ知っていければいいと思う。

 そして。昨日ちょっとえっちなことをしたばかりの僕は、もうひとつ思うわけです。身体からお互いを知っていくのも、ありだよな、と。

 東吾さんが雑炊楽しみすぎて、凄い子供みたいに目を輝かせてるから、今は話を切り出しにくい。機会を窺って……。

「そういえば、ここ、ダニが出るみたいだね。今日駆除のチラシがポスティングされていたよ」
「えっ!?」

 なんという、あからさまな牽制。

「私は噛まれたことがないのだけれど、せーたは大丈夫かい?」
「僕は大丈夫ですよ。僕は」

 むしろ貴方が噛まれていると思います。
 目の前の、おっきいダニに。
 無視してもいいんだろうけど……さすがに今朝つきあっていることがばれて、会話をしたばかりじゃ襲いにくいな。

 はあ。仕方ない。今日は紳士でいてあげるとするか。
 僕と王子様を引き合わせてくれた、三匹のキューピットに免じて。
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