お隣の王子様

used

文字の大きさ
上 下
1 / 29
本編

蕎麦に王子様

しおりを挟む
 ある日ボロアパートに帰ると、玄関の前に王子様みたいな人が倒れていた。
 貧乏な僕の元へ白馬に乗った王子様がついに迎えにきてくれた……なんて夢見がちに考える年齢は、残念ながらとうに過ぎている。そもそも僕は男だ。
 面倒事は好きじゃない。他人に施せるような余裕もないし、ここは関わらないようにするのが正解。……だと、わかってはいるんだけど。僕はこういう時に間違った答えばかりを出してしまう。

「あの、大丈夫ですか?」

 声をかけ、上等な毛皮のコートに包まれた肩を掴んで軽く揺する。
 コートの下は高そうなシャツ一枚。冬だってのに、これじゃあ風邪を引く。脈を確かめるために触れてみた手首は酷く細く、そして冷たかった。
 まさか死んでないよなと思ったところで、王子様は体温に反応するようにうっすらと目を開けた。吸い込まれそうな、綺麗な青色だ。金の髪も染めているわけじゃなく、地毛なのかもしれない。

「あ……。天使? お迎えがきたのかな」

 天使ってまさか僕のこと?
 流暢な日本語だけど、内容がやばい。
 自分が天使みたいな顔しておいて……。鏡でも見せたら天国だと勘違いして昇天しそうだな。

「違います。僕はここに住んでるんです。そこの、5号室」
「貴方が……!?」

 何をそんなに驚いているんだ。まさか僕を訪ねてきたとか?
 いやいや、さすがにこんな男、一度見たら忘れないぞ。
 僕よりちょっと年上くらいか。おんぼろアパートに似つかわしくない相貌で、何故か今、僕の手をひしっと握りしめている。

「私は貴方に渡したいものがあって、ここへ」
「渡したい物……?」

 そっと手渡されたそれは……引っ越し蕎麦。

「え。越してきたんですか? 隣?」

 確かに隣は空き部屋だったけど、まさかこんな王子様みたいな男が? この場にいるだけで似合わないとか思うのに、隣に住むっていうのか? すきま風だらけの木造建築、三日に一度はどこかしらに穴が開く、取り壊しも秒読みなボロアパートに。

「ええ。引っ越しの時はこれを持って挨拶に行くのが礼儀だと」
「具合が悪い時に無理して渡しにこられても、逆に困りますから」
「これはその。具合が悪いわけではなくて、お腹が……空いて」

 ……蕎麦、食べればよかったんじゃないか?
 どうするかな。この、重さからして10人前くらいの蕎麦を突っ返してしまうべきか否か。

「……うち、来ます?」

 彼は弱々しい笑みを浮かべ、こくりと頷いた。
 こうして僕は、蕎麦を持ってやってきた王子様を、部屋に迎え入れてしまったのだ。




 エプロンつけて蕎麦を茹でて、めんつゆを適当に割ったつゆへ入れて出来上がり。
 部屋の中央に鎮座した折り畳み式のテーブルにトンと丼を置いた。

「どうぞ」
「わあ、ありがとう。美味しそうだ」

 王子は目を輝かせて、蕎麦をすする。どうやら箸は使えるらしい。

「凄い美味しい。こんな美味しい蕎麦を食べるのは産まれて初めてだ」
「はは、大袈裟ですよ」

 ……って、マジウマッ! 一口食べて驚きのあまり口から噴き出すかと思った。そんな勿体ないことできるはずないから死ぬ気でこらえたけど。
 僕の茹で方が天才的って訳でもなく、つゆも安物。明らかにこの蕎麦自体が上等なんだろう。

「きっと、貴方のような美しい人が作ってくれたからだね」

 噴き出してしまった。こ、このヤロウ……せっかくの高級蕎麦を。
 これって、もしかして口説かれてるのか? 相手に不自由してなさそうな王子様が、僕を口説くとか考えにくいけど。

「だ、大丈夫かい?」
「……はい。それより、そういう台詞は女性に言ってあげてください」
「えっ? 男?」
「ええっ!?」

 確かに僕は貧乏暮らしでひょろっこい。身長も170で凄く高いってわけでもない。
 女の子に間違われたこともあるにはあるけど、そんなの小学生の頃の遠い記憶だ。どこをどう見ても女になんて見えないと思う。女装でも頑張らない限りは。
 大丈夫か、この王子様。男女の区別がついてないんじゃないか……?

「ごめん。あまりに可愛らしかったものだから」
「か、かわっ!? でも、女性だと思ってたんなら、いきなり口説くのはどうかと思いますけどね」

 そもそも、女の部屋に上がり込むのも、紳士としてはどうなんだ。腹が空きすぎてやむをえずなのか。

「口説く? 女性を褒めるのは当たり前のことだろう。礼儀だ」

 いやみのない、きょとんとした顔で本当にわかってなさそうに王子様がのたまう。

「は……」

 ダメだ。世界が違いすぎる。実際に王子様なんてことはないだろうけど、かなりいいところのお坊ちゃんだってことは間違いなさそうだ。
 でも、そんな人がどうしてこんなボロアパートに。
 面倒ごとには関わりたくないけど、普通に気になってしまう。好奇心は猫をも殺す。わかっているさ、そんなことは。

「ぶしつけな質問ですけど、どうしてこんなアパートに?」
「それは……じ、事情があって少し言えない。貴方まで危険に晒すことになる……!」

 まさかのバイオレンス。命でも狙われているのか……?
 って、普通に考えて、家出してきて家族から身を隠しているくらいの展開しか想像できない。見た感じ平和すぎる……。もし危険が迫ってるとしたら寒空の中、蕎麦持ってぶっ倒れてるとかまずないと思うし。

「あまり関わり合いにならないように、やっていけばいいですね」
「そ、そうか。そうだよね。結構ご近所づきあい、楽しみにしてたんだけど」

 ご近所づきあい。……僕の身を危険に晒したくなかったのでは。
 王子様は目に見えてしょんぼりしている。毛並みのいい犬が耳を垂らして落ち込んでるみたいだ。
 この人なんとなく放っておけない雰囲気があるんだよなあ。

「なら、巻き込んでもいいですよ。だから、話せるところまで話してみてください」
「伊尾さん……。ありがとう。やはり綺麗な人は心まで綺麗なんだね」

 さっきは可愛らしいとか言ってたのに。というか、男だってわかっても結局口説くのか。

「……私は、家にとってもう要らない存在で、追い出されてここへ来たんだ」
「はあ……」

 世継ぎ問題とか遺産争いとかそんな感じか?

「もしかしたら命くらい、狙われているかもしれない」
「それは考えすぎだと思います」
「慰めてくれるなんて、優しいんだね」

 いや……。もし本当に命を狙われてるならとっくに死んでそうだからな、この王子様は。

「それで、貴方は一人で生活できるんですか?」
「も、もちろんだとも」
「仕事は?」
「しばらくは、貯金を切り崩して、生活に慣れようかと……」

 つまり現在は無職か。でも金は普通に持ってそうだし、ほっといたら野垂れ死にそうだからギブアンドテイクで面倒見てやるかな。隣になったよしみってヤツで。

「食費を出してくれるなら、飯の世話くらいはしてもいいですよ。初めから全部一人でやるのは、大変でしょう」
「えっ、本当かい? 確かに何もかも初めてのことばかりで不安だったんだ。でも……悪いな」
「ご近所付き合い、したかったんじゃないんですか?」
「ありがとう!」

 王子様がパアッと顔を輝かせる。
 いくら隣人とはいえ、今日会ったばかりの相手にこんなアッサリ籠絡させられるとか、心配すぎる。僕が悪い奴だったらどうするんだ。

「食費っていくらくらい必要なのかな?」
「そうですね……。3万もあれば充分です」
「なら、5万渡すから余ったら残りは自分を磨くために使ってほしい」

 自分を磨くって。まだ半分くらい僕を女扱いしてそうだな。まあ、いいけど。

「あ……。そういえば、名前を訊いてませんでしたね」
「ああ。私は表札を見ていたから知っていたのに、こちらは名乗りもせずにごめん」

 恭しく頭を下げられた。

「金城東吾。以後、お見知りおきを」
「日本人名か……」
「あ、うん。地毛なんだけど、やっぱり目立つよね。黒く染めたほうがいいかな」
「そのままで、いいんじゃないですか?」
「そうかい?」
「ええ」

 だってその髪の色はとても貴方に似合っている。なんて、僕まで口説くような台詞を吐きそうになってしまった。この人のキザっぽさがうつったかもしれない。
 おんぼろアパートに越してきた身分を偽る王子様とご近所付き合いなんて、漫画やドラマの中だけかと思ってたけど……。現実に、あるもんだなあ。
 ただ、僕がヒロインではないので残念ながらラブロマンスは始まらなさそうだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?

下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。 そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。 アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。 公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。 アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。 一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。 これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。 小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

とある文官のひとりごと

きりか
BL
貧乏な弱小子爵家出身のノア・マキシム。 アシュリー王国の花形騎士団の文官として、日々頑張っているが、学生の頃からやたらと絡んでくるイケメン部隊長であるアベル・エメを大の苦手というか、天敵認定をしていた。しかし、ある日、父の借金が判明して…。 基本コメディで、少しだけシリアス? エチシーンところか、チュッどまりで申し訳ございません(土下座) ムーンライト様でも公開しております。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

処理中です...