使用人の我儘

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秘密の恋人

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 秋尋様の卒業式、死ぬほど泣いて周りに引かれたのも、今ではいい思い出だ。
 違う校舎になるだけで遠くはないし、そもそも一年前まで俺は学校に行ってなかったんだから離れるのも慣れているはずなのに、自分が思うよりツラくて驚いた。

 初めての後輩ができたり、広川くんだけ別のクラスになったりと、色々環境が変わったこともあって、俺はかなりの期間、情緒不安定になっていた。
 でも秋尋様に心配をかけたくなかったから、彼の前ではなるべくいつも通り振る舞った。

 今日もしとしと雨が降る。梅雨。通い始めた道場の効果もあって、俺はようやく落ち着きを取り戻してきていた。
 そんな、6月半ばのことだ。

 俺と秋尋様が恋人同士になったのは。

 今でもあの日のことは、忘れられない。
 ……ただまあ『偽の』がつくけれども。
 しかも忘れられないのは感動のほうではなく、激しい憤りを感じたせいだ。

「最近、言い寄られることが増えた」

 と。秋尋様がそう、口にしたから。
 どこのどいつだ。不届き者め。誰にもバレずに殺すしかないと、心の中で叫んだ。いや、思わず口に出していた。そんなストレートな言い方ではなかったけれど、お困りなら斬って捨てましょうかと笑顔で進言した。
 秋尋様は少し悩んだ顔をして、お前を犯罪者にはできないと答えた。お優しい。

 少年っぽさの抜け始めた秋尋様は日に日に美しさを増している。懸想した男に横からかっ攫われてはたまらない。それくらいなら、俺がいただいてしまいたい。
 幸いなのは秋尋様にまったくその気がなく、心底困った様子であること。
 長い間ボッチだった秋尋様は最初のうちこそ、好意を持って近づいてきてくれるのが嬉しかったらしいが、徐々に心の重荷になってきたらしい。
 なお、嬉しかったと聴かされた段階で、握った手のひらに血が滲んだ。

 次の日から自分の中学校生活をほっぽって秋尋様の校舎へ毎日乗り込みかねない勢いの俺を見かねて提案してくださったのが、偽の恋人同士という関係だった。

 偽とはいえ、秋尋様の恋人。俺の喜びは言葉では言い表せない。
 だって少しでも俺のことが嫌だったら、そんな案、出てこないと思うし。

「元から距離が近いから周りを納得させやすいし、お前となら恋人のようにベタベタしていても抵抗がないからな」

 そんな嬉しい言い訳も、してくれちゃうし。
 ですよねー! 身体の関係もありますもんね! ……最近は、あまり触らせてくれませんけど。

 そんなわけで、俺と秋尋様は降りしきる雨の中、相合い傘をするような関係になったのだ。
 ていのいい男避けでもなんでも良かった。友達という枠からまたひとつ上がれたことが嬉しかった。
 ただ、身長差の関係もあって、傘を持つのは秋尋様。使用人ともあろうものが、秋尋様に傘を持たせるなど……という葛藤と、恋人同士っぽくて最高という気持ちがせめぎあって後者が勝ったので、甘んじている。

「秋尋様、もっとくっつかないと、秋尋様が濡れてしまいます」
「身長差があるから、ひとつの傘は難しい。別に傘くらい、わざわざひとつにしなくても良かったんじゃないか?」
「学園生活で仲睦まじい様子を見せられる、またとないチャンスを逃すわけにはいきません」

 そう。秋尋様とイチャつけるチャンスを逃すわけには。

「それで、効果はありました?」
「ああ。密やかに噂も広まって、言い寄られることがかなり減ったな」

 まあ、秋尋様に危害を加えようものなら、少年法で守られている間に……ね。俺を引き取ってくださった近衛夫妻には申し訳ないけど、秋尋様を護るためなので……。

「だから余計なことは考えるなよ。絶対だぞ」
「大丈夫です。わかってます」
「本当だろうな」
「もちろんです」

 ジトッと疑うような視線を送ってくる。その表情もキュートです、秋尋様。

「そ、それで、お前のほうはどうなんだ」
「はい?」
「お前も、その……。僕ほどではないが、言い寄られることもあるだろう」

 もしかして、偽の恋人を提案してくれたのは、俺に言い寄る輩が許せないような気持ちもあったのかな。なんて、それはさすがに夢を見すぎか。もし俺を好きだとして、わかりやすすぎるこの人が隠し通せるわけはないもんな。

「俺のほうは元々、そんなにないですよ」
「そうなのか……?」
「はい」
「見る目がない奴らばかりだな」
「え、それって……」
「車についたぞ。傘はお前が畳め」
「はい、あの……それはもちろんですけど、秋尋様……」

 自動でドアが開いて、俺が渡された傘を丁寧に閉じている間に、秋尋様は車へ乗り込んでしまった。
 小松さんもいる場所で、こんな会話が続けられるはずもない。
 ……今、すっごく抱きつきたい気分なのに。

 車の中でコッソリ手を握ると、ここでは必要ないと言いたげに、はたいて落とされた。
 恋人同士といっても仮だから、こんなものだ。
 
 決して真実になることはない、甘く苦い嘘。
 それでも、幸せ。

「朝香。今日も道場へ行くのか」
「はい。秋尋様を部屋までお送りした後で」
「別に送る必要はないから、まっすぐ向かえばいい」

 相変わらずの、ツレなさだけど。
 その短い時間を俺がどれだけ大切にしているか、秋尋様はわかってない。

「いいえ。必ず、お送りします」
「……友達だと言ったのに、毎日僕を放って稽古をしているくせに」

 ポツリと小さな声で呟かれた言葉に目を見はった。
 だって、そ……、そんなこと、今まで一度だって言わなかった。
 それに同じ屋敷に住んでいるのだから、普通に声をかけてくれたら夜にお伺いするのに。

「夜、呼んでくだされば、毎日でも行きます」
「夜はダメだ」
「何故ですか?」
「どうしてもだ」

 見たいテレビでもあるんだろうか。
 ここのところ、夜のお誘いがほとんどないのもそのせいか。

「では今日は道場を休みます」
「そんなことしなくていい」
「でも、休みます」
「いい。ぼ……僕が、お前の稽古を見に行ってやる」

 そ、そっち!? 言われてみれば、秋尋様を誘ったことはなかった。もしかして、それで拗ねてたのか?
 相変わらず、一人で拗らせるお人だな。そこも可愛いけど。

「不満か?」
「いえ。嬉しいです」
「せっかくだから、僕も少し、習おうかな……」
「それなら俺が教えますから!」

 秋尋様が誰かと組み合うとか、寝技をかけられるとか、想像しただけで死ぬ。

「そうか。なら、今日の夜、僕の部屋へ来い」
「え? ですが、夜はダメだと……」
「良くなった。まあでも、お前が嫌な」
「行きます!」

 喰い気味に言った俺に、秋尋様がフッと笑った。
 その笑顔と、稽古を見に来てくれるのと、久々にきた夜のお誘いが嬉しすぎて、俺は思考を放棄した。




 ほどよい疲れが身体を満たす。俺の部屋とは違う、フッカフカのベッド。シーツは毎日、洗いたてのいい匂いがする。何よりいい匂いがするのは、隣にいる秋尋様だけど。

「お前……。教えるって、言ったのに……」
「でも久しぶりでしたし、秋尋様も拒まないし、結構その気でしたよね?」
「それは、そうだが……」

 その気だったということを肯定され、思わず顔が緩みそうになる。

「俺としては、もう少し回数を増やしたほうが、恋人らしさも出ると思うのですが」
「必要ない。だから嫌だったんだ。お前を夜、部屋に誘うのは。拒めないのがわかっているし……」

 春の陽だまりのような気持ちは、一気に凍てつくような寒さに変わった。
 もしかして、快感に抗えないだけで、実はずっと嫌だったとか?
 最近は触れって言われる前に触っちゃってるし……。俺から仕掛けることも許されていたとはいえ、我に返ってこんな関係はおかしいと後悔してる可能性もある。
 しかも今日なんて、護身術を教えると言っておきながら早々と夜の寝技に持ち込んでしまった。久しぶりの甘い雰囲気だーなんて無邪気にはしゃいで恥ずかしい。

「そんなに……お嫌でしたか?」
「嫌、というか。お前は僕に奉仕したいと言うし、それならそれも主人のつとめかと思っていたんだが……」
「が?」
「こい、びと……の、ふりをしていると、思いながら……だと、なんだか変な感じになる……」
「変な……」

 どんな。そこを訊きたい。でも自分でもよくわかってなさそうな秋尋様を問い詰めるわけにもいかない。恥じらうどころか、渋い顔をしているし。

「だから、しばらく性的なことを控えたい」

 はいこれ、関係を絶っているうちに、我に返ってもう二度と触らせてもらえなくなるやつ。泣きそう。

「……でしたら、抱きしめるのはどうですか?」
「それは、恋人らしさを出すためか?」
「はい。このままでは、よそよそしくなりそうなので」
「それもそうだな」

 なんとかスキンシップの約束は取り付けた。首の皮一枚は繋がった感じだ。
 ほんの少しでも意識してもらいたい。そんな俺の健気な願い。
 思えば身体からっていうのがおかしな話だった。今度は気持ちを育てていこう。せっかく、フリとはいえ恋人同士の真似事ができるのだし。

 外からは雨の音。さっきまでは秋尋様の反応を窺うことに全意識を傾けていて気づかなかった。
 脱いだ衣服を整えて、ゆっくりと横になる。夜のベッドで抱きあえば熱を知った身体はどうしてもその先をしたくなるけれど、それを我慢してただ抱きしめた。こちらを向いてくださる様子がなかったので、後ろから。
 秋尋様は汗の匂いも、酷く甘い。うなじに顔を埋めてクンクンしたい。

「でも秋尋様……。前におひとりでは上手くできないと言ってましたが……。大丈夫なのですか?」
「そんな心配、お前にされたくない。大体……しようとしても、お前の顔が浮かんでくるのに、どうしたらいいんだ。結局、変な感じになるに決まってる」

 苛立ったような秋尋様の声。何がいけなかったのか、俺はベッドの下に蹴り落とされた。

「……やめる。やっぱり、恋人のフリも、もうしない」
「でも、俺は秋尋様が言い寄られるのは嫌です」
「そのほうがまだマシだ」

 言い寄られるほうが、マシだと?
 この関係を提案してくれたのは、秋尋様なのに。

「私は秋尋様の使用人で友人ですが、ボディーガードでもあります。御身を危険に晒すことに賛成はできかねます」

 秋尋様の身体がビクリと震える。冷たい言い方になったのが自分でもわかる。

「断るのが面倒だし精神的にくるだけで、別に危険なんてない。お前は本当に相変わらずだな」
「危険なんてない? 本当に?」

 俺はベッドへ近づいて、その細い手首をシーツに縫い止めた。

「こうされただけで、僅かな抵抗すらできないのにですか?」

 睨まれて、ゾクリとした。凶暴な気持ちが湧き上がってくる。

「それとも秋尋様は……。俺以外も、拒まないのですか?」

 秋尋様は恐怖に怯えたような顔で、首を横に振った。
 俺だけを拒まない。だったら、嬉しい。
 もし、俺以外が秋尋様に触れようものなら……。

「殺してやる」

 感情が昂りすぎて、思わず声に出してしまった。

「ぼ、僕は、お前に……殺されるのか?」

 そういえば、押さえ込んだままだった。

「ち、違います! そんなこと、するはずがありません。秋尋様に手を出した相手をです!」
「それはそれでダメだ。余計なことを考えるなと言っただろう」

 秋尋様は目を逸らして、唇を震わせた。

「ほら、そろそろ……離してくれ。殺さないと言うなら」
「元より俺は、秋尋様に危害を加える気などありません。でも、そういう輩もいるということは、覚えておいてください。俺、本当に……。貴方に、何かあったら……」
「わかった。わかったから、泣くな。朝香を犯罪者にするわけにはいかないからな……」

 手を離した俺のかわりに、今度は秋尋様が下から抱きしめてくれた。
 背中からギュッてするのもいいけど、やっぱり前から抱き合うのが嬉しい。俺は抱かれるまま、甘えるように体重をかけた。

「そうならないよう、僕を護れ。いいな」
「はい。もちろんです。命に替えても」
「……自分の身も護れ」
「頑張ります」

 何かあったら絶対に自分の身体を盾にするけど、とりあえず頷いておく。
 秋尋様は俺の目元に何度かキスをして、抱きしめる腕に力を込めた。

「僕も、お前以外には触らせないようにするから泣くな。というか、こんなこと誰にでもさせるわけがない。少し考えたらわかるだろう。馬鹿め」

 告白を、されてるみたいなんだけど。
 ドキドキして心臓が爆発しそう。俺は秋尋様に感情のすべてを握られている。でもちょっと緩急が激しすぎる。

「あの……。それでは、恋人のフリは……」
「お前、どっちがいい」
「もちろん、続けたいです」
「そうじゃない。恋人のフリか、前みたいに……ほ、奉仕をするかどっちかだ」

 難問すぎない?

「どちらも……」
「我儘なやつだな」

 貴方のものでありたい、それだけでいいと思ってきたのに、いつの間にかずいぶんと欲張りになってしまった。

「やはり、ダメでしょうか」

 秋尋様はいいともダメとも言わず、無言で俺を見ている。
 秒で断られないだけでも嬉しい。その間は俺のことで頭をいっぱいにしてくれるだろうし。

「……頻度は減らすぞ。そうだな。稽古を頑張ったご褒美とかにしよう。お前が休みの日に、僕の部屋へ来るといい」
「そんなことを言われたら、毎日休んでしまいそうです」
「それはダメだな。頑張ったご褒美、にならないだろう?」
「あっ。そ、そうですね。頑張ります!」
「だが、今日初めて稽古を見に行ったが、結構強くて驚いたぞ。さっきだって……。本当に、ビクともしなかった」

 褒めてもらえた。嬉しい。秋尋様は少し悔しそうにしてるけど、こればかりはしかたない。

「俺の強さは貴方の強さです。手足のようにお使いくださればいいのです」
「そう言われても、同じ男としてはな……。もしお前の気が変わったら、それこそ僕は抵抗できない」

 抵抗できない秋尋様をねじ伏せてその純潔を奪いたい気持ちは確かにある。
 でも絶対にやらない。秋尋様がそれを望まない限りは、絶対に。

「俺が秋尋様の命令に背くことはありえません」
「さっきは逆らっただろ」
「先程のは、お願いです」

 そして秋尋様は、その願いを叶えてくれた……。嬉しい……。

「なら僕がその願いを断っていれば、きちんと言うことをきいたんだな?」
「とっ……当然です」

 思わず目を泳がせてしまった。
 いや、でも本当に。それが秋尋様の命令であれば、きちんと飲み込んださ。死ぬほど悲しくはあるけれど。

「お前は狡いな」
「え……」

 グニッと頬をつねられた。泳がせていた目を戻して見れば、秋尋様は少し拗ねたような顔をしている。

「今までは、お前の態度に腹が立って仕方なかったのに、最近は……」

 か、可愛く思えてきたとか?

「結局、腹が立つ」
「えええ」

 そうきますかぁ……。
 でも。なんというか。腹が立つと言われているのに酷く甘い言葉に思えてしまう。
 いつかフリではなく本当に恋人になれたらなあというのは、さすがに過ぎた願いでしょうか。
 腹が立つと言いながら、それすら叶えてくれたりして?

 つねられた頬は痛かったけど、どこか甘くむず痒く、俺は幸せを噛みしめた。
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