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初めて
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ここは俺たちが住んでいるところより気温が低めだけど、それでも空調のきいた室内に入ると天国のように気持ちいい。
「やはりコテージ間の距離は結構あるな」
「汗かいちゃいましたよね。お風呂に入りましょうか。今、お湯を入れますね」
「ああ、頼む。それにしても、こんなに狭いお風呂に入るのは初めてだな……」
「おひとりで大丈夫ですか? 俺、一緒に入りましょうか」
「……お前、やっぱり僕のことを馬鹿にしているだろう」
「滅相もありません!」
つい下心がポロッと出てしまっただけなんです。
あんな、キス……する、とか言ったのに、秋尋様、普段通りだし……。まさか肝試しに盛り上がりすぎて、忘れてたりしないよな。ありそうで怖い。
「なら、僕と入りたいだけとでも言うつもりか」
信じられないほど核心をついてきた。しかも、少し恥ずかしそうな顔で。待って、尊すぎて死んじゃうから。
「はい。だって、楽しそうですし」
あわよくば、いい雰囲気に持ってって、キスとかえっちなこととか、できるかもしれないし。
なるべく平静をつとめながら言うと、秋尋様は少し躊躇った様子を見せ、けれど首を横に振った。
「2人で入れるほどの広さでもない。密着しすぎる」
俺としてはソレがまた最高なんですけどね……。
「おとなしく待っててくれ。お前は次に入ればいい」
「……はい」
一緒に入れないのは残念だけど、秋尋様の浸かったあとのお湯に浸かれるだけで僥倖だ。コッソリ飲んだりもできる。
尽きない妄想で、お風呂に入る前から茹だりそうになる。
ようやく湯が湧いて、秋尋様が入って少ししたあと、バスルームから声をかけられた。
「別に、こ、怖いからじゃないぞ。狭い風呂で勝手がわからないから、お前を頼ってやるだけだ」
どうやら肝試しのことを思い出して怖くなったらしい。どこまで可愛さで俺を虜にすれば気が済むのかこの人は。
念願の一緒のバスタイムだけど、不安そうにする秋尋様にえっちなことを仕掛けるわけにもいかず、おとなしく汗を流して身体をしっかり洗って出た。脱衣場のクローゼットには上等なバスローブが置いてあったので、お互いにそれを着た。
こんなの初めて身につけるけど、すべすべだしサイズもピッタリでビックリした。この2着しかなかったのにちょうどいいってことは、俺たちのために用意してくれていたんだろう。
「肉の味がしなくなるよう、たくさん歯を磨かないといけませんね」
「そ、そう……だな」
言葉の意味がわかったのか、秋尋様が頬を染めた。
よかった。ちゃんと、覚えててくれてた。それに、空気が一気にピンク色になった気がする。
髪がまだ少し濡れていて、水滴が鎖骨に落ちていくのがとても色っぽい。秋尋様の黒髪は濡れてしっとりするとツヤツヤが増して本当に綺麗だ。もちろん、いつでも綺麗だけど。
「秋尋様、髪を乾かさないと。こちらへ来てください。ドライヤー持ってきてますから」
「ん……」
少し眠そうにしてる。今日はいっぱい食べていっぱい遊んで、歩いたから疲れたんだろう。
ベッドに腰掛けてもらって、俺は後ろから膝立ちでその髪をとかしていく。
シャンプーのいい匂いがする。秋尋様の匂いのほうが好きだけど、彼から香るだけでなんでも特別に感じられる。
髪の毛、いつ触っても柔らかくてサラサラ。絹糸のようってこういうことをいうんだな。頬擦りしたい……。
「朝香。気持ち悪い」
「えっ? の、のぼせましたか?」
「いや……。お前の息が荒くて……」
「申し訳ありません!!」
「……お前、土下座が板につきすぎてきてないか?」
秋尋様から踏める位置に土下座したら、呆れながらも踏んでくれた。
ダメだ俺、本当に気持ち悪い。足裏の感触で興奮してるし。
「秋尋様に不快感を与えるなど、使用人としてとんでもないことを」
「そう簡単に土下座されるほうが嫌な気持ちになるとは思わないのか?」
「……あの。ですが、踏んでますよね。俺の背中」
「踏まれたそうにしているから」
えっ。バレ……。いや、ただの言葉遊びだよね。……多分。
「どうしても、反省の気持ちが……溢れ出てしまい」
「ん。髪はもうだいぶ乾いてるな」
話を聞いてくれてない。このちょっとスルーされる感じ、ゾクゾクする。秋尋様にされることならなんでも嬉しいから、マゾではない。という自信はなくなってきた、最近。
「顔を上げていいぞ」
「はい」
「隣に座れ」
「は、はい」
ちょこんと隣に座る。頭ひとつ分くらい、秋尋様のほうが高い。
もしかして、このまま、キス……してくれたり、するのかな。
「考えたんだが、やはり、キスするのはやめておこう」
愕然。
えーっ! これだけ期待させておいて、まさか。
でも、うん。冷静になったんだろうな。ただの使用人とキスなんてしないって。ハハハ。それに俺、気持ち悪いし。
……わかってても、絶望感が凄い。
「と、言ったらどうする?」
「え……。それは、もちろん、秋尋様にそう言われたら……しませんよ」
できるわけがない。
でも……そういえば秋尋様……。昼間も『キスしろって命令したらどうする?』って訊いてきた。今はその逆だ。何か意図があるのか? だとすると、反射的にした返事は、昼間の流れを考えたら、かなり良くなかった気がする。
「どうしてもしたいけど、我慢します!」
きっとコレが正解。それに、秋尋様の質問はもしもの話で、本当にキスをやめるわけじゃない。いや、俺の答え次第では、できなくなるのかもしれないけれど。
「そうだな……。なら、待てはしまいにしてやる。もうお互い、肉の味もしないだろうしな」
許可が出た。ずっとマテをされたあとのそれは、とてもよく効いた。
腰を浮かせて、肩をに手をかけて……綺麗な秋尋様の顔を見ながら、そっと唇を重ねた。野獣のように飛びかかりたい気持ちをなけなしの理性で抑え、あえてゆっくり。秋尋様が、逃げられるように。
でも、避けなかった。俺のキスを受けてくれた。
歯があたるような事故もなく、重ねて触れるだけで終わった、挨拶のようなキス。
けど。だけど。初めてだ。秋尋様の初めてを、俺が。
キスするまでは顔を見ていられたのに、直視できない。
俺にキスをされて……どんな表情をしているのか……。
「秋尋様……」
何度か瞬きしてから、視線を合わせる。
そこにあったものは、無。完全なる無。これは一体、どんな感情なんだ。
「あの。秋尋様。きっ……気持ち、悪かったですか?」
「そうじゃない」
秋尋様の表情に、色が戻る。頬も少しずつ染まっていって、照れたように唇を押さえた。
「お前は気持ちよかったのか?」
「ふえっ!? いえ、気持ちいいというか、幸せでした」
フニッとしてて、柔らかくて。少しのカサツキもなく、しっとりしてた。
でも緊張のしすぎで感触を楽しむ余裕はなくて、幸せな感情だけが残った。それに本当に、触れるだけだったし。
「そうか。実のところ、僕もよくわからなかった。こんなものか……と」
これ遠回しにっていうか、ハッキリ下手だと言われてないか、俺。
しかたないじゃないか。初めてだったんだもの。
「もう一度、してみるか?」
「いいんですか!?」
何故か頭を撫でられた。どうして撫でてくれたのかはわからないけど、嬉しくって顔が緩む。
犬にするみたいに、両手でもしゃもしゃと頭を撫でまわされた。
嬉しいけど……キスは? と思っていると、秋尋様からチュッてしてくれた。
まさか、秋尋様からキスをしてくださるなんて……!!
「僕からしても、そんなに変わらないか」
俺はすっごくすっごく幸せで、もう泣きそうなくらいなんだけど、秋尋様はそうじゃないんだなと思うと少し寂しい。
でもどうやら俺のキスを下手だと言っていたわけでもないみたいで、そこはホッとした。
それに好奇心が前面に出てる今、これはもっとたくさんするチャンスなのでは。
「触れるだけではないキスをしてみるのはどうですか?」
声が震えてしまいそうになる。深いキスをしてみようという提案、秋尋様は言葉の意味を、どこまで捉えてくださっているのだろう。
「そうだな……」
あっさりと頷かれると逆に心配になるけど、俺たちはそれより凄い接触を既にしているから、抵抗が薄いのかもしれない。
でも俺は、俺にとってはキスのほうが特別。いや、秋尋様とすることは、みんな特別。
どうか気持ち悪いって思われませんようにと願いながら、秋尋様の唇をぺろりと舐めた。
押し当てて、舐めてを繰り返す。目を開けて俺をジッと見ていた秋尋様は、何度目かのキスで目を閉じた。そして引き結ばれたままだった唇は、ゆっくりと緩んでいく。
あ……。舌が、入る。秋尋様の口の中に。
「ん……ッ。ふ……」
俺に押されるように傾いでいくから、ついには押し倒してしまった。
舌を絡めて、歯を擦って、秋尋様の唾液が飲みたくて吸い上げる。ちゅっ、くちゅっと、いやらしい水音が部屋に響き渡った。
もっといっぱい、キスしたい。飲みたい。口の中、全部舐めあげたい。舌同士を絡ませるのって、なんだかセックスしてるみたい。
「朝、か、っ、も……やめ」
「あ……。申し訳ありません! 息、大丈夫ですか?」
夢中になりすぎた俺を止めたのは、柔らかい抵抗だった。
見れば秋尋様は涙目になって、肩で息をしている。ゴホッと咳き込むのを見て、また土下座したい気持ちになったけど堪えた。代わりに秋尋様の身を起こし、背中をトントンと叩いてあげる。
「いい。大丈夫だ」
秋尋様は俺を押し返しながら、ゴシゴシと自分の唇を擦った。
……やっぱり、気持ち悪かったのかな。
「ッ……。涎が……垂れていて、気になっただけだ。だから、そんな顔をするな。どうしていいか、わからなくなる」
よほど絶望的な顔をしてたんだろう。フォローをさせてしまった。
「それに、その……。き、気持ちよかった。本当に初めてなのか? 宝来としていたり……」
「本当に初めてです!」
「お前には前科があるからな」
頬を染めながら睨まれても可愛いだけなんですけど。はあー……可愛い。しかもまだ、宝来先輩のこと気にしてるし……。
ちなみに前科というのは、自慰をしたことがないと嘘をついて性教育をしてもらった時のことだろう。
でもキスに関しては本当の本当に初めてだ。ただ、秋尋様とできたらいいなって、何度もシミュレーションを繰り返してきたし、夢でなら呆れるほど見ているけど。
「秋尋様を気持ちよくさせたいって想いを込めてキスしました」
「それだけで、こんなに……」
まだゴシゴシと唇を擦っている。気持ち悪いのかと思ってたけど、実は照れ隠しもあるのかもしれない。
あと、そんなに気持ちよかったのかと思うと、感動っていうか、嘘はついてないけど秋尋様を欲しいという想いのままに貪ってしまったので、申し訳なさもあるというか……。
「あの。秋尋様からも……しますか?」
してほしい。どんなに物慣れないキスでも、秋尋様から舌を絡めてくださったら、それだけでイケる自信がある。
「いい。そ、それよりも……」
秋尋様が足をもじもじと擦り合わせる。
もしかして、キスで勃っ……。嬉しすぎる。俺のキスで、秋尋様が……。
「お前の顔……」
「えっ!? き、気持ち悪いですか!?」
変態オヤジみたいなニヤケ方になってたかも。興奮しすぎで鼻の穴とかも膨らんでたかも。
慌てて隠すように鼻までを覆うと、秋尋様がふっと笑った。
「いや。最近、わかりやすい表情をするようになったと思ってな」
それって、俺の気持ちが筒抜けってこと?
でも秋尋様は鈍いし、それが恋までだとは思わないはず、多分……。
「僕に触れ、朝香」
「は、はいっ! あの……。触りながらキスも、していいですか?」
「それは……。ダメだ」
わかりやすいというなら、もう思いきりガッカリした顔をしてやろう。秋尋様に触れるだけで嬉しいから、上手くいくかはわからない。
秋尋様は言葉を撤回こそしてくれなかったけれど。
「慣れなくて……。同時にされると、どうなるかわからないからダメだ」
こんな可愛らしいことを言うので、結局我慢できずに、触りながらいっぱいキスした。
初めてした大好きな人との旅行は、初めて尽くしの幸せなものになった。
「やはりコテージ間の距離は結構あるな」
「汗かいちゃいましたよね。お風呂に入りましょうか。今、お湯を入れますね」
「ああ、頼む。それにしても、こんなに狭いお風呂に入るのは初めてだな……」
「おひとりで大丈夫ですか? 俺、一緒に入りましょうか」
「……お前、やっぱり僕のことを馬鹿にしているだろう」
「滅相もありません!」
つい下心がポロッと出てしまっただけなんです。
あんな、キス……する、とか言ったのに、秋尋様、普段通りだし……。まさか肝試しに盛り上がりすぎて、忘れてたりしないよな。ありそうで怖い。
「なら、僕と入りたいだけとでも言うつもりか」
信じられないほど核心をついてきた。しかも、少し恥ずかしそうな顔で。待って、尊すぎて死んじゃうから。
「はい。だって、楽しそうですし」
あわよくば、いい雰囲気に持ってって、キスとかえっちなこととか、できるかもしれないし。
なるべく平静をつとめながら言うと、秋尋様は少し躊躇った様子を見せ、けれど首を横に振った。
「2人で入れるほどの広さでもない。密着しすぎる」
俺としてはソレがまた最高なんですけどね……。
「おとなしく待っててくれ。お前は次に入ればいい」
「……はい」
一緒に入れないのは残念だけど、秋尋様の浸かったあとのお湯に浸かれるだけで僥倖だ。コッソリ飲んだりもできる。
尽きない妄想で、お風呂に入る前から茹だりそうになる。
ようやく湯が湧いて、秋尋様が入って少ししたあと、バスルームから声をかけられた。
「別に、こ、怖いからじゃないぞ。狭い風呂で勝手がわからないから、お前を頼ってやるだけだ」
どうやら肝試しのことを思い出して怖くなったらしい。どこまで可愛さで俺を虜にすれば気が済むのかこの人は。
念願の一緒のバスタイムだけど、不安そうにする秋尋様にえっちなことを仕掛けるわけにもいかず、おとなしく汗を流して身体をしっかり洗って出た。脱衣場のクローゼットには上等なバスローブが置いてあったので、お互いにそれを着た。
こんなの初めて身につけるけど、すべすべだしサイズもピッタリでビックリした。この2着しかなかったのにちょうどいいってことは、俺たちのために用意してくれていたんだろう。
「肉の味がしなくなるよう、たくさん歯を磨かないといけませんね」
「そ、そう……だな」
言葉の意味がわかったのか、秋尋様が頬を染めた。
よかった。ちゃんと、覚えててくれてた。それに、空気が一気にピンク色になった気がする。
髪がまだ少し濡れていて、水滴が鎖骨に落ちていくのがとても色っぽい。秋尋様の黒髪は濡れてしっとりするとツヤツヤが増して本当に綺麗だ。もちろん、いつでも綺麗だけど。
「秋尋様、髪を乾かさないと。こちらへ来てください。ドライヤー持ってきてますから」
「ん……」
少し眠そうにしてる。今日はいっぱい食べていっぱい遊んで、歩いたから疲れたんだろう。
ベッドに腰掛けてもらって、俺は後ろから膝立ちでその髪をとかしていく。
シャンプーのいい匂いがする。秋尋様の匂いのほうが好きだけど、彼から香るだけでなんでも特別に感じられる。
髪の毛、いつ触っても柔らかくてサラサラ。絹糸のようってこういうことをいうんだな。頬擦りしたい……。
「朝香。気持ち悪い」
「えっ? の、のぼせましたか?」
「いや……。お前の息が荒くて……」
「申し訳ありません!!」
「……お前、土下座が板につきすぎてきてないか?」
秋尋様から踏める位置に土下座したら、呆れながらも踏んでくれた。
ダメだ俺、本当に気持ち悪い。足裏の感触で興奮してるし。
「秋尋様に不快感を与えるなど、使用人としてとんでもないことを」
「そう簡単に土下座されるほうが嫌な気持ちになるとは思わないのか?」
「……あの。ですが、踏んでますよね。俺の背中」
「踏まれたそうにしているから」
えっ。バレ……。いや、ただの言葉遊びだよね。……多分。
「どうしても、反省の気持ちが……溢れ出てしまい」
「ん。髪はもうだいぶ乾いてるな」
話を聞いてくれてない。このちょっとスルーされる感じ、ゾクゾクする。秋尋様にされることならなんでも嬉しいから、マゾではない。という自信はなくなってきた、最近。
「顔を上げていいぞ」
「はい」
「隣に座れ」
「は、はい」
ちょこんと隣に座る。頭ひとつ分くらい、秋尋様のほうが高い。
もしかして、このまま、キス……してくれたり、するのかな。
「考えたんだが、やはり、キスするのはやめておこう」
愕然。
えーっ! これだけ期待させておいて、まさか。
でも、うん。冷静になったんだろうな。ただの使用人とキスなんてしないって。ハハハ。それに俺、気持ち悪いし。
……わかってても、絶望感が凄い。
「と、言ったらどうする?」
「え……。それは、もちろん、秋尋様にそう言われたら……しませんよ」
できるわけがない。
でも……そういえば秋尋様……。昼間も『キスしろって命令したらどうする?』って訊いてきた。今はその逆だ。何か意図があるのか? だとすると、反射的にした返事は、昼間の流れを考えたら、かなり良くなかった気がする。
「どうしてもしたいけど、我慢します!」
きっとコレが正解。それに、秋尋様の質問はもしもの話で、本当にキスをやめるわけじゃない。いや、俺の答え次第では、できなくなるのかもしれないけれど。
「そうだな……。なら、待てはしまいにしてやる。もうお互い、肉の味もしないだろうしな」
許可が出た。ずっとマテをされたあとのそれは、とてもよく効いた。
腰を浮かせて、肩をに手をかけて……綺麗な秋尋様の顔を見ながら、そっと唇を重ねた。野獣のように飛びかかりたい気持ちをなけなしの理性で抑え、あえてゆっくり。秋尋様が、逃げられるように。
でも、避けなかった。俺のキスを受けてくれた。
歯があたるような事故もなく、重ねて触れるだけで終わった、挨拶のようなキス。
けど。だけど。初めてだ。秋尋様の初めてを、俺が。
キスするまでは顔を見ていられたのに、直視できない。
俺にキスをされて……どんな表情をしているのか……。
「秋尋様……」
何度か瞬きしてから、視線を合わせる。
そこにあったものは、無。完全なる無。これは一体、どんな感情なんだ。
「あの。秋尋様。きっ……気持ち、悪かったですか?」
「そうじゃない」
秋尋様の表情に、色が戻る。頬も少しずつ染まっていって、照れたように唇を押さえた。
「お前は気持ちよかったのか?」
「ふえっ!? いえ、気持ちいいというか、幸せでした」
フニッとしてて、柔らかくて。少しのカサツキもなく、しっとりしてた。
でも緊張のしすぎで感触を楽しむ余裕はなくて、幸せな感情だけが残った。それに本当に、触れるだけだったし。
「そうか。実のところ、僕もよくわからなかった。こんなものか……と」
これ遠回しにっていうか、ハッキリ下手だと言われてないか、俺。
しかたないじゃないか。初めてだったんだもの。
「もう一度、してみるか?」
「いいんですか!?」
何故か頭を撫でられた。どうして撫でてくれたのかはわからないけど、嬉しくって顔が緩む。
犬にするみたいに、両手でもしゃもしゃと頭を撫でまわされた。
嬉しいけど……キスは? と思っていると、秋尋様からチュッてしてくれた。
まさか、秋尋様からキスをしてくださるなんて……!!
「僕からしても、そんなに変わらないか」
俺はすっごくすっごく幸せで、もう泣きそうなくらいなんだけど、秋尋様はそうじゃないんだなと思うと少し寂しい。
でもどうやら俺のキスを下手だと言っていたわけでもないみたいで、そこはホッとした。
それに好奇心が前面に出てる今、これはもっとたくさんするチャンスなのでは。
「触れるだけではないキスをしてみるのはどうですか?」
声が震えてしまいそうになる。深いキスをしてみようという提案、秋尋様は言葉の意味を、どこまで捉えてくださっているのだろう。
「そうだな……」
あっさりと頷かれると逆に心配になるけど、俺たちはそれより凄い接触を既にしているから、抵抗が薄いのかもしれない。
でも俺は、俺にとってはキスのほうが特別。いや、秋尋様とすることは、みんな特別。
どうか気持ち悪いって思われませんようにと願いながら、秋尋様の唇をぺろりと舐めた。
押し当てて、舐めてを繰り返す。目を開けて俺をジッと見ていた秋尋様は、何度目かのキスで目を閉じた。そして引き結ばれたままだった唇は、ゆっくりと緩んでいく。
あ……。舌が、入る。秋尋様の口の中に。
「ん……ッ。ふ……」
俺に押されるように傾いでいくから、ついには押し倒してしまった。
舌を絡めて、歯を擦って、秋尋様の唾液が飲みたくて吸い上げる。ちゅっ、くちゅっと、いやらしい水音が部屋に響き渡った。
もっといっぱい、キスしたい。飲みたい。口の中、全部舐めあげたい。舌同士を絡ませるのって、なんだかセックスしてるみたい。
「朝、か、っ、も……やめ」
「あ……。申し訳ありません! 息、大丈夫ですか?」
夢中になりすぎた俺を止めたのは、柔らかい抵抗だった。
見れば秋尋様は涙目になって、肩で息をしている。ゴホッと咳き込むのを見て、また土下座したい気持ちになったけど堪えた。代わりに秋尋様の身を起こし、背中をトントンと叩いてあげる。
「いい。大丈夫だ」
秋尋様は俺を押し返しながら、ゴシゴシと自分の唇を擦った。
……やっぱり、気持ち悪かったのかな。
「ッ……。涎が……垂れていて、気になっただけだ。だから、そんな顔をするな。どうしていいか、わからなくなる」
よほど絶望的な顔をしてたんだろう。フォローをさせてしまった。
「それに、その……。き、気持ちよかった。本当に初めてなのか? 宝来としていたり……」
「本当に初めてです!」
「お前には前科があるからな」
頬を染めながら睨まれても可愛いだけなんですけど。はあー……可愛い。しかもまだ、宝来先輩のこと気にしてるし……。
ちなみに前科というのは、自慰をしたことがないと嘘をついて性教育をしてもらった時のことだろう。
でもキスに関しては本当の本当に初めてだ。ただ、秋尋様とできたらいいなって、何度もシミュレーションを繰り返してきたし、夢でなら呆れるほど見ているけど。
「秋尋様を気持ちよくさせたいって想いを込めてキスしました」
「それだけで、こんなに……」
まだゴシゴシと唇を擦っている。気持ち悪いのかと思ってたけど、実は照れ隠しもあるのかもしれない。
あと、そんなに気持ちよかったのかと思うと、感動っていうか、嘘はついてないけど秋尋様を欲しいという想いのままに貪ってしまったので、申し訳なさもあるというか……。
「あの。秋尋様からも……しますか?」
してほしい。どんなに物慣れないキスでも、秋尋様から舌を絡めてくださったら、それだけでイケる自信がある。
「いい。そ、それよりも……」
秋尋様が足をもじもじと擦り合わせる。
もしかして、キスで勃っ……。嬉しすぎる。俺のキスで、秋尋様が……。
「お前の顔……」
「えっ!? き、気持ち悪いですか!?」
変態オヤジみたいなニヤケ方になってたかも。興奮しすぎで鼻の穴とかも膨らんでたかも。
慌てて隠すように鼻までを覆うと、秋尋様がふっと笑った。
「いや。最近、わかりやすい表情をするようになったと思ってな」
それって、俺の気持ちが筒抜けってこと?
でも秋尋様は鈍いし、それが恋までだとは思わないはず、多分……。
「僕に触れ、朝香」
「は、はいっ! あの……。触りながらキスも、していいですか?」
「それは……。ダメだ」
わかりやすいというなら、もう思いきりガッカリした顔をしてやろう。秋尋様に触れるだけで嬉しいから、上手くいくかはわからない。
秋尋様は言葉を撤回こそしてくれなかったけれど。
「慣れなくて……。同時にされると、どうなるかわからないからダメだ」
こんな可愛らしいことを言うので、結局我慢できずに、触りながらいっぱいキスした。
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