使用人の我儘

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喧嘩にもならない

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 とても幸せな誕生日だったけど、宝来先輩の件に関しては解決していない。秋尋様に懸想している相手が同じクラスにいるというだけでも気が狂いそうになる。

 しかし驚いたことに、宝来先輩はすでに違う学校へ転校していたらしい。
 案外、転校する予定があったから、あんな暴挙に出たのかもしれない。

 推測でしかないし、そこにどんな理由があるかはわからない。
 でも、ヤツが消えてくれるというのは、俺にとって都合のいい話ではある……。


 ……と。思っていたのだけれど。


「最近、クラスの奴らが話しかけてくれるようになったんだ。あと、今日、初めてラブレターを貰ってしまった」
「へ、へぇぇー……」

 あの男。秋尋様を護っていたとか言ってたのは、本当だったのか。害虫を駆除したことによって、次の問題が訪れようとは。

「新しい友達ができたら、俺、要らなくなっちゃいますかね」
「そんなことはない。お前にだって友達がいるし、恋人と違って何人もいたらおかしいという話でもない」
「ですが……。俺と秋尋様では、立場が違うといいますか」

 ただの使用人とご主人様。その関係に戻る可能性は充分にある。
 まあ俺は秋尋様に仕えさせていただければ、それで幸せなんだけど……。秋尋様に俺以外の世界ができるのは、やっぱり面白くない。

 とりあえずラブレターの送り主のことは調べておこう。
 ……くっ。燃やしたい。

「立場を気にしているのは、僕よりお前のほうだ。過保護すぎるし、僕を優先しすぎる」
「そ、それは……」

 何度も言われていたことだった。でも、それを控えることなんて、できるはずもなかった。
 俺が何も言えないでいると、秋尋様は大きな溜息をついた。

「もういい」

 いつも不機嫌になれば文句を並べ立てるのに、それだけ言って背を向けた。
 これは相当に、怒っている。俺は何度も何度も謝ったけど、ますます機嫌が悪くなっていくだけだった。

 まだ友達になって一ヶ月くらいなのに……早くも俺たちの友情にヒビが入ろうとしていた。

 いや。そんなもの、元からあったのかどうかすら、わからない。




 まるで、少し前の関係に戻ってしまったかのようだ。
 素っ気ない態度の秋尋様に付き従う俺の姿を見て、小松さんや他の使用人も心配してくれてる。

 ただ、前と違うのは……。秋尋様が俺の気持ちを勘違いしていないということ。
 だからきっと、また仲良くしてもらえる……と、いいなあ。

 秋尋様は休憩時間を自分のクラスで過ごすようになり、昼食も一緒にとってくれなくなったし、俺の心はこの梅雨空みたいに雨模様だ。

「景山くん、まだ近衛先輩と仲直りできないの? まあ、最近は僕らと過ごしてくれて、僕は嬉しいけどね」
「付き合い悪かったもんなー、景山はー」
「謝っても許してもらえない時は、寂しいって言うに限るよ。これは効果あるから、本当に!」
「なんだよ。彼女と喧嘩した時の経験談かよー」

 金井くんの提案を、広川くんがからかう。

「でも、確かにそれはあるかもなあ。何度も謝るとさ、形だけでしょアンタのはって、よく母さんに怒られるから、オレ」

 俺はいっぱい心を込めてるけど……そういえば俺が謝るたび、秋尋様、よけいに機嫌が悪くなっていったな……。

「わかった。謝らずに、寂しいって言ってみる!」
「手紙もありだよな。反省文とかも手で書かされるし」
「反省文と一緒にするのはどうかと思うよ、広川くん……」

 きっとこういうのが、友達っていうんだろうな。
 立場の問題もあるけれど、俺が秋尋様の友達でいるのは、本当に難しいことだなと思う。
 ……俺の気持ちが、先に彼を裏切っているから。
 後ろめたさもあって、つい、謝って……また、怒らせる。

 寂しいって言うだけで、本当に上手くいくのかな。

 平坂くんにも、あとで相談してみた。
 一番いい案を出してくれる気もして。

「そうだな。せっかく手もすべすべになったのだし、触らせて……とも、言ってみたらどうだい?」

 参考にはならなかったけど、肝は冷えた。
 ……どこまで知ってるんだ、本当に。

 触れるものなら、触りたい。今の俺は重度の秋尋様不足だ。

 金井くんと広川くんの意見を取り入れて、寂しいですと手紙を書こうとしたら、触りたいですって書いてしまってて、もう重症。渡す前に気づいて良かった。




「秋尋様、これ、読んでください!」

 学校から帰って、部屋へ戻る前、秋尋様に手紙を渡した。
 目の前で破られるんじゃないかと思ったけど、秋尋様は無言のまま素直に受け取ってくれた。
 少し前の、俺に憎まれていると思っていた時のような、冷たい目をしていた。
 ……その瞳に睨まれるのも、幸せだったはずなのに、俺はすっかり欲張りになってしまったみたいだ。俺に向ける照れたような顔とか、ちょっと拗ねたような顔だとか、今はそういうのが見たい。

 秋尋様がラブレターを貰ったと知って、悔しかった。本当は俺だって、愛していますと綴りたい。

 今夜もざあざあと雨が降っている。
 その音のうるささと、渡した手紙を秋尋様が呼んでくれたどうかが気になって勉強は手につかなかったし、寝ようとしても眠れなかった。
 硬いベッドへ潜り込んで、もう何度目の寝返りを打っただろう。
 軋む音にあわせて、控えめなノックの音が響いた。ともすれば雨音に掻き消されそうな大きさだったけど、俺は弾かれたように起き上がった。

「秋尋様!」

 名前を呼ぶと、少し驚いた顔をした秋尋様が部屋へ入ってきた。
 俺は嬉しくってベッドを飛び出し、犬のように駆け寄った。

「……よく、僕だとわかったな」

 ふ、普通に会話してくれてる……! 久しぶりだ。嬉しい……!
 まだ少し、怒ってる気もするけど……。

「お前、この手紙は卑怯だろう」

 そう言いながら俺が書いた手紙を、顔の横で振ってみせる。

「だいたいお前は、僕がどうしてこんなに怒ってるか、わかってない」
「わ、わかってます。俺が秋尋様を優先しすぎるから……」
「違う。怒っていたのは……お前が悪いわけでもないのに、僕に謝り続けるからだ。僕とお前では喧嘩にもならない。そんなの、友人と呼べるのか?」

 ……それで俺が謝るたびに、機嫌が悪くなっていったのか。
 立場上、俺が秋尋様に怒ることができないのは、きっと彼もわかっている。でも、友達同士であれば……。もう少し、本音を見せることはできるはずだ。
 ただ、俺の本音っていうのは、ちょっと秋尋様に見せられないようなもので、それを隠しているから上手くいかない。どこまでなら言っても安全かなって、考えてしまうから。
 そもそもが友達だと思えてない。形だけ。秋尋様が怒るのも、本当は無理のない話。
 しかもアレやソレして今更バラそうものなら、もっとヤバイし……。

「俺、秋尋様に、嫌われたくなくて……。でも、理由も考えず謝るのは確かに良くないことでした。申し訳ありません」
「お前、また」
「あっ! すみませ……、ッ、いや、でも、これに関しては俺が悪いので……!」

 ふふっと秋尋様が笑った。
 はあ……。あああ……。久しぶりの笑顔だ。充電されてく……。

「まあ、謝る理由が、寂しい、だとしたら……。案外お前も自分を優先させてるのかな、とも……思ってな。それで、こうして部屋に来てやったんだ」

 金井くん、広川くん、ありがとう……!
 手紙も、寂しいも、めちゃくちゃ効果あったー!
 こうして秋尋様が夜に訪ねてきてくれた……! 俺が寂しがってるからって!

「でもこれじゃ、まるでラブレターみたいだぞ」

 俺の記憶が確かなら『寂しいです。俺のこと見てください』って書いたはず。秋尋様が視線をあわせてくれなくて、悲しかったから。
 言われてみれば気持ち的な意味にも取れて、ラブレターみたいだという表現は実に的確。
 むしろ俺にとっては、みたいとかじゃなくて、貴方に渡すものは何もかも、全部そう。

 秋尋様が希望通りジーッと俺を見てきて、嬉しいけれど落ち着かない。
 気持ちを見透かされてしまいそうだ。

「し、正直な、俺の気持ちです……」
「他には何かあるか?」
「あっ、触りた……」

 誘導尋問のように、思わずそれを口にしていた。
 平坂くんの馬鹿……! ほ、他に書こうとしたことだからって、これは言っちゃダメなヤツ……!

 俺がおろおろしていると、秋尋様が目を逸らしたので絶望したような気持ちになった。

「……い、いいぞ。お前が……触りたいと言うなら」

 秋尋様が俺のベッドに身体を投げ出して、再度俺を見た。少し潤んだような瞳で。
 筋肉のあまりついてない、けれど均整がとれていて美しい身体。幾度も素肌を見たことがある俺には、パジャマ越しでもその白さがしっかりと想像ができる。
 一番上のボタンが外れていて、鎖骨がちらりと直に見えた。

「寂しかったんだろう? 一緒に寝てやる」

 ここのところ秋尋様不足でいた俺には、刺激が強すぎた。
 しかも、秋尋様、触っていいって。
 俺、鼻血とか噴いてないかなこれ。
 俺のベッドで秋尋様と一緒に眠れる日が来ようとは……。

「お邪魔します……」
「ふふ。お前のベッドなのに」

 秋尋様の隣に入るだけで、もうどんな高級ベッドより素晴らしいものになりますが。
 じんわりとした体温を感じて、どうしても下半身に熱が集まってしまう。
 秋尋様は、寂しがる年下の使用人が可哀想で寝てやってるくらいの認識かもしれないのに。

 触っていいとは言ってくれたけど、秋尋様不足のこの状態で手を出したらがっついてしまうかもしれない。
 せっかく仲直りできたのに、また不機嫌になってしまったら悲しい……。
 
 うん……。ここは、我慢だ!!

「おやすみなさい、秋尋様!」
「え……」

 ああ、でも、こんな状況で眠れるかな。秋尋様の匂いと体温に包まれて、興奮しかない。
 ……ここのところ……。秋尋様に……嫌われたのが悲しくて……睡眠不足だったから……。大丈夫かも。睡眠欲のほうが……。

 気づくと俺は眠りに落ちていて、次の日目が覚めると、何故か秋尋様は再び不機嫌なご様子だった。

「はあ……。硬いベッドで寝たから、身体が痛い」

 俺のベッドが硬かったせい……!

「申し訳ありませ……」
「だから、お前が悪くないことで謝るな」
「は、はい」
「早く支度をさせろ」
「はい!」

 でも怒っているというよりは拗ねているような感じで、お可愛らしくて……。その日は久しぶりに、俺の心も梅雨空も、晴れ間を覗かせていた。
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