使用人の我儘

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心細い使用人

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 景山朝香(かげやま あさか)、12歳。
 俺は幼い頃、この家に買われてきた。

 みすぼらしい姿で公園に転がっていた俺を秋尋様が拾ってくれて、気づいた時には俺は近衛家の使用人になっていた。
 まだ幼かったから、彼の両親がうちの両親とどんな話をつけたのかは知らない。

 でも俺を殴る母親も、気持ち悪い手のひらで身体をまさぐってくる新しい父親もいなくなって、俺はそれだけで幸せだった。

 その上、俺を助けてくれた秋尋様とずっと一緒にいられる。
 彼に恋心を抱くのはもう当然な流れだったし、小さいうちは使用人というより遊び相手として過ごし、なんと秋尋様も俺のことを好きになってくれるという奇跡まで起きた。
 というよりは、今思えば助けてくれたのは俺の顔が好みだったからかもしれない。
 何しろ俺は、女の子と間違われるくらいに可愛かった。

 その後、俺が男だと気づいた秋尋様が勝手に失恋し、俺は未だに恋心継続中という、悲しくも幸せな物語が続いている。

 当時は意味もわからずフラレて本当にショックだったけど、そもそも使用人とご主人様では結ばれることもないし、早めに現実がわかって良かったと思う。

 でも、それがキッカケで秋尋様はひねくれてしまい、俺を虐めるようにもなってしまった……。
 虐めては自己嫌悪する姿、可愛い。俺がケロッとしてるのを見て、イライラしている姿も可愛い。正直もう、何をしてても可愛いので、もっと虐めてほしい。構ってくれるだけで嬉しい。
 嫌われたとしても、俺を助けてくれたり、手をつないでくれたり、初めて優しさと笑顔をくれた秋尋様を嫌いになれるはずなんてなかった。

 そんな愛しい秋尋様と、今年から同じ中学校へ通わせてもらえることになった。
 学年こそ違うけれど、一年は一緒に通えるんだと思うと、楽しみでしかたない。

 さくらさく。はる。

 今日から俺は、中学校一年生。今までよりも一層、秋尋様のボディーガード、使用人、遊び相手として邁進して参る所存でございます。

 ……まあ、ここ数年は、遊んでなんてくれないんだけどね。




 学校へ行く一時間前、自分の支度を全部済ませた後で秋尋様の部屋をノックする。
 俺が通うことになる中学は私立のお坊っちゃん校だ。近衛夫妻のご厚意によるもので、本来なら俺なんかが通えるようなところじゃない。
 もちろん、制服もかなり上等。いくらかかったんだろうと考えると恐ろしくて震え上がりそうになる。
 ボディーガードのためと鍛えた身体はまだ小さく、まさに服に着られているという感じ。

 秋尋様とはカラーの違うネクタイを正していると、珍しく返事よりも先に扉が開いた。
 どうやら今日は、起こす前に起きていたらしい。寝顔が見られなくて残念だ。

「おはようございます、秋尋様」
「……馬子にも衣装だな」
 
 言うと思いました。心の中で思わず笑ってしまう。
 でもいつもより少しでも立派に見えているなら嬉しい限り。
 眠そうな表情でドアを開けた秋尋様は、何も言わず部屋へ戻っていく。俺も、それについていく。
 
「秋尋様はパジャマ姿も素敵です」
「毎日見ているくせに、よく言う」
「何日見ても、飽きませんから。なんでしたら素晴らしさを一日中語りましょうか?」
「やめろ。遅刻する」

 本気で言っているのに、すげない返事。
 秋尋様が勝手に失恋しただけで、俺の恋は終わってない……なんてこと、欠片も想像できないんだろうな。自分が終わったら終わりなんだ。
 まあ、俺も任を解かれては困るから、迫ったり愛を囁いたりはできないんだけど。
 俺にできるのは……彼を、ひたすら甘やかすことだけ。
 貴方の髪をとかすのだって、俺の役目。何から何まで、やってあげたい。俺なしじゃ指の一本すら動かせなくなるくらい甘やかしたい。大好きな俺のご主人様。
 俺の全部は貴方のもの。なんでも命令してくださって、いいんですよ。ねえ。
 
 秋尋様をベッドへ座らせ、いつものように跪いて靴下を履かせようとした時、足首に赤く引っかいたような跡があるのに気づいた。
 
「ここ、赤くなっています」
「転んだかな」
 
 俺の見ていないところで傷をつくるなんて……。
 指先でそっと触れると、ぴくりと足が揺れた。
 
「痛いですか?」
「いや……」
 
 瞳を逸らす秋尋様の顔をじっと見つめながら、その跡をゆっくりと舐め上げる。
 
「……っ、朝香!」
「何を焦っているのです。普段は舐めろと言うくせに」
「今は言ってない……」 
 
 恥ずかしそうな顔にぞくりとする。
 秋尋様がする虐めの中で俺が一番好きなのは、足にキスをするだとか、馬になれだとか、とにかく身体に触れるものだ。

 ここへ引き取られ、小さな頃から大人たちに交じって生活をしていたせいか、俺は性的にはかなり早熟なほうだった。父親に性的な虐待をされていたせいもあるかもしれない。

 対して秋尋様は、もう中3にもなるのに、この手のことに疎い。
 足を舐めさせようと思ったのも、映画か何かで靴にキスをするシーンを見て、さすがに靴は汚いよな可哀相だと思って素足にしたらしい。可愛い。

 義理の父親が俺にしたようなことを秋尋様にしたくはないけど、下心があるからどこに触れるにも、そんな感じになってしまう。

 指先を口に含んで、舌で舐める。ここは、舐めろと言われたことのある場所だからセーフだ。

「あっ……そこは、あか、くなってないぞ」
「そうですね」

 はあ。かわいい。

 ……いっそのこと。いっそのことさあ、性欲処理の道具みたいに扱ってくれたらいいのに。俺、秋尋様になら全然いい。されたい。

「あ、朝香……もうよせ」
 
 震えてる。たまらないなあ。こういうの、気持ちいいって思うようにはなってるのかな。だから最近はさせてくれないのかな。
 でも秋尋様からは性の匂いを感じない。身長は伸びても、清らかでどこか幼い。俺がそう思っていたいだけかもしれないけれど。
 恋は盲目とはよく言ったもの。俺の目はもう、ずっと曇りっぱなしだ。
 
「申し訳ありません」
 
 素直に唇を離し、手の甲で拭った。
 そして当初の目的通り、真っ白な靴下を履かせていく。
 
「できました。さあ、制服に着替えましょう」
「今日は、自分で着替える」
「……何故ですか?」
「僕はもう、3年だからな。着替えくらい、自分でしないと」

 いや。いやいや。むしろ3年になるまで毎日させていたくせに今更だろ。何を言ってるんだ。しかも靴下は素直に履かされておいて、それを言うのか。反抗期か?

 胸が軋んだけど、どうせすぐ飽きてまた俺に頼むようになるだろうと思い直し、素直に頷いた。
 
「わかりました。では車の前でお待ちしております」
「えっ?」
 
 何故か動揺している。俺が『そう言わずにさせてくださいとよ』と、ねだるとでも思っていたんだろうか。
 立場をかなぐり捨てていいなら、そう言って縋りたかったともさ。
 貴方のほうが縋るような視線を向けてどうするんですか、秋尋様。
 駆け寄って抱きしめたくなるじゃないですか。 

 でも、何をしても言っても拒否をされるとわかっているので、グッとこらえながらその場を後にした。




 俺自身の支度は終わっていたので、そのまま待機しているつもりだったけど、近衛夫妻が俺を呼んでいると告げられて食堂へ移動した。
 
「おはようございます」

 挨拶をして、秋尋様のすぐ後ろにつく。
 かなり広めのテーブルではあるけど、映画か何かでみるようなあの長細いものではない。前まで行かなくても会話は充分できる。
 朝食もトーストにパンにコーヒーという、一般的なものだ。

「朝香、入学おめでとう。試験の成績もかなり良かったそうじゃないか。文武両道で立派なことだ。秋尋にも見習わせたいよ。息子をよろしく頼む」
「はい、お任せください」
「別に朝香になんかよろしくしなくたって、僕は一人で大丈夫だ」
「まあ、ネクタイも自分で結べないで何を言ってるのかしら、この子は」
「こ、これは……」
 
 どうやら一人では無理だったらしい。見ればポケットに詰め込んだのか青いカラーのネクタイが少しはみ出していた。可愛らしくて思わず頬が緩みそうになる。
 
「秋尋は貴方に我儘ばかり言うでしょう? 使用人といっても、無理に付き合わなくてもいいのよ」 
「いえ。秋尋様はとてもよくしてくださってます」
 
 むしろもっと我儘を言ってほしいくらいだ。
 ただ俺的には足りないとしても実際には虐めも我儘もある。
 今の言葉が秋尋様にとって白々しく聞こえてなければいいのだけれど……。
 
 後ろで食事が終わるのを待って、一緒に洗面所へ。
 先に車の前で待っていようかとも思ったけど、ネクタイをしめてあげたり髪の毛を整えてあげたりしたくてついてきた。

 黒く柔らかな髪は今日も毛先まできちんと綺麗。毎日毎日手入れをしている甲斐がある。いつまで触っていても飽きなくて、舐めたりほお擦りしたくなる衝動を抑えるのが大変だ。

 使ったドライヤーなどを片付けている間に、秋尋様が歯を磨く。
 小さい頃は俺が磨いてあげてたけど、これは早い段階で自分で磨くようになってしまった。
 でもチェックはさせていただく。
 いつもは見るだけだけど、自分で着替えると言われたことが引っかかっていて、苛立ちから指先を差し入れた。
 
「きちんと磨けましたか? 秋尋様は表面しか磨かないから」 
 
 歯がきちんと磨けているかを確かめるように、口の中を指先で探る。ぬるりとした口内は酷く熱くて、興奮した。
 
「んぅっ……」
 
 でも、それで興奮したのは俺だけじゃなかったらしい。
 くぐもった声と、肩にふれた手から秋尋様の体温が僅か上がったのがわかる。
 思わす歯列を丁寧になぞると、指をがりりと強く噛まれた。
 
「ッ……」
「失礼だぞ、朝香。ご主人様の口の中に指を突っ込むなんて!」
 
 そんな上気した顔で睨まれても、可愛いだけなのに。
 
「きちんと磨けているか、確かめようと思っただけですから」
 
 言い訳のようにそう言って、噛まれて血の滲んだ指先を舐める。
 当然、さっきまで秋尋様の口の中に入っていた指だ。唾液がついている。唾液の交換なんて、まるでディープキスみたいだ。でも、直に口づけるのとは全然違うだろう。
 触ったことはあるから、唇の柔らかさは知っている。でも、その感触を……俺の唇で、確かめてみたい。
 まあ、そんなことできるはずがないって、わかってるんだけど。
 指先を吸う俺の口元を赤い顔で見る秋尋様は本当に可愛くて、わかっていてもそのまま口づけたくなる。
 ああ……本当に、お可愛らしい。
 
「くすぐったかったなら、申し訳ありませんでした」
「いや、僕も……噛んだりして……。じ、自業自得だけどな。で、どうだった?」
 
 妙な聞き返しに、思わず内心動揺した。
 ……口の中の感触を、答えればいいのか。
 熱くて興奮したって? 言えるはずがない。
 
「ちゃんと磨けていただろう?」
 
 そんなことを……自信満々に……。
 やめてください。理性が切れそうです、本当に。
 
「いいえ、奥のほうがやはり磨けていませんでした。私がしましょう」
 
 俺が歯ブラシを手に取ると、秋尋様はくるっと前を向き直ってしまった。
 
「ガキじゃあるまいし、やめてくれ。それにそんなことをしていたら、入学式早々遅刻をしてしまうぞ」
「……そうですね。では、昼食を食べた後はきちんと磨いてください」
「わかってるよ」
 
 指先で撫でたくらいで、奥が磨けていないことがわかるなんて……疑問に思わないんだろうか、この人は。
 ひねているようで、素直というか純粋というか、天然というか。
 こんな可愛らしくて、学校で変な奴に目をつけられてないだろうな。

 今までも秋尋様のボディーガードとして中学校への送り迎えをしてはいたけれど、それはあくまて車から降りて校門までの距離だ。
 しかもまあ、ほぼ自称ボディーガードだし、実際にその役目を仰せつかってるわけでもない。

 だから学校の中にある秋尋様の世界は、今まで俺にはわからなかった。
 でも今日からはクラスが違うとはいえ、ようやく……同じ学校に通える。秋尋様に近づく人間は、すべてチェックしなければならない。
 それともお坊っちゃん校だから、みんながみんな秋尋様みたいに少しずれていたり、ほんわか安穏としているんだろうか?

 人とずれていることに関しては、俺も普通の中学生とはかなり違う感じだとは思うけど……。果たして上手く馴染むことができるのか。不安もあるし、楽しみでもある。

「ああ、そうだ。私もこれからは秋尋様と同じ中学生ですし、教室までお送りしますね!」
「いいよ、やめろ。教室まで送ってもらっているクラスメイトなんて誰もいない」
「そうですか」
「本当に、絶対にくるなよ。いいな、わかったか。命令だぞ」
 
 いつになく必死だ。ここまで念を押されると、実は来てほしいのではと思わなくもない。 
 使用人としてじゃなく、用があって後輩がクラスにくる……程度でもダメなのか?
 こういう時の秋尋様は、絶対に何かを隠している。
 でも、とりあえずは、秋尋様に命令だと言われたら俺はハイと頷くしかない。
 
「わかりました。では参りましょう」
「あ、ああ……」
 
 いつものように秋尋様のネクタイをしめる。今は下から見ることしかできない、この少し恥ずかしそうな表情を、いつかは上から見下ろすことができるんだろうか。
 
「学校は久々ですので、先輩としていろいろと教えてください、秋尋様」
「仕方ないな。お前のことなんて本当はどうでもいいが、先輩として教えてやる」
 
 大人ぶっている秋尋様、可愛い。
 俺はにやにやしてしまいそうになるのをこらえながら、くるくると変わるその表情ばかり眺めていた。




 運転手の小松さんにも、入学祝の言葉をいただいた。
 そんな俺を見て秋尋様はつまらなさそうな顔。俺が褒められている時は、いつもこんな感じだ。

 今日から通う学校はエスカレーター式で、秋尋様はもちろん小学校から通われている。
 俺は使用人というよりは秋尋様の遊び相手として買われていたので、その頃からこうやって車に乗って送り迎えをしている。
 まあ、運転してるのはもちろん、小松さんなんだけど。

「帰りにまたお迎えにあがります」
「ありがとうございます」
「行くぞ、朝香」

 昔はきちんとお礼を言ってたのに、秋尋様が言わなくなったのはいつからだったかな。多分、これ、俺のせいなんだけど。他の使用人が俺を褒めるから、拗ねてしまってこうなったんだ。
 上に立つものとして誰からも好かれる秋尋様でいてほしいと思う反面、彼を好きなのは俺だけでいいという歪んだ感情も有している。

 車を降りて、校舎まで歩く。いつもはここで、お別れだ。
 でも今日は違う。中までついていくことができる。
 3年の教室は2階、俺の教室は4階。教室までついて行きたいけど、それは拒否されているので階段で別れた。

 一応秋尋様が何組へ入っていくかチェックだけはしておく。
 あとで見取り図を先生に見せてもらい、非常口などの位置も確認しておかねば。
 同じ学校になったからには、やることはたくさんある。忙しい。
 もちろん、勉強だってきちんとする。いつか秋尋様を支えるためには身体だけでなく頭も鍛えておく必要があるからだ。

 秋尋様が教室へ入るのを見届けてから、俺も自分の教室へと急いだ。




 俺の担任は男で、初老の社会教師らしい。
 入学式の流れを簡単に説明され、すぐ講堂へ移動することになった。
 男子校なので右を見ても左を見ても男しかいない。
 俺はみんなより頭ひとつ分くらい小さい。早く大きくなりたい。

 お坊っちゃん校だからか、周りがみんな優雅に見える。
 俺も同じように映るだろうか? 近衛家の使用人として名を貶めるような姿は見せられない。

 在校生はすでに講堂へ入っており、俺たち一年生はあとから入場する。
 俺は当然、秋尋様の姿を探す。愛しい人の姿だ。どんなに人にまぎれていても、見つけられる自信はあった。
 自分でも驚くほど早く、秋尋様の姿が目に入る。きちんと椅子に座ってはいるけど、なんだかとても憂鬱そうな顔をしていた。校長先生の長い話が始まり、その表情は余計に憂いを帯びる。見れば周りの生徒も一様に同じような顔。

 そうか……。俺は小学校にもろくに通っていなくて、久しぶりの学校だからワクワクするけど、これは一般的にはきっと、ツマラナイコトなんだ。
 感動を誰かと分かち合えないのは寂しい気もするけど、秋尋様さえいればどうでもいいので、真面目なフリをして話を聞き続けた。




 入学式が終わり、帰りのホームルームも終わって、担任が、寄り道しないように、と言って終了。みんながバラバラに席を立ち出す。
 とりあえず秋尋様と連絡を取ろうと携帯を取り出すと、後ろから背を突かれた。
 
「景山くん……だったよね。景山くんは、この後どうするの?」

 そう話しかけてきたのは、後ろの席の金井(かない)くんだった。

「この後?」
「うん。みんなでどこか寄ったりとか」
 
 先生が今、寄り道しないようにと言ってたばかりなのに。
 秋尋様は、いつも俺とまっすぐ家に帰ってるから、金持ちは寄り道をまったくしないというイメージがあった。
 
「俺はこれから、ご主人様と家に帰るから」
「ご、ご主人様?」
「うん。俺、使用人なんだ」
「中学生なのに?」
 
 やっぱり……おかしいのか。薄々そんな気はしていた。
 遊び相手として買われて、俺が少しでも恩返しをしたいと申し出て、今のポジションに落ち着いている。
 給料も正規のものではないし、これは中学を受験する時に初めて知ったことだけど、小学校も卒業したことになっているらしい。
 色々としてくれてるんだ。俺なんかのために。
 あんな立派な屋敷にも住まわせていただいて、本来ならお金を貰うどころか返さなければいけないくらいだと思う。
 
「おうちの人にお世話になってる恩返しって感じで、いろいろお手伝いをしているんだよ」
「なるほど。僕も今日はまっすぐ帰ろうかな。じゃあ、また明日ね」
 
 金井くんはそう言ってから、2人の生徒と仲良さそうに歩いていった。
 ああいう普通の友人関係に憧れがないわけじゃない。
 でも俺には、それよりも遥かに大切なものがあるから。

 丁寧に書いたメールへの返事は、たった9文字。
 
『昇降口で待っていろ』
 
 クラスまで迎えに行きますと書いたら、同じ内容のメールが光の速度で再送されてきた。
 せっかく同じ学校へ通えるようになったのに、昇降口で待つんじゃ、今までと変わりないな……。そう思いながらも逆らうことはできず、おとなしく待つことにした。
 ああ……でも、いつもは制服を着ていないから、こうして制服姿で待っていると、なんだかおかしな感じがするな。
 
「朝香」
 
 秋尋様の声が聞こえて、俺は元々伸びていた背筋をさらにピンと伸ばして振り返った。
 秋尋様が学校へ行っている間はいつも離ればなれだったんだから今更なのに、凄く懐かしいような気分。
 ……もしかすると俺、心細かったのかもしれない。新しい学校へきて、新しい場所で……新しい人間関係を築かなきゃいけないってことが。
 
「寂しかったです、秋尋様」
 
 俺はそう、甘えるように言ってみた。秋尋様は呆れたような顔をしただけだった。
 
「何を言っている。いつも一緒にいる訳でもあるまいし」
「心細かったんです。久し振りの学校でしたから」
「お前でもそんなふうに思うんだな、意外だ」
 
 秋尋様は俺のことを、なんだと思っているんだろう。
 まあ、確かに普通と比べて図太い神経をしているとは自分でも思うけど。
 
「心細いので、車まで手をつないでいただけませんか?」
「甘えるな」

 相変わらずツレない秋尋様と、連れ添って車へと向かう。
 
「制服姿のお前とこうして歩いているのは、不思議な感じがする」
「そうですね。でも嬉しいです。秋尋様と通えて」
「……ふん」
 
 僕もだよ。なんて言うはずがないとわかってはいるけど、やっぱりこの素っ気なさはくる。でも最近はこれもむしろクセになってきた。
 
「ところで秋尋様は、寄り道などはされないのですか?」
「寄り道はしないようにと、先生が言っているからな」
 
 先生の言うことをきちんときく秋尋様、可愛い。
 
「大体、こうして毎日一緒に帰っているのに、しているように見えるならお前は相当の馬鹿だな」
 
 寄り道したいなら私がお供をしますよ! と言おうとしていたのに、出鼻をくじかれた。
 否定はしないけど。俺は貴方に関することなら、どこまでも馬鹿になれるから。
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