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二年目
雨月1日(1)
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完全復活。
近衛の仕事に復帰を果たした。死にかけてから僅か三十日弱で復帰とは、我ながら働き者になったものだと褒めてやりたい。
主上の方は三日前に、王様業に本格復帰している。「君ら異常だよ、その回復力」と師匠に言われたけれど、結構である。
小雨が振っていた。
雨月に入ってさっそくの雨。神様が雨を降らせたというこの月、梅雨のようなものである。ここは一年を通して雨の日は少ないのだが、この月だけは本当によく降るのだ。
曇り空を見上げる。
親衛塔へ向かう道すがら。今日からまた、主上の護衛をする。嬉しかった。主上が無事で、本当に良かった。
「ディトレット」
背後で呼び声。ああ、その呼び方はーー立ち止まり、振り向く。
「ケルマン大将。戻っていらしたのですか?」
「今しがた着いたところだ。すまんな、一度も見舞いに行けなかった」
「構いません。来られる状況でなかったことは、解っています」
国境の守備を任されているケルマン大将が、あの状況で白銀城に戻れるはずがなかった。もし、主上が万が一のことになっていたなら、マクミラン王は、その機を逃したりしなかっただろうから。
この国は王不在の期間というものが、ただの一日もあったことがない。そんな事態に陥ったなら、混乱は必然。協約改定でケチをつけ損ねた南の王様は、そこを突こうとしていたのだ。
占者が事前に王をすげ替えてしまうこの制度、如何なものだろう?だけど裏返せば、占者が次の王を選ばない限り、現王は安泰ということになる。
ひょっとして…主上が斬られたと騒いだのは、無駄に慌てふためいただけのことなのでは……
「貴公が死神を斬ったそうだな」
ケルマン大将は石畳を外れ、濡れないようにと木陰に私を誘いながら、何気ない様子でそう口にした。私は大将の後へと続く。
「はい。死神が再び現れたその時は…私が斬ると、覚悟していました」
木陰に大将と並んで入る。分厚い大将はそれでも前面が濡れてゆくのだから、妙に可笑しい。
「……覚悟、か」
「私は……ケルマン家の者では、ありませんが…」
言いながら俯いた私に、大将は柔らかい口調で問うた。
「ライキッカを訪ねたらしいな?」
「申し訳ありません。確かめたかったんです」
「いや、すまなかった。あんな縁談を持ち出してしまって。しかし……まさか貴公がライキッカに会いに行くとはな」
「できれば避けたかったのですが…。当時のケルマン大将のことを、どうしてもお聞きしたくて。ササン大将には、本当に申し訳なく思っています」
「いや。『我が一族の名にかけ、死神はケルマン家で討つ』と俺が立てた誓いは、ライキッカしか知らなかった」
何故ケルマン大将は、私に子息との見合いを持ちかけたのだろう?
話が来た時から、不思議でならなかった。よしんばハルイさんが私に一目惚れしたというのが本当だとしても、ホムンクルスと見合いなんて酔狂以外のなにものでもない。
ケルマンの名にかけてーーそれが理由だった。
八年前の惨殺事件の死亡者リストに、大将の長男の名を見た瞬間、もしかしたらと思った。ケルマン大将は『白狼』の二つ名を持つ私の腕をーー死神を討つ者を、欲したのだ。
左手を広げて、ジッと見つめる。死神を斬った時の感触が、ハッキリと残っている。あれから暫くは、剣を持つと手が震えていた。今でも考えると、少し震える。
人は斬らないと決めていた。だけど、状況がそれを許さなかった。覚悟を決めることができたのは、ケルマン大将の覚悟を知ったお陰だ。
「会って話して頂いて、本当に助かりましたと、ササン大将にお伝えください」
「そうだな。伝えておこう。直接伝えられたなら、それが一番いいのだろうが…それはやめておいた方がいいだろうしな。貴公が近寄っては、じんましんを出しかねん」
「実は…会った時に、出る寸前にまで陥らせたみたいなんです」
「そうか。やはりなあ…貴公は器量が良い。あの式術嫌いで美人嫌いの、最も苦手とする種の女性だ」
ここは謙遜するべきか?でも、今の容姿に自信があるのは確かである。持って生まれた姿ではないだけに、客観的にとらえてしまう。
「あの…ササン大将のアレは……」
返す言葉を濁した。
「ーー……そうだな。この先もアイツに毛嫌いされ続けるだろう貴公には、知る権利があるな」
ケルマン大将が、悪戯を思いついた子供のような笑みを見せる。
「…?」
「もう何十年も前のことだ。それこそ貴公くらいの歳の時、ライキッカはとびきりの美女に騙された。それが原因だ」
「とびきりの、ですか?」
それは…見てみたい。でもいいのだろうか?こんなことを聞いて。
「彼女は、それはそれは美しい錬金術師だった」
なんだ?式術嫌いと美人嫌いは、同じ根っこなのか?
「ライキッカとは言い交わすほどの深い仲だったんだが…それがある時、とんでもない事実が発覚した。なんと、造り物の如きその美しい顔は、本当に造り物だった。錬金術というのは恐ろしいな?生身と見分けのつかない面を被っていたんだ。詳しい経緯は俺も知らない。だが、アイツはそれ以来、式術を嫌い、美人が近付くとじんましんを出すようになった」
「なんだか…すごい話ですね」
「信じられないような話だろう?だが、実際にあった。彼女の素顔はずいぶん冴えなかったらしくてな、酷く揉めたそうだ。ライキッカにはかなりの痛手だった」
ーーどちらがより深く、傷ついたのだろう?
そんな疑問が過った。
近衛の仕事に復帰を果たした。死にかけてから僅か三十日弱で復帰とは、我ながら働き者になったものだと褒めてやりたい。
主上の方は三日前に、王様業に本格復帰している。「君ら異常だよ、その回復力」と師匠に言われたけれど、結構である。
小雨が振っていた。
雨月に入ってさっそくの雨。神様が雨を降らせたというこの月、梅雨のようなものである。ここは一年を通して雨の日は少ないのだが、この月だけは本当によく降るのだ。
曇り空を見上げる。
親衛塔へ向かう道すがら。今日からまた、主上の護衛をする。嬉しかった。主上が無事で、本当に良かった。
「ディトレット」
背後で呼び声。ああ、その呼び方はーー立ち止まり、振り向く。
「ケルマン大将。戻っていらしたのですか?」
「今しがた着いたところだ。すまんな、一度も見舞いに行けなかった」
「構いません。来られる状況でなかったことは、解っています」
国境の守備を任されているケルマン大将が、あの状況で白銀城に戻れるはずがなかった。もし、主上が万が一のことになっていたなら、マクミラン王は、その機を逃したりしなかっただろうから。
この国は王不在の期間というものが、ただの一日もあったことがない。そんな事態に陥ったなら、混乱は必然。協約改定でケチをつけ損ねた南の王様は、そこを突こうとしていたのだ。
占者が事前に王をすげ替えてしまうこの制度、如何なものだろう?だけど裏返せば、占者が次の王を選ばない限り、現王は安泰ということになる。
ひょっとして…主上が斬られたと騒いだのは、無駄に慌てふためいただけのことなのでは……
「貴公が死神を斬ったそうだな」
ケルマン大将は石畳を外れ、濡れないようにと木陰に私を誘いながら、何気ない様子でそう口にした。私は大将の後へと続く。
「はい。死神が再び現れたその時は…私が斬ると、覚悟していました」
木陰に大将と並んで入る。分厚い大将はそれでも前面が濡れてゆくのだから、妙に可笑しい。
「……覚悟、か」
「私は……ケルマン家の者では、ありませんが…」
言いながら俯いた私に、大将は柔らかい口調で問うた。
「ライキッカを訪ねたらしいな?」
「申し訳ありません。確かめたかったんです」
「いや、すまなかった。あんな縁談を持ち出してしまって。しかし……まさか貴公がライキッカに会いに行くとはな」
「できれば避けたかったのですが…。当時のケルマン大将のことを、どうしてもお聞きしたくて。ササン大将には、本当に申し訳なく思っています」
「いや。『我が一族の名にかけ、死神はケルマン家で討つ』と俺が立てた誓いは、ライキッカしか知らなかった」
何故ケルマン大将は、私に子息との見合いを持ちかけたのだろう?
話が来た時から、不思議でならなかった。よしんばハルイさんが私に一目惚れしたというのが本当だとしても、ホムンクルスと見合いなんて酔狂以外のなにものでもない。
ケルマンの名にかけてーーそれが理由だった。
八年前の惨殺事件の死亡者リストに、大将の長男の名を見た瞬間、もしかしたらと思った。ケルマン大将は『白狼』の二つ名を持つ私の腕をーー死神を討つ者を、欲したのだ。
左手を広げて、ジッと見つめる。死神を斬った時の感触が、ハッキリと残っている。あれから暫くは、剣を持つと手が震えていた。今でも考えると、少し震える。
人は斬らないと決めていた。だけど、状況がそれを許さなかった。覚悟を決めることができたのは、ケルマン大将の覚悟を知ったお陰だ。
「会って話して頂いて、本当に助かりましたと、ササン大将にお伝えください」
「そうだな。伝えておこう。直接伝えられたなら、それが一番いいのだろうが…それはやめておいた方がいいだろうしな。貴公が近寄っては、じんましんを出しかねん」
「実は…会った時に、出る寸前にまで陥らせたみたいなんです」
「そうか。やはりなあ…貴公は器量が良い。あの式術嫌いで美人嫌いの、最も苦手とする種の女性だ」
ここは謙遜するべきか?でも、今の容姿に自信があるのは確かである。持って生まれた姿ではないだけに、客観的にとらえてしまう。
「あの…ササン大将のアレは……」
返す言葉を濁した。
「ーー……そうだな。この先もアイツに毛嫌いされ続けるだろう貴公には、知る権利があるな」
ケルマン大将が、悪戯を思いついた子供のような笑みを見せる。
「…?」
「もう何十年も前のことだ。それこそ貴公くらいの歳の時、ライキッカはとびきりの美女に騙された。それが原因だ」
「とびきりの、ですか?」
それは…見てみたい。でもいいのだろうか?こんなことを聞いて。
「彼女は、それはそれは美しい錬金術師だった」
なんだ?式術嫌いと美人嫌いは、同じ根っこなのか?
「ライキッカとは言い交わすほどの深い仲だったんだが…それがある時、とんでもない事実が発覚した。なんと、造り物の如きその美しい顔は、本当に造り物だった。錬金術というのは恐ろしいな?生身と見分けのつかない面を被っていたんだ。詳しい経緯は俺も知らない。だが、アイツはそれ以来、式術を嫌い、美人が近付くとじんましんを出すようになった」
「なんだか…すごい話ですね」
「信じられないような話だろう?だが、実際にあった。彼女の素顔はずいぶん冴えなかったらしくてな、酷く揉めたそうだ。ライキッカにはかなりの痛手だった」
ーーどちらがより深く、傷ついたのだろう?
そんな疑問が過った。
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