白雪日記

ふたあい

文字の大きさ
上 下
116 / 140
二年目

転寝月17日

しおりを挟む
「ーーすべて滞りなく」
 そこで言葉を切った。

「そうか。少々、出来過ぎに聞こえてくるな」
 主上が笑う。

 ドキリとした。

 人払いされた、広い謁見の間。珍しくも大人しく玉座に収まった主上と向き合っていた。
「本当に。実は皆了解していて、知らんふりを決め込んでいたのではないかと、思えてきますね」
 いけしゃあしゃあと返しておく。だけどそれは、まるっきりの嘘ではない。いや、そもそも嘘など言っていない。
 ただ、ほんの少しーー当初の目的以外の箇所、つまるところ大半だったりするーー報告の内容を端折っただけだ。
「まさか。そんなはずはない。まったく。大した奴だよ、お前は。城内を誰にも見咎められぬまま、あんな大きなケースを抱えてうろついたとはな」
「もう、運ですね」

 よく言うよ。我ながら。

 それ以前にあった一連の出来事だけでなく、爺様に手を貸してもらったことも黙っていた。
 本当は、ケースを抱えての城内移動など、ただの一歩もしていない。
 そのことに関しては、言ってもよかった。でも言わなかった。あの夜のことはーー爺様とのことは、胸の内に秘めておきたい。
「謙遜する必要はない」
 主上が目を細め、それからすぐに真顔に戻った。
「……」
「…だが、八年前のあの時期、城内が浮足立っていたのは確かだ」
 予想していても、ギクリとした。
「…なにかあったんですか?」
 白々しく聞こえなかっただろうか。
「ああ。二の郭の商家で、惨殺事件があってな。それがーー」
「それが?」
「ドウの仕業だった」

 やはり、か。

 じっ様がドウに関する噂話を聞いた時、師匠が咎めるほどにピリピリした態度となったわけである。
 これでハッキリした。八年前の惨殺がドウによるものだと、公に判明しているということはーーやはり主上たちは、フルルクスが事件に関与していたことを知らないのだ。
 知っていたなら、ああも易々、死神の名を彼の耳に入れるような真似はしないだろう。尤も、実際に入れたのは私なのだけれど。
 思いっきりすぐ側で話してしまった。
 ……聞かせたくなかった。その時は私も知らなかったのだから、無理な話とはいえ。
 後の祭りだ。
 だけど、八年前に起こったことの報告を、大半省いたのは正解だった。フルルクスがあえて黙っていることを、私の口から漏らすわけにはいかない。
 正直なところ、あの白薬の副作用について、できれば誰にも知られたくないというのが、口を噤んだ主な理由ではあるのだけれど。
「はあ…」
 盛大にため息をついた。

   ✢

「ありえねえっ!」
「なにが?」
「五分とかかってないなんて!」
「……いつもは?」
「最低でも、一時間近く待たされる」
「そうだよねえ」
 腑に落ちないという表情で隣に立つ、カクカを見て笑った。
 周囲には整然と箱の並べられた、棚の列。その箱の大きさは、大体A4サイズの紙束が収まる程度。
 薄暗い、片隅に在る蔵書部屋然としたここは、そうーー理事部の管理する『書類管理室』である。主上への報告を終え、すぐにここへ来ていた。
「なにが言いたい?」
 棚の裏側から箱を避け、ギィがひょいと顔を覗かせた。前後、筒抜けの棚なのだ。
「なにがって?決まってんだろ!なんで一切手続きなしで、ここに入れるんだ!?」
 カクカが喚く。普通に話しても大きなその声は、部屋中大反響。大変にうるさい。
「人徳だ」
 ギィは笑って返した。
 …そうだな。ある種の人徳ではあるな、それは。事務官の女の人をたらしこんだだけ、とも言えるけれど。
 この書類管理室は、白銀城で綴られた書類の一切が集まる処である。
 場所柄、入室は厳しく制限されている。たとえ王様でも、入室希望理由を用紙記入、提出し、それに目を通した理事官のサインが得られるまで入室できない。
 まったく見事なまでに、お役所仕事ぶりを披露してくれるのだ。
 それが近衛師団、特務班班長ギィ・レヴンにかかると、素通りとなってしまう。ニッコリ笑って、女性事務官さんに耳打ち。たったそれだけで。
「お陰で助かります」
 苦笑しつつ、礼を言った。
 書類管理室への入室は、私が希望してギィに頼み込んだ。もちろん、彼に頼めば入室易しを知っていたから。関心はしないが、ありがたい。

 八年前の、事の顛末が知りたい。

 あのまま私は帰ってきた。私には私のすべきことがあった。それを放り出すわけにはいかなかった。今だって進行形だ。
 それでも気になる。あの事件は、あれからどうなったのだろう?それを調べなければ。
 ドウが関わった事件である。今抱えている問題とは無関係ではない。それを口実に、ギィとカクカにも手を貸してもらうことにした。
「お、あった、あった!これだろ?八年前の美術商殺し」
 カクカが声を上げた。
 管理室の窓側に置かれた机に、綴じ込みになった記録を広げ、三人で覗き込む。

 そこにはーー

 驚いた。なんとあの夜の内に通報され、事件は発覚していたという事実が記されていた。
 使用人が偶々なんの用だったのか、夜更けに屋敷へと訪れたため。私とじっ様が逃げた、そのすぐ後のことだ。
 次の日の朝までは、発覚していないだろうと思っていた。それがあの夜の内にーー私たちが丘で蹲っている間に、騒ぎになっていたなんて。まさかである。
 どうりで次の日、街で噂を耳にしなかったわけだ。気が散らないよう意識して、耳を塞いでいたせいだけではなかったのだ。夜中の内に処理をして、早々に箝口令を敷いたらしい。
 しかも。
 逃走中のドウに運悪く出くわしてしまい、犠牲となった者までいた。その内の一人が、罷免直前の資源管理官だったのは、偶然ではなく必然。元よりターゲットだったのだろう。
 おそらくこれは、依頼者の希望。ゲード邸内で殺すのではなく、偶然を装っているあたりが狡猾だ。

 これですべての、闇取引の足掛かりが消された。

「これ…左軍の一班が全滅って…この時のことだったのか?」
 隣のカクカが息を呑む。
 その話は、私も師匠から聞いた。睨みつけるように、当時の記述を追ってゆく。
「そうだ。この件は、二十人近く死んでいる。すべてーードウの手によって」
 答えるギィの声は、心なしか震えていた。
 通報を受け、当時司法番だった左軍の警邏班は、すぐに事に当たった。ゲード邸を封鎖し、街道及びその先の関所で検問を手配し、街を巡回した。あれだけの惨劇の跡、返り血を浴びていないはずがない。不審者の痕跡を求めて多くの班が、その夜は駆り出されていた。
 そして、不運な一班がドウと接触してしまった。
 頁を捲る。検死の結果、残った傷跡からそれらすべてがドウの仕業であると判明したこと、そのまま奴を逃がしてしまい、事件に関する手掛かりはなにも得られなかった経緯が、淡々と綴られていた。
 そしてーーなんの感情もなく、そこにはただ一覧の表として、犠牲者の名が書き連ねられていた。

 瞠目した。

「近衛がこの事件を知ったのは、明け方だった。もう、その時にはすべてが遅かった…」
 当時を思い出しているのだろう。目を閉じて、ギィが呟く。さすがのカクカも黙り込んでいた。
 そして私は、記録の中の一つの名前を…ただ見つめていた。

 ルイネル・ケルマン。

 殺された左軍の、不運な一班の一人。ログ・ケルマン大将のーー今は亡き長男。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

彼女のお母さんのブラジャー丸見えにムラムラ

吉良 純
恋愛
実話です

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

(完結)お姉様を選んだことを今更後悔しても遅いです!

青空一夏
恋愛
私はブロッサム・ビアス。ビアス候爵家の次女で、私の婚約者はフロイド・ターナー伯爵令息だった。結婚式を一ヶ月後に控え、私は仕上がってきたドレスをお父様達に見せていた。 すると、お母様達は思いがけない言葉を口にする。 「まぁ、素敵! そのドレスはお腹周りをカバーできて良いわね。コーデリアにぴったりよ」 「まだ、コーデリアのお腹は目立たないが、それなら大丈夫だろう」 なぜ、お姉様の名前がでてくるの? なんと、お姉様は私の婚約者の子供を妊娠していると言い出して、フロイドは私に婚約破棄をつきつけたのだった。 ※タグの追加や変更あるかもしれません。 ※因果応報的ざまぁのはず。 ※作者独自の世界のゆるふわ設定。 ※過去作のリメイク版です。過去作品は非公開にしました。 ※表紙は作者作成AIイラスト。ブロッサムのイメージイラストです。

処理中です...