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第八話
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2年生が始まり、クラスメイトの名前や雰囲気や趣味などを互いに探り合いしながら興味を広げていく1週間はどこか空気がぴりぴりとしている。
2週目に入ると、段々と打ち解けてきてあだ名が飛び交い、放課後に皆でカラオケに行こうなどの親交を広げようと空気も自然と柔らかくなってくる。
だけど、調の周りは何の変化も起きなかった。
あの日から依月の態度は今までと変わらなかったが、もともと打ち解けやすくクラスメイトの中心にいるタイプなのであらためて調と会話をすることもなかった。菜月は加賀見頼と特に仲が良くなったようで、休み時間になるとよく二人で話し込んでいるようだった。
調はそんなクラスの雰囲気に馴染めないで孤立する数名の一角で、一人で休み時間を過ごすことが多かった。だけど、仕方なくその一角を享受しているわけではなく、自ら好んで一人の時間を過ごすことを選択しているので何の問題もなかった。
昨日から借りていた小説も2時間目の休み時間には読み終わってしまい、一気にクラスの喧騒が耳に滑り込んできた。この喧騒が雑音にしか聞こえず、苦手だった。
調は気持ちを切り替えようとひとまず廊下に出た。
2時間目の休み時間は普段の休み時間より10分ほど長いこともあり、上級生や下級生なども学年関係なく廊下に溢れていた。
清真高校は個人情報開示の問題もあり名札はつけていないが、制服の左ポケットに学年が判別できる布が縫い付けられている。一年生は赤、二年生は青、三年生は緑と分けられている。学年が上がるたびに変えないといけないので保護者には大きな負担になるが、長きに渡る慣習であるため仕方がない。
調はなるべく人気の少ない場所に移動し、換気のために開いていた窓の傍に立った。小さく呼吸をすると、少し気持ちが和らぐようだった。
ふと、視線を感じて横を見ると、少し離れた場所から黒縁眼鏡の男子生徒が微動だにせずこちらを見つめていた。調と視線が合っても逸らすことなく、怜悧な光を帯びた黒々した目をこちらに向けている。
どこかで見た覚えがあった。記憶をたどっている間に、男子生徒はくるりと反転し何事もなかったかのように階段を降りて行った。
「―――調、どうした?そろそろ予鈴鳴るよ」
トイレの帰りなのか、ハンカチで手を拭きながら依月がすぐ後ろに立っていた。
「……ああ、分かってる」
「どうした?幽霊でも見たような顔して。顔色悪くね?」
「そんなことはない」
依月の追求から逃れるように、調は脇を通り教室に向かった。
どこまでも続く深淵を思わせるようなあの視線は、先日目にしたばかりだった。律人とファーストフードの列に並んでいた男子生徒、その人だ。
あの時は、一ノ瀬律人の知己に相応しいかどうか品定めをしている視線を向けていたが、先ほど向けられていた視線は何の感情も彼の表情に浮かんでいなかった。無感情のままに、ただただ一ノ瀬調という人物を見定めていた。
彼の意図が全く読み取れず、知らず知らずのうちに眉間に皺を寄せていた。
キーンコーン
予鈴が鳴り、澱に淀んだ感情を残したまま授業が始まった。
高校生活が2週間経過し、互いに1日の出来事なども話さないままだったので律人の交友関係も分からないままだった。
まずは、律人の身辺を知っておきたい。
食事の時は江本さんもキッチンにいるので、調が律人に話しかけている内容にもしかしたら聞き耳を立てているのかもしれない。江本さんを信じていないわけではないが、幼少時に律人の付き添いをしていた人たちは頻繁に変わっていた。付き人の変更は律人の独断で変えられるわけもないので、律人自身か江本さん含まれる一ノ瀬に関わっている人間の誰かが母に報告をしたのだと思われる。
そのため、なるべくなら第三者のいない場所で色々と話したい。
夕飯を終えて、ふと律人の方を見ると微動だにせずテレビの画面に集中していた。律人はジブリといい、幼少時に観られなかった反動かずっとアニメばかり観ている。調はテレビ自体をあまり観ないので気にならないが、アメリカ発祥の笑える要素のたくさんあるアニメを表情を変えることなく観ている姿は不気味だと感じるのも否めない。
調は読んでいた本に栞を挟み、席を立った。調が律人の横に座ると、今気づいたかのようにゆっくりとこちらを見やった。
「律人、明日何か用事は入ってるか?」
明日は土曜日で学校は休みだった。調は大体図書館に行ったり、河川敷を散歩したり、電車で少し遠出して寺社仏閣などを巡るのが好きだ。とにかく、人がたくさん集まる場所からは避ける休日の過ごし方を徹底していた。
「明日?特にはないけど……」
律人が休日をどう過ごしているかは知らない。中学時代は平日は学校の後にレッスン、休日も朝から母と共にコンサートなどで掛かりきりで、ちゃんと休日らしい休日を過ごしたことはなかったのだと思う。
「明日、もし良かったら一緒に出掛けないか?映画とかゲームセンターとか、律人の行きたかったところに行こう」
調がそう言うと、律人は一瞬訝し気な視線を向けた。だが、すぐにぱあっと明るい表情になった。
「―――え?本当に?兄さんと出掛けるの?いいの?兄さんはいつも一人でゆっくりと休日を過ごしたいんだと思ってた」
「まぁ、普段は喧騒から離れた場所にいる方が好きなんだが、律人もやっと時間が作れたわけだしどうかなって……」
「い、行きたい!兄さんと出掛けられるなんて、夢みたいだよ!」
律人は子供のようにソファーからジャンプし、今まで観ていたアニメなど一瞥もせずにリビングをスキップし始めた。
「お、おいおい。はしゃぎすぎだろ。江本さんもびっくりするから」
「あ、そうだね。ごめん」
すーはーと律人は大きく呼吸をし息を整えると、両頬に手を当てた。
「兄さんと出掛けられるなんて本当に嬉しい。どうしよう。行きたいところ、たくさんあるんだ。本当はディズニーランドにも行ってみたかったけど、兄さんはおそろいのミッキーの耳を付けるのは嫌だよね?」
うるうると目を潤ませながら見上げる律人に、何でも許してあげたいという気持ちが込み上げてくる一方、理性でそれを踏ん張った。
「……そ、それだけは、勘弁してくれ」
「うん、分かった。ちょっと一晩考えてみてもいい?」
そう言うと、律人はテレビをそのままにして、自分の部屋へと戻って行ってしまった。
「まさに、舞い上がっている状態ですね」
声の方向を振り向くと、キッチンから笑みを浮かべた江本さんがこちらを見ていた。
「江本さん、すみません。明日朝から少し律人と出掛けてきてもいいですか?」
「もちろんです。路香さんにはこちらから伝えておきますね。あんな笑顔の律人さんを見るのは長い間こちらに勤めていますが初めてですよ。よっぽど、調さんと出掛けられるのが嬉しいんでしょうね」
「そうなんでしょうか……」
ただ、律人と親睦を深めたいだけではない別の意図があることを、律人も江本さんも知らない。その事実を伏せながら接するのに、少し心が痛んだ。
土曜日の朝は雲一つない快晴だった。気持ちのいい風が吹いていてちょうどいいお出かけ日和だった。
「じゃあ江本さん、出掛けてきます」
「はい、いってらっしゃい。お気をつけて」
エプロン姿の江本さんが玄関で二人を見送ってくれた。
律人は中は白いTシャツにチェック柄のシャツを羽織っていた。調は大した私服を持っていないので、全身黒づくめだ。
ふと、律人の足元をみると蛍光色の緑のスニーカーを履いていた。あの時のスニーカーは濃い青のスニーカーだった。もう、江本さんに廃棄されているはずだが。その後、どんな靴に変えたのかすら調は知らなかった。
前を歩く律人は調の知らない曲の鼻歌を歌っていた。手を大きく前後に動かし、楽しそうだ。
「律人、今からそんなに気合を入れていたら夕方までもたないんじゃないのか?それで、今日はどこに行くんだ?」
「うん、今日はね、あらためて以前の自分と決別しに行こうと思って。それが終えたら、兄さんと思いっきり遊ぶんだ」
「決別?」
「そう、3駅先のパルコに誰でも弾けるピアノが設置してあるでしょう。あそこで、今まで培ってきた自分のすべてを出し切って皆に聴いてもらう。そこで、音楽の神に愛された一ノ瀬律人とは完全にお別れ。父さんや母さんが求めていた理想像ともお別れ。普通の高校生の一ノ瀬律人の門出を、兄さんに見てもらいたいんだ」
太陽の光を浴びる律人は後光がさしているようだった。これが、神じゃなかったら何になるのだろうか。
「分かった、俺で良ければ見届けるよ」
調の言葉に、律人は光の中でにこっと笑みを浮かべたように見えた。
2週目に入ると、段々と打ち解けてきてあだ名が飛び交い、放課後に皆でカラオケに行こうなどの親交を広げようと空気も自然と柔らかくなってくる。
だけど、調の周りは何の変化も起きなかった。
あの日から依月の態度は今までと変わらなかったが、もともと打ち解けやすくクラスメイトの中心にいるタイプなのであらためて調と会話をすることもなかった。菜月は加賀見頼と特に仲が良くなったようで、休み時間になるとよく二人で話し込んでいるようだった。
調はそんなクラスの雰囲気に馴染めないで孤立する数名の一角で、一人で休み時間を過ごすことが多かった。だけど、仕方なくその一角を享受しているわけではなく、自ら好んで一人の時間を過ごすことを選択しているので何の問題もなかった。
昨日から借りていた小説も2時間目の休み時間には読み終わってしまい、一気にクラスの喧騒が耳に滑り込んできた。この喧騒が雑音にしか聞こえず、苦手だった。
調は気持ちを切り替えようとひとまず廊下に出た。
2時間目の休み時間は普段の休み時間より10分ほど長いこともあり、上級生や下級生なども学年関係なく廊下に溢れていた。
清真高校は個人情報開示の問題もあり名札はつけていないが、制服の左ポケットに学年が判別できる布が縫い付けられている。一年生は赤、二年生は青、三年生は緑と分けられている。学年が上がるたびに変えないといけないので保護者には大きな負担になるが、長きに渡る慣習であるため仕方がない。
調はなるべく人気の少ない場所に移動し、換気のために開いていた窓の傍に立った。小さく呼吸をすると、少し気持ちが和らぐようだった。
ふと、視線を感じて横を見ると、少し離れた場所から黒縁眼鏡の男子生徒が微動だにせずこちらを見つめていた。調と視線が合っても逸らすことなく、怜悧な光を帯びた黒々した目をこちらに向けている。
どこかで見た覚えがあった。記憶をたどっている間に、男子生徒はくるりと反転し何事もなかったかのように階段を降りて行った。
「―――調、どうした?そろそろ予鈴鳴るよ」
トイレの帰りなのか、ハンカチで手を拭きながら依月がすぐ後ろに立っていた。
「……ああ、分かってる」
「どうした?幽霊でも見たような顔して。顔色悪くね?」
「そんなことはない」
依月の追求から逃れるように、調は脇を通り教室に向かった。
どこまでも続く深淵を思わせるようなあの視線は、先日目にしたばかりだった。律人とファーストフードの列に並んでいた男子生徒、その人だ。
あの時は、一ノ瀬律人の知己に相応しいかどうか品定めをしている視線を向けていたが、先ほど向けられていた視線は何の感情も彼の表情に浮かんでいなかった。無感情のままに、ただただ一ノ瀬調という人物を見定めていた。
彼の意図が全く読み取れず、知らず知らずのうちに眉間に皺を寄せていた。
キーンコーン
予鈴が鳴り、澱に淀んだ感情を残したまま授業が始まった。
高校生活が2週間経過し、互いに1日の出来事なども話さないままだったので律人の交友関係も分からないままだった。
まずは、律人の身辺を知っておきたい。
食事の時は江本さんもキッチンにいるので、調が律人に話しかけている内容にもしかしたら聞き耳を立てているのかもしれない。江本さんを信じていないわけではないが、幼少時に律人の付き添いをしていた人たちは頻繁に変わっていた。付き人の変更は律人の独断で変えられるわけもないので、律人自身か江本さん含まれる一ノ瀬に関わっている人間の誰かが母に報告をしたのだと思われる。
そのため、なるべくなら第三者のいない場所で色々と話したい。
夕飯を終えて、ふと律人の方を見ると微動だにせずテレビの画面に集中していた。律人はジブリといい、幼少時に観られなかった反動かずっとアニメばかり観ている。調はテレビ自体をあまり観ないので気にならないが、アメリカ発祥の笑える要素のたくさんあるアニメを表情を変えることなく観ている姿は不気味だと感じるのも否めない。
調は読んでいた本に栞を挟み、席を立った。調が律人の横に座ると、今気づいたかのようにゆっくりとこちらを見やった。
「律人、明日何か用事は入ってるか?」
明日は土曜日で学校は休みだった。調は大体図書館に行ったり、河川敷を散歩したり、電車で少し遠出して寺社仏閣などを巡るのが好きだ。とにかく、人がたくさん集まる場所からは避ける休日の過ごし方を徹底していた。
「明日?特にはないけど……」
律人が休日をどう過ごしているかは知らない。中学時代は平日は学校の後にレッスン、休日も朝から母と共にコンサートなどで掛かりきりで、ちゃんと休日らしい休日を過ごしたことはなかったのだと思う。
「明日、もし良かったら一緒に出掛けないか?映画とかゲームセンターとか、律人の行きたかったところに行こう」
調がそう言うと、律人は一瞬訝し気な視線を向けた。だが、すぐにぱあっと明るい表情になった。
「―――え?本当に?兄さんと出掛けるの?いいの?兄さんはいつも一人でゆっくりと休日を過ごしたいんだと思ってた」
「まぁ、普段は喧騒から離れた場所にいる方が好きなんだが、律人もやっと時間が作れたわけだしどうかなって……」
「い、行きたい!兄さんと出掛けられるなんて、夢みたいだよ!」
律人は子供のようにソファーからジャンプし、今まで観ていたアニメなど一瞥もせずにリビングをスキップし始めた。
「お、おいおい。はしゃぎすぎだろ。江本さんもびっくりするから」
「あ、そうだね。ごめん」
すーはーと律人は大きく呼吸をし息を整えると、両頬に手を当てた。
「兄さんと出掛けられるなんて本当に嬉しい。どうしよう。行きたいところ、たくさんあるんだ。本当はディズニーランドにも行ってみたかったけど、兄さんはおそろいのミッキーの耳を付けるのは嫌だよね?」
うるうると目を潤ませながら見上げる律人に、何でも許してあげたいという気持ちが込み上げてくる一方、理性でそれを踏ん張った。
「……そ、それだけは、勘弁してくれ」
「うん、分かった。ちょっと一晩考えてみてもいい?」
そう言うと、律人はテレビをそのままにして、自分の部屋へと戻って行ってしまった。
「まさに、舞い上がっている状態ですね」
声の方向を振り向くと、キッチンから笑みを浮かべた江本さんがこちらを見ていた。
「江本さん、すみません。明日朝から少し律人と出掛けてきてもいいですか?」
「もちろんです。路香さんにはこちらから伝えておきますね。あんな笑顔の律人さんを見るのは長い間こちらに勤めていますが初めてですよ。よっぽど、調さんと出掛けられるのが嬉しいんでしょうね」
「そうなんでしょうか……」
ただ、律人と親睦を深めたいだけではない別の意図があることを、律人も江本さんも知らない。その事実を伏せながら接するのに、少し心が痛んだ。
土曜日の朝は雲一つない快晴だった。気持ちのいい風が吹いていてちょうどいいお出かけ日和だった。
「じゃあ江本さん、出掛けてきます」
「はい、いってらっしゃい。お気をつけて」
エプロン姿の江本さんが玄関で二人を見送ってくれた。
律人は中は白いTシャツにチェック柄のシャツを羽織っていた。調は大した私服を持っていないので、全身黒づくめだ。
ふと、律人の足元をみると蛍光色の緑のスニーカーを履いていた。あの時のスニーカーは濃い青のスニーカーだった。もう、江本さんに廃棄されているはずだが。その後、どんな靴に変えたのかすら調は知らなかった。
前を歩く律人は調の知らない曲の鼻歌を歌っていた。手を大きく前後に動かし、楽しそうだ。
「律人、今からそんなに気合を入れていたら夕方までもたないんじゃないのか?それで、今日はどこに行くんだ?」
「うん、今日はね、あらためて以前の自分と決別しに行こうと思って。それが終えたら、兄さんと思いっきり遊ぶんだ」
「決別?」
「そう、3駅先のパルコに誰でも弾けるピアノが設置してあるでしょう。あそこで、今まで培ってきた自分のすべてを出し切って皆に聴いてもらう。そこで、音楽の神に愛された一ノ瀬律人とは完全にお別れ。父さんや母さんが求めていた理想像ともお別れ。普通の高校生の一ノ瀬律人の門出を、兄さんに見てもらいたいんだ」
太陽の光を浴びる律人は後光がさしているようだった。これが、神じゃなかったら何になるのだろうか。
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