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No.1 合戦の一幕
しおりを挟む時は西暦1600年 美濃国不破郡関ヶ原
豊臣秀吉没後の権力をめぐって石田三成が率いる西軍と、徳川家康が率いる東軍が相対している。
両軍の兵力は西軍85000人、東軍は88000人と大きな差は無かった。
‥‥‥
‥‥‥‥
「槍持て、槍ぃーい!」
《応っ!》
甲冑に身を包んだ侍が、大声を張り上げると、槍衾が立ち上がった。侍は陣形に不備が無いか確かめるように、歩き回っている。
遠くから銃声や大砲の音が聴こえてはいるが、敵兵の姿はまだ見えない。
「おい!おぬし、槍はどうした!?」
侍が隊列の中で、コソコソと身を屈めている男を発見すると、声を掛けた。
男は一歩前に出ると、申し訳無さそうに腰を曲げた。
「それが‥‥忘れもうした‥‥‥」
《ドゴぉッ!!》
鈍い音が響く同時に、男は倒れ込んだ。
「この痴れ者が!何しに来よったか!!」
侍のこめかみには血管が浮き上がっている。
兜の下、鬼のような形相に睨みつけられると、男は左頬をさすりながら立ち上がった。
「某には、”此れ”がありますゆえ‥‥‥」
指を口に当てると、小さく息を吐いた。
《サ~‥‥ササ~‥‥‥ 》
そよ風がなびいたかと思うと、侍は目を丸くした。
「むぅ、よぉ、よぉーーし!」
再び何事も無かったかのように大声を張り上げると、他の兵に檄を飛ばしながら、その場を去って行った。
おれは木常 玄次郎(キツネ ゲンジロウ)
備前村の村民。
齢は二十と二つ。しがない雑兵だ。
この関ヶ原の合戦で、西軍陣営側に馳せ参じた。
「玄次郎、大事だか?」
この《握り飯》の様な顔の男は助六。
おれと同じ、備前村出身の幼馴染だ。
鈍臭いが情に厚く、とにかく優しい男。
おれは、此奴の優しさに幾度も
救われてきた。
「なーに、こんなもの笑えば治る、ガッハッハー!」
玄次郎は左頬を青く腫らしたまま高笑いした。
「しかし、おめぇ槍兵なのに槍を忘れるなんて、殴られても仕方ねーべ‥‥‥」
何を隠そう、おれは大妖:玉藻前の子孫だ。
【玉藻前】とは何とな‥‥‥?
端的に申すと、キツネの妖怪だ。
500年以上前、平安時代末期。玉藻前は都で上皇に取り入り、寵愛を受けていた。やがて、上皇が病に伏すと、その病の元凶として疑われ、陰陽師に正体を暴かれる。
玉藻前は逃げように都を去った。
その後、追手により玉藻前は討伐されたが、しぶとくもその身を石へと変え、毒を撒き、人々を苦しめたそうだ。
後に、徳を積んだ高僧によって石は砕かれ、日の本各地に散らばったと”されている”が、実際は違う。
追手から命さながら逃げ延びた玉藻前は、備前村近く、川のほとりで力尽きそうな所を村人に発見された。彼女を助けたのは”吾郎丸”という。助六の御先祖様だ。
玉藻前は生き延びていた。
備前村の村民に介抱され、回復していたのだ。その後、村で屋敷を構え、余生を過ごした。
《木常》の姓を名乗るのは、まだ先の事‥‥‥
おれの家族について話そう。
備前村には父上と母上、キヨ(女房)がいる。村の外にも親戚はいるが、不思議な力を使えるのはおれと父上だけだ。
幼少期、父上にその才を見出されると、厳しい修練を積んできた。玉藻前の”遺言”で、木常家は代々、影ながら備前村と村人を守る役目があったからだ。
普段は土いじりをして、稲を育て、酒造りをしている。勿論、領主には酒と米を納めておるぞ?
時代は戦乱の世‥‥‥
領主から、此度の戦で兵を募るお達しが出た。
村人の中から唯一手を上げたのは、助六であった。
領主の募兵に応じれば、相応の銭は手に入るし、手柄を挙げれば褒美も弾む。それだけ村は凶作が続き、苦難の時を迎えておった。
助六だけを戦場に送るわけにはいかぬ‥‥‥
おれも募兵に応じるべく、手を上げた。助六を守り、手柄を挙げ、村の窮地を救う。
村から受けてきた恩に、報いる時であった。
‥‥‥‥
「敵兵だーー!前線にて陣形をとれーー!」
伝令兵が叫びながら陣内を駆け回ると、陣太鼓が鳴らされた。
「い、いぐべっ!」
助六は意を決して走り出すと、玄次郎はその後に続いた。
開けた平野が見えてきた。湿った空気が、緊張を煽ってくる。
前線に到着すると、平野の向こう側から敵の歩兵部隊が横一列になり、突撃してくる様子が見えた。
その距離 およそ300歩‥‥
「助六、無茶するでないぞ?おぬしに死なれては、御先祖様に顔向けできなぬからな」
「またその話か‥‥‥って、さっき打たれた所、もう治っでねーが?恐ろしい回復力だなー!!」
助六は玄次郎の綺麗な左頬をまじまじと見つめた。
おれが大妖怪の子孫であることは、助六は知らぬ。
知ってるのは今や、村長ぐらいであろうなぁ。
「御先祖様の御加護だ。さぁ、来るぞ!!」
玄次郎は自分の頬を叩いた。
200歩まで距離を詰めてきた敵歩兵の前列がしゃがみ込むと、後列に控えていた鉄砲隊が姿を現した。
一斉に銃声が響くと、悲痛な叫び声が上がり、味方の陣形が崩れた。
「怯むなぁーー!」
甲冑に身を包んだ侍が騎馬隊を引き連れ、敵軍に向かって突撃を敢行した。
「続けーー!」
槍兵は騎馬の後に続き、平野中央へ向かって駆け出した時、五月雨の如く無数の矢が敵軍から放たれた。
「助六!出過ぎるなーー!」
玄次郎は両手で印を切ると、手の平を空へ向けた。
《妖術:塞隻衝:サイセキショウ》
木々が強風で煽られると、矢は推進力を奪われ、か弱く助六の前に落ちた。
助六はそんな事は露知らず、槍を一所懸命に振り回している。
「ガッハ、ハハ‥‥‥ガーハッハッハーーー!!」
玄次郎は大きな笑い声を轟かせると、髪の毛を逆立たせた。その瞳は蒼く、爪は伸び、口からは鋭い犬歯が見え隠れしていた。
敵が放った矢が落ちている。
玄次郎はおもむろに5.6本、矢を拾った。
《妖術:愚呑戯遊:グドンギユウ》
片手で印を結ぶと、矢先に息を吹きかけ、前線に投げ入れた。その腕は逞しく、鞭のようにしなやかだ。
風を切る矢が刺さった敵兵は、我を忘れたかの様に、敵味方見境なく刃を交え始めた。
玄次郎は背後から斬りかかってきた敵兵の刃を、地を縫うようにくぐり抜けた。すかさず、鋭利な爪で敵兵の喉を一刺しすると、容易く草地の上に転がした。
もう一方、敵槍兵によって繰り出された突きは、鋭い爪撃によって槍の柄もろとも砕かれた。
「何だその突きは?遅い!軽い!弱いぞーー!」
ギラついた蒼い目を見開き、尖った牙を見せ付けた。
「ばっば、化物ぉ!!‥‥‥うぶぶぅ‥‥‥」
敵槍兵は尻もちを付くと、恐怖で気を失った。
敵の先鋒隊は劣勢と判断したのか、退却を始めたようだ。
「追えーーー!一人でも多く刈り取れーーい!」
侍は兜に刺さった矢を引き抜くと味方を鼓舞した。
敵軍を平野の奥まで追いやると、助六と玄次郎は初戦を制した。
「エイ、エイ、オーーーー!」
自軍の勝ち鬨が平野に響きわった。
「こいが、戦か‥‥‥」
助六は平野に転がる亡骸を見て呟いた。
「あぁ。こんなもの、すぐ終わるといいな」
「んだな。?おめぇ、あの乱戦で傷一つねんだな」
「遠くで見ておったからな、ガッハッハー!」
「そんなごと、大声で言うなぁ?味方に聞かれたらどうすんだぁ?」
助六は声を鎮めながら玄次郎を注意すると、自軍の輪に加わるべく歩みを進めた。
パチパチ‥‥パチパチ‥‥‥
「お見事です♪」
調子のいい声色と、渇いた拍手が背後から聴こえた。玄次郎は振り向くと同時に身構えた。
視界に入ったのは、うさ耳を頭に付けた若い男だ。
窮屈そうな黒いスーツに、首からはカラフルな太い紐を垂らしている。
此奴、敵兵‥‥‥か?
玄次郎は眉をひそめ、カブいた服装の男を睨んだ。
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