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第ニ期 41話~80話

第五十六話 王都防衛戦

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 王都を守る王国軍はアルカナ川の川岸に沿って布陣していた。水門を奪還したアルフレッドの部隊から、無事に水門を開いたとの知らせが大将軍ウォーレンの元に届いていた。だが、アルカナ川の水位はまだ変わらなかった。

 防衛陣地の本陣に待機するウォーレンの下へ伝令の兵士が駆け寄って報告した。

「物見台から報告。ジャビ帝国軍と思しき兵が、対岸の向こうに見えるとのことです」

「いよいよ来たか。皆の者、よく聞け。すでに陛下の軍が水門を開いた。我々がしばらくの間ジャビ帝国軍をこちらの岸辺で食い止めれば、じきにアルカナ川の水位が上昇して敵は向こう岸に取り残される。それまでの辛抱だ」

 アルカナ川を渡る大きな橋は一本しか無い。王都から西へ向かう街道に架かる大きな石造りの橋である。それ以外の小さい橋は水位が上がれば流されてしまう。当然、最初にジャビ帝国軍がこの橋を攻略してくることは間違いない。橋は幅が六メートル、長さが一キロメートル以上もある巨大な構造で、増水しても水没する心配はない。

 橋の王都側のたもとには幾重にもバリケードが築かれ、カザルの率いる鉄砲隊が待ち構えている。鉄砲隊は狙撃手一名と装填手二名に分かれていて、およそ十秒間隔で射撃できるように準備されている。

 カザルがつぶやいた。

「あっしはこれまで、いまいち影が薄かったから、今回は目にもの見せてやるぜ。いつでも来やがれ。トカゲ野郎の土手っ腹に風穴をあけてやらあ」

 橋の西側には朝から帝国軍の兵士が続々と到着し、整列して待機している。その日の昼過ぎ、ついに帝国軍の突撃隊が橋の上を前進してきた。盾を構えて狭い橋の上を密集陣形で向かってくる。トカゲ兵たちは密集しているため、鉄砲の狙いを付ける必要はほとんどない。撃てば必ず命中する。

 もちろんトカゲ兵は鉄砲などまったく知らない。怒声をあげながら前進してきた。

「撃て!」

 カザルの号令と共に凄まじい発射音が轟き、白煙がもうもうと舞い上がる。先頭を進むトカゲ兵が人形のように次々に倒れた。トカゲ兵は何が起こったのか理解できない。それでも前に進もうとするが、すぐに第二射が放たれ、またしても五十人近いトカゲ兵が折り重なるように倒れた。

 さすがのトカゲ兵も予想外の事態を見て大混乱に陥った。とはいえ長い橋の上に逃げ場はなく、後ろからもトカゲ兵が次々と押してくる。すでに橋の上はトカゲ兵の死体が山になっていて、前に進むことも容易ではない。

「撃て!」

 容赦なく鉄砲が撃ち込まれる。そのたびに数多くのトカゲ兵が倒れる。橋の上は地獄のようになった。自暴自棄になってバリケードに向かって突進し全身に銃弾を受ける者、橋から落ちる者、這って逃げようとする者、それを後ろから踏み潰す者。橋の上は流れる血で真っ赤になり、死体で足の踏み場もない。

「がははは、ざまあみやがれ。鉄砲の威力を思い知ったか」

 トカゲ兵はたちどころに五百人以上の死者を出して、橋の上から対岸へと退却した。

 橋の近くにある本陣からその様子を見ていたウォーレンがカザルに言った。

「わはは、凄まじい威力ですなカザル殿。いやいや、最初に鉄砲を見たときは半信半疑でしたが、あのトカゲ兵が一撃で仕留められるとはすごい。これだけの威力があるなら、もっと鉄砲の数が揃えば、無敵の軍隊になりますな」

 カザルがドヤ顔で言った。

「陛下が夢で見た異世界の知識ってのは、大したもんです。もっとも、陛下の知識を形にしたのはあっしですぜ。あっしの鍛冶の腕前がなきゃ、鉄砲は完成できなかったんでさあ、へへへ」

「いや、まったくですな。カザル殿はたいしたものです。それはそうと、さすがの敵も、これほどこっぴどく痛めつけられたとなれば、再び橋を攻めてはこないでしょうな。いよいよ川を歩いて渡ってくる。正念場ですな」

 トカゲ族は変温動物のため、体温が低下することを極端に嫌う。そのため灼熱の砂漠地帯でもない限り、好んで水に入ることはない。腰の深さまで水に浸かって川を渡ってくれば、体温が低下して動きが鈍くなる。川からこちらの岸に上陸してきた直後に叩くというのがウォーレンの作戦である。

 数万人のトカゲ兵が河岸に並んで一斉に渡河してくれば苦戦を強いられることは間違いないが、ジャビ帝国軍は数が多いため、まだ全軍が到着しているわけではない。後続の部隊を待つには、まだ時間が必要だ。ただしトカゲ族の攻撃的な性格を考えると、準備の整った部隊から次々に突っ込んでくる可能性もある。

「橋の上流、およそ三キロメートル付近の対岸から、トカゲ兵が前進しつつあります」

 数百人の敵弓兵隊が川を渡り始めた。幅百メートルほどの、三列の横隊で進んでくる。川の半ばあたりまで前進すると停止して、アルカナの陣地に向けて一斉に矢を放ち始めた。大量の矢が、まるで雨のように降り注ぐ。アルカナの歩兵が一斉に盾をかざして矢を防ぐ。木製の盾には衝撃音と共に矢が次々に突き刺さる。しかし次々に降ってくる矢をすべてを防ぎ切ることは難しい。一人、また一人と負傷者が増えてくる。

 アルカナの陣地からも矢が次々に放たれる。しかしトカゲ族に人間の矢は通用しない。トカゲの弓兵はひるむことなく次々に矢を放ち続ける。矢が尽きれば後続の兵と交代し、アルカナの陣地に向けて、しばらく矢が放たれ続けた。

「槍歩兵が来ます」

 しばらくすると、弓兵の間からトカゲの槍兵が一斉に前進してきた。腰のあたりまで水に浸かっているため動きはゆっくりであるが、川岸に布陣するアルカナ軍に近づいてくる。アルカナ軍も槍を突き出して待ち構える。怒号と共に両軍の白兵戦が始まった。

 川から上がったトカゲ兵の体は冷えているためか動きはいくぶん鈍いようだったが、人間以上の腕力と堅い鱗の体のため、アルカナ軍がトカゲ兵を仕留めることは容易ではない。首と脇のあたりの、鱗が薄い急所を狙って槍で突き続ける。

「前列交代!」

「左右から、さらに来ます」

 敵本隊の左右からさらに槍歩兵が前進してくる。アルカナの後方部隊が左右の防御に向かう。

「上流さらに五キロ向こうの第二陣、さらに上流の第三陣付近でも敵が前進してきます」

 さらに上流でも戦闘が始まった。戦線は拡大する一方である。戦線が広がれば、数に劣るアルカナ軍がすべてを防ぎ切ることは不可能だ。

「踏ん張れ! アルカナを守るんだ。根性を見せろ」

「おおおお」

「二陣が押されているぞ」

「まずい、二陣が崩される」

 トカゲ兵の槍の激しい突きによりアルカナ側に負傷者が続出し、トカゲ兵が押し始めた。

「騎兵、二陣の側面を援護に回れ」

「こちらも兵の疲労が限界です」

「馬鹿者、そんなことはわかっている。死ぬ気で行け」

 橋の近くにある本陣も崩れ始めた。ウォーレンの正面から、前線を突破したトカゲ兵が槍をかまえて突っ込んでくる。ウォーレンは反射的にやり先をかわすとブロードソードを抜刀し、突っ込んできたトカゲ兵の首に剣を突き刺した。激しく鮮血を吹き出して、トカゲ兵が足元に崩れる。
 
「くそトカゲめ、このウォーレン、老いたとは言え、貴様らなど敵ではないわ」

 川を渡ってトカゲ兵がウォーレンの前に続々と進んできた。

「大将軍、ここは危険です、お下がりください」

「うるさい、ワシは絶対に引かん。お前ら、ここを死守するのだ」

 その時、背後ですさまじい銃声が鳴り響いた。川を渡って本陣に迫ってきたトカゲ兵がバタバタと倒れる。カザルの鉄砲隊が援護に駆けつけた。

「おお、カザル殿ありがたい。よし、ここで食い止めるのだ」

「二陣、崩れました」

「後続を出せ」

「将軍! 水が、水が来ました」

 アルカナ川の水位が上昇し始めた。

「おお、来たか! 全員後退しろ、ぼやぼやしていると巻き込まれるぞ」

 角笛が何度も吹き鳴らされた。アルカナ川増水の合図である。水位はみるまに上昇してゆく。すでにアルカナ軍の陣地だった場所にも水が流れ込み始めた。

「引け! 引け! 急げ!」

 アルカナ軍が川岸の丘を登る。トカゲ兵も追ってくる。だがアルカナ軍の後を追ってきたトカゲ兵は後続を断たれ、孤立し、次々に槍で突かれて川へ落とされた。

 すぐに水位は二メートルほどになり、川の中央付近にいたトカゲの弓兵が流され始めた。ジャビ帝国の軍勢は大混乱になった。水位はさらに上昇し、川に居たトカゲ兵は、ことごとく押し流され、多くの兵が濁流に飲まれた。

 押し流されたトカゲ兵の中には下流の橋にしがみつき、橋の上へ這い上がってくる者もいたが、カザル率いる鉄砲隊によって射殺された。アルカナの海にはトカゲ兵の数千の溺死体が流れ込み、無惨に漂っている。

 橋の上に立ってカザルは西の方角を見渡した。目の前には幅が一キロメートルに広がった巨大なアルカナ川が流れている。夕日が沈む向こう岸にジャビ帝国軍の影が小さく見える。

 カザルがウォーレンに駆け寄った。

「ウォーレン殿、間一髪でしたな。間に合ってよかった」

「あと一時間も増水が遅れていたら、かなりの敵が川を渡っていただろう。そうなれば、こちらにも相当な被害が出たはずだ。それにしても、陛下の策が見事に功を奏しましたな。さすが冥土から生き返っただけのことはありますな、わははは」

 ジャビ帝国軍は数日間対岸にとどまり、次の手を考えているようだった。だが幸いなことに冬将軍が例年より早く近づいてきた。気温が下がり始めたのである。長期戦は不利と判断したジャビ帝国軍は、やがて引き返していった。

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