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第ニ期 41話~80話

第五十三話 ジャビ帝国の罠

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 夜になった。谷はすでに到着したジャビ帝国の兵士で埋め尽くされている。無数のテントと焚き火が見える。

 敵に見つからないよう、岩陰に隠れて干し魚のスープを作っていると、ルミアナがレジスタンスの監視員、アズハルを連れて戻ってきた。アズハルはすぐにレイラを見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「わあ、ワニ殺しのお姉ちゃんだ。元気だった?」

 レイラは、すっかり慌てて赤くなった。

「あわわ、アズハル、恥ずかしから、その呼び方はやめてくれといっただろ」

 俺はアズハルに聞き返した。

「ワニ殺しのお姉ちゃん? レイラはそう呼ばれているのか?」

「そうだよ。レイラお姉ちゃんは『素手でワニを絞め殺した女』ってレジスタンスでは恐れられているんだ。何しろレジスタンスでは実名を語っちゃいけないからね。ワニ殺しって言えば、レジスタンスでは話が通じるんだ、知らない人は居ないよ」

 俺はレイラに言った。

「ワニ殺しとは、すごい二つ名だな」

「すごくないです! そんな凶暴そうな二つ名はイヤです。お花の名前がいいです。野バラとか白百合とかにして欲しい」

 レイラの体の大きさから考えると、バラとかユリとかじゃなくて、どう見てもラフレシアかショクダイオオコンニャクだろう。

「あ、お姉ちゃんと遊んでる場合じゃなかった。あなたがアルフレッド陛下ですか?」

「そうだよ、私がアルフレッドだ。よろしく頼むよ」

「陛下、ジャビ帝国軍の様子が少し変なんだ。ナンタルの郊外に集結していた時は、少なくても二十万人は居たんだけど、途中で別れて半分が北に向かって進軍して行ったんだ。だから、ここには半分しかいないんだよ」

「それはどういうことだ?」

 ルミアナが言った。

「ナンタルからロマラン王国に入るには二通りのルートがあって、南回りが最短だけど、山脈を大きく北に迂回して北から入るルートもあるのよ」

「つまり、これは罠か。南の大群に注意を引き付けている間に、北側から別働隊が接近して王都マリーを包囲するつもりなのか。これはまずいな、すぐにレオナルド国王に知らせなければ・・・」

 俺たちは急いでその場を撤収し、マリーへ引き換えした。

ーーー

 ここはロマラン北部にある砦だ。南の砦よりも一回り小さく、砦と呼ぶよりむしろ監視所に近い。山脈の北回りルートは利用するキャラバンが少ないうえに、今は夜なので、検問所を通過する者は誰もいない。見張り台の上の守備兵たちは暇を持て余していた。

「はああ、早く当番が終わらないかな。酒が飲みてえ」

「おい、飲みすぎるなよ。昨日も遅刻しそうになったろう」

「しかたねえだろ、こんな辺境の地じゃ酒を飲む以外にやることはねえんだ。それにしても今夜は暗いな。おかげで何も見えやしねえ」

「ああ、雲の中に月が完全に隠れているからな」

 そのとき、何かがぶつかる物音が聞こえた。

「今、何か音がしなかったか?」

「おい、これは何だ? はしごか?」

 守備兵が、見張り台に架けられたはしごの下を見下ろすと、暗闇からトカゲ兵が飛び上がってきた。

「うわああ、敵だ。敵襲だ・・・」

 トカゲ兵は大声で叫ぶ兵士の両肩を掴むと、鋭い牙の生えた大きな口を開き、その喉元に激しく噛み付いた。守備兵は痙攣して動かなくなった。トカゲ兵は続々とはしごから登ってくる。もう一人の守備兵が必死に鐘を打ち鳴らすも、背後からトカゲ兵に切り捨てられて息絶えた。

 すでに砦には多くのはしごが架けられ、塀を乗り越えて砦の中にトカゲ兵がなだれのように押し寄せる。砦はたちまち大混乱になった。

 宿舎の扉を激しく開けて、隊長のもとに兵士が駆け込む。

「隊長! トカゲ兵の襲撃です。物凄い数です、手がつけられません」

「おのれ、南から来ると見せかけて北から攻めてきたか。これは一大事だ、すぐに本国へ伝えなければ。伝令を出せ」

「しかし隊長、すでに砦は完全に包囲されています」

「くそ・・・」

 隊長が宿舎から外へ飛び出すと、そこは阿鼻叫喚の地獄だった。それでも守備兵たちは奮戦していた。一人のトカゲ兵を相手に三人の兵士が槍で一斉に突き、トカゲ兵を倒した。だが多勢に無勢、その三人にもトカゲ兵が横から切り込み、次々に倒されてゆく。

 宿舎の屋根に陣取った弓兵が次々に矢を放つ。矢はトカゲ兵に命中するが、致命傷を与えることはなく、体に刺さった矢も引き抜かれてしまう。やがて数名のトカゲ兵が屋根によじ登り、弓兵の足を掴んで引きずり降ろした。取り囲まれた弓兵は剣でめった刺しにされた。

 万策尽きた隊長はゆっくりと槍を構えた。正面から剣を振り上げたトカゲ兵が突っ込んでくる。隊長は落ち着いてトカゲの喉元めがけて槍を突き出す。さしものトカゲも喉を刺し貫かれ、両手を上げるとその場に崩れ落ちた。

 二番手が横から突進してくる。今度は急所を狙う時間はなかった。トカゲの腹部に槍の矛先を突き出す。槍は腹部に突き刺さりトカゲは叫び声をあげたが、両腕で槍の柄を掴んで離さない。トカゲが口から血を流しながら笑う。そのとき、両側から槍を構えたトカゲ兵が隊長めがけて突っ込み、矛先が隊長のチェーンメイルを刺し貫いて腹部に深々と刺さった。

「ぐは・・・無念だ・・・」

 後から後から、槍を構えたトカゲ兵が次々と隊長に突っ込み、隊長は無数の槍に貫かれて息絶えた。

ーーー

 俺たちはロマランの王都マリーに戻った。マリーの町は相変わらず平穏だった。城へ戻ると、すぐにレオナルド国王の元へ駆け込んだ。国王は俺たちのすがたをみると、目を丸くして驚いた。

「これはこれはアルフレッド殿。いやはや、泥だらけでひどい格好ですな。そんなに慌てて、どうされたのですか?」

「南の砦から、交渉に関する報告はございましたか?」

「おお、ありましたとも。幸い、ジャビ帝国は我々の要求に応じてくれるという話でしたぞ。和解金で解決することになりました。ただし補給物資も要求されましてな、補給のため一週間ばかり南の砦の付近で野営するらしいです。その後、ジャビ帝国軍はアルカナに進軍する計画とかで、アルフレッド殿は急いで貴国へ戻られたほうがよろしいでしょう」

「いや、これは罠かもしれません」

「なんと! 罠ですと? なにか証拠でもあるのですか?」

「直接の証拠をつかんだわけではありません。ただ、ナンタルを出発した二十万のジャビ帝国軍のうち、南の砦に集結している兵力はおよそ半分で、残りの部隊が北側のルートを通ってロマランに接近している恐れがあるのです。このままだと王都マリーが包囲されかねません」

「そんな馬鹿な。南の砦では確かにジャビ帝国は和解に応じたのです。・・・ランベルト将軍、北の砦から何か異変を知らせる報告はあるか?」

「いいえ、今のところそのような報告は来ておりません。念のため、北の砦に偵察隊を派遣しましょうか」

「そうだな。そうしてくれ」

ーーー

 北の砦に派遣した偵察隊は、その日のうちに戻ってきた。兵士が玉座の間に駆け込み、レオナルド国王に報告した。

「レオナルド陛下、ジャビ帝国軍がすでに北の砦を攻め落とし、王都マリーへ向けて進軍中です。その数およそ五万。明日にも王都に攻めてきます」

「まことか! もしや、その帝国軍には、我が国との和解の情報が伝わっていないのかも知れない。使者を出して話を伝えてくれ。それと南の砦にも使者を出し、北から侵攻してきている軍勢を止めるよう要請してくれ」

 俺はレオナルド国王に言った。

「危険です。今すぐ王都を脱出しましょう」

「いや待ってくれ。ジャビ帝国の使者と直接話しをしたい。カネで解決できないなど、私には信じられない」

 俺はレオナルド国王に恩義もあるので、危険ではあるが翌日まで待つことにした。

 翌日、ジャビ帝国軍は王都マリーを包囲した。包囲したジャビ帝国軍から使者が派遣されてきた。謁見の間で、俺たちは物陰に隠れて様子を伺った。

 ふんぞり返ったトカゲの男が言った。

「私はジャビ帝国軍の交渉官シュビヤラである。我々はすでに王都を包囲している。ロマラン国は速やかに降伏し武装を解除せよ。しかるのち、城門を開けてジャビ帝国軍を入場させよ。抵抗するものは容赦なく切り捨てる」

 レオナルド国王が交渉官のシュビヤラにひざまずいて言った。

「恐れながら、我々は先に南の砦において、貴国の交渉官と和解金を支払うことで合意いたしました。兵をお引きいただきたいのですが」

「それは存じておる。しかし方針が変わったのだ。和解金よりも奴隷がほしいのだ。だからロマランの街を占領し、すべての人間を我らの支配下に置くことにする」

「そんな・・・和解金が足りないのなら、さらに上乗せしてお支払いいたしますが」

 シュビヤラは大口を開けて笑っていった。

「シャシャシャ、金貨などいくらあっても意味がない。帝国では金貨が溢れかえっており、使い道がないほどだ。金貨を溶かして便座にしているぞ。黄金は見た目こそ美しいが、食べることもできないし、着ることもできない。金貨がいくらあっても、我々の生活はちっとも豊かにならんのだ」

「金貨があっても豊かにならないと?」

「そうだ。むしろ我々が欲しいのは奴隷だ。奴隷が働けば、食料も衣類も、住まいも、何でも作り出すことができる。我々の生活が豊かになる。それに比べて金貨など何の役にも立たん。そんなに金貨が良ければ、お前にくれてやろうか、シャシャシャ」

 金貨がいくらあっても役に立たない。まったくそのとおりだ。おカネは様々なモノやサービスと交換できるからこそ価値がある。肝心のモノやサービスが無いのなら、いくらおカネがあっても何の役にも立たないのだ。

 だが多くの人々は「おカネに価値がある」と信じて、おカネの価値にしがみつく。だが、おカネの価値を崇めたところで、モノやサービスが作れなくなったらおしまいなのだ。だからジャビ帝国は金貨よりも、モノやサービスを作り出す「奴隷の労働力」がほしいのだ。

 勝ち誇ったようにふんぞり返ったジャビ帝国の交渉官は、残酷な笑みを浮かべながらレオナルド国王の顔を見下ろして、こう言い放った。

「おとなしく武装解除して城門を開放せよ、さもなければマリーは血の海に沈むだろう。期限は明日の朝までだ、シャシャシャ」

 とその時、それまで威張っていた交渉官の表情が突然青ざめた。すっかり落ち着きを無くしている。やがて腹に手を当てると、しゃがみ込むような姿勢になった。

「うぐぐぐ、急に腹が痛くなって・・・も、漏れそうだ。おい、誰がトイレに案内しろ・・・やばい、漏れる・・・」

 シュビヤラは悲鳴をあげながら這うようにして部屋から出ていった。ふと気がつくとキャサリンが俺の横で不思議そうな顔をしている。

「あのトカゲがあんまりムカつくから、『お腹が痛くなればいいのですわ』って強く念じたの。そしたら本当にトカゲが痛い痛いと言い出したのですわ」

 う~む、キャサリンのやつ、やっぱり無意識のうちに貧乏神の「魔法」を発動しているようだな。俺はキャサリンに言った。

「本当か? それって『貧乏神の魔法』じゃないのか」

「そうなのかしら、だったら面白いですわ。気に食わないやつは、みんなお腹を下痢にしてやりますわ」

 あぶねえ、変なこと教えるんじゃなかった。キャサリンが下痢魔法を乱発しはじめたら、大変なことになるぞ。

 交渉官が出てゆくと、玉座の間は重苦しい雰囲気に包まれた。

 俺は物陰から出てくるとレオナルド国王に言った。

「レオナルド国王、今夜ここを脱出しましょう。王都は包囲されていますが、今ならまだ貴国の騎兵隊と我々で包囲網を突破できると思います。このままだと南に集結しているジャビ帝国の部隊にも王都を包囲されて、脱出は完全に不可能になってしまいます」

 ランベルト将軍が言った。

「陛下、ここはアルフレッド殿と共にアルカナへ逃れましょう。ここに留まれば間違いなく殺されます。騎兵隊が陛下と行動をともに致しますので、ご安心ください」

「・・・わかった。アルフレッド殿、お頼みします」

「お任せください。陛下と王妃、それと二人のお子様は私とともに我々の馬車にお乗りください。馬車の護衛は我々がいたします」

 俺はランベルト将軍に言った。

「ランベルト将軍、最初に北門から囮の歩兵部隊を出して下さい。これにつられて敵兵が北門へ移動したところで、東門から脱出部隊を出します。ランベルト将軍は貴国の騎馬を率いて我々と共に突破口を切り開いていただきたい」

「承知いたしました」

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