上 下
40 / 82
第一期 1話~40話

第四十話 戦乱の始まり

しおりを挟む
 このところエニマ国における「メグマール帝国建国運動」は、ますます勢いを増していた。エニマ国の王都エニマライズでは、街のあちらこちらに赤地に獅子の意匠が施された旗が掲げられている。街の広場では定期的に「帝国建国を支持する決起集会」が開催され、演台には次々に支持者が登壇して熱弁を振るった。

 その様子を広場の離れた場所から部下たちと共に見守る人物がいた。エニマ国の大将軍ジーン・ローガンである。演台では、一人の男が大げさな身振り手振りを交えながら大衆に訴えており、その男の姿をジーンは腕を組みながら見ていた。男の演説を聞く人々は激しく興奮し、湧きおこる拍手で演説はしばしば中断した。

 ジーンは傍らに控える副官の一人に小声で言った。

「あの男、なかなか良いではないか。扇動者としての才能は抜群だ」

「はっ、ありがとうございます。あれは元、舞台俳優の男です。現役時代は、そこそこ人気があったようですが、素行が悪く、薬物に手を出したり酒を飲んで暴力を振るうなどしたため劇団を追い出され、酒場で腐っていたところを我々が拾いました。舞台俳優をやっていただけあって、大衆をひきつける技は人並外れているようです」

「そうか。街頭演説は、もっと他の地区にも広げたいので、今後も人材の発掘に尽力してくれ。あくまで内密にな。ところで、帝国の支持者たちに配るメグマール帝国の旗とエニマ国の旗は足りているのか」

「ただいま増産しております。我が国の職人だけでは生産が追いつかないので、アルカナ国の染物屋にまで注文して作らせておりますので、十分な数は確保できると思います」

「ははは、そうか、アルカナの染物屋まで動員したか。連中も呑気なものだな、これから何が始まるか心配するより、目先のカネの方が大切なのだ。よし、エニマ国中に赤い旗を翻らせよ、もちろんエニマ国の国旗も忘れずにな」

 一方、エニマ国のハロルド国王は、これまで帝国建国運動に傍観の構えを維持してきたが、一向に収まる気配のない運動に業を煮やし、ついに広場での集会を禁止するお触れを出した。そして軍を動員して、集会場として使われてきた街のあちこちにある広場をすべて封鎖し、当分の間、立ち入り禁止とした。

 これで表面的には大規模集会は行われなくなったものの、人々の気持ちが収まるわけもなく、酒場や劇場のような場所で相変わらず建国運動の集会が続けられていた。そして、自由な活動を封じられた人々の不満は、やがて運動を禁じたハロルド国王へと向けられるようになっていった。

 ハロルド国王の引退を求める声がエニマ国内に広がり始めたのである。弱腰の国王に国は任せられない、もっと力強い英雄が必要だというのだ。そうした急進的な人々の期待を集めた人物が、皇太子のマルコム殿下であった。マルコム殿下が公の場で見せる強気な態度、すなわち、周辺諸国に対する強気で一歩も引かない姿勢、メグマール地方統一の必要性を訴える発言が称賛され、美化され、人々の間に広がっていった。

―――

 こうした状況はアルカナ国の俺の耳にも届いていた。

 総務大臣のミックが報告した。

「エニマ国の状況ですが、メグマール地方の統一を目論むメグマール帝国建国派の動きが、以前にも増して強まっているようです。大衆の間で支持者が急拡大しているため、王国内でメグマール統一の声を無視し続けることは次第に困難になりつつあると思われます」

「よくない兆候だな。我が国もそうだが、イシル公国もネムール王国も、メグマール統一には賛同していない。となれば、場合によっては、エニマ国がメグマールを統一するために、武力の行使を辞さない事態になる恐れもある。アルカナ国内の状況がようやく好転しはじめたばかりだというのに、はやくも国防力の強化が必要になりそうだな。仮にエニマ国と我が国が戦争状態になった場合、アルカナは勝てるだろうか。ウォーレンはどう思う?」

 アルカナ軍の大将軍はウォーレン・リックマンである。ウォーレンは先王ウルフガル時代からの将軍の一人で、ウルフガルとは共に幾多の戦場を駆け抜けてきた戦友である。その武術の腕はウルフガルにも引けを取らない達人で、勇猛果敢さで知られる。

「ははは、なあに陛下、ご心配めされるな。このウォーレン、老いたとはいえエニマの軍勢など、これっぽっちも恐れませんぞ。なにしろ我が軍はエニマなどとは鍛え方が違う。兵たちは『月月火水木金金』といって、一日たりとも訓練を休みませんぞ。たとえ敵の数が多くとも、一人の兵が十人の敵を倒せば必ず勝ちます」

「そうか、それは頼もしい限りだな。ところで、我軍とエニマ軍との兵力差はどうなっている?」

「おお、そうでしたな。そういう細かい話は副官から話させます」

 副官と思われる男が前へ進み出ると言った。

「アルカナ軍の兵力は現在、直属の王国軍が三万、貴族からの援軍を集めても合計で五万です。一方、エニマ軍の兵力は直属で五万、貴族の援軍を合わせておよそ八万といったところです。我が方は兵力数では劣りますが、砦の防御を固めれば、仮に攻め込まれた場合でも十分に持ちこたえることができると考えられます」

 ウォーレンが副官を怒鳴りつけた。

「バカ者、『持ちこたえると考えられます』ではなく『完膚なきまで撃退して御覧に入れます』だ。そんな根性のない報告でどうするんだ」

「はっ、申し訳ございません」

「近頃の若い者は理屈ばかりこねまわしていかん。根性がない連中ばかりだ。やれ予算がないだの、装備が足りないだの、訓練ができないだの。予算や装備が無いなら、根性で戦え。根性がないから、カネや装備に頼ろうとするのだ」

 いつの時代にも必ず居る「根性論者」だな。俺が元居た世界でも「国民にカネを配ると甘やかすことになる」とドヤ顔で主張する官僚が居たくらいだ。俺の最も苦手とする連中だが、それがアルカナの大将軍となると、少々厄介だな。

 俺は言った。

「根性も大切だが、兵士の士気や装備を向上させるためには予算も必要だろう。予算については心配しなくてよい。万一に備えた防衛計画を立案しておいてほしい」

「承知いたしました、陛下」

―――

 平和な日々の崩壊は突然やってきた。

 その日の午後のことである。エニマ国の王都では、人々が申し合わせたかのように、次から次へと、住まいから、あるいは職場から外へ出て路上に溢れ始めた。人々の多くはメグマール帝国の象徴である赤い旗とエニマ王国の旗を手にしている。やがて、それらの人々は移動を開始した。彼らが向かったのは封鎖されている広場ではなく、王城へと続く大きな通りだった。これまでは、王都の各広場に人々が集まることはあっても、人々が王城へ向かうことはなかった。しかし今日は違う。そして人々はメグマール帝国とマルコム殿下の名前を叫び続けている。そして人々は王城の門の前に集まり、叫び続けた。

 その声は、城内にいるハロルド国王の耳にもハッキリと聞こえていた。国王は疲れ切ったように玉座に座り、その眉間には深いシワが刻まれている。そこへ大将軍ジーンとマルコム皇太子が足早にやってきた。

 ジーンが言った。

「国王陛下、すでにお気づきとは存じますが、王城に向かって大勢の人々が集まってきております。人々はメグマール帝国の建国とマルコム皇太子の即位を口々に叫んでおります。軍隊を動かして排除いたしましょうか」

「いや、ここで軍隊を派遣して強制的に排除すれば、怒った国民が暴徒化し、多くの犠牲者が出るだろう。私は国民を弾圧してまで自らの考えを押し通すつもりはない。もはや、私の出る幕ではないのかも知れない。時代は変わったのだ・・・」

 ハロルドはマルコムに向き直った。

「マルコムよ、私は身を引こうと思う。すでに我が国民の心は、昔のエニマ国から離れてしまった。質素で平穏を願う古い心は、今や力と栄光を求める声にかき消された。これも運命なのだろう。お前とジーン大将軍の思うようにやればよい。ただし、決してエニマ国を滅ぼしてはならんぞ」

「はい、父上。私が王位を引き継ぎますれば、必ずやメグマールを統一し、強力な帝国を築き上げ、ジャビ帝国の侵略を跳ね除けてみせましょう」

 マルコムとジーンは玉座の間を足早に出てゆくと、そのまま城壁を登り、人々が押し寄せている城門の上へと向かった。城門の上にマルコムとジーンが現れると、人々の間に歓喜の声がこだました。マルコムが右手を高く上げた。

 衛兵たちが群衆に向かって叫んだ。

「静まれ! 静まれ! これよりマルコム殿下よりお言葉があるぞ。静まれ!」

 ややしばらくして、城門前は静まり返った。マルコムが言った。

「聞け! 我が愛すべきエニマ国の国民たちよ。今日、私の父であるハロルド国王は大いなる決断をされた。自らが王位を退き、私、マルコムに王位を引き継ぐことをお決めになったのである」

 その言葉を聞いて、城門の前に詰めかけた群衆は熱狂に包まれた。

「そして今日、私は誓う。メグマール地方の四つの王国を統一し、強大な帝国を築き上げるために戦う。ここに『メグマール帝国の建国』を宣言する。そして私がメグマール帝国の初代皇帝、マルコム皇帝となる。共に栄光への道を歩もうではないか」

 歓喜の声がこだまする。

「我々には敵がいる。南にはジャビ帝国という亜人の大国、そして北にはザルトバイン帝国という大国がある。こうした大国の脅威に怯えることがない、平和で豊かな国家を築かねばならない。そのためにはメグマールに統一国家が必要なのだ。

 もともとメグマールは、同じ起源を持つ同じ民族である。にもかかわらず、今は四つの国に分かれて弱体化している。それぞれに王を戴き、独立を主張している。それで良いのか?否! メグマールは一つであらねばならない。「一つのメグマール」という原則である。これが私の悲願であると同時に、多くの国民たちの思い出もある。強く強大な国家を。その達成のためであれば、私は武力による統一も排除しない。

 今日、ここに、私は『メグマール帝国、皇帝マルコム』と名乗る。そして、アルカナ、イシル、ネムールの国王に要求する。それぞれの国王は王位を退いて貴族となり、マルコム皇帝ただ一人を、統一国家メグマール帝国の君主として戴くことを要求する」

 マルコムは腰の剣を引き抜くと、高々と天に掲げた。

 城門前に押し寄せた人々の熱狂が覚めることはなく、マルコム皇帝と叫ぶ声が何度も何度もこだました。城門の上からその様子を満足そうに眺めるマルコム、そしてジーン。

 メグマール地方は、ついに戦乱の時代へと突入したのである。

しおりを挟む

処理中です...