上 下
18 / 82
第一期 1話~40話

第十八話 ハーフリングの少女

しおりを挟む
 エニマ国の了解を得たので、俺はいよいよアルカナ川の工事に着手すべく、工事現場を視察することにした。そして治水工事の技師、警護の近衛騎士らと共にエニマ川の川岸を上流へと向かっていた。エニマ川が丘陵地帯の谷から出て流れが緩やかになるあたりまで川岸を遡って来ると、治水工事の技師が川を指さしながら言った。

「国王様、このあたりから取水すれば、深く掘り下げなくとも古い川筋に向かって水を導けるかと存じます。新たな水路の建設距離はおおむね五キロメートル、それと場所によっては古い川筋の川底を少し削る必要があるでしょう。なお、夏になりますと川の水量が増加しますので、水門にはかなりの強度が必要になると思われます。気を付けませんと水門が壊れて、エニマ川全体がこちら側へ流れ込んでくる危険性もあります。そうなると大惨事です」

「わかった。水門の設計は十分に時間をかけて万全を期して欲しい。まずは古い川筋に水を引っ張るための水路の掘削工事を先行させよう」

 俺は額に手をかざしつつ、馬上からゆっくりと周囲を見渡してみた。このあたりの土地は荒れており、地面は大小の丸い石で覆われている。掘削にはかなり苦労するだろう。スラムに集まっている人々を工事の労働者として採用するつもりだが、肉体労働の可能な若い男性でなければ役に立たないだろう。それでもおそらく二千人程度の労働力は調達できるはずだ。食料不足で痩せた人が多いので、どの程度の労働力になるか不安はある。

 キャサリンが周りを見渡しながら言った。

「なんて荒れた土地なんでしょう、悲しくなりますわね。・・・この不毛な大地を眺めているうちに、わたくし、無性に歌を歌いたくなりましたわ」

「歌だって? 何の歌だい」

「不毛の大地がよみがえることを願う歌、『豊穣の歌』ですわ」

 歌で不毛の大地がよみがえるわけないのだが、ああ見えてキャサリンは意外とセンチメンタルなのかもしれない。ここはキャサリンに気持ちよく歌ってもらうのが良いだろう。

「そうかそうか、それは実にすばらしいな。キャサリンの歌声で不毛な大地が蘇るよう、心を込めて歌ってくれ」

「そうしますわ」

 キャサリンが大きな声でゆっくりと歌い始めた。

 これが『豊穣の歌か』・・・うっ、なんとも、すさまじい音痴だ。不毛の大地が蘇るどころか死滅するではないか。どうしてこんな音痴が今まで放置されてきたんだ? ああそうか、お姫様だから、キャサリンの歌を止める奴が誰もいなかったんだな。むしろ「お嬢様は歌がお上手ですね」などと無責任におだてるものだから、本人はますます間違った自信をつけてしまったのだろう。

 しばらくすると歌い終わったのでホッとした。しかし今度は二番を歌い始めた。

「キャサリン、この歌は何番まであるんだ?」

「十番までありますわ」

 あと九番も聞かされるのかよ。これはもはや拷問じゃないのか。いや精神攻撃だ。自主規制音が必要だ。・・・うおお、頭がおかしくなる・・・。その時、ふいに近衛騎士の一人が前方の丘を指さして叫んだ。

「おい、あれは何だ」

 丘の上から巨大な生き物が十数匹、こちらへ向かって進んでくるのが見える。見た目はサイに似ているが、背丈は像ほどもある巨大な生き物だ。俺を防護するため近衛騎士が盾を構えて前方に隊列を組んだが、その顔に焦りの色がにじむ。

 それを見たキャサリンの歌が止まった。

「なな、なによ、何が現れたの?あんな化け物、わたくしが呼んだんじゃないわ。わたくしの歌のせいじゃないですからね」

 いや、あの歌声を聞いたらモンスターでも発狂するだろう。何しろ魔女が殺人音波を発していると勘違いされても文句は言えないレベルだ。モンスターがキャサリンの歌を止めに来たにちがいない。

 そんなバカを言っている場合ではない。あれほど巨大な獣に突進されれば、どれほど屈強な兵士が完全武装していたとしても弾き飛ばされてしまう。俺も恐ろしくなってきた。治水工事の技師たちが悲鳴を上げながら逃げ出した。ミックが馬で駆け寄ってきて言った。

「国王様、あれはブラックライノです。人前に姿を見せるのは稀なのですが、あれは凶暴で危険な猛獣です。お逃げください。この場は近衛騎士が引き受けます。近衛騎士!国王様が無事に逃げるまで時間を稼ぐのです」

「お兄様、早く逃げましょう」

 一行は緊張に包まれた。その時、ブラックライノの群れとは別の方角から、一匹のブラックライノが猛烈な勢いで走ってきた。よく見ると背中に小さな人影が見える。激しく揺れる背中から振り落とされまいと、必死にブラックライノの背中に生えている体毛を両手で握っている。その頭上には小鳥が円を描きながらついて来る。

「まってみんなー、待ちなさーい、止まりなさーい」

 その人影が高い声で叫んだ。どうやら少女のようである。その声を聞くとブラックライノの群れは立ち止まり、一斉に少女の方を向いた。少女は一行の近くまで来ると獣の背中から地面へ飛び降り、こちらに走ってくる。敵意はなさそうだ。

 少女は、ゆったりした作りの地味な茶色いワンピースを着て、腰のあたりをロープで結んでいる。頭にネコ耳の付いたフードを被り、とてもかわいらしい顔の女の子だ。

「おーい、驚かせてごめんなさーい。もう大丈夫ですよー」

 息を切らせて俺の前まで走ってきた少女は言った。

「こんにちは、私はナッピーって言うの。あなた達は誰?どこから来たの?」

 俺は馬を降り、少女に近づいた。

「私はアルフレッド・グレン。アルカナ国の国王だ」

「へえーすごい、アルカナの国王様なんだ。初めまして。でも、どうして国王様たちがこんな場所に来たの。ピクニックなのかな。でも、このあたりはブラックライノの縄張りだから不用意に近づくのはあぶないよ。ナッピーが止めなきゃ、今頃たいへんなことになってたと思うよ」

 見るからに子供といった風貌の小さな少女である。そんな彼女が巨大なブラックライノたちの群れを止めたのは驚きだった。

「ありがとう、お嬢ちゃんに助けられたよ。でも、お嬢ちゃんはどうやってブラックライノたちを止めたの?」

 少女は少し恥ずかしそうに答えた。

「ナッピーって呼んでいいよ、王様。ナッピーは動物とお話ができるの。なぜかっていうとね、私がハーフリングだからだって、みんなが言うの。人間とは違うんだって。ナッピーたちは、この川の上流の大きな森の中に住んでいるの。みんなは森からめったに出ないけど、私は元気だから森から時々出て遊んでいるの」

 この子が小人族ハーフリングか。ということは、どこから見ても子供に見えるが、これでも大人に違いない。俺は言った。

「動物とお話ができるなんてすごい能力だね、感心したよ。私がこの場所を訪れた理由は、あそこに流れるエニマ川から水路を作ってアルカナ王国の都に水を流すためなんだ。都では水が足りなくて作物が育たず、多くの人が食料不足で苦しんでいる。だから、エニマ川から水をわけてもらおうと思っている」

 少女はからだを左右にねじりながら言った。

「ふーん、王様たちは食べ物が不足しているのね。そういえばブラックライノたちも、このあたりは土地が痩せているから食料になる植物が少なくて困っているの。王都の近くに生えている草木を食べてもいいって約束すれば、水路を作るのを彼らが手伝ってくれるんじゃないかな。ナッピーが聞いてみようか」

 これは願ってもない申し出だ。食料不足でやせ細ったスラムの男たちに働いてもらうだけでは心配で、猫の手も借りたい状況だったからだ。どうみても人間の百倍は力がありそうなブラックライノが加勢してくれたら、工期を短縮できるだろう。

「それは大変ありがたい。もし彼らさえよければ、王都の北部の林や草原に移り住んでもかまわない。そこならここよりも土地は豊かだし、川が完成すれば彼らのために牧草地を整備してあげることもできるだろう。それでどうだろうか」

 ナッピーが言った。

「ライノたちに聞いてみるから、ちょっと待ってね」

 少女はブラックライノたちの方に向き直ると、目を閉じて黙っている。話をするというよりテレパシーのようだ。しばらくしてから少女が言った。

「手伝ってくれるそうよ。何をどうすればいいか私が彼らに説明すれば、そのとおりに動いてくれるって。よかったわね」

「ありがとう、本当に感謝するよ。ここで工事が始まったら、ナッピーにはブラックライノたちと一緒に工事を手伝ってほしいんだけど、やってくれるかな。もちろんお礼は十分にするよ。工事が完成したらおカネでもなんでも、欲しいものをあげるよ」

「わかったわ、国王様を助けてあげる。でも、おカネはいらないの。それよりナッピーは元気いっぱいだから、世界中を遊び回りたいの。国王様の住んでいるアルカの都も見てみたいし海も見てみたい。連れて行ってくれる?」

「ああ、もちろんいいとも。工事が終わったら王都に連れて行ってあげる」

「わああい、約束だよ」

「ところで、どうやってナッピーに連絡したらいいの」

「誰かがこの丘の近くに来たら、このピピが教えてくれるの。ピピはいつも私の上を飛んでいるから、近くに人が来たら直ぐにわかるの」

 少女の上を飛んでいた小鳥はピピという名前らしい。色や形はツバメに似ている。今はブラックライノの頭に止まって俺を見ている。ナッピーにお礼を言って別れを告げると城への帰路に就いた。

 帰りの道すがら、キャサリンが話しかけてきた。

「お兄様ったら、エルフの次は幼女を手懐けるの?ふーん、ふーん、お兄様にそういう趣味があったとは存じませんでしたわ」

「ち、ちがうだろ、幼女じゃなくてハーフリングだからな。見た目が幼女なだけで、実際の年齢は大人に違いない。年齢が大人だから、何の問題もないぞ」

「そうよね、ルミアナも見た目が若いだけで、本当は百歳を超えたお婆さんかも知れないのにね。男の人はすぐ見た目に騙されて、痛い目にあうのですわ。そうそう、お兄様は幼い頃に、きれいな女の人のせいでよく痛い目にあっていましたわ」

「なんだよ、また子供の頃の話か。で・・・どんな目にあったというんだ?」

「そうね・・・ある時、城のお庭できれいな貴族のご婦人方が数人、立ち話に興じていたのですわ。お兄様ったら、そのご婦人方に見とれて、つい、ふらふらと近づいたのですわ。そして、あるご婦人の連れていた犬のしっぽを踏んづけて、尻に食いつかれたの。おかげで食いついた犬をお兄様の尻から引き離すのが大変でしたわ」

「うーむ、どうも私は犬との相性が悪いようだな」

「さらに別の日には、とてもグラマーな農民の女性が牛を連れて居ましたわ。お兄様がその女性のお尻に見とれて、よそ見をして歩いていたものだから、そのまま女性の連れていた牛のお尻に頭から突っ込んで、顔が大変なことになりましたの。それから・・・」

「まだあるのかよ、まるきりアホではないか・・・キャサリンは、よくそんなに詳しく覚えているなあ」

「それはそうですわ、毎日『お兄様観察日記』を付けておりましたもの」

 観察日記なんか付けてたのか。子供のころから兄の行動を毎日監視して記録するとか、すごい執着だな。キャサリンの機嫌を損なったら、どんな秘密を暴露されるか、わかったものじゃないぞ。

 にしても、それは全部「アルフレッドの恥ずかしい秘密」であって本当は俺の秘密じゃないんだ。しかし、俺がアルフレッドに成りすましている以上は、やっぱり俺の恥ずかしい秘密なのか。もうわけがわからないぞ。

しおりを挟む

処理中です...