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第一期 1話~40話

第十三話 財源という呪いの言葉

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「問題は、アルカナ川の工事を進めるために莫大な費用が必要になることです。河川工事そのものに費用がかかることは当然ですが、他にも、スラムの住民に与えるための食料を買うおカネが必要になります。アルカナ川の完成までには一年から二年を要すると思われます。ですから、その間に不足する食料を他国から買い付ける必要があるのです」

 俺は大臣席に向き直るとヘンリーにたずねた。

「ところで財務長官、国庫の状況はどうですか?」

 ヘンリーは淡々と言った。

「王国の国庫に余分なおカネはまったくございません。それに、今あるおカネの使い道はすべて決まっております。ゆえに、陛下の仰るような大工事は不可能です」

「なんとかおカネの都合を付けることはできないのか」

「財源がございません」

 財源がない・・・これは転生前に俺が暮らしていた日本でも、さんざん聞かされてきた。この異世界でも「カネが無い」「財源がない」といって、国家の興廃を左右する重要な事業を簡単に否定する財務大臣がいる。しかしカネが無いからと言って何もしなければ状況は悪化するばかりではないか。

 国家におカネが無い場合、昔の国家、つまりローマ帝国や江戸幕府はどうしていただろうか。もちろん税金を集めるのも一つの方法だ。しかしそれだけではない。おカネが必要な場合は、国家がおカネを作っていたのである。

 そもそも、おカネはすべて国家が発行したものだった。おカネは自然に湧いてくるものではないので、国家が発行しなければおカネはこの世に存在しない。そうしたこともあって、昔の国家は鉱山で金や銀を採掘し、それで貨幣を鋳造し、そのおカネを支出して橋や道路を建設した。だから財源が無くても、国家がおカネを発行すれば、それが立派な財源になるのである。そこで俺は言った。

「国庫におカネが無いのであれば、新たにおカネを発行してはどうだろう。金貨や銀貨を発行して、それを財源にするのです」

「それもできません。おカネを発行するには金や銀が必要になります。しかし王国の鉱山から採掘できる金銀は量が少なく、現在王国で保管している金銀をすべて利用しておカネを鋳造しても、さほどの量は期待できません」

 この時代のおカネは金貨や銀貨である。だから金や銀のような貴金属がなければおカネを発行することはできない。その点、転生前の世界のように、紙で紙幣を作ればおカネを無限に発行することができる。アルカナ国でも紙幣が発行できれば良いのだが、この時代に銀行や銀行券という概念は存在しない。いきなり紙のおカネを発行すると言えば大騒ぎになってしまうだろう。いまは借り入れるしか方法はなさそうである。仕方なく俺は言った。

「やむを得ない、金貸し商からおカネを借りる手配をしてください」

 ヘンリーは軽くため息を吐くと、呆れたような口調で言った。

「しかし、我が国はすでに膨大な額の借金を抱えております。これ以上に借金を増やしますと国家の信用が損なわれてしまいます。アルカナの信用を無くすおつもりですか」

 これだ・・・二言目には「国の信用」という。まるで家庭と同じように、国の信用が借金の有無で決まると思っているのである。

「それは違う。食料を生産できずにアルカナが衰退すれば、借金を返すことすらできなくなる。それこそ信用を失ってしまうだろう。逆に借金が増えたとしても、アルカナ川を復活させることができれば農産物の生産量が増加し、国家収入が増えることで借金を返済できるようになる。つまり『国家の経済力が国家の信用を高める』のだ。単純に借金が多いとか少ないとか、そういうカネの話だけで国家の信用を判断することは大きな間違いだ」

「・・・承知いたしました、陛下」

 表情を見れば、ヘンリーがまったく納得していないことは明らかだった。いつの時代であっても、財務の役人はおカネの収支が最優先である。その結果として国家の経済がどうなろうと、国民の生活がどうなろうと関係ない。収支さえ合えば自分の立場は安泰なのだ。

 俺は貴族たちに向かって頭を下げた。

「お見苦しいところをお見せいたしましたが、これが王国政府の現状です。誠に心苦しいのですが、お願いがあります。もうお分かりのように王国にはおカネがありません。おカネを貸していただきたいのです。もちろん利息を一割付けてお返しいたします。計画通りにアルカナ川が完成すれば、必ず王国農場の生産量が増加しますから、間違いなくお返しできます。もちろん、今ここでお貸しいただける金額をお約束いただく必要はありませんので、領地にお戻りになってからご検討くだされば結構です」

 会場にはしばらく沈黙が続いた。ため息も聞こえてくる。懐事情にゆとりがないのは、どこも同じである。姉の嫁ぎ先であるコナー家の当主アンディ・コナーが言った。

「わかりました、協力いたしましょう。王国の利益は我々の利益です」

 ジェイソンは横目でちらっとアンディーを見てから言った。

「もちろん、私も喜んで協力させていただきます、陛下」

 その様子を見て他の貴族たちも次々に協力を申し出た。どの程度のおカネを調達できるかわからないが、高利貸しから借りることを思えば、本当にありがたい。

 俺はゆっくりと貴族達を見渡しながら言った。

「皆様、本当にありがとうございます。工事の費用につきましては、皆様からの借り入れと、金貸し商からの借り入れで賄うこととします。それでは、特に反対が無ければアルカナ川工事計画およびたい肥の製造計画を推進したいと思いますが、いかがでしょうか」

 貴族会議議長のジェイソンが言った。

「どなたか、陛下の政策に反対の方はおられますかな?」

 反対意見は出されず、貴族会議は無事に終了した。帰り際に多くの貴族が俺のもとに来てアルカナ川の復活事業を口々に褒め称えた。もちろん、どこまでが彼らの本心なのかわからない。一人の貴族が発言したように、アルカナ川が復活して直接の恩恵を受けるのは王国政府だけであり、他の貴族の懐が肥えるわけではないからだ。彼らにとって国家とは私利私欲のために存在する。

 キャサリンも同席していたが、今回はおとなしく聞いているだけだった。

「むずかしくて話がわからないですわ。おカネが無くて困っているということだけはわかりましたの。なんでおカネなんかにアルカナ王国が振り回わされなきゃならないのかしらね」

 まさにそのとおりである。なぜおカネを発行できるはずの国家が、おカネが足りないと言って振り回されなきゃならないのか。いずれ王立銀行を設立して、国家が自由におカネを発行できる仕組みを整えよう。兎にも角にも一つのヤマ場は越えた。疲れ切った俺は会議室を後にした。

 ーーー

 数時間後、ここは王都にあるジェイソンの別邸である。部屋にはレスター、ジェイソン、そして財務大臣のヘンリーの三人が居る。

「毒殺に失敗するとは何たるざまだ、ジェイソン」

 レスターが苛立ちを露にしてテーブルに拳を打ち付けた。ジェイソンはレスターの言葉に眉をひそめたが、怒りの感情を押し殺して冷静に答えた。

「アルフレッド陛下毒殺の件は入念に準備したのですが、結果として失敗してしまい誠に申し訳ございません。料理人が毒の使い方を誤ったようです」

「失敗しただけではない。これまで優柔不断で無能だったアルフレッドが、毒から回復したとたん、まるで人が変わったように精力的に活動しているというではないか。毒薬ではなく、能力向上のポーションでも与えたのか」

 ヘンリーが両手を広げながら言った。

「まあまあ・・・、レスター様のお気持ちもわかりますが、そう焦りなさいますな。急いては事を仕損じると申します。暗殺のチャンスは、まだまだこれから幾度もございます」

「そうかも知れないが、私は一刻も早く王位に就きたいのだ。私は待たされるのが大嫌いだ。こんなことでは、ジェイソンの望みも到底叶わないぞ」

 レスターは興奮して部屋の中を歩き回り、気が収まらない表情でしばらく言葉を探していたが、やがて諦めると立ち止まり、大きく深呼吸してから言った。

「そのとおりだ、言いすぎて悪かった。次こそは吉報を待っている、頼んだぞ」

 ジェイソンが深くお辞儀をするとレスターは振り返ることなく急ぎ足で部屋から出て行った。レスターの足音が聞こえなくなったことを確認すると、ヘンリーがジェイソンの傍に来て小声で言った。

「いやはや、ジェイソン様、苦労させられますな」

「なに、たいしたことはない。私としてもアルフレッドを亡き者にして、アルカナ川の工事とやらを中止に追い込まねばならないからな。」

「それはまた、どうしてですか」

「簡単な理由だ。いま王都では穀物が不足している。だから我が領地で収穫される穀物が王都で高く売れているのだ。そのおかげで莫大な利益が生まれている。もしアルカナ川が復活して王都の食料が潤沢になれば、穀物価格は下落してしまう。そうなれば私の利益が大きく損なわれてしまうのだ。アルカナ川が完成されては困るのだよ」

「なるほど。穀物が不足しているからこそ我々が儲かる。貧しい社会だからこそ我々が得をするというわけですな」

「そのとおりだ。昔から商人は買い占めによってモノ不足の状態を作り出し、価格を吊り上げて大儲けしてきた。金貸しだってカネのない連中が多いほど高い金利を要求できる。すなわち、持つものは権力を握り、持たざる者を支配できる。貧しい者はカネのために何でも言うことを聞くようになる。たとえそれが人を殺す仕事でもだ。これほど素晴らしい社会があるだろうか。民は生かさぬよう殺さぬよう、それが支配の王道だ」

「あの青臭い国王にはそれがわからないと」

「そう、まるでわかっていない。理想主義に頭がのぼせている。だから危険なのだ。なに、次はもっと直接的な方法を考えてある。次こそは必ず亡き者にしてやろう。ヘンリーはこれまで通りアルフレッド国王の動きを常に監視して私に報告してくれ」

「もちろんでございますとも。ジェイソン様こそ、この国の影の支配者にふさわしいお方です」

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