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3.やめたらいいのに、あんな女

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 都合よくちょうど侍女が「エステル姫のお部屋の準備が整いました」と伝えに来てくれたので、ブランカは半分事務的にエステル姫を客間まで案内し、そしてそそくさとおいとましてきた。

 ブランカが退出するとき、エステル姫が笑顔で「では、例の件よろしくね」と念を押すので、ブランカは陰鬱いんうつな気持ちになった。
 なんか厄介な妖怪に出会った気分だった。
 最初は『魔物にさらわわれたお姫様』とかいうドラマチックな話に感動したけれど、ふたを開けてみたらただの騎士への愚痴だった。

 なんか、あれかなあ? “救い出してくれる騎士”に期待しすぎちゃったのかな? かっこよくて優しい白馬の王子様を夢見ちゃってた? それで、理想と現実のギャップに怒っちゃったとかそんな感じ?
 だって、あれでしょ? 魔物の世界にいたんだもの、エステル姫、絶対恋愛経験ないでしょ? いや、え? もしかしてあるの? 魔物と恋愛とかだったらあるの? え? そっち? 魔物との恋愛経験が凄すぎて一介いっかいの人間の騎士なんか相手にできないとか、そういう? ……いやいや、なわけないだろ。

 ブランカの頭の中は取り留めのない妄想もうそうでわけ分かんないことになった。

「やめよう」
 ブランカはぶんぶんと妄想を振るい払った。
 しかしブランカはまだ心の中で首をかしげている。なんだか自分まで巻き込まれたことがやっぱりに落ちないのだ。
「騎士と結婚したくないとか、自分で言えばいいのに。なんで私が言うことになってんの?」

 果たしてどうしたものかとぼんやり思いながらブランカが自室へ向かって歩いていると、何やら曲がり角の向こうで人の声がする。
 あの大きな声はお父様だな~、何を騒いでいるのやら、と思っていたら、
「まったくもう、うちのブランカはどこに行ったのやら!」
と聞こえる。どうやらブランカを探しているようだ。

「あ、お父様、私はここに」
とブランカが小走りで角を曲がると、そこには父デイモンド子爵と、見た事のない一人の精悍せいかんな騎士がいた。
 ブランカは(あ、これが例の騎士だな)と思って、エステル姫からおおせつかった任務の重圧にげんなりした。

「おまえ、せっかくの客人になんて顔をしているんだ」
 デイモンド子爵がブランカをたしなめる。

「あー、えーっと、私はブランカ・デイモンド。娘です。で、こちらがウィルヘルム様ですね?」
 ブランカがそう挨拶すると、デイモンド子爵は驚いた顔をした。
「なんでウィルヘルム殿の名前を知っているんだ」

 ブランカは苦笑する。
「さっき中庭でエステル姫にお会いしました。軽く事情をお聞きしたんで」
 軽くどころがだいぶ込み入った話もあったけど、と心の中で少し毒づく。

 しかし、その場にいた騎士は無邪気むじゃきに顔を高揚こうようさせた。それはまるで『エステル姫』という名前に無条件に反射しているかのようだった。
「そうですか、エステル姫に! 私はウィルヘルム・マクレーンと申します。このたびはこちらの城で少々お世話になることになりまして」

 ブランカは、騎士の純真さと先ほどのエステル姫の愚痴ぐちとが同時に思い出され少し心苦しくなったが、表面上は笑顔をくずさずに答えた。
「はい。歓迎いたします。たいへんな旅でしたでしょう。私もできるかぎりのことはお手伝いさせてもらえたらと思っていますので」

「ありがとうございます。デイモンド子爵もたいへん親切にしてくださるのに、ブランカ様までそのように言ってくださるとは」
 ウィルヘルムは、まさかブランカがエステル姫から自分の悪口を聞かされているとは思ってもいないので、さわやかな笑顔でお礼を言った。

 ブランカはウィルヘルムの屈託くったくのない笑顔を見ながら、なんだか陰口を言われてかわいそうだな、と思った。

 デイモンド子爵は、ブランカの心内など全然わからず、にこにこしたまま、
「ブランカ、ウィルヘルム殿も疲れていると思うのだ。ウィルヘルム殿を客間に案内して差し上げてくれ」
と上の方を指差した。

 上の方……その指し示された方向には、先ほどエステル姫を案内した客間がある。
 ブランカは慌てて答えた。
「あー、お父様、その客間ってもしかしてカサブランカの? それはダメよ、さっきエステル姫を案内したわ」

「なに? エステル姫と一緒……。あ、いや大丈夫じゃないか、ウィルヘルム殿とエステル姫は結婚なさるのだから、むしろ──」
 デイモンド子爵がまるでさも名案かのようにうんうんうなずき始めたので、ブランカはぶんぶん首を横に振って、
「だめです!」
と大きな声を出した。
 繰り返すが、ブランカはエステル姫がウィルヘルムを毛嫌いしている様子を知っているのだ。

 が、こちらもまた天真爛漫なデイモンド子爵は、に落ちない顔をしている。
 だからブランカは
「あ、ほら、まだ結婚してないでしょ」
と理由をこじつけた。

「え? あ、ああ、そっか、まだね」
 デイモンド子爵はてへっと首をすくめた。ウィルヘルムの方も黙ったまま少し顔を赤らめた。

 ウィルヘルムの否定しない様子や素直な照れ方を見て、ブランカは脱力した。これは絶対エステル姫と結婚する気でいる。こんな純粋に結婚を信じている人に、「エステル姫は結婚する気ないわよ」とか言うの? 私、鬼畜きちくじゃない?

「ブランカ?」
 デイモンド子爵が黙ってしまったブランカを怪訝けげんそうにのぞき込んだので、ブランカははっとして、
「あ、すみません、他の客間に通そうと思ったのですが、どの部屋にしようかと」
と慌ててそれっぽい言い訳をした。

「オールドローズのでいいでしょうか」
 ブランカはエステル姫の客間からできるだけ離れた部屋を提案した。

 デイモンド子爵は余計に怪訝けげんそうな顔をする。
「ええ~? わざわざオールドローズの? カサブランカのから遠いじゃないか。もっと近い方がいいんじゃない?」

 しかしブランカは父の発言を無視すると、侍女に手早くルームメイクを言いつけ、
「私が案内しますわ。どうぞ一緒にいらして」
とウィルヘルムに言った。

 デイモンド子爵は何だか不満そうな顔だったが、黙ってブランカとウィルヘルムが歩き出すのを見送った。その視線は、なんだか心配そうにそっとブランカの背中に注がれていた。

 二人きりになると、ブランカは少し冷静になって、ふうっとため息をついてから、
「ルームメイクまで少し時間がかかりそうですから、城を案内しながら行きますわ」
とウィルヘルムに言った。

「ありがとう。何から何まで」
 ウィルヘルムは礼を言った。

 この騎士は決して悪い人じゃなさそうなのだ。礼儀もそれなりにちゃんとわきまえているのだ。
 それに、彼のした偉業と言うのは本当にとてつもないものだ。
 なにせ、この10年、誰も達成できなかったのだから。

 ブランカは尊敬の念を込めて、そっとウィルヘルムに話しかけた。
「しかし、ウィルヘルム様が姫をお救いなさったのは、本当に奇跡だと思います。幼いエステル姫を助けるためには当時大掛かりな討伐隊が組まれたと聞きました。相当屈強くっきょうな騎士たちが大きな期待を背負って旅立ったと。そんな国王の威信をかけたような計画ですら成功しなかったのですから」

 ウィルヘルムは『討伐隊』という言葉を聞くと、ほんの少しぴりっと背筋を伸ばした。
「そうですね。若いご婦人の前でこんなことを申し上げてよいものか迷いますが、この旅の途中でも旅路でも、その……彼らの亡骸なきがら……の一部とか……、そんなものをあちらこちらで見かけましたからね。犠牲の大きさや、自分がいかに幸運かを実感いたします」

 ブランカはぎょっとした。生々なまなましさを感じて一気におそれをなした。
「あ……」

 そんなブランカの様子を見て、今度はウィルヘルムが慌てた。そこで言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。
「ああ、すみません、やはり少々言い過ぎましたね。でも、私は先人たちの犠牲を忘れたくないので、このことは人々にぜひ伝えていきたいのです。もうほとんどの人の中では過去になってしまったのかもしれませんが、『魔物の討伐隊』、その一言で片づけるにはちょっと甘くない現実と申しますかね。派遣された騎士たちの無念を思うと」

 ブランカは「ああ」と思った。ウィルヘルムの言葉はもっともだと。
「私はそこまで考えが至りませんでした。ウィルヘルム様のおっしゃる通りですわ。おひとりで旅立たれ今回のことはすごい奇跡なのかもしれませんが、その陰にはたくさんの犠牲が……」

 ウィルヘルムは固い顔をしてうなずいた。
「当時の魔物の討伐隊は国のシステムを守る上で必要なことだったのでしょう。魔物に簡単に生命がおびやかされては心安こころやすらかに生きていけませんから。だからそれに従事する人が必要なのもよく分かります。でも、国のために犠牲をいられているのは騎士たちだけだとは思いませんが、散っていった騎士たちの決死の覚悟はもっと知られてほしいです」

「そうですね」
 ブランカもウィルヘルムの言葉に大きくうなずいた。

 そして深い感慨に引き込まれると同時に、一方ではエステル姫がそういったことに全く無頓着むとんちゃくな様子を思い出し、ウィルヘルムのむくわれなさをなげきたくなった。
 ブランカはその思いを振り切るように、
「ウィルヘルム様も? その……決死の覚悟というのを?」
と尋ねた。

「ええ。正直なことを言うとね、旅に出たのはもっと軽い気持ちだったんです。『王女様を助けるぞ──』とか『自分が全てを解決するんだ──』とかね。でも、旅先のふとしたところで出会う無言の先人たちを見て、この数々の物語をきちんと語るために生還しなくてはと思うようになったんです。そこからはもっと自分の命に慎重になって、だいぶ遠回りなこともしたかもしれません。絶対生きて帰るって、いろいろと工夫もしました。……まあ、なんてかっこつけてますが、現実を見て死ぬのが怖くなっただけかもしれません」
 ウィルヘルムは少し恥ずかしそうに笑った。

「この冒険に人生を賭けたということですね」
 ブランカがぽつんとそうつぶやくと、
「そうですね。一生を賭けた冒険だったと、振り返るとそう思いますね」
と、ウィルヘルムはそれだけは本当だとばかりにうなずいた。
 それから
「すみません、少し真面目な話をし過ぎました」
とブランカにびた。

「いえいえ、大事なお話をありがとうございます。私はエステル姫にお会いして、とにかくハッピーな冒険物語を想像して興奮したんですわ。実際には困難を前にえ無く果ててしまった命があることを、一生を賭けるという言葉の意味を忘れていました。想像力が足りませんでしたわ」

「いえいえ、そんな風に言ってもらえると、逆にこちらが恐縮です。でも、そうですね、うん。実は、分かってもらえて嬉しいです。エステル姫はあまりそういったことに関心が無さそうでしたので……」
 ウィルヘルムは少しだけ寂しそうに笑った。

「あ、ああ……そうでしょうね」
 ブランカは慌てて笑顔を取りつくろう。

 ウィルヘルムはブランカの表情を見て、今度こそ本当に言い過ぎたと思ったのが、
「でも仕方がないことだとも思うので、それはまあ、いいんですけど。彼女は王女で、騎士でもなければ、一生を賭ける冒険も彼女には必要ありませんから」
と、エステル姫をかばうように、そして自分を納得させるかのように、そう言った。

 ブランカは冷や汗をかきながら、ウィルヘルムの話にのっかってやる。
「だ、大丈夫ですよ、きっとエステル姫も分かってくださいます。エステル姫の方だって、魔物にさらわれたなんて、これが大冒険でなくて何だというのです」

「そう言ってくれますか。優しい方だ」
 ウィルヘルムは微笑ほほえんだ。そして明らかにホッとした顔をした

 その顔を見ると、急にブランカはまた心苦しくなる。
「え、いや、優しいっていうか……」
 ブランカは困ってしまった。
 こんな真面目そうな、とっても誠実そうな騎士に、「あなたがパッとしないからエステル姫は結婚しないって」って言うの? 気の毒じゃない? なんかやっぱりこれ、エステル姫が間違ってない?

「もっと私が頑張れば、エステル姫は振り向いてくれるでしょうかね」
と、急にウィルヘルムが言い出したので、ブランカはドキッとした。
「え、ええっと、な、なんで急にそんなこと」
 ブランカは口籠くちごもってしまう。

「あ、いや実は、まだあんまりエステル姫と打ち解けてなくて。私は、お恥ずかしながら、あんまり女性の気持ちが分からないから」
 ウィルヘルムが本当に恥ずかしそうにうつむきながら言った。

「あー。エステル姫の気持ち……」
 ブランカはなんかかわいた声が出た。

「ええ。私は一生をかけて、今度は彼女に相応ふさわしい男になろうと思っています。その気持ちだけでも伝えられたらいいんですけど」
 ウィルヘルムは照れていたが、その声には強い意志が宿っていた。

 一生を賭けるって。一生を賭けた冒険から生還した男が、今度はエステル姫に一生を賭けるつもり? どうせならもっといいことに賭けたらいいのに。

「やめたらいいのに、あんな女……」
とブランカは思った。

 突然ウィルヘルムがはっと息を呑んだので、ブランカはぎょっとした。ウィルヘルムと目が合って気づく。
 あれ、私、今の口に出ちゃってた!?
 しまった!!!
 慌てて口を押えたが、出てしまった言葉が戻るわけがない。

 ブランカはたいへん気まずい顔で
「す、すみません、あの、決して本心では……」
と何やら訳の分からない言い訳をする。

 ウィルヘルムはたいへん驚いた顔をしていたが、何か言おうとして口を開いた。しかし言葉にならない。
 まさかブランカの口からこんなひどい言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。当のブランカだって口から出るとは思わなかった!

「あ、いや、とにかく、すみませんっ!!! わたし、あの……いや、もう本当にすみませんっ! 何を言っているんだか……」
 ブランカは平身低頭へいしんていとう、とにかく謝りまくった。

 ウィルヘルムは口の端だけをゆがめて苦しそうに笑い、ブランカをとがめるようなことは何も言わなかった。

 ブランカはめいっぱい頭を下げ、そして無言でウィルヘルムを促すと、オールドローズの客間へ足早に案内した。


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