テンシを狩る者

小枝 唯

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夢の天使

見えた翼

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 リーラがルチナと館に帰ってきてから、2日が経った。リーラは今、教会の医務室のドア横の壁に背中を預け、スマホを耳にしていた。通話相手はマスター。亡霊からテンシを作り上げたという異例を報告するためだ。当事者であるルチナは今、医務室でレーレに検査をしてもらっている。
 ルチナの証言からして、夢の天使は明らかに別の目的があって、魂をテンシ化させた。しかもそれはリーラに関係する事。マスターは画面の向こう側で、これまでにない事例に長い間考え込んでいる。いや、言葉は決まっているが、尋ねるかを迷っていると言ったほうが正しい。

『キミの夢は……今が続く事』
「よくご存知で。だがそれは、願いや望んだ事に近い」
『そうだね。それに、夢の天使とルチナの関係性は見えない。彼女は、過去の人だから』
「アナタにしては回りくどいな」

 リーラはククッと笑う。マスターはその言葉と笑い声の真意を理解した。リーラは尋ねろと言っている。尋ねてくれれば、他の誰にも言い淀む言葉を、仕事のためと割り切って言えるから。その口実が欲しいのだ。

『キミのまだ叶っていない夢は、なんだい?』
「ワタシの、不完全な夢は──大事な人の最期を、看取る事だ」

 リーラは壁に、トンと頭をぶつける。ああ、言ってしまった。二度と口にしたくなかった夢だ。
 リーラは幼い頃、食事を与えられずとも、人間で言えば致命傷とも言える傷を負っても、死ななかった。周りの孤児たちは成長していくのに、全く変わらない自分の姿。まだ悪魔や天使を無縁だと思っていて、どちらの血も流れているなんて思いもしない頃だったが、薄々人間とは違うのだと理解はしていた。
 そして初めて他人から愛され愛するようになった時、いずれ彼らは自分を置いて死ぬのだと、漠然とした悲しみを覚えた。だから、夢を尋ねられた時に言ったのだ。彼らの最期を、安らかな寝顔をせめて見届けたいと。

「些細な夢さ。本当に……些細な」
『ああ、リーラ。僕も人じゃない。キミがその夢を抱いた理由は分かるよ』

 それは不完全に叶った。天使の手によって、強制的に。リーラは記憶力はいいほうだ。しかしどうしても、みんなを殺した天使の顔だけ思い出せない。どんな見た目で、どんな顔だったのか。そもそも天使は人間が美しいと感じる姿で現れる。姿形は自由に変わるのだ。

『キミはその夢を不完全と言ったね?』
「……ああ。あの時、ルチナは居なかったんだ」
『なるほどね。ずいぶんな嫌がらせだ』

 本当に、最悪な嫌がらせだ。夢の天使がわざわざ、ルチナをテンシとして実体を与えた理由。それは、リーラの看取りたいという夢を完全に叶えるため。天使がリーラの夢も叶うと言った意味からして、そうと断言できる。当時の大事な人は、ルチナ以外は、あの教会で看取った。そう、ルチナだけなのだ。リーラが看取らずに死んだ者は。
 夢の天使は、リーラにルチナを看取らせる気でいる。バケモノ化させたルチナを、他ならぬ彼女の手で殺させて。リーラはどんな相手でも、理性を失ってバケモノとなったテンシは始末する。それを狙って、彼女の傷を抉ろうとしているのだ。
 リーラは思わず、壁を勢いよく殴る。何が天使だ。やっている事は何よりも残酷じゃないか。

「これ以上、姉さんに手なんて出させない」
『まずは、彼女がバケモノ化してしまわないよう、注意が必要だね。心を保たせなければ』
「……なあマスター、おそらく今話したのが夢の天使の目的だ。アナタもそう思うだろう?」
『ああ、それで間違いないと思うけど。どうしたんだい?』
「ワタシは一つ、分からない事がある」
『? それは何?』
「なぜワタシの感情を揺さぶろうとするか、だ。たしかに、器になった先生との関係性は強いが、楽園化に関係があるとは思えない」

 リーラのため息混じりの疑問に、マスターの返答はすぐになかった。それは画面の向こうで少し驚いているからだ。リーラが自分をテンシ狩りの鬼門であるのを、理解していない事に。
 まず天使たちは、テンシ狩りで厄介な戦力であるリーラを壊そうと動いている。心にある深い傷痕を突かれ壊れれば、簡単に足元をすくわれる。そうなれば狩人の勢力はずいぶんと変わるのだ。もちろん他の代表も強いが、彼女の血と力はテンシ狩りに必須だ。
 しかし彼女は自分の強さを自負してはいるが、いかんせんそれを自信に繋げてはない。1人残さないという確信をせず、絶対に恋人や家族を持たないくらいに。
 大事な存在、ギヴァーの器となった牧師に唯一残された。その経験が、保身に走らせるのだろう。だがその過去があるから、彼女の強さが成立するというのもある。なんとも人生は残酷なものだ。

『キミの存在は、唯一無二だ。それにキミの弱いところを、相手はよく知っている』
「まあ、そうだけど」

 リーラは納得いかない様子だ。彼女の必要性をそのまま言葉にするのもいいが、あえて気づかせない方が保てる。蓋をして鈍くさせた心は、そのままの方がいい。残忍かもしれないが、マスターは全員の安全を考える必要がある。そのために個人的思考は、ある程度抑えなければいけない。無事に楽園化を阻止し、みんなの平穏を守るためには。

『リーラ、もしもの時は』
「分かってるよ。アナタも心配性だね」
『備えあればなんとやらって言うだろう?』
「ふふ、その通りだよ」

 この職に就いて、大事な仲間ができた時点で覚悟をしている。仲間を撃ち、大事な人も殺す覚悟を。

「そろそろ切るよ。また連絡する」

 画面を耳から離し、画面の通話ボタンをタップする。スマホの向こう側で、不思議そうにこちらを見上げるルチナが居るのに気づいた。

「やあ、お疲れさまルチナ」
「その板はなぁに? それとお喋りできるの?」
「スマートフォンって言うんだよ。近代の電話機さ」
「へぇ、不思議!」

 リーラは変なところを触らないのを約束に、ルチナに持たせる。ルチナは自分の時代に無かった物に興味津々で、ただ画面を左右にスワイプするだけで「まるで魔法ね!」と興奮した。

「ルチナー!」
「健診お疲れさまでした。お迎えに来ましたよ」

 楽しそうにするルチナに声をかけたのは、蝶子とリーベ。レーレが診察を終えたから迎えに来いと連絡を入れたのだ。ルチナはスマホに満足したのか、すぐリーラに返した。

「じゃあ、先に戻ってゆっくりしていてくれ」
「分かりました」
「リーラはお話があるの?」
「先生と少しね。すぐワタシも戻るよ」
「おやつの時間なんだ。ルチナとリーラの分もあるぞ」
「あら、なら急がないといけないわね。せっかくのおやつが勿体無いもの」

 リーラは2人と手を繋いで廊下を行くルチナへ、手を振って見送った。
 ルチナは過去と言えど、赤子の頃から教会に住んでいた。だから道は完璧に覚えているし、付き添いなんて必要ない。それでも蝶子とリーベに来るよう頼んだのは、できるだけ1人にさせないためだ。
 小さな3人の背中を眺めていると、部屋の中からレーレに呼ばれる。診察室に入り、リーラは隅にある白いソファに腰を下ろした。

「で、お前らの上司はなんだって?」
「結論、ルチナは他の子たちよりも、バケモノ化する可能性が高い」

 葉巻に火をつけ、深く吸って紫の煙を吐きながら、リーラは「ワタシに殺させるためにな」と笑って付け加えた。レーレはカルテを書きながら「悪趣味だな」と鼻で笑う。

「その割に、ただのテンシだぞ。とくに異常は見当たらない」
「それはそれで怖いがね。何か仕掛けがあるか」

 データは正常のようだが、夢の天使は確実に何かを企んでいるだろう。ルチナをバケモノ化させず、夢の天使自体を討伐する必要がある。相手の計画を崩すには、少しの変化でも警戒しなければならない。

「ルチナの記憶についてはどうだね?」
「自分が死んでいたという自覚を持ち始めてるな。ただ、魂であった頃の記憶はないみたいだぞ。ま、死後残った魂だから無理もないな」
「ふむ……明日も頼むよ」

 レーレは返事の代わり、コピーしたカルテを渡す。リーラは受け取ると小さくたたみ、礼言って診察室をあとにした。

───                **───                    **

 教会の古い壁が続く廊下。小さな汚れや傷。全てがルチナにとっては懐かしい。自分の部屋には絵を描く用の画用紙がたくさんあった。文字の少ない絵本も。打って変わって、リーラの部屋には子供が読むには難しすぎる本が敷き詰められていた。彼女はいつも、器用に1人で読んでいた。
 ルチナが足を止め、手を繋いでいた2人は体を引っ張られる感覚に立ち止まる。

「どうしました?」
「2人は、リーラが大好きよね?」
「もちろんだ!」
「……じゃあ、私のお願い、聞いてくれる?」
「お願い?」
「あの子と、ずっと一緒に居てあげてほしいの」

 蝶子とリーベは思わず顔を見合う。まるでそこに、自分が居ないかのような言いようだ。

「ルチナも一緒だぞ!」
「そうですよ。リーラさん、ルチナさんに会えてとても喜んでたし……」

 ルチナは微笑みながらも、静かに首を横に振る。

「私は、過去の存在だもの」

 記憶が戻って、自分の夫や子供、孫を思い出した。そして自分が歩んできた人生も。ハッキリと記憶を思い出したからこそ、そう思うのだ。確かにリーラに会いたくて、一目見たいがあまり、魂がこの世に留まるくらいには未練となっていた。

「あの子は、幸せから逃げる子なの。だから心配してた。貴方たちのために話さない事もあるだろうけど……でも、あの子は今、ちゃんと幸せなの。それが知れて、私はすごく嬉しいわ」

 だから、過去である自分は必要ないのだ。そしてきっと、自分の存在はリーラにとって良くない。なんとなくそれが分かる。本来、もう関わるはずのなかった存在なのだから、いいわけがないのだ。
 ルチナはぎゅうっと2人の手を握る。

「あの子の幸せを、守ってあげて。リーベ、チョウコ。今を生きて、リーラと歩ける貴方たちにしか、頼めないの。あの子は今を生きている。私に引っ張られちゃ、いけないのよ」

 蝶子は頷けずに戸惑う。しかしリーベは、自分とそう変わらない小ささの手を、ぎゅっと握り返した。

「みんな、リーラのことが大好きだ。だから、大丈夫だ」

 ルチナは鮮やかなエメラルド色をした瞳を弧にし、嬉しそうに頷いた。その瞬間、リーベは自分の目を疑って何度も瞬かせる。今、ルチナの背中から眩しい翼が見えた。しかしそれは、瞬きをし終えると消えた。

「どうかした? リーベ君」
「今、ルチナの背中に……」
「あら、何か付いてたかしら?」

 汚れだと思ったのか、ルチナは少し恥ずかしそうに服を引っ張って背中を見る。蝶子も見てみたが、とくに汚れも無ければ、リーベが見た翼なんて存在しない。気のせいだったのかと、リーベはただ首をかしげた。
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