テンシを狩る者

小枝 唯

文字の大きさ
上 下
51 / 60
夢の天使

2つの血

しおりを挟む
 ドイツの空港に着いた頃には、太陽が真上に昇りかけている。リーベは時差をとても不思議がり、窓からの景色に釘付けになっていた。次々と新しい飛行機に夢中になるところは、少し少年らしい。リーラに呼ばれて体は素直に離れたが、視線は窓の外へしばらく張り付いていた。

「逸れるんじゃないよ。日本とは治安が違うんだ」
「ちあん……」

 リーラの手を握り、リーベは少し不安気に彼女の腰にくっ付く。代表の集会で使ったイヤフォン型の翻訳機を耳に付ける。基礎英語は学んだが、まだ日常生活を送れるレベルには達していない。
 緊張しているリーベの頭をぽんぽんと撫でながら、リーラは辺りを見渡す。

「さて……迎えが来ると思うんだがね」
「あの方たちですか? こっちに来ているような」
「ん?」
「リーラ!」

 蝶子が示した場所に振り返った瞬間、リーラの体が吹っ飛んだ。何事だと思って見れば、倒れた彼女にゾネが抱き付いている。
 初対面の蝶子は、激しく腰元で揺れる真っ白な尻尾に驚いている。すると、彼女の少し後ろで、もう1人が立ち止まった。

「ゾネ、場所をわきまえろと言ったはずだ」

 緩く前髪をかき上げた、スーツ姿の男は呆れてため息を吐く。しかしゾネはそんなギャレンの叱責など、全く耳に入っていない。喉の奥からきゅーんと声が漏れている。

「申し訳ございません、リーラ様。一応、抑えていたのですが」
「はは、まあ予想はできていたよ」

 リーラはその場でひとしきり撫でてやり、急いで駆け寄った蝶子の手を借りて起き上がる。ゾネは「お退き」と言われると、少し残念そうに、それでもすぐに立ち上がった。
 するとゾネは蝶子の存在に気づき、金色の目をパチクリする。そして知っている匂いに鼻を動かし、蝶子を確かめるように嗅ぎ出した。

「わ、わぁ」
「ゾネ、以前話したテンシの子だ。仲良くね」

 ゾネはそう言われて、吸血事件のテンシだと思い出す。しばらく警戒するようにじーっと見つめられた蝶子は、戸惑いながらも微笑んだ。怖がるでも嫌がるでもないその反応にゾネはキョトンとし、差し出された手を少し嗅いぐと、控えめにぺろっと舐める。

「チョウコ君、この子は狼男のゾネだ。すまない、手を舐めるのは癖で……警戒しなくていいと理解した時にする行動で」
「本物のケモ耳……!」

 蝶子は赤茶の瞳を輝かせ、そっとゾネの頬に触れる。ゾネは一瞬体をビクッと跳ねさせたが、彼女の撫で方が気に入ったのか、すぐ耳をたたみ、尻尾を振った。

「キミが楽しそうで何よりだ」

 全く気にしていない様子に、リーラは安堵しながら可笑しそうに笑う。隣に立って様子を見ていたギャレンは、顔を唖然とさせて驚いていた。

「ぞ、ゾネが一瞬で懐くとは……。彼女には調教師のセンスがあるのではないか?」
「ちょーきょー?」
「!」

 ギャレンは少し下の方から聞こえる声にハッとし、視線を向ける。不思議そうな、黄色と緑が混ざった丸い瞳が、こちらを見上げている。純粋そうな視線に、彼は慌てて咳払いをする。

「君が気にする事ではない」
「ギャレン、こちらへ」

 リーラに呼ばれ、ゾネと彼女をはさむ形で隣に立つ。

「2人とも、彼らはこれから事件解決に深く携わる。仲良くしてくれ」
「ゾネ!」
「ギャレンだ。狩人になって19年目となる。今はリーラ様の代わりに、ゾネの世話係を勤めている者だ」
「リーベだ!」
「蝶子と言います。えっと、その」
「……リーラ様がもう処分を下した。私たちはそれ以上何も言う事はない」

 蝶子の歯切れが悪くなる理由は、充分に理解しているつもりだった。ギャレンは罪人に対して厳しい判断を下す方だ。
 しかしそれは、あくまでも愚かな欲に溺れた相手に限る。むしろ蝶子のように、自ら罰を刻もうとする相手には厳しく言う気はない。彼の性格からして、それは優しい言葉には変換されないが。だが蝶子には言葉の真意が伝わったのか、ぺこっと深くお辞儀をした。

「出迎え、ご苦労様。さあ帰ろう。久々の我が家だ」
「リーラ、帰る! 遊ぶ!」
「ああ、たくさん遊ぼう」

 ゾネの「遊ぶ」は、天使およびテンシの討伐を意味する。久々にドイツの正式代表とパートナーが揃った。ギャレンにとって、これほど安心できる光景はない。

「表に車を停めております」
「うん、ありがとう」

 ギャレンは鍵を渡すと共に、リーラの持っているキャリーケースとお土産が入った袋を受け取った。重い物は、いつの間にかリーベと戯れているゾネに渡す。
 基本ドイツでは車を持っていなくても、移動手段にそこまで苦労しない。しかしドイツに住んでいた頃、リーラは化粧をしていなかった。屋敷も遠く離れた場所にあるため、個人で移動する手段が必須だった。狼男であるゾネにとっては窮屈のようだが、そう簡単に昼間、狼の姿になっては騒ぎになる。
 車に乗り込み、街を通り抜けていく。リーベには未知の世界で、日本の都心とは全く違う景色に目を輝かせていた。蝶子にとっても、不思議と懐かしい。まだたった数日しか離れていないのに。空港から3時間という長い道のりだが、2人は退屈しなさそうだ。

「アルドリックが、べギーと思われる男と遭遇しました」
「そうか。あの子にしては時間がかかったね」
「常に移動しているようです。夢の天使については、まだ……」

 ギャレンはもどかしそうに、申し訳なさそうに顔をしかめた。リーラは葉巻の煙を深く吐きながら、バックミラーでチラリとリーベを見る。相手は大天使を望んでいる。

「安心しろ、奴は来る」

 リーラは顰めっ面をするギャレンの整えた頭を、クシャリと撫でる。相手もこんなチャンスを易々逃さないはずだ。リーベにとっても、いい経験となるだろう。

───                **───                    **

 森の獣道を、リーラは慣れた手付きでハンドルを回す。ここを抜ければもうすぐで着く。そんな頃、リーベは蝶子の膝の上ですっかり眠りに落ちていた。途中までは、景色に目を忙しなくさせていたが、飛行機の中でほとんど落ち着いて眠れなかったせいだろう。とは言え、ゾネも後ろの席で丸くなって寝ている。
 蝶子はと言うと、どんどん人里離れていく様子に目が離せない。本当にこの先に、人が住めるような屋敷があるのだろうか。

「子供たち、そろそろ起きる時間だよ」

 リーラがそう呼びかけて数秒後、車が大きく揺れた。同時に、それまで枝が作っていた暗闇が消え、視界が晴れる。森を抜けたのだ。
 大きな揺れで起きたリーベが、窓から外を覗く。太陽の陽射しを反射する湖の表面はまるで宝石のようで、その中央にはまるで舞台セットのような大きな屋敷が佇んでいた。

「わぁ、おっきい水たまり!」
「水たまり……」
「ふふふ、湖って言うだよ坊や」
「これがリーラさんの屋敷……。大豪邸だ」

 蝶子が暮らしていた屋敷のふた回りは大きい。まるで貴族が住んでいそうな、歴史を感じる重厚感だ。見惚れていると、車が湖前に設置された小屋の中で停まる。

「さあ、みんな降りて」
「玄関まで行かないんですか?」
「ああ、普通には行けないようになっているんだ。ところで、チョウコ君は飛べるらしいね?」
「あ、はい」

 ここから先、玄関に行くには翼が必要だった。ゾネの場合はオオカミの脚力を使い、ギャレンは彼の背中に乗る。なぜこんな仕組みなのかと言うと、厄介な侵入者を防ぐためだ。さらには一般人には見えないようにもなっている。そうでもしなければ、こんな所にある屋敷なんてすぐ噂になってしまう。
 リーラの両親も、人間ではない。2人も生きやすいよう、こういった形に収まっている。
 階段先にある玄関の扉を開けると、やはりまるで城のような光景だった。豪華絢爛だが派手さはなく上品で、基本的にはロココ調にまとめられている。リーラの両親の生前に流行っていたらしく、時代をそのままにしたドイツらしい趣味だ。

「ギャレン、軽く食事を頼む。その間、リーベたちに屋敷を案内しておこう」
「承知いたしました」
「オレやる!」
「……物は壊すなよ?」

 ゾネは2ヶ月ぶりのリーラとの再会に嬉しいのか、意気揚々とギャレンについていく。わんぱくな子犬は彼に任せ、リーラは主に使うであろう客室と広間、トイレなどを案内する事にした。
 やはりどれも年季が入っている。だが丁寧に扱っていたのか、家自体がいい歳の取り方をしているような、ヴィンテージさが心地いい。ひと通り案内し終えて、そろそろ食堂へ向かおうとした時、リーベは屋敷を飾るいくつもの絵画の中、一際大きな油彩画に視線を奪われていた。エントランスに飾られたそれは、1人の赤ん坊を抱く女性の肖像画だ。

「気になるかね」

 リーラは急かさず、同じように絵画を見上げた。女性を見つめる紫の瞳は、どこか優しげに見える。

「美人な方ですね」
「うん、きれいだ」

 実は入った時から、蝶子も気になっていた。有名な作家のサンプルに混ざって、時々この肖像画の女性が描かれた絵があったからだ。それも同じ画風で。

「母だよ」
「へっ?」
「リーラのお母さん?!」
「あれ? でもリーラさんは、人間の血は入っていないって」
「ああ。この姿の時は人間だ。だがワタシを身籠った時は、まだ人間界に堕ちる前だったからね」

 リーラは「母は」と呟くと、続きを言わずに口を閉じる。どこか迷いを感じたが、すぐまた開かれた。

「母は、天使なんだ」

 驚きのあまり、リーベと蝶子は顔を見合わせる。そう、リーラの母は、天使。つまり彼女は、天使と悪魔の間に産まれた子供だった。
 悪魔の父と天使の母は、両者共に人間界で出会い、恋に落ちた。母の住む天界は厳しく、悪魔の子を孕んだと罰として力を奪い、人間としてこの世界に堕としたのだ。無事にリーラを出産したはいいものの、複雑な血を持つ彼女の成長は人間よりもはるかに遅く、歩くようになるまでに10年以上掛かったのだそうだ。
 だそうだと言うのは、その頃の記憶がリーラには無いからだ。やっと物心がつく頃、彼女は人攫いにあい、2人とは離れ離れになった。

「妹があとから産まれたそうなのだがね、どうやら天使の血が濃かったらしく、天界に奪われたと聞いている」

 その後、父とは一度だけ再会を果たしたが、人間となった母は流行病に倒れ、とっくの昔に亡くなっていた。
 父との再会で、彼女は初めて自分の血筋を知った。初めは驚き、恨みもした。当時、楽園化計画の被害者となった彼女にとって、天使というだけで無条件に恨ませるには充分だった。悪魔だけであれば、きっとこうも苦しまなかった。そうやって、天使を愛した父を恨んだものだ。
 しかし遺されたこの家には、母の愛があった。そしてこの絵に抱かれているのは自分。そんな自分を見つめる母表情は、当時欲しかった愛そのものだ。

「これは父上が描いたんだ。右下をご覧」

 青い指輪が飾る人差し指が示すの所には、サインと共に、何やらドイツ語でひと言記されていた。日本語に訳すと『この世の唯一の花』という意味になる。父は女性を花に例え、彼女以外の女性は目に入らないという愛の言葉だった。
 こんな甘い言葉を投げられるのを見ると、恨む気が失せる。それに狩人になって様々な天使を会うと、あまのように悪い存在だけではないと理解できた。

「それに、この血だからこそテンシを浄化できるんだ。保護の子たちを戻す薬も作れる。今では感謝してるよ」
「リーラ、ごはん!」

 食堂へ向かう途中にある、外が見える渡り廊下から、ゾネの元気な声が呼ぶ。リーラは「今行くよ」と返事をし、2人に優しく微笑んだ。

「長く喋りすぎたね。身の上話はここまでにして、食事にしよう。忙しくなるから、英気を養わねばね」

 この屋敷は綺麗だが、広さの割に人が少ないため生活感が感じられいと、2人は思っていた。しかしそれは間違いだと知る。この数日間、きっと彼女の事をもっと深く知れるだろう。なにせリーラの笑顔は、葉巻から出る紫煙のように、心を隠しているから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

天使の住まう都から

星ノ雫
ファンタジー
夜勤帰りの朝、いじめで川に落とされた女子中学生を助けるも代わりに命を落としてしまったおっさんが異世界で第二の人生を歩む物語です。高見沢 慶太は異世界へ転生させてもらえる代わりに、女神様から異世界でもとある少女を一人助けて欲しいと頼まれてしまいます。それを了承し転生した場所は、魔王侵攻を阻む天使が興した国の都でした。慶太はその都で冒険者として生きていく事になるのですが、果たして少女と出会う事ができるのでしょうか。初めての小説です。よろしければ読んでみてください。この作品は小説家になろう、カクヨム、ノベルアップ+にも掲載しています。 ※第12回ネット小説大賞(ネトコン12)の一次選考を通過しました!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...