テンシを狩る者

小枝 唯

文字の大きさ
上 下
43 / 59
蠱毒のテンシ

テンシを狩る理由(2)

しおりを挟む
「寝るにはなんだ?」
「聞かなくていい坊や。まったく……魔女様は人の黒歴史がお好きで困るよ。イオエル、キミも便乗しないでくれ」
「ん~? 私は何も余計な事は言ってないぞ? コーヒーが飲めなかった事くらいだ」
「言ってるじゃないか」
「ご、ごめんリーラ。たくさん知れるって、わたし嬉しくて」

 リーベは申し訳なさそうに視線を落として、指を絡める。そんな顔をされれば何も言えない。そもそも話したロゼッタたちに非がある。
 リーラは隣で涼しい顔をするロゼッタのパートナーに、恨めしそうな目線を向けた。

「リュゼ、キミが止めてくれると思ったんだが?」
「私は一度お止めした。それに、お嬢様の性格を知っていて、預けたんだろう?」
「……キミもずるいな」

 リュゼの言い分は正論だ。魔女は人をからかうのが大好き。そんな性格は痛いほど理解しているのに、任せたリーラが悪い。そして何より忘れていたのが、忠実な人形は主人に甘いという事だ。しかし言い訳を言えば、あの時は葉巻の麻酔が切れた痛みで、そこまで頭が回らなかった。
 リーラはやれやれと、手で顔を覆う。そんな彼女の肩に、まるで雪のように真っ白な手がぽんと置かれる。

「キミの人生は刺激的だ。お子様にはまだまだ早い」

 そう言ったのは、気さくな笑顔の男。するとリーラの隣に居るゾネは、男に牙を剥いた。今にも飛び掛かって来そうな雰囲気に、男は笑いながら手を退ける。直後、ゾネはリーラを守るようにぎゅっと抱きしめた。

「ははは、相変わらず優秀な番犬だなぁ」
「トート、あまりからかうな。そのために来たんじゃないんだろ?」
「もちろん。大天使の顔を拝みにね」

 男はサルヴァトーレ。皆愛称のトートと呼んでいる。イタリアの代表で、悪い人物ではないのだが、ゾネには懐かれていない。それはしょっちゅう、リーラを口説こうとするからだ。だからゾネにとっては、要注意人物となってしまっている。
 サルヴァトーレはにこやかな笑顔でリーベに手を差し伸べた。なんだか同じ匂いがする。しかし同時に、リーベは握手に応えながら違和感を覚えた。

「初めまして大天使。これからよろしくね」
「うん、よろしく、トート」
「いやぁ、さっきの演説良かったよ」
「ほんとかっ?」
「ああ。まるで何も知らない子供のようで」

 笑顔のまま、細い琥珀色の瞳が鋭くリーベを見る。その冷たい声色と目線に、リーベは違和感の正体を理解した。感情が浮かべられている笑顔とは真逆なのだ。歓迎していない。むしろ嫌悪すら感じる。

「サルヴァトーレ」

 リーラの手が、そっとリーベの肩を抱き寄せる。そこでリーベは、自分が青ざめてひどい顔をしていると自覚した。リーラは不安そうな小さな肩をトントントンと、三回優しく叩いた。そして少し屈み、ゾネの方を指さして「そっちに行ってなさい」と囁く。
 思わず視線を向けると、ゾネは腕を引いてリーベを抱き寄せる。リーラは彼らを隠すように、サルヴァトーレと向かい合った。

「まだ目覚めて数週間の赤子だ。八つ当たりはよせ」
「八つ当たり? はは……ただ、少しは自覚すると思っただけさ」
「この子は何もしていない」
「だが生まれた時から罪の塊だ。キミもそう思っていたんだじゃないのかい? 僕と同じ意見だったんだ」

 同じ意見。それはつまり、大天使を殺すという意志。サルヴァトーレはここに居る誰よりも、大天使を産むための犠牲者となった存在。だから彼は、同じように直結した犠牲者であるリーラには心を許している。
 もちろんリーラも、大天使を殺すつもりだった。たとえ未来が二つに別れていると知っても、利用するために生かすだけだと。だがもうそんな気はさらさらない。

「この子はそれを理解している。だから逃げずにここに居るんだ。だが、罰を受けるには幼すぎる」
「……優しくなったね」
「この子にも権利があると思っただけさ。存在する時点で自由だろう?」
「自由を奪った存在なのに?」
「トート、それ以上熱くなんな」

 サルヴァトーレよりも太く、ガッシリしたイオエルの腕が彼の肩に回される。サルヴァトーレはそこで我に返ったようにハッとし、改めるようにリーラを見た。彼女はいつものように笑って片眉をあげ、肩をすくめる。
 誰も彼を責めようとはしない。どんな想いで狩人を続けているか、知っているからだ。
 サルヴァトーレは自分を落ち着かせるように深く息を吐き、ははっと小さく嘲笑を零す。

「僕とした事が……悪かった。大天使加入に反対ではないよ。むしろ賛成だ。ただ──」
「ああ、分かってるよ。同じなんだから」

 リーラの言葉にサルヴァトーレは目を瞬かせ、可笑しそうに、安心したように笑った。

 ゾネの腕の中に抱き寄せられたリーベは、小さく唸る彼の頬を優しく撫でた。すると金の瞳はサルヴァトーレからリーベに落とされる。ありがとうと言うと、抱擁から解放された。

「大丈夫?」

 ダニールは心配そうにリーベに首をかしげる。まさか子供が代表の集まりに居る思っていなかったリーベは、少し驚きながらも頷いた。ダニールは「良かった」と可愛らしい笑顔を見せ、小さな手を差し出す。

「初めまして、僕はダニール。ロシアの代表なんだ。ダーニャって呼んでほしいな」
「初めまして、わたしはリーベだ! 名前がふたつあるのか?」
「ふふ、愛称だよ。日本の文化にはないよね。あだ名みたいな感じかな。親しい人に呼んでもらう名前なんだよ。だから、その」
「そっか、ダーニャ! わたしと友だちになってくれるのかっ?」

 リーベは嬉しさのあまり、差し出されていた手を両手で包んだ。思ってなかった反応に、ダニールは呆気に取られて海色の目を瞬かせる。恥ずかしくて言い淀んでいた言葉を、彼はこんな素直に言ってくれるとは。ダニールは少し照れくさそうに、それでも嬉しそうに微笑んで頷いた。

「ダーニャはずっと狩人なのか?」
「そんなに長くないよ。10歳の頃からだから……ちょうど五年目かな」
「そんなに小さい頃からやってるのか? すごいんだな! でも、どうして狩人に?」

 尋ねてからリーベはハッとし、急いで謝って「無理に言わなくていい」と付け加えた。
 さっき、イオエルに同じ事を尋ねた。すると彼は、恋人を天使に殺された過去を簡単に語った。怒りと焦燥感、そして絶望の中で死神と契約し、同じ経験者を減らすために狩人となったそうだ。
 イオエルは気さくに笑ってくれたが、傷をなぞるような事をしたばかりなのに、ダニールに同じ事をしてしまうなんて。素直さと無神経さは紙一重だと、リーベは自分を叱咤した。
 しかしダニールには、彼が純粋の疑問に思っただけで、他意が無いのが分かる。

「僕ね、パパとママを探してるの」

 今は鎧兵と暮らしているが、五年前は両親と幸せに暮らしていた。ネクロマンサーという他にない力を持ちながらも、彼の両親は心から愛し、特別視もしなかった。しかし、そんな力を持っているからだろうか。天使に目を付けられたダニールを、両親が庇い連れて行かれたのだ。
 何が起きたのか分からず、霊魂たちを頼りに天使およびテンシという存在を知り、それらを狩る者たちも知った。

「いろんなテンシと戦えば、必然的に天使からも情報を貰えて、二人に会えるんじゃないかなって」

 たとえ再会した二人がもう自分の知る両親でなかろうとも、会いたい気持ちが強い。そう断言する彼は、まだ幼いというのにとても凛々しく、強く見えた。

「そう、なのか」

 きっと天使が両親を連れて行ったのは、大天使の器を作ろうとしていたからだ。つまりはリーベを誕生させるための犠牲。いやでも突きつけられる。相手がそう思っていなくても、事実に変わりないのだから。
 心臓がぎゅっと痛くなる。みんなが優しいからこそ、芽生え始めた心が壊れそうになる。

「リーベ? 大丈夫? 具合悪い?」
「……ごめん」
「えっ? ど、どうしたの?」
「わ、わたし、わたしが生まれるために、やっぱり、いろんな人が」

 丸い瞳が、恐怖と悲しみの紫と青に染まる。しかし涙は落ちない。絶望すると、不思議と涙は出ないのだ。
 ダニールはそんな表情をされると思っておらず、慌ててリーベの手を引いて壁に寄った。ショックを受けたせいなのか、握った手はとても冷たい。今すぐ慰めたかったが、理性で押しとどめる。ここで「そんな事ない」と言うのは、逆効果だ。否定すればするほど、現実が見えて首を絞める。
 確かにダニールも、最初はたった一つを生み出すための犠牲に選ばれ、恨んだ夜もあった。しかし様々なものと交流するうち、考えも変わってくる。

「狩人の中には、確かに犠牲者が多いよ。トートみたいに。でも、リーベが実際に何かしたの?」
「……わたしは……何も」
「そうでしょ? リーベはただ生まれたんだ。本当は敵なのに、いろんな巡り合わせがあって、今がある。だから後悔するんじゃなくて、生きて。犠牲があった。それを知って、ちゃんと全うするんだ」
「まっとう? そうすれば、わたしはみんなを傷つけないのか?」
「うん。生きる権利も、知る権利もある。それをたくさん使って、生き残って」

 知る事は責任となる。知った上で、自分が立つ地面が多くの亡骸が居ると理解して、それを忘れないまま、彼が彼として生きる。それが一番の償いであり、赦しだ。
 ダニールは自分とそう代わりない大きさの両手に指を絡め、屈託のない笑顔を見せる。

「僕はリーベと友だちになれて、嬉しいよ。ロシアに来たら、遊ぼうね」
「うん……! ありがとう、ダーニャ」

 リーベはダニールの首にギュッと抱き付いた。ダニールもくすぐったそうにしながら、背中に腕を回す。数秒の抱擁が解かれた頃、二人の頭を黒い手がぽんと撫でた。

「リーベ、そろそろ帰るよ。もう日本ではディナーの時間だ」
「そうなのかっ?」
「ダーニャも遅くなる前にお帰り。今日は会えて良かったよ」
「僕も。またね」

 手を振ってくれたダニールに、リーベは嬉しそうに振りかえす。すると、リーラの背後に隠れていたゾネがそろっと出て来た。

「こんど、部屋、来い」
「へや? ゾネの?」
「ん。写真、ある。リーラの」
「なんだって? 写真なんていつ撮った? 見せなさい」
「大事、ダメ!」

 そう言って距離を取ったゾネに、リーラはまったく……と仕方なさそうにため息を吐いた。そして手でおいでと指示すると、寄って来たゾネの額に口付けする。

「いい子でいるんだよ、子犬。元気でね」
「いい子、待つ!」

 ゾネは満足そうに笑ってそう言った。たっぷり甘えられたし、次の帰省まで耐えられる。
 みんなに別れを告げ、リーラたちは大広間から移動し、クローゼットの中に入る。出たのは自室で、窓から見える景色が海の中のように濃い青だった。なんだかいろんな事があって、朝早くからこんな時間まで過ごした実感がない。
 夕飯の支度を手伝っている最中、リーラの獣のような爪と黒い手が、リーベの視界にチラチラ映る。すると、思い出したように彼女が言った。

「サルヴァトーレの事だが、許してやってくれ。悪いやつじゃない。ただ、天使が嫌いなんだ」
「トートは、わたしと同じなのか?」

 サルヴァトーレから感じた、同じ匂い。同じ、天使の匂いがした。リーラは少ししてから、その問いに頷いた。
 彼は天使と人間のハーフ。当時は珍しく、器に相応しいかもしれない、器を作る材料になるかもしれないと、そんなふうに捉えられ、大半の時間を楽園化計画に奪われた。囚われの身だった所を、マスターが救い出し、狩人となったのだ。

「安心したまえ。トートがオマエを殺す事はないよ。楽園化を止めたいのは、みんな同じなんだ」
「……リーラはどうして、狩人になったんだ?」
「約束をしているんだ。オマエを生み出した人とね」
「約束?」
「ああ。それを果たすために、ワタシはここに居る。さあ坊や、皿を二枚、用意してくれたまえ」
「分かった!」

 リーベは食器棚から、鮮やかな模様が入った皿を取り出す。磨かれたそこは鏡のようで、自分の黄色と緑の瞳と目が合った。
 みんなそれぞれ、理由があって狩人となり、代表にまでなった。自分はただ生み出されただけ。それでもサルヴァトーレが言ったように、生まれた瞬間から罪なのだ。それを今日突きつけられた気がする。
 しかしもう泣かない。ここで生きると決めたのだ。この命も体も、自分のものだけではない。だからダニールが言った通り、自分の罪を自覚して、そして全うする。

「坊や?」
「あ、今行く!」

 これから先、どれほど危険な目にあっても、たとえ自分の存在がそれほど残酷であろうとも。


-蠱毒のテンシ.Fin-
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

婚約破棄されたけど前世が伝説の魔法使いだったので楽勝です

sai
ファンタジー
公爵令嬢であるオレリア・アールグレーンは魔力が多く魔法が得意な者が多い公爵家に産まれたが、魔法が一切使えなかった。 そんな中婚約者である第二王子に婚約破棄をされた衝撃で、前世で公爵家を興した伝説の魔法使いだったということを思い出す。 冤罪で国外追放になったけど、もしかしてこれだけ魔法が使えれば楽勝じゃない?

異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します

桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

爺さんの異世界建国記 〜荒廃した異世界を農業で立て直していきます。いきなりの土作りはうまくいかない。

秋田ノ介
ファンタジー
  88歳の爺さんが、異世界に転生して農業の知識を駆使して建国をする話。  異世界では、戦乱が絶えず、土地が荒廃し、人心は乱れ、国家が崩壊している。そんな世界を司る女神から、世界を救うように懇願される。爺は、耳が遠いせいで、村長になって村人が飢えないようにしてほしいと頼まれたと勘違いする。  その願いを叶えるために、農業で村人の飢えをなくすことを目標にして、生活していく。それが、次第に輪が広がり世界の人々に希望を与え始める。戦争で成人男性が極端に少ない世界で、13歳のロッシュという若者に転生した爺の周りには、ハーレムが出来上がっていく。徐々にその地に、流浪をしている者たちや様々な種族の者たちが様々な思惑で集まり、国家が出来上がっていく。  飢えを乗り越えた『村』は、王国から狙われることとなる。強大な軍事力を誇る王国に対して、ロッシュは知恵と知識、そして魔法や仲間たちと協力して、その脅威を乗り越えていくオリジナル戦記。  完結済み。全400話、150万字程度程度になります。元は他のサイトで掲載していたものを加筆修正して、掲載します。一日、少なくとも二話は更新します。  

異世界でスローライフを満喫する為に

美鈴
ファンタジー
ホットランキング一位本当にありがとうございます! 【※毎日18時更新中】 タイトル通り異世界に行った主人公が異世界でスローライフを満喫…。出来たらいいなというお話です! ※カクヨム様にも投稿しております ※イラストはAIアートイラストを使用

処理中です...