テンシを狩る者

小枝 唯

文字の大きさ
上 下
35 / 60
蠱毒のテンシ

三匹の僕

しおりを挟む
 二人を隠したクローゼットは独りでに閉まった。リーラはその場で頭の中の情報を整理させる。
 天の体に異常がないという事は、彼に成り代わっていた蜘蛛が体外に出たのだろう。つまりはまだこの中にいる。紫の目が、睨むように教会のホールを隅々まで見渡す。一通り見ると、静かに目蓋に隠された。
 呼吸すら聞こえないそこに、カサッという小さな足音が聞こえた。風に消されそうなほどの音でも、悪魔の耳は聞き逃さない。

「シュレム!」

 リーラは振り返ると同時、音の方を示しながら何か名前のようなものを叫ぶ。すると、それに従って一直線に、黒い影が駆け抜けた。

「殺すな」

 指が示した場所で、モゾモゾと動く黒い影。蜘蛛を生かしたまま口に咥え、すたすたと優美に歩いて来たのは、黒猫だった。それもただの黒猫ではなく、尻尾が三つに分かれている。
 きゅるんとした青い目が、そんな指示をした主人を不思議そうに見上げた。リーラの手に蜘蛛を渡すと、可愛らしい牙のある口を開く。

「どうして?」

 猫の口から聞こえた少女の声は、確かに人間の言葉を作っている。
 リーラは蜘蛛の手足をもぎ取り、レーレの研究室から拝借した試験管の中に閉じ込めた。

「まだ使うんだ」
「ふぅん」

 猫はゴロゴロ喉を鳴らしながら、リーラの長い指で気持ちよさそうに撫でられる。その背後で、教会の大きなドアがゆっくりと、低い声を出しながら開かれた。
 外からやって来たのは、一人の男。リーラを超える背丈で、器用にハイヒールを履いている。服装も中性的な物を着こなしていて、違和感がない。リーラはその姿にクスリと笑った。

「ズゥース、また新しいのを買ったみたいだね」
「ふふふ、似合うでしょご主人様?」
「ああ、綺麗だよ。だが」

 リーラは片手を上げると、パチンと指を鳴らす。軽い音が広い教会に響き渡ると、ズゥースの体は暗い霧に包まれた。

「あ~ん、今日はこっちぃ?」
「すまないね」

 霧が晴れ、そこに居たのは漆黒の鱗に薔薇の模様が刻まれた蛇。黒猫が宥めるように、残念そうにする蛇へ頭を押しつける。

「私はどっちのズゥースも好きよ」
「あら嬉しいわ。僕もシュレムの事だぁいすき」
「うん、知ってる」
「ンンッ……好き嫌いで成るものではないでショウ? ワタクシたちの本来の姿なのですカラ。アナタは使い魔の自覚がおありカ?」

 蛇を嗜めた良く通る男の声は、上から聞こえる。豪華なシャンデリアから見下ろしているのは、一羽のカラス。独の尾行に応じていた、あの大きな個体だ。
 リーラが腕を差し出すと、待っていたと言わんばかりに留まる。

「失礼しちゃうわね、一番使われてるからって」
「クラレ、ズゥース、言い合いはあとだ」

 ピシャリと遮った声は、いつもの軽快さのある音ではなく低い。ズゥースは大人しく飾りのようにリーラの首に緩く巻きつき、クラレは申し訳なさそうに頭を下げている。
 黒猫のシュレム、カラスのクラレ、黒蛇のズゥース。彼らはただの動物ではなく、リーラの忠実な使い魔だ。彼女がしもべにできるのは、主に黒猫、蛇、カラス。ここに居る三匹は、主人から直接命を受け取り、仲間を導く存在。いわば、群れのリーダーだ。
 違うのは見た目だけではない。リーラの血を体内に入れた事で、特別な力を手に入れている。もちろん長寿で、特に最初の使い魔であるクラレは、80年は共にしている。
 そしてズゥースが人の姿であったように、リーラの許可があれば他の二匹も人間になれる。まあ、一日の大半を人間の姿で過ごすのは、ズゥースだけだが。

「シュレムとズゥースは、コレの仲間を探してくれ。見つけ次第、殺して構わない」
「あら可愛い蜘蛛ちゃん」
「食べていい?」
「シュレム……腹減ってるのか? あとで美味しいのをあげるから、腹を壊さない程度にね。あぁただし、人間に成り代わっている場合は、ワタシとクラレに知らせてくれ。頼んだよ?」
「はいご主人様」
「はぁい」

 クラレは先にクローゼットの向こうへ消えた二人を、赤い目で見送る。そして大きな漆黒の翼を器用に使い、主張するように胸の前に置いた。

「さあリブリング、何なりト」
「オマエには、二人から聞いた人間たちの動きを見張ってほしい。おかしな動きがあれば、すぐ報告するように。だが目は離すな」
「承知いたしマシタ」

 クラレは深く頭を下げ、クローゼットの霧へ飛んで行った。
 猫のシュレムと蛇のズゥースは、視力より臭いで物を探せる。カラスのクラレは、臭いに頼らず、二人よりも広い視野で細かいものの判別が得意なのだ。

(まずはホームページを見た人の情報が必要だな。そのあとは、蜘蛛が人間に化ける目的を探らなければ)

 繭で体を乗っ取られている人間は、あくまで被害者。見つけたからといって、迂闊に手を出せない。
 行動と目的。それらを知らなければ、その狩人が最適で迅速に被害を収められるか、想定できない。都内に住む狩人たちへは、ひとまず今分かる情報を拡散した。
 蜘蛛の操り主は独だ。リーラは単純に自分への復讐だと考えたが、不特定多数に取りつかせているとなると、別の目的がある可能性が高い。どのみち復讐に繋がるとは思うが、これ以上他への被害を増やしたくない。

(問題は、リーベの核がどれほどの影響を与えるか)

 こればかりは、まだ前例がないため想定できない。
 しばらくして、リーラは深くため息を吐いた。甘かった。マスターの元へ独を送る時、身体検査でもして核を回収しておけば良かった。

「もう過ぎた事だ。今更仕方ない」

 自分に言い聞かせながら歩き出した足は、店に続くクローゼットではなく、教会の隅にある小さな小部屋に向かっていた。そこは告解部屋。通称懺悔室。
 彼女はそこで、戦場へ向かう前に祈るのがルーティンだ。皆帰れるよう、誰も死なぬよう、被害が少ないよう祈る。こんなのは意味がないと、自分の力次第であると分かってはいるが、こうでもしないと落ち着かない。何があっても覚悟はしているが、祈るのは無駄じゃないと縋りたいのだ。
 黒い手袋に包まれた長い指が、トントントンと、三回机を叩く。数回これを繰り返すのも、彼女の癖だ。昔、不安になった時にひとりぼっちだったらこうすればいい。そう教えてもらってから、意識せずしてしまうようになった。

「……ふふ、悪魔が神に祈るだなんて、なんて喜劇だろうな」
「リーラはいい悪魔だぞ」
「!」

 本来、懺悔室は懺悔を聞く側の部屋がある。そこは曇りガラスと、すぐ下で手だけがさせる幅のカーテンがある。幼い声と一緒に、そこから真っ白な手が自分の手に添えられていた。
 リーラは慌てて牧師側のドアを開けた。予想通り、椅子にちょこんと座ったリーベが居た。彼はリーラと目が合うと、腰を上げて腰に抱きつく。

「坊や、いつから居たんだ」
「さっき。わたしが一緒でも、リーラはさみしい?」
「ははは、何言ってるんだ。ワタシは寂しいなんて、思った事ないよ。これはただの日課さ」
「そっか」

 それが嘘であるのは、リーベにはよく分かった。しかしどうして寂しのか、何に罰を欲しているのか、まだ感情を勉強している彼には分からない。そしてそれはきっと、リーラ本人も分からないだろう。なにせそんな感情を抱えて何十年と経過しているのだから。

「リーラ」
「ん?」
「わたしも、リーラが大好きだぞ」

 本当は悲しいのだろうと言ってしまうほど、無邪気ではない。だからただ、分かっている自分の気持ちを伝える事にした。
 リーラはそれに目をパチクリさせ、可笑しそうに笑った。まだ結われる前の真っ白な頭をくしゃりと撫でる。

「ありがとう、ワタシもだ。さあ、これから忙しくなるぞ」
「そうなのか?」
「まず、巻き込まれた人間の個人情報を掴む」

 リーラはインターネットに疎い。だからそんな凝った事はできなかった。しかし一人、そういった面に誰よりも強い狩人が居る。都内に住んでいて、この件ともう一つ、訪ねる旨も伝えた。

「迎えに来てくれてありがとう。行こうか」
「うん!」

 二人の身長は大きな差がある。それでも、いつも通りしっかり手を繋いで、クローゼットの中へ飛び込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

気がついたら無人島!?〜俺が知らない所で神様が勝手に俺の無人島生活を配信していました〜

美鈴
ファンタジー
毎日地球を見守る神様は代わり映えしない退屈な毎日にうんざりしていた。そんな時ふと目に付いたのが、人間がしている動画配信。動画配信に興味が沸いてしまった神様はワシも動画を撮り、編集して、天使達相手に配信すれば面白いんじゃないか?と、思ってしまう。そこから先は流石神様。行動が早かった。そして物語は当の本人達が知らない所で公開されて人気が出てバズっていくのであった…。 カクヨム様でも公開しております!内容が異なる部分もあります。

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...