テンシを狩る者

小枝 唯

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蠱毒のテンシ

幸せになるには

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 穏やかに続いていた二つの寝息のうち一つが、急にピタリと止まる。と同時に、白いまつ毛がゆっくり上がった。見知らぬ天井が映っている事を、しばらく瞬きを繰り返して理解する。リーベはゆっくり起き上がり、あたりを見渡した。
 ふかふかなベッドは、また寝そべりたくなるくらいに気持ちがいい。部屋の中の調度品は、無知でも豪華なのが分かる。しかし重要なのはそこではない。隣で、リーベを抱きかかえるようにリーラが寝ている。

「リーラ?」

 呼びかけても起きる様子はない。今は太陽が顔を出して間もない時間なのだから、朝の弱い彼女が夢の中なのは当然だ。呼吸は聞こえている。それなのに何故かリーベは顔を青ざめると、紫に染めた瞳を動揺と恐怖で揺らした。
 胸の奥にある心臓が、不安に重く脈打つ。彼は夢中でリーラの肩を揺すった。

「リーラ、リーラ!」
「ん、うん? なんだ……?」

 リーラは顔をしかめながらゆっくり起き上がる。今も半分は眠っている状態で、ぼんやりしながらなんとなくリーベの頭を撫でる。胸元に彼が飛び込んで来た衝撃で、ようやく頭が醒めた。

「リーベ……? あぁ、やっと起きたのか」

 リーラは今更気付いたようにのんびりと言いながら、大きなあくびをする。ぎゅっと強く抱きしめる背中を撫でたところで、小さく震えているのが分かった。

「どうした坊や、泣いてるのか?」

 何か恐ろしい夢でも見ただろうか。しかしその考えは、リーベの顔を覗き込んだところで消えた。涙が絶えず零れ続ける瞳が、緑色をしている。
 リーラは何度か彼の瞳の色の動きを見て、レーレと考察をしていた。瞳が変わる条件。それは感情ではないかと。不安は青、喜びは黄色、恐怖は紫、そして今の緑……これは安心している時に見える色だ。間違っていなければ、今彼は安堵しているという事になる。

「良かった、起きたぁ……うぅっ」
「なんだ、もしかしてワタシが死んでいるとでも思ったのかね?」
「違うんだ……寝ていたから、もう起きないって、思って」

 リーラはますます分からず、眉間を寄せて考える。目が覚めない。寝ている。やがてこの単語によって結ばれた答えは、楽園だった。

「……楽園ができたと、思ったのか?」

 リーベは頷き、大きく泣き始めた。リーラは彼を抱き寄せ、頭を撫でて宥める。
 彼は元々、睡眠をとる必要のない存在だった。そのため、眠るという行動は楽園だけだと思っていた。リーラが寝ている姿を見て、楽園が完成して二度と目覚めないのだと勘違いしたのだ。

「リーベ、生きている者はみんな、一定の時間眠らないといけないんだよ」
「そ、なのか?」
「オマエだって、三日も眠っていたんだぞ?」

 春人と話して急に眠くなったのを最後に、リーベの記憶は途絶えている。しかし一度も目覚めず、ましてや食事も取らずそんなに眠っていたとは思わなかった。
 リーベは少しの間考えるように目線を下げ、不安そうにリーラの指を握る。

「リーラなら、わたしを殺せる?」
「なんだって?」
「死ぬのはこわい。でもみんなが眠っちゃう方が、ずっとこわいんだ。だから」
「……ふざけた事を言うんじゃない」
「でも──」

 言葉が不自然に止まる。リーベが妙な感情の匂いを感じ取ったからだ。それは、怒りと苦しみが持つ苦い香り。
 恐る恐るリーラを見上げると、やはり紫の目が怒りに染まっている。しかしリーベの言葉を止めたのは、それだけではなかった。彼女の目に悲しみの色も見えたのだ。驚いていると強く抱き寄せられ、言葉の列が乱れて喉の奥に落ちた。

「ごめんなさい」

 代わりに弱々しくそんな言葉が出る。なんとなく、そう言わなければならない気がした。だって、彼女を悲しませたかったわけではなかったから。
 リーラの手が、リーベの頭をそっと撫でる。しかしその優しさとは逆に、彼女の表情は歪んでいた。

(この子が一体いつ、罪を犯した?)

 身勝手に生み出された彼が、どうして自分の存在を否定し涙する必要があるのだろう。この子はこちらの手を、自分の意思で取ったじゃないか。それを台無しにするのか?
 かつて『あの人』も、楽園化への犠牲になった。また身近な存在を、楽園化の道具にしてたまるか。

「リーベ、幸せになりたくはないのか? このまま利用される事に怯え、消える定めであっていいのか?」
「幸せには……なりたい、けど」
「ワタシがいる。オマエを幸せにしてみせる」
「わたしも、なれるのか? なっていいのか?」
「なれるともさ。だからワタシと生きてくれるね?」

 リーベの涙に濡れた顔を、黒く大きな手が拭う。青い瞳が徐々に黄色になり、彼は強く頷くとリーラの胸に抱きついた。
 楽園のために作られた大天使は、それの破壊を誓って生きる悪魔の手を取る。

───                **───                    **

 廊下に並ぶドアの一つは、客室ではなく食堂に繋がっていた。広々としたテーブルで、リーベはポツンと一人腰かける。詰めれば数十人は吸われそうなここに、リーラはいつも一人なのか。そう考えると、ずいぶんと寂しく感じる。

「父上もずいぶん見栄をはったものだね。一人じゃ持て余すから、オマエが来てくれて良かったよ」

 リーラはジャムの入った瓶とバター、パン、ハムやソーセージにチーズを持って戻って来た。近くに置いたトースターを引っ張ってくると、そこに二人分のパンを入れる。
 熱に赤くなるトースターの様子を、リーベは興味深そうにじっと見つめる。やがて時間が来て音と共に飛び出してくると、つられるように体を跳ねさせた。

「勝手に出て来た!」
「はは、中は熱いからね。ほら、オマエの分だよ。トッピングはお好きにどうぞ」
「いっぱい乗っけていいのか?」
「明日の分は残してくれよ?」

 リーベはパンに何を乗せようか、難しそうに顔をしかめて迷っている。やがてハムとソーセージを取り、パンの上にはジャムとバターをたっぷり塗った。口いっぱいに頬張ると、目を輝かせてリーラに美味さを訴えた。

「美味いだろう? それは店のお客様が譲ってくださったんだ。手作りだよ」

 リーベはコクコクと大きく頷く。
 質素な食事だと思われると予想したが、こんな宝物を前にしたような反応をされるとは思わなかった。いつも通りの朝食だが、なんだかこちらも食欲が湧いてくる気がする。しかし今日はゆっくりしていられなさそうだ。開店時間が迫っている。
 リーラは暖炉の上に置いた時計で確認し、パンをコーヒーで胃に流した。立ち上がったのを目で追って、慌てて食べようとするリーベに手で静止する。

「ゆっくり食べてからおいで。よく噛むんだよ? 皿はあのドアの先にある食洗機に入れるんだ」
「んむ!」

 リーラは、口に二枚目のパンを入れたまま元気に応えたリーベを食堂に残し、自室へ戻った。
 今日はロイエを開ける日だ。本業であるテンシ狩りを優先しているため休業が多いが、それなりに顧客がある。基本は予約が多いが、時々冒険して迷い込んでくる新規の客もいるから、簡単に店を空にはできない。
 リーラはクローゼットを開け、頭を悩ませた。中には、様々なデザインのシャツとコルセットが並んでいる。

「ふむ……今日はどうするか」
「わぁ、いっぱいある!」
「おや、もう来たか。ちゃんと噛んで食べたかね?」
「うん!」

 リーベはクローゼットに並ぶいろんな服を楽しそうに眺めている。その後ろ姿に、リーラはいい事を思いついた。

「リーベ、今日はどのコルセットがいいと思う?」
「わたしが選んでいいのか?」
「ああ」

 ひと口にコルセットと言っても、いろんなデザインがある。ベーシックな物もあれば、ゴシックなデザインやフリルの付いた少し可愛らしいものまであった。その中から真っ白な指が選んだのは、紫の薔薇がアクセントになったコルセットだ。

「綺麗だ」
「ほう? ソレはワタシも気に入ってるんだ。よし、コレに今日は……白いシャツにするか」

 ベッドの上に、選んだコルセットと白いドレスシャツ、灰色のパンツが置かれる。リーラの体を包むローブが、床にはらりと落ちた。黒い肌に白い布が滑る様子に、リーベは無意識に見入る。

「リーラは綺麗だな」
「ふふふ、ありがとう」

 リーラはシャツのボタンを留めると、慣れた手付きでコルセットを腰に巻く。コルセットは別に、細く見せるために愛用しているのではない。デザインが好きなのはもちろんだが、背筋と同時に心も正してくれる気分になるからだ。
 リーベの頭を結って、そのまま自分の前髪を大胆に上げて固める。オールバックにするのも、コルセットと同じ理由だ。
 リーラは柱時計を確認する。化粧をしても余裕ができそうだ。化粧台に座ると、いつもの手順で化粧を施していく。

(もう少しで買わないとな)

 手以外は見える箇所を白寄りの肌色にするため、道具の減りが早いのが難だ。化粧は日本に来て、ロイエを経営した頃に始めた。あまり知識がなかったため、化粧が得意なミアに教わったのが懐かしい思い出だ。

「なんで白くしてるんだ?」

 鏡に一緒に映りながら、リーベは不思議そうに首をかしげた。

「怖がらせないためさ」
「リーラは綺麗なのに、怖がられるのか?」
「整っているかいないかじゃない。融け込める程度になる必要があるんだ。人は違いすぎるものは排除したがる」
「どうして?」
「怖がりだからさ。ワタシの肌は人間には無い色をしている。だから、馴染むには隠す必要があるんだよ。それに……悪戯に彼らを怖がらせるのは趣味じゃない」

 この世界の多くを占めるのは人間。いくら非現実だと決めつけた者も同じくらい居ようとも、人間が作り上げた世界の中で生活する。だからこの化粧は、自身を美しく見せるのではなく守るために施すのだ。
 しかし最近は少し派手な見た目でも、珍しがられるだけで異常とは見られない。そう考えると、人外にとって少し生きやすい世界になった。

 ドレッサーの小さな引き出しから、卵の形をした道具が取り出される。宝石が飾っている先端を押すと、小洒落た殻が四方に開き、小瓶が現れた。これはアンティークの香水瓶入れだ。中から今日の気分に合わせて選び、体に振りかける。
 興味津々に見るリーベに軽く吹きかけると、彼は楽しそうにはしゃいだ。最後に、青いギフトがアクセントになっている指輪をはめた。
 リーベは化粧道具をしまうリーラの横顔をじっと見つめる。

「わたしは、どうやったらみんなを傷付けず、幸せになれる?」

 リーラははたと手を止める。彼女はしばらく無言で考えるとふっと小さく微笑み、下がったリーベの頬に手を添えて視線を合わせた。

「人間の、世界の知識をつけよう。無知は、時に自分にとっても他人にとっても毒となるからね」
「どうやってつければいい?」
「いろんな体験をするんだ。そうだな……まずは、ワタシの店を見学なんてどうかね?」
「! する!」
「よし。ならさっそく店を開けよう。リーベ、接客中は大人しく客室で待っていられると約束できるね?」
「うん、約束する」
「いい子だ」

 リーラはパンツと合わせた灰色の上着を羽織る。普段は動きやすさを重視して着ないが、店のオーナーとなる日は着るようにしていた。
 二人は部屋を出て、店に通じるクローゼットに飛び込んだ。
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