テンシを狩る者

小枝 唯

文字の大きさ
上 下
4 / 60
楽園へのプロローグ

怪しい実験

しおりを挟む
 リーラは次に、ポーチからナイフを取り出す。壁で項垂れる男の胸元に開いた、血が垂れる穴へ突き立てた。赤紫の刃は、骨を無視するかのように弾痕を広げる。指が二本入る程度に広げると、遠慮なく指を突っ込んだ。
 しばらく漁り、指先にコツンと硬い物が当たる。器用に摘んで引き抜いた長い指に、血と共に絡んで出て来たのは、月明かりに眩しく反射する石。

「ふぅん、透明か。いいじゃないか」

 球体に歪さはあるものの、やはり美しい。屈折した月光が、中身を覗き込んだ紫の瞳に落ち、アメジストのような煌めきを見せた。
 この石は、テンシ化した彼の心臓代わりの核。リーラはこれを、皮肉を込めてギフトと呼んだ。テンシはギフトを失わない限り、腕や頭が吹っ飛んでも再生し続ける。だから最後は必ず体外へ取り出し、破壊する必要があった。ギフトの種類は様々で、彼女はこれを始末せず、いつも大事に回収する。
 止めどなく流れていた血が、白く光を纏った。やがて男の体を包み込むと、無数の羽となり、風に吹かれると暗闇に散った。
 リーラはそれを見届けると、ギフトをポーチに入れる。適当なゴミ箱に腰を下ろし、今度はベルト部分を漁った。
 取り出されたのはジッポライターと葉巻。口に咥えると慣れた手付きで火をつけ、ゆっくりと吸った。そうして深く吸った煙を、こちらを見据える月へ向けて吐き出す。本来葉巻はタバコと違って、煙を肺に入れない。だがこれは彼女専用で、こういった楽しみ方をする。
 葉巻が半分程度燃えた頃、リーラはようやく腰を上げて家路を踏んだ。

 無人でも、大通りに出ればネオンが絶えない新宿。眠らない街と聞いた事があるが、本当にその通りだ。そんな特徴があるからこそ、人目を忍ぶには持ってこいだった。人の中には、人を隠すのがいいと言うだろう。
 足は様々な細い路地を曲がる。その道は奥まっていて、冒険しなければ視界にすら入らないだろう。テンシ狩りという仕事は、ひっそり行わなければならない。天使が実在して、彼らに理性を奪われた化け物が居るだなんて言って、誰が信じる。信じたとして、世界は混乱するだけだ。
 天使とテンシ。名前がほとんど一緒でややこしいが、どうにもしっくり来るから困る。
 天使は天界に住み、人間に程よい幸福を授けてくれる存在として、古代より有名だろう。絵画に描かれていたり、最近では様々な分野で見かける気がする。天使は良い存在。それはもちろん正しいのだが、全員がそうかと聞かれれば、残念ながら違うと答えなければならない。それは一定数の天使が、とある計画のため【テンシ】を生み出し始めたからだ。
 テンシとは、人間である。まだ未知な事が多いが簡単に言うと、天使になり損なった者。天使の慈悲によって、その人間は天使になる。しかし人間の器にとって、授かった力は膨大すぎるのだ。耐えられず暴走した結果、天使とは程遠いバケモノと化す。
 力に溺れて暴走したテンシの始末を、天使はしない。だからテンシ狩りという組織が出来上がった。

(まったく、よくよく考えたら、天使どもの尻拭いじゃないか)

 細道を抜けた、影になった通り。そこに一軒、店が建っていた。黒と銀の渋い看板は『ロイエ』と掲げている。そこは、リーラが狩人の姿を隠すために営業している、宝石店だった。
 ベルトに括った鍵束から、アメジストが中心を飾る鍵が選ばれる。鍵穴に入れて回すと、重たいドアが開く。主人の帰りを、ドアに付けられた鐘が上品な音で迎えた。

「ただいま」

 一人で経営している店内からは、当然返事など無い。それでもリーラは、必ず商品の宝石へ声をかける。
 所狭しと並ぶショーケースには、様々なデザインのジュエリーが静かに煌めきを放っている。この美しさが彼女は好きだ。そして、これが誰かに身に付けられる姿を人一倍愛していた。新しく徴収したこの石も、加工を施してここの仲間になる。
 普段と変わらず美しい石を眺めながら、葉巻を一本吸い終わる頃。背後でドアベルが鳴った。リーラは慌てて僅かに残った葉巻の火を消し、振り返る。鍵をかけ忘れたか。

「申し訳ありません、お客様。本日はもう閉店して──」
「久々に聞いたなぁ、その営業口調」

 思わず捲し立てた言葉を遮ったのは、男の声。少し揶揄いの色を含んでいるそれは、友のものだ。
 こんな夜中にドアベルを鳴らしたのは、亜麻色の髪をした男。肩までの髪は光に触れると、不思議に金色を帯びて見える。見知っていてもこの時間では珍しい客人に、リーラは驚いたようだったが、すぐいつもの調子でニヤリと笑った。

「礼儀正しいだろう? アマ君の前では、これでいてあげようか?」
「鳥肌立つから却下で」
「ひどいな」

 リーラは相変わらずな辛辣さにカラカラと笑う。消してしまった葉巻を捨て、新しい物に火をつけると、カウンターに隠れた椅子に座った。

「あ、化粧落としてないんだ?」
「ちょうどこれからさ」
「疲れているところ、すまないリーラ。準備していたら遅くなってしまって」
「おや? キミまで来るとは。いらっしゃい、ユウガ君」

 あまの背は、ドアまで届く。そのせいか、後ろに居る人物に気付かなかった。一度も染めた事の無い黒髪は、この時間ではより一層闇に溶けて見つけにくいのもある。
 リーラは申し訳なさそうにする優牙ゆうがに、気にするなとひらひら手を振った。椅子から腰を上げ、レジ横の奥にある扉を開ける。彼らが揃ってこんな時間に来るという事は、単に暇つぶしではない。

「おいで、ついでに何か出すよ」
「私抹茶がいいな」
「それは自分で用意したまえ」
「ケチ」

 天は口を尖らせる真似をする。側から見たら不機嫌そうな顔だが、優牙はそれが真逆の感情なのを知っている。彼らの仲は、リーラが日本に来た十数年前から。天が一方的にだが、喧嘩するほど仲が良いという言葉が似合う関係だ。
 嫌いではなく素直じゃないだけで、今日も夜にロイエを訪れる提案をすると、天は面倒くさがる素振りをしていたものの、どこかそわそわしていた。

 壁にほどよく紛れたドアをくぐれば、そこはソファがローテーブルを挟んだ客室。4畳程度だが、物の配置のためかあまり狭くは感じない。
 天は早速ソファに腰を下ろし、隣に優牙も座った。ここは、リーラが本業のために使っている部屋だ。小さな空間には、壁掛け時計が針を刻む音は大きく聞こえる。

「優牙、あれから進展あった?」
「いや……」
「そっかぁ」

 天は大きく溜息を吐くと、気だるそうに頬杖をつく。同じように、優牙も小さく息をこぼした。
 コツコツとしたヒールの音に振り返ると、紅茶の香りがふわりと部屋に漂う。奥にあるキッチンから、リーラが戻ってきた。手にはティーカップとチョコレートが乗った盆を持っている。

「元気が無いな。チョコと紅茶はいかがかな?」

 リーラは二人と向かい合うソファに腰を深く下ろし、長い足を組むと紅茶を啜った。習って優牙たちも飲む。カモミールにミルクを混ぜたらしく、爽やかでいて濃厚だ。

「それで……テンシについて、何かあったみたいだね?」
「ああ、多分」

 煮え切らない肯定に、リーラは訝しむように片眉を上げる。
 優牙たちがテンシという単語に対し、何の違和感も持たないのには、理由があった。二人とも形は多少違うが、天使の被害者なのだ。どちらもリーラの手で救われ、礼として、テンシ狩りに協力をしている。
 彼らは喫茶店を運営していて、世の中に流れる様々な情報を耳にできる。その中から、テンシに関連のありそうな情報を、リーラへ提供しているのだ。

「まだ確かじゃない。ただ、そうでなくても、ひとまず今の段階で頭に入れておいてほしいんだ」
「アマ君の嗅覚には、いつも助けられているからね。聞かせておくれ」

 事の発端は、大学生だと思われる客人の会話。彼らはバイトを探している最中のようで、注文したケーキを一口食べてからはスマートフォンに夢中になっていた。
 最後の学生生活を有意義に過ごすため、彼らが求めるのは楽な高額バイト。そんな条件は誰もが求めるが、中々見つからない。しかし何万ある求人から、隅に潜んだ目的の物を探し当てた。

「治験のバイト、なんだってさ」
「ちけん?」
「新薬を試すバイトだ」
「実験体か。日本も大胆だね」
「大きく言えばそうかもしれない。ただメリットもあって、持病を持つ被験者が参加後には治ったという例もある。まあ……とはいえ、副作用が無いとは言えないけれど」
「どんな仕事にも危険は付き物だよ」

 その分、通常のバイトよりも受給額が高い。しかし疑問に持ったのは、その治験バイトが少し特殊だったからだ。
 週一の通院型と入院型を混ぜたものだった。週に一回、指定の病院へ行き、一日入院をする。報酬はそのたび支払われるそうだ。入院費、食費など全てバイト先が負担し、さらに報酬は一回三万と、類を見ない高額さ。

「様子見てたけど……何人か、いくら待っても帰って来ない人がいたよ。明らかに変」
「ふむ、たしかに変だ。しかし、テンシの関係性が見えないが」
「天が、天使だとバレた」
「なんだって?」

 そう、天は天使。正しくは、元天使だ。訳あって自らの翼を切り落とし、人間界へと堕ちた。それを知っているのは、リーラと優牙。そして本人と面識のある一部のテンシ狩りのみ。
 天の見た目は、元天使であった事から整った容姿をしている。しかしそれを含めて見ても、人間にしか見えない。正体を見破ったという事は、彼の以前を知る者が居るか、眼のいい人間かだ。

「先週行こうとしたら、施設はもぬけの殻。私には全く連絡無し。普通バイトには報せるはずでしょ?」

 天はせっかく遠出したのにと、気怠そうに溜息を吐いた。
 喫茶店で入手した情報は、全て天が体験して判断する。つまり、彼も治験に調査という形で参加したのだ。もちろん出された薬はその場で飲んだふりをする。飲み込んだかどうか、口の中を見られたと言うのだから、ずいぶんな念入りようだ。薬は喉まで通し、その後無事吐き出したそうだ。

「ま、人間の薬なんて効かないけどねぇ」
「キミね、堕天したんだからもっと人間らしくしたまえよ」
「お前に言われたくない。で、なんか患者一人一人に、お偉いさんみたいな人が挨拶に回ってきたんだけどさ」
「感慨しいね」
「甲斐甲斐しいじゃないか?」
「それだ」

 治験に参加して二回目の時だ。とても可愛らしい少女を連れて、人の良さそうな笑顔をした男がベッドの前に来た。院長だと名乗られ、体調や治験の経験、他にはギリギリプライベートには引っかからないような世間話をした。
 喋るのは院長のみで、少女は結んだ口を縫われたように開かない。ただじっと、観察するように天を見つめていた。

「その少女が天使だったと?」
「んんー……それなんだけど、女の子からは人間の香りしかしなかった。でも関係者ではあるよ、きっと」

 きっかけはなんであれ、天の正体を知って、場所を移したのだ。それほど他者には気付かれたくない事をしているのだろう。場所は現在、情報を聞き回って探している最中だと言う。その少女がたとえどんな存在であれ、関係者をのさばらせるわけにはいかない。

「ふむ、内容は分かった。教えてくれて感謝するよ」
「まだ確信できない状況ですまない」
「気にするな。ここから先は、ワタシも協力しよう」

 相手がどこへ行こうと、逃げ場は無い。なにせテンシ狩りたちは、全国各地に散らばっている。それが全てがリーラにとっては自分の目、同然なのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...