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【宝石少年と芸術の国】
タラント嬢
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ナイフがプツリと肌を切り裂き、ポタポタと落ちていく。雫が落ちる先にあるのは、ラピスラズリ。国石ではない。アルティアルの祭壇広場にあるはずの、国宝だ。本来ならば美しいはずの体は所々に亀裂が入り、血によって穢れている。その様子を満足そうに眺めるのは、シナバーの朱色の瞳。これだけ染まれば、あとは相手の動きを待つだけ。
ふと視線を感じ、部屋の隅へ振り返る。檻越しに、青い瞳とローズクオーツの義眼が睨んでいる。いや、軽蔑の眼差しと言った方が正しいか。
マリンの体は生傷だらけだった。ジオードにルルからのお守りを渡しに出たあの日以降、ここに監禁されている。1番の目的は他にあるらしいが、やはりファルベにも目が向いていた。手を出される前にと、仕留めようとしたがダメだった。全く歯が立たない。国宝から力を受けているのだ。マリンは攻撃を跳ね返されて気を失い、気が付いたらここに居た。
「何か言いたげだな?」
「……そこまで下衆だとは思わなかっただけだ。お前と同族の人間に同情するよ」
言うことを聞かないから少しお灸を据えてやったが、さすがは長寿の耳長属。ちょっとやそっとの痛みでは、反感の意識は消えない。恋人の分まで背負っていると思っているのだろう。まあ、それが面白いのだが。
国宝が、力を振り絞って淡い輝きを発する。それはまるで、世界の王を呼んでいるかのようだ。実際そうなのだろう。渡した道具の行方が途絶え、シナバークオーツの破壊も伝わってきた。やはり、あのマントの旅人は世界の王なのだと、確信にシナバーはニヤリと笑う。
(おそらく、王自身も、私が気付いているのを勘付いている)
遡る事3日前。人形の目を頼りに夜を徘徊させると、祭壇広場に佇む女神像の下から、見覚えのある男装した少女と、怪しい格好をしたマントの人物が出てきた姿を捉えた。しかも、薄青い手から鉱石が生成される所まで目撃し、もしやとしばらく監視した。
仮面は頑なに外されないため確信を持てなかったが、周囲の言動や、ただの旅人とは思えない立ち回りで目をつけた。世界の王が居るのは、嬉しい誤算。やはり早い目覚めという噂は真実だった。
だがシナバーは、世界の王自身に興味はなかった。もちろん優れた素材だから、これ以上ないほど高額になる。しかしそれでは世界を崩壊に導く事になる。別に世界を壊したいわけではない。ただ、この世で受けられる最高級の贅沢がしたいだけ。目的はただ一つ。この国に眠る金塊だ。しかしその金塊を手に入れるためには、世界の王の協力が必須。だから考えた。1番手っ取り早く、確実な方法を。
シナバーは血に汚れた国宝を、手作りの小箱に収める。闇色をした箱は、シンプルな作りでありながら頑丈。しかもそれだけではない。国宝の音を遮断できるのだ。正確に言えば、他の石の音で誤魔化す。そのため、今世界の王には僅かに音が聞こえただけで、もう消えているはずだ。
シナバーは箱を手元にしまうと、マリンに振り返る。
「大人しく、いい子にしていろ」
そう言い残し、隠しドアから外へ出ていった。マリンはその後ろ姿を奇妙に思い、訝しそうな視線で見送る。監禁されて分かったが、シナバーはアヴィダンを名乗るため、変化魔法で姿を変える。なのにあの姿、つまりアヴィダンではなくシナバーのまま、席を外したのは初めてだ。一体、何が狙いなのか。
(もしファルベの目の前に、あの姿で現れたら……)
きっと身がすくむだろう。目を取り、傷物にした張本人なのだから、過去の傷が抉られるのは当然だ。心についた傷というのは、一度ついたら消えない。ただ傷跡になるだけだ。
マリンは悔しそうにぐっと拳を握る。
「神様、どうかこれ以上、あの子にイタズラをしないで」
隣に居られない今、ただ願うしかできない。
静まる部屋に、バキバキと小さな音が聞こえ始めた。正面の壁へ顔を向ければ、よく見慣れたローズクオーツが一面を覆い、破壊してドアをこじ開けた。そこに立っているのは、愛しい人。
ファルベはマリンの無事を左目に収めると、檻へ駆け寄った。
「ファルベ……!」
「助けに来たんだ。ルルたちに協力してもらって」
階段の先はいくつかに別れていた。フロゥの記憶はそこからはハッキリせず、それぞれ別れて道を進んだ。ファルベも勘で選んだ道だったが、進むうち、徐々に自分の一部の気配を感じ始めた。降りきったそこは、行き止まりに見せかけた壁。ドアや仕掛けも見当たらないが、ファルベは感じる気配を信じて壁を破壊したのだ。
檻の鍵に使われているのも、シナバークオーツ。やはり血が使われているのか、オリクトの民にとっては鼻が曲がりそうな臭いがする。
マリンは過去、檻から解放してくれた。だから次は、自分の番だ。ファルベは痛みすら感じるシナバークオーツの鍵を握る。するとまるで焼けるような音をあげながら、煙が指の隙間から立ち上った。血の混ざった石を壊すには、他の血を入れて浄化する必要がある。ただのオリクトの民では、触っただけで破壊できる世界の王のようにはいかない。
最後、手にグッと力を込める。頑丈だったシナバークオーツは、長い年月を終えたかのようにボロボロと崩れていった。檻の扉が開き、2人はどちらともなく抱きしめ合う。
「あぁ、ファルベ……ごめんよ、キミのそばで守れなくて」
ファルベは顔をむすっとさせると、体を離す。乱暴に解かれた抱擁にキョトンとするマリンに、ファルベは泣き出しそうに顔をしかめた。
「バカ、私が心配したんだ! いつもいつも、無茶ばっかりして。そのくせ自分の心配はしないで……バカ、バカマリン。私だって、守られるばかりじゃないんだ」
マリンは整った顔を悲しそうに歪めるファルベに、目を丸くする。傷付けないための行動だった。しかし結果的にその思考が、ファルベを傷つけた。盲点だった。大事な存在が傷付けば、自分が痛いというのを知っているのに。体を張って守ればいいという考えは、なんて傲慢で独りよがりか。そして、健気に立つ彼はなんて美しいのか。
「はは、困ったな。惚れ直しちゃった」
「……バカ」
そんな反応をよこすとは予想外で、思わずファルベは顔を赤くする。まったく、この男は自分がどんな状況か分かっていない。しかしふっと可笑しそうに笑ってしまった。無茶で無謀で仕方ないが、そんな彼も好きなのは確かだ。惚れた弱みだろう。
「ルルたちも居るのかい?」
「うん、すぐに来るよ。合図をしたから」
別れる時、全員【ルルの石】を持った。マリンを見つけた時、そして予想外の事が起きた際、投げて割る。一つが割れると、他の【ルルの石】に亀裂が走るようになっている。今頃こちらに向かっているだろう。
「シナバーが生きていたんだ。あの姿は、変化魔法を使っていた」
「やっぱり、彼なのか」
「ああ……あの時、殺しておけば良かった」
『貴方が手を、汚す必要は、無いよ』
単調で、それでも柔らかな声が、悔しさに溢れた恨みも言葉を優しく包んだ。振り返ったファルベの視線を真似して、壊れた壁を見る。そこに、ルルとフロゥが立っていた。フロゥはほっと胸を撫で、ルルは安心しているように、虹色の全眼を細くしている。その瞳は、ファルベの次に美しいと思えた。
「ルル……やっぱりキミは、世界の王だったのか」
ルルは何も言わずに頷く。人間よりも自然界の寵愛を受ける種族。そしてそれ以前に、マリンは相手の言動から悟るのが上手い。だからなんとなく、気づいていてもおかしくはないと思っていた。
『ファルベから、シナバーについて、話を聞いた。彼も、ここを使っていた、ようだね』
「ああ。僕が見た全てを話すよ。アイツは、国宝を使っている」
表情の乏しいルルの顔が、僅かに驚愕の色を浮かべる。確かに、アルティアルの国宝の音は、頻繁には聞こえなかった。驚いているルルに、マリンは特殊な加工を施した箱の中に入れられていて、常にシナバーの手元にあるのを説明した。しかも彼の血で半分以上穢れているというのも。
ルルは全てを聞き終えると、濃い色をした唇に指を添え、考え込む。フロゥたちは不安そうだ。国宝の力を味方につけられれば、手出しが難しくなる。しかしルルにその不安は無さそうだ。
『所詮は、人。人間の器に、国宝が収まるはず、ない』
いくら魔術に長けようと、どれだけの力を持とうとも所詮は、国宝によって生かされる者。そんな存在が、母体となる力を完全に受け入れる事など不可能。世界の王でさえ、その穢れを受け、体内を犠牲にするのだから。
ルルは救いを求めるような視線を向ける3人に、笑みを浮かべるように頬を緩める。そのうちの1人、マリンはシナバーを生かした事への未練に暗く染まっている。
『大丈夫。彼はちゃんと、裁かれる。マリン、貴方の手は、ファルベを愛する、綺麗な手だ。人形を愛でる、優しい手だ。シナバーの血で汚すには、もったいない』
頭で声を紡ぐ音は、どこまでも優しい。マリンは青い左目をパチクリさせ、促されるように自分の両手を見る。そして、なんだか憑き物が落ちたように、ふっと笑った。
立つと少し足が痛む。マリンはファルベに肩を借り、牢から出た。さあ、脱出をしよう。しかしそう思った時、ルルはとあることに気づく。
『アルナイトは?』
「え?」
「あれっ?」
ずっと元気な彼女の声が聞こえない。気配も近くには無い。【ルルの石】を持った彼女も、フロゥたちと同様、合図に気付いているはずだ。フロゥは思わず、壁の外へ彼女を呼ぶ。しかし奥へ小さくこだまするだけで、返事は来なかった。
~ ** ~ ** ~
ルルたちと別れてから、数分経過した頃。アルナイトは【ルルの石】の美しい明るさを頼りに、怖い暗闇を進んでいく。マリンを助けたい一心で行けば、こんな暗闇へっちゃらだ。今は独りじゃないんだから、大丈夫。
そうやって心を奮起させた彼女だが、すぐに行き止まりになった。そこは壁だが、整備された様子はなく、ガサツに掘り進めて途中でやめたように思える。仕掛けのため、というよりはただのハズレだと分かった。アルナイトはがっくりと肩を落とす。
「なぁんだ、ここはハズレだ。よし、ルルたちのトコ戻るか」
階段は長く上りだが、普段からいろんな所を冒険する彼女の体力は充分残っている。そんな時、手に持っていた【ルルの石】が小さく震えたのが分かった。なんだと思って視線を向けると、ピシリと亀裂が走る。ファルベがマリンを見つけ、割ったのだ。
その瞬間、暗いここでは目をつぶしそうなほどの眩しい光が溢れる。アルナイトを、美しい虹色の光が包み込む。しかし彼女は、明るい灰色の目を閉じなかった。
声が聞こえる。優しい、女性の声。そして見える。これは目ではなく、脳から来る映像だ。
アルナイトと同じ、灰色の目をした女性。小綺麗で上品なドレスを身につけ、絵を描いている。呼ぶと、女性は振り向いて頭を優しく撫でてくれた。抱きしめてくれた。しかしその時、腕が震えているのに、アルナイトは不思議に思っていた。
暗い。穴。暗闇。牢屋。女性が赤い絵の具を散らばせたように赤い中に、倒れている。ジオードが居る。彼は苦しそうな顔をし、何かを、見せて──。
【ルルの石】の輝きは、とっくに治っていた。しかしアルナイトは、まるで今体験したかのように脳裏を駆け巡った出来事に、ただ唖然と佇んでいる。
「……せんせ?」
ポツリと呟かれた言葉に、コツンコツンと、誰かの足音が混ざる。我にかえりはっと振り向いたそこに居たのは、シナバー。彼は親しみを込めた微笑みを浮かべる。
「初めまして、いや、久しぶりだな、アルナイト・タラント嬢」
アルナイトは灰色の目をキョトンとする。しかしその家名には、なぜか懐かしさを感じた。
ふと視線を感じ、部屋の隅へ振り返る。檻越しに、青い瞳とローズクオーツの義眼が睨んでいる。いや、軽蔑の眼差しと言った方が正しいか。
マリンの体は生傷だらけだった。ジオードにルルからのお守りを渡しに出たあの日以降、ここに監禁されている。1番の目的は他にあるらしいが、やはりファルベにも目が向いていた。手を出される前にと、仕留めようとしたがダメだった。全く歯が立たない。国宝から力を受けているのだ。マリンは攻撃を跳ね返されて気を失い、気が付いたらここに居た。
「何か言いたげだな?」
「……そこまで下衆だとは思わなかっただけだ。お前と同族の人間に同情するよ」
言うことを聞かないから少しお灸を据えてやったが、さすがは長寿の耳長属。ちょっとやそっとの痛みでは、反感の意識は消えない。恋人の分まで背負っていると思っているのだろう。まあ、それが面白いのだが。
国宝が、力を振り絞って淡い輝きを発する。それはまるで、世界の王を呼んでいるかのようだ。実際そうなのだろう。渡した道具の行方が途絶え、シナバークオーツの破壊も伝わってきた。やはり、あのマントの旅人は世界の王なのだと、確信にシナバーはニヤリと笑う。
(おそらく、王自身も、私が気付いているのを勘付いている)
遡る事3日前。人形の目を頼りに夜を徘徊させると、祭壇広場に佇む女神像の下から、見覚えのある男装した少女と、怪しい格好をしたマントの人物が出てきた姿を捉えた。しかも、薄青い手から鉱石が生成される所まで目撃し、もしやとしばらく監視した。
仮面は頑なに外されないため確信を持てなかったが、周囲の言動や、ただの旅人とは思えない立ち回りで目をつけた。世界の王が居るのは、嬉しい誤算。やはり早い目覚めという噂は真実だった。
だがシナバーは、世界の王自身に興味はなかった。もちろん優れた素材だから、これ以上ないほど高額になる。しかしそれでは世界を崩壊に導く事になる。別に世界を壊したいわけではない。ただ、この世で受けられる最高級の贅沢がしたいだけ。目的はただ一つ。この国に眠る金塊だ。しかしその金塊を手に入れるためには、世界の王の協力が必須。だから考えた。1番手っ取り早く、確実な方法を。
シナバーは血に汚れた国宝を、手作りの小箱に収める。闇色をした箱は、シンプルな作りでありながら頑丈。しかもそれだけではない。国宝の音を遮断できるのだ。正確に言えば、他の石の音で誤魔化す。そのため、今世界の王には僅かに音が聞こえただけで、もう消えているはずだ。
シナバーは箱を手元にしまうと、マリンに振り返る。
「大人しく、いい子にしていろ」
そう言い残し、隠しドアから外へ出ていった。マリンはその後ろ姿を奇妙に思い、訝しそうな視線で見送る。監禁されて分かったが、シナバーはアヴィダンを名乗るため、変化魔法で姿を変える。なのにあの姿、つまりアヴィダンではなくシナバーのまま、席を外したのは初めてだ。一体、何が狙いなのか。
(もしファルベの目の前に、あの姿で現れたら……)
きっと身がすくむだろう。目を取り、傷物にした張本人なのだから、過去の傷が抉られるのは当然だ。心についた傷というのは、一度ついたら消えない。ただ傷跡になるだけだ。
マリンは悔しそうにぐっと拳を握る。
「神様、どうかこれ以上、あの子にイタズラをしないで」
隣に居られない今、ただ願うしかできない。
静まる部屋に、バキバキと小さな音が聞こえ始めた。正面の壁へ顔を向ければ、よく見慣れたローズクオーツが一面を覆い、破壊してドアをこじ開けた。そこに立っているのは、愛しい人。
ファルベはマリンの無事を左目に収めると、檻へ駆け寄った。
「ファルベ……!」
「助けに来たんだ。ルルたちに協力してもらって」
階段の先はいくつかに別れていた。フロゥの記憶はそこからはハッキリせず、それぞれ別れて道を進んだ。ファルベも勘で選んだ道だったが、進むうち、徐々に自分の一部の気配を感じ始めた。降りきったそこは、行き止まりに見せかけた壁。ドアや仕掛けも見当たらないが、ファルベは感じる気配を信じて壁を破壊したのだ。
檻の鍵に使われているのも、シナバークオーツ。やはり血が使われているのか、オリクトの民にとっては鼻が曲がりそうな臭いがする。
マリンは過去、檻から解放してくれた。だから次は、自分の番だ。ファルベは痛みすら感じるシナバークオーツの鍵を握る。するとまるで焼けるような音をあげながら、煙が指の隙間から立ち上った。血の混ざった石を壊すには、他の血を入れて浄化する必要がある。ただのオリクトの民では、触っただけで破壊できる世界の王のようにはいかない。
最後、手にグッと力を込める。頑丈だったシナバークオーツは、長い年月を終えたかのようにボロボロと崩れていった。檻の扉が開き、2人はどちらともなく抱きしめ合う。
「あぁ、ファルベ……ごめんよ、キミのそばで守れなくて」
ファルベは顔をむすっとさせると、体を離す。乱暴に解かれた抱擁にキョトンとするマリンに、ファルベは泣き出しそうに顔をしかめた。
「バカ、私が心配したんだ! いつもいつも、無茶ばっかりして。そのくせ自分の心配はしないで……バカ、バカマリン。私だって、守られるばかりじゃないんだ」
マリンは整った顔を悲しそうに歪めるファルベに、目を丸くする。傷付けないための行動だった。しかし結果的にその思考が、ファルベを傷つけた。盲点だった。大事な存在が傷付けば、自分が痛いというのを知っているのに。体を張って守ればいいという考えは、なんて傲慢で独りよがりか。そして、健気に立つ彼はなんて美しいのか。
「はは、困ったな。惚れ直しちゃった」
「……バカ」
そんな反応をよこすとは予想外で、思わずファルベは顔を赤くする。まったく、この男は自分がどんな状況か分かっていない。しかしふっと可笑しそうに笑ってしまった。無茶で無謀で仕方ないが、そんな彼も好きなのは確かだ。惚れた弱みだろう。
「ルルたちも居るのかい?」
「うん、すぐに来るよ。合図をしたから」
別れる時、全員【ルルの石】を持った。マリンを見つけた時、そして予想外の事が起きた際、投げて割る。一つが割れると、他の【ルルの石】に亀裂が走るようになっている。今頃こちらに向かっているだろう。
「シナバーが生きていたんだ。あの姿は、変化魔法を使っていた」
「やっぱり、彼なのか」
「ああ……あの時、殺しておけば良かった」
『貴方が手を、汚す必要は、無いよ』
単調で、それでも柔らかな声が、悔しさに溢れた恨みも言葉を優しく包んだ。振り返ったファルベの視線を真似して、壊れた壁を見る。そこに、ルルとフロゥが立っていた。フロゥはほっと胸を撫で、ルルは安心しているように、虹色の全眼を細くしている。その瞳は、ファルベの次に美しいと思えた。
「ルル……やっぱりキミは、世界の王だったのか」
ルルは何も言わずに頷く。人間よりも自然界の寵愛を受ける種族。そしてそれ以前に、マリンは相手の言動から悟るのが上手い。だからなんとなく、気づいていてもおかしくはないと思っていた。
『ファルベから、シナバーについて、話を聞いた。彼も、ここを使っていた、ようだね』
「ああ。僕が見た全てを話すよ。アイツは、国宝を使っている」
表情の乏しいルルの顔が、僅かに驚愕の色を浮かべる。確かに、アルティアルの国宝の音は、頻繁には聞こえなかった。驚いているルルに、マリンは特殊な加工を施した箱の中に入れられていて、常にシナバーの手元にあるのを説明した。しかも彼の血で半分以上穢れているというのも。
ルルは全てを聞き終えると、濃い色をした唇に指を添え、考え込む。フロゥたちは不安そうだ。国宝の力を味方につけられれば、手出しが難しくなる。しかしルルにその不安は無さそうだ。
『所詮は、人。人間の器に、国宝が収まるはず、ない』
いくら魔術に長けようと、どれだけの力を持とうとも所詮は、国宝によって生かされる者。そんな存在が、母体となる力を完全に受け入れる事など不可能。世界の王でさえ、その穢れを受け、体内を犠牲にするのだから。
ルルは救いを求めるような視線を向ける3人に、笑みを浮かべるように頬を緩める。そのうちの1人、マリンはシナバーを生かした事への未練に暗く染まっている。
『大丈夫。彼はちゃんと、裁かれる。マリン、貴方の手は、ファルベを愛する、綺麗な手だ。人形を愛でる、優しい手だ。シナバーの血で汚すには、もったいない』
頭で声を紡ぐ音は、どこまでも優しい。マリンは青い左目をパチクリさせ、促されるように自分の両手を見る。そして、なんだか憑き物が落ちたように、ふっと笑った。
立つと少し足が痛む。マリンはファルベに肩を借り、牢から出た。さあ、脱出をしよう。しかしそう思った時、ルルはとあることに気づく。
『アルナイトは?』
「え?」
「あれっ?」
ずっと元気な彼女の声が聞こえない。気配も近くには無い。【ルルの石】を持った彼女も、フロゥたちと同様、合図に気付いているはずだ。フロゥは思わず、壁の外へ彼女を呼ぶ。しかし奥へ小さくこだまするだけで、返事は来なかった。
~ ** ~ ** ~
ルルたちと別れてから、数分経過した頃。アルナイトは【ルルの石】の美しい明るさを頼りに、怖い暗闇を進んでいく。マリンを助けたい一心で行けば、こんな暗闇へっちゃらだ。今は独りじゃないんだから、大丈夫。
そうやって心を奮起させた彼女だが、すぐに行き止まりになった。そこは壁だが、整備された様子はなく、ガサツに掘り進めて途中でやめたように思える。仕掛けのため、というよりはただのハズレだと分かった。アルナイトはがっくりと肩を落とす。
「なぁんだ、ここはハズレだ。よし、ルルたちのトコ戻るか」
階段は長く上りだが、普段からいろんな所を冒険する彼女の体力は充分残っている。そんな時、手に持っていた【ルルの石】が小さく震えたのが分かった。なんだと思って視線を向けると、ピシリと亀裂が走る。ファルベがマリンを見つけ、割ったのだ。
その瞬間、暗いここでは目をつぶしそうなほどの眩しい光が溢れる。アルナイトを、美しい虹色の光が包み込む。しかし彼女は、明るい灰色の目を閉じなかった。
声が聞こえる。優しい、女性の声。そして見える。これは目ではなく、脳から来る映像だ。
アルナイトと同じ、灰色の目をした女性。小綺麗で上品なドレスを身につけ、絵を描いている。呼ぶと、女性は振り向いて頭を優しく撫でてくれた。抱きしめてくれた。しかしその時、腕が震えているのに、アルナイトは不思議に思っていた。
暗い。穴。暗闇。牢屋。女性が赤い絵の具を散らばせたように赤い中に、倒れている。ジオードが居る。彼は苦しそうな顔をし、何かを、見せて──。
【ルルの石】の輝きは、とっくに治っていた。しかしアルナイトは、まるで今体験したかのように脳裏を駆け巡った出来事に、ただ唖然と佇んでいる。
「……せんせ?」
ポツリと呟かれた言葉に、コツンコツンと、誰かの足音が混ざる。我にかえりはっと振り向いたそこに居たのは、シナバー。彼は親しみを込めた微笑みを浮かべる。
「初めまして、いや、久しぶりだな、アルナイト・タラント嬢」
アルナイトは灰色の目をキョトンとする。しかしその家名には、なぜか懐かしさを感じた。
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