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【宝石少年と芸術の国】
瓜二つの笑顔
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ジオードの顔色は優れなかった。アルナイトが寝込んでいるのだ。彼女はいくら疲れていても、その活発さからかいつも早起きだ。それなのに、今朝はいくら経っても朝食をとりに来ない。一体なんだと部屋まで様子を見れば、苦しそうに寝ているじゃないか。
「うぅ~……ごめんせんせぇ」
「謝るくらいなら、さっさと寝ろ」
その方が早く治る。そう言ってあげればいいのに、ジオードの口はいつも心を屈折してしまう。
彼は頭を悩ませていた。熱も無いし咳もしない。しかし今にも死んでしまいそうな姿。昨日の食事が原因だろうか。いつも通り好みのを作ったつもりだが、何か細菌でも入っていたか。それとも体が受け付けないのを食べさせたか。
「せんせぇ」
「なんだ」
「オレ、へーきだからさ、せんせ、絵描いていいよ」
ジオードは濁った目を見開き、叫びそうな口をぐっと噛むと、アルナイトの目元を手で遮るように覆った。
「……やかましい。お前は自分のことを考えろ」
平気なわけがない。起き上がれないほど弱っているのに、どうして他人を気にするのか。とりえあえず、今は水分を摂らせよう。そう腰を上げたジオードを、少し強めのノックが呼んだ。
こんな時に誰だと、未だ鳴り続ける玄関のドアを開けた。外に立っていたのはリッテ。会ったのはたった1、2回程度で、なんの用だと怪訝そうに見上げる。そんな彼の後ろから、ひょこっとルルが現れた。ジオードは2人に接点があったのかと、不思議そうに濁った白い目を瞬かせる。
「……なんの用だ」
『フロゥが、居ないの。何か知らない?』
フロゥはいつも、必要無いと言っているのに、工房を使う時にわざわざ挨拶に来る。しかし今日は、そういえば来ていない。「知らん」と首を横に振ると、ルルは『そう』と少し考え込む様子だった。
「用が済んだなら帰れ。忙しい」
『アルナイトは?』
「……今日は帰れ」
『寝込んでるの?』
ジオードは閉めようとドアのノブにかけた手を止める。ルルは呪いに詳しくないが、リッテが言っていたのだ。呪いに耐性のあるアウィンが、いっとき触れただけで体調を崩している。だから、身に付けていなくても同じ空間に居た彼女は、より侵食されているはずだと。
ジオードの反応を見て、そうに違いないと確信した。しかし何を勘違いしたのか、彼からは殺意を感じる。
「何故分かる」
『事情はあと。アルナイトを助けたいなら、入れて』
「ルル様がこう言っているんだ。入るぞ」
「おい!」
焦ったいと思ったのか、リッテは有無を言わさずにドアをくぐった。ルルは少し迷ったみたいだが、すぐリッテの背中に続く。リッテは止めようとするジオードに振り返って、冷たく言った。
「巨匠と言うのは、弟子の死に様も絵にするのか?」
「なっ」
『リッテ、そんな事言っちゃ、ダメ』
「申し訳ございません。ただ、あまりにもハッキリしないので」
リッテらしいが、ルルは『もう』と仕方なさそうにすると、未だ警戒を続けるジオードに歩み寄る。シワの刻まれた、絵の具の匂いが染み付いた大きな手を握ると、大袈裟に震えが返ってきた。
『ジオード、他人を、信用しないのには、意味があるでしょう? でもお願い。今は僕らを、信じて。後悔する前に』
「……お前たちが、救えるのか」
フードの影になった暗い色の唇が、心なしか穏やかな孤を描いているように見える。頷いたルルに、ジオードは小さく「分かった」と言うと、ようやく2人をアルナイトの部屋に案内した。
部屋に入ってすぐ、リッテとルルの耳を鉱石の音が察知した。持って来た鉱石のナイフが、呪いに反応しているのだ。
ルルは苦しそうに呼吸を繰り返す彼女の頬を優しく撫でる。名前を呼ぶと、頭の中に優しく響いた声が彼女の意識を浮上させた。人よりも柔らかく、少し冷たい手が心地いい。
「ルル……?」
『うん』
「ごめん、オレ、フロゥの事、ちゃんと……見れてない」
『いいの。大丈夫だよ、すぐ、楽になるから。全て、大丈夫』
ルルは過去何度も「大丈夫」だと言って、その通りにしてくれた。だからアルナイトは何も聞かず「そっか」とだけ言って、安心したようにまた目を閉じる。
しかしリッテは真紅の目元をしかめる。呪いの進行度が早い。呪いは効かない身だが、貴族という身分なだけあって、他の同種族よりも知識がある。原因は昨日のネックレスだけではないだろう。
「ジオード殿、そなたの持つアヴィダンから買い付けた商品を今すぐ持って来なさい。全てだ」
「なんだって? どうしてあの商人が出てくる」
「いいから早く。ヤツは信用できて、我々は信用できんのか?」
ジオードはうっと言葉を詰まらせると、ちらりとアルナイトを見る。すぐに自室へ向かうと、袋を持って戻って来た。中を見れば、同じ呪具のアクセサリーがじゃらじゃらと顔を出す。これだけあれば、ルルのお守りがあっても効力を出すだろう。
さすがの予想していない量に、リッテは顔を引きつらせる。
「……巨匠殿は、もう少し賢いと思っていたが」
『リッテ』
リッテは素直すぎてひと言多い。アウィンの苦労が少し分かった気がする。静かでもルルの声色は嗜めるように聞こえる。リッテは出そうになった言葉を胃に落とし、大人しく魔道具を取り出した。
手の平に収まる程度のナイフの刃を、銀で出来た呪いの装飾具に強め当てる。肩までで綺麗に切り揃えた、リッテの赤い髪が風を無しに緩やかに踊った。数秒、キーンと鉱石の音が響き渡る。これはジオードにも聞こえていた。外からではなく、生き物の脳内に直接響く。鼓膜を内側から震わせる音に、彼はくらっとした眩まいを感じた。
ふら付いた体を、そっと薄青い手が支える。いち早くジオードの様子に気付いたのか、いつの間にかルルがそばに居た。
『大丈夫。綺麗にするだけ』
こんな子どもの言う事なんて信じられない。そのはずなのに、彼の言葉はとても安心した。ふと、昨日マリンとの会話を思い出す。
「……お前は、世界の王なのか」
「!」
ルルは宝石を散りばめた仮面の下で、不意打ちを食らったように目を見開いた。どうしてその考えに至ったのか、ルル本人は想像できない。しかし頷く事はせず、あえて紫の唇にそっと指を添えるだけにした。
「──終わったぞ」
ジオードは我に返るようにハッとし、慌ててアルナイトの顔を覗き込んだ。さっきまでの荒い呼吸はどこへやら、眠っているかのような、穏やかなものになっていた。ジオードは心から安堵の息を吐く。
ルルは苦しくないようにと、アルナイトの首から下がるお守りを外し、枕の隣に置く。
『少し、話をしよう』
ジオードは何も言わない。しかし警戒心も、訝しんでいる様子も無かった。アルナイトを見つめる瞳は愛しそうだ。彼は静かに頷き、2人を客間に通した。
簡単に紅茶を用意し、それぞれがひと口ずつ唇を潤わせる。歳のせいで少しカサついたジオードの口が、震える息を吐いた。
「…………何が起きている?」
『僕らを、信じてくれる?』
「ああ」
『アヴィダンの持つ、商材は全て、呪いがある。そして、貴方が買った画材の、原料となる石は、人の心を、惑わせる。心当たりが、あるでしょう?』
一瞬のうちに思い出されたのは、フロゥの絵。あの異常に鮮やかな赤い一輪の花。この世のものとは思えない、本物よりも生々しく美しい花。あれはフロゥの絵のタッチではなかった。
「俺はそんな事を聞いていないぞ……!」
「ならば何を聞いたんだ?」
「……あの子を、守れると」
「なんだ、そんな曖昧な事を」
ジオードは汗ばんだ手でグッと拳を握り、それ以上は語らなかった。嘘は言っていない。しかしまだ隠している事があるのが分かる。それはきっと、自分ではなくアルナイトのためだろう。
ルルはリッテの赤の混ざる褐色の手にそっと触れる。リッテは何か言いたげだが、大人しく従ってそれ以上は口を閉ざした。
『分かった。けれどこれ以上、画材を、使わせないで。ジオードも危険だから、むやみに触れては、ダメ。今日はこれから、まだ訪ねる所が、ある。だからまたあとで、綺麗にしに、来るね。その間、アヴィダンを中に、入れないで。約束』
「……分かった」
本当はフロゥが来るまで待っていたいが、呪いの進行度には個人差がある。できる事に時間を使いたい。
リッテとルルはジオードの家をあとにする事にした。玄関から出る直前、ルルはジオードに振り返り、彼だけに囁く。
『2人の事は、2人にしか分からない。けれどジオード、貴方は、間違えてはいけない。自分のためにも、彼女のためにも。大丈夫。全て、なんとかする』
返答は無い。別に求めていなかったから、ルルは彼の言葉がまとまるよりも前に、家を出て行った。
~ ** ~ ** ~
カーテンを閉め切って光を遮断した部屋の中、マリンは不安定に揺れる鉱石の灯りを頼りに手元に集中していた。片目に装着したルーペで覗いているのは、キラキラと光を反射するジオード鉱石。ルルが作ったお守りだ。ジオードにネックレスにでもして渡すと言ったが、そもそも彼は指輪やネックレスは好きじゃない。嫌いではないが眺める派で、邪魔だと言って付けないのだ。
しかし唯一、彼が身に付けられる装飾品がある。それはピアスだ。ずっと昔、若い頃に左耳に穴を開けてもらったそうだ。他人からすればただのお洒落だが、ジオードにとってはとても大切な印。だからピアスにする事にした。ネックレスと違って少し作るのが大変だから時間がかかるが、友のためを思えば容易い。
「うん、完璧! 小さくなっちゃったけど……大きいのは煩わしいって言われそうだし。ちょうどいいよね」
きっとぶつぶつ文句を言いながら、渡したその時に着けてくれるだろう。彼はそういう人だ。だから、これ以上傷付いてほしくない。
マリンは小指の爪程度のピアスを包む。
「どうか2人が幸せに暮らせますように」
削れた分、目一杯願いを込める。どうかあの不器用で情に厚く、優しい友を守ってくれますように。
「……よし、早く持っていかないとね」
ルーペを外し、鉱石の火を消して自室がある2階から、店に繋がる1階に降りる。すると、ファルベが少し早めに店じまいをしていた。芸術祭まで残り7日。できるだけ作業に集中したいのだ。
「やあ僕の愛しい人、調子はどう?」
「今日は試しに、着てみようと思ってる」
「本当に? 君の綺麗な姿は最初に見たい! ジオードにルルからのお守りを渡しに行くんだ。それまで待っていてくれる?」
「ふふ……仕方ないな。早く帰って来て」
「もちろん。寄り道せずに帰るよ」
可笑しそうに笑ったファルベをマリンは愛しそうに見つめ、優しく口付けをして店を出た。
この時期になると、みんな外に出なくなる。出ていても、作業に夢中になっている住民ばかりだ。芸術祭は国全体が展示会となる。この時期はみんな空気を張り詰めてはいるが、同時に楽しそうな雰囲気で好きだ。そして、ジオードとアルナイトが訪れた時期でもある。突然現れて、最優秀賞を取った人物。その芸術に対する姿勢は盲目的なのが好きで、マリンは真っ先に友人になった。
少し話をして、人形劇の練習に集中しよう。早く帰って、ファルベの綺麗な姿も見たい。
「マリン」
低い男の声。マリンはまるで釘で打たれたかのように、足を止めた。その声は知っている。契約を破り、ファルベを傷付けた奴隷商人。どうしてここに居る? それももう何十年も前で、人間だった彼は死んでいるはずだ。
振り返ったそこに居たのは、想像していた男とは別人のアヴィダン。しかし彼の笑顔は、その奴隷商人と瓜二つだった。
「うぅ~……ごめんせんせぇ」
「謝るくらいなら、さっさと寝ろ」
その方が早く治る。そう言ってあげればいいのに、ジオードの口はいつも心を屈折してしまう。
彼は頭を悩ませていた。熱も無いし咳もしない。しかし今にも死んでしまいそうな姿。昨日の食事が原因だろうか。いつも通り好みのを作ったつもりだが、何か細菌でも入っていたか。それとも体が受け付けないのを食べさせたか。
「せんせぇ」
「なんだ」
「オレ、へーきだからさ、せんせ、絵描いていいよ」
ジオードは濁った目を見開き、叫びそうな口をぐっと噛むと、アルナイトの目元を手で遮るように覆った。
「……やかましい。お前は自分のことを考えろ」
平気なわけがない。起き上がれないほど弱っているのに、どうして他人を気にするのか。とりえあえず、今は水分を摂らせよう。そう腰を上げたジオードを、少し強めのノックが呼んだ。
こんな時に誰だと、未だ鳴り続ける玄関のドアを開けた。外に立っていたのはリッテ。会ったのはたった1、2回程度で、なんの用だと怪訝そうに見上げる。そんな彼の後ろから、ひょこっとルルが現れた。ジオードは2人に接点があったのかと、不思議そうに濁った白い目を瞬かせる。
「……なんの用だ」
『フロゥが、居ないの。何か知らない?』
フロゥはいつも、必要無いと言っているのに、工房を使う時にわざわざ挨拶に来る。しかし今日は、そういえば来ていない。「知らん」と首を横に振ると、ルルは『そう』と少し考え込む様子だった。
「用が済んだなら帰れ。忙しい」
『アルナイトは?』
「……今日は帰れ」
『寝込んでるの?』
ジオードは閉めようとドアのノブにかけた手を止める。ルルは呪いに詳しくないが、リッテが言っていたのだ。呪いに耐性のあるアウィンが、いっとき触れただけで体調を崩している。だから、身に付けていなくても同じ空間に居た彼女は、より侵食されているはずだと。
ジオードの反応を見て、そうに違いないと確信した。しかし何を勘違いしたのか、彼からは殺意を感じる。
「何故分かる」
『事情はあと。アルナイトを助けたいなら、入れて』
「ルル様がこう言っているんだ。入るぞ」
「おい!」
焦ったいと思ったのか、リッテは有無を言わさずにドアをくぐった。ルルは少し迷ったみたいだが、すぐリッテの背中に続く。リッテは止めようとするジオードに振り返って、冷たく言った。
「巨匠と言うのは、弟子の死に様も絵にするのか?」
「なっ」
『リッテ、そんな事言っちゃ、ダメ』
「申し訳ございません。ただ、あまりにもハッキリしないので」
リッテらしいが、ルルは『もう』と仕方なさそうにすると、未だ警戒を続けるジオードに歩み寄る。シワの刻まれた、絵の具の匂いが染み付いた大きな手を握ると、大袈裟に震えが返ってきた。
『ジオード、他人を、信用しないのには、意味があるでしょう? でもお願い。今は僕らを、信じて。後悔する前に』
「……お前たちが、救えるのか」
フードの影になった暗い色の唇が、心なしか穏やかな孤を描いているように見える。頷いたルルに、ジオードは小さく「分かった」と言うと、ようやく2人をアルナイトの部屋に案内した。
部屋に入ってすぐ、リッテとルルの耳を鉱石の音が察知した。持って来た鉱石のナイフが、呪いに反応しているのだ。
ルルは苦しそうに呼吸を繰り返す彼女の頬を優しく撫でる。名前を呼ぶと、頭の中に優しく響いた声が彼女の意識を浮上させた。人よりも柔らかく、少し冷たい手が心地いい。
「ルル……?」
『うん』
「ごめん、オレ、フロゥの事、ちゃんと……見れてない」
『いいの。大丈夫だよ、すぐ、楽になるから。全て、大丈夫』
ルルは過去何度も「大丈夫」だと言って、その通りにしてくれた。だからアルナイトは何も聞かず「そっか」とだけ言って、安心したようにまた目を閉じる。
しかしリッテは真紅の目元をしかめる。呪いの進行度が早い。呪いは効かない身だが、貴族という身分なだけあって、他の同種族よりも知識がある。原因は昨日のネックレスだけではないだろう。
「ジオード殿、そなたの持つアヴィダンから買い付けた商品を今すぐ持って来なさい。全てだ」
「なんだって? どうしてあの商人が出てくる」
「いいから早く。ヤツは信用できて、我々は信用できんのか?」
ジオードはうっと言葉を詰まらせると、ちらりとアルナイトを見る。すぐに自室へ向かうと、袋を持って戻って来た。中を見れば、同じ呪具のアクセサリーがじゃらじゃらと顔を出す。これだけあれば、ルルのお守りがあっても効力を出すだろう。
さすがの予想していない量に、リッテは顔を引きつらせる。
「……巨匠殿は、もう少し賢いと思っていたが」
『リッテ』
リッテは素直すぎてひと言多い。アウィンの苦労が少し分かった気がする。静かでもルルの声色は嗜めるように聞こえる。リッテは出そうになった言葉を胃に落とし、大人しく魔道具を取り出した。
手の平に収まる程度のナイフの刃を、銀で出来た呪いの装飾具に強め当てる。肩までで綺麗に切り揃えた、リッテの赤い髪が風を無しに緩やかに踊った。数秒、キーンと鉱石の音が響き渡る。これはジオードにも聞こえていた。外からではなく、生き物の脳内に直接響く。鼓膜を内側から震わせる音に、彼はくらっとした眩まいを感じた。
ふら付いた体を、そっと薄青い手が支える。いち早くジオードの様子に気付いたのか、いつの間にかルルがそばに居た。
『大丈夫。綺麗にするだけ』
こんな子どもの言う事なんて信じられない。そのはずなのに、彼の言葉はとても安心した。ふと、昨日マリンとの会話を思い出す。
「……お前は、世界の王なのか」
「!」
ルルは宝石を散りばめた仮面の下で、不意打ちを食らったように目を見開いた。どうしてその考えに至ったのか、ルル本人は想像できない。しかし頷く事はせず、あえて紫の唇にそっと指を添えるだけにした。
「──終わったぞ」
ジオードは我に返るようにハッとし、慌ててアルナイトの顔を覗き込んだ。さっきまでの荒い呼吸はどこへやら、眠っているかのような、穏やかなものになっていた。ジオードは心から安堵の息を吐く。
ルルは苦しくないようにと、アルナイトの首から下がるお守りを外し、枕の隣に置く。
『少し、話をしよう』
ジオードは何も言わない。しかし警戒心も、訝しんでいる様子も無かった。アルナイトを見つめる瞳は愛しそうだ。彼は静かに頷き、2人を客間に通した。
簡単に紅茶を用意し、それぞれがひと口ずつ唇を潤わせる。歳のせいで少しカサついたジオードの口が、震える息を吐いた。
「…………何が起きている?」
『僕らを、信じてくれる?』
「ああ」
『アヴィダンの持つ、商材は全て、呪いがある。そして、貴方が買った画材の、原料となる石は、人の心を、惑わせる。心当たりが、あるでしょう?』
一瞬のうちに思い出されたのは、フロゥの絵。あの異常に鮮やかな赤い一輪の花。この世のものとは思えない、本物よりも生々しく美しい花。あれはフロゥの絵のタッチではなかった。
「俺はそんな事を聞いていないぞ……!」
「ならば何を聞いたんだ?」
「……あの子を、守れると」
「なんだ、そんな曖昧な事を」
ジオードは汗ばんだ手でグッと拳を握り、それ以上は語らなかった。嘘は言っていない。しかしまだ隠している事があるのが分かる。それはきっと、自分ではなくアルナイトのためだろう。
ルルはリッテの赤の混ざる褐色の手にそっと触れる。リッテは何か言いたげだが、大人しく従ってそれ以上は口を閉ざした。
『分かった。けれどこれ以上、画材を、使わせないで。ジオードも危険だから、むやみに触れては、ダメ。今日はこれから、まだ訪ねる所が、ある。だからまたあとで、綺麗にしに、来るね。その間、アヴィダンを中に、入れないで。約束』
「……分かった」
本当はフロゥが来るまで待っていたいが、呪いの進行度には個人差がある。できる事に時間を使いたい。
リッテとルルはジオードの家をあとにする事にした。玄関から出る直前、ルルはジオードに振り返り、彼だけに囁く。
『2人の事は、2人にしか分からない。けれどジオード、貴方は、間違えてはいけない。自分のためにも、彼女のためにも。大丈夫。全て、なんとかする』
返答は無い。別に求めていなかったから、ルルは彼の言葉がまとまるよりも前に、家を出て行った。
~ ** ~ ** ~
カーテンを閉め切って光を遮断した部屋の中、マリンは不安定に揺れる鉱石の灯りを頼りに手元に集中していた。片目に装着したルーペで覗いているのは、キラキラと光を反射するジオード鉱石。ルルが作ったお守りだ。ジオードにネックレスにでもして渡すと言ったが、そもそも彼は指輪やネックレスは好きじゃない。嫌いではないが眺める派で、邪魔だと言って付けないのだ。
しかし唯一、彼が身に付けられる装飾品がある。それはピアスだ。ずっと昔、若い頃に左耳に穴を開けてもらったそうだ。他人からすればただのお洒落だが、ジオードにとってはとても大切な印。だからピアスにする事にした。ネックレスと違って少し作るのが大変だから時間がかかるが、友のためを思えば容易い。
「うん、完璧! 小さくなっちゃったけど……大きいのは煩わしいって言われそうだし。ちょうどいいよね」
きっとぶつぶつ文句を言いながら、渡したその時に着けてくれるだろう。彼はそういう人だ。だから、これ以上傷付いてほしくない。
マリンは小指の爪程度のピアスを包む。
「どうか2人が幸せに暮らせますように」
削れた分、目一杯願いを込める。どうかあの不器用で情に厚く、優しい友を守ってくれますように。
「……よし、早く持っていかないとね」
ルーペを外し、鉱石の火を消して自室がある2階から、店に繋がる1階に降りる。すると、ファルベが少し早めに店じまいをしていた。芸術祭まで残り7日。できるだけ作業に集中したいのだ。
「やあ僕の愛しい人、調子はどう?」
「今日は試しに、着てみようと思ってる」
「本当に? 君の綺麗な姿は最初に見たい! ジオードにルルからのお守りを渡しに行くんだ。それまで待っていてくれる?」
「ふふ……仕方ないな。早く帰って来て」
「もちろん。寄り道せずに帰るよ」
可笑しそうに笑ったファルベをマリンは愛しそうに見つめ、優しく口付けをして店を出た。
この時期になると、みんな外に出なくなる。出ていても、作業に夢中になっている住民ばかりだ。芸術祭は国全体が展示会となる。この時期はみんな空気を張り詰めてはいるが、同時に楽しそうな雰囲気で好きだ。そして、ジオードとアルナイトが訪れた時期でもある。突然現れて、最優秀賞を取った人物。その芸術に対する姿勢は盲目的なのが好きで、マリンは真っ先に友人になった。
少し話をして、人形劇の練習に集中しよう。早く帰って、ファルベの綺麗な姿も見たい。
「マリン」
低い男の声。マリンはまるで釘で打たれたかのように、足を止めた。その声は知っている。契約を破り、ファルベを傷付けた奴隷商人。どうしてここに居る? それももう何十年も前で、人間だった彼は死んでいるはずだ。
振り返ったそこに居たのは、想像していた男とは別人のアヴィダン。しかし彼の笑顔は、その奴隷商人と瓜二つだった。
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