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【宝石少年と芸術の国】
光る水
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ピンクローズから出たマリンは、すぐ目的のアヴィダンの背中を見つけた。しかしあとを付けようとした足を止める。
(なんか胡散臭いんだよね。全部)
マリンが誰にでも砕けた態度でいるのは、気さくな彼の根本からの性格でもある。しかし相手をすぐに信用しないという、警戒心の強さでもあった。
こちらが壁の無い態度を取れば、大抵の人間は本音を零す。だから相手の本性を探りやすくなり、自分や大事な人が無駄に傷付く前に守る事ができるのだ。そんな彼が一番嫌いな人は、丁寧すぎる人。笑顔を常に浮かべている人だ。
アウィンやアルナイトはそれらに当てはまるが、彼らの笑顔や丁寧さは純粋だ。だがアヴィダンのような人間は、企みを隠すための姿。
(そういう人は、賢いから厄介なんだ。バカはそこまで気が回らない)
だからマリンは追跡をやめた。アヴィダンはあの時、マリンからの敵意を感じている。だからそう簡単に背中を向けて、次の行動はしないはずだ。しかし野放しにできる輩ではない。
マリンはポケットから数個の木製人形を取り出す。これも劇で使う小人を模した人形だ。つまりは、マリンが自在に操れるという事。小人たちは地面に下ろされると、主人の糸に従って尾行を開始した。
糸は目視が難しいほどの細さだが、柔軟性があり刃も潜り抜けられる。小人に任せ、マリンはその場を離れた。だがまだ帰らない。ルルに警告をしなければ。きっとアヴィダンが狙う。
(あ、そういえば、アウィンの友達もオリクトの民だ。はぁ……美しいものは苦労が尽きないな。美しい世界なのに、生きにくいなんて……神様も罪な事をするよ)
マリンは見た事もない神へ愚痴を言いながら、ローズクオーツの義眼に触れる。
美しい世界なのだから、美しいものに生きやすくしてくれればいいのに。そうしたらきっと、この目は今でもあの子に世界を見せていた。そして、傷物になったと嘆く必要もなかったのに。
「……あの時、やっぱり殺せば良かった」
低い自分の声が、特徴的な長い耳に入ったところで、ハッと我に帰る。いけないいけない。この思考が一番ファルベを悲しませるのに。
(悪いやつは人を殺せるのに、いい人は悪いやつを殺せないなんて、変な決まりだなぁ)
深いため息を吐きながら、アウィンたちが居る宿のドアをノックした。ドアが開く直前、せっかくなら手土産を持ってくれば良かったと、少し後悔する。
顔を見せたのはアウィン。
「おやマリン殿。おはようございます」
「おはよう、今日も綺麗だね。君の時間を貰ってもいい?」
「どうぞ」
迎えられると、テーブルの上に何枚も楽譜が広がっている。劇をする際、音楽は必要だ。だから多少の知識はあるが、弾くのに苦労しそうな難易度をしている。
「やあ、凄いな。練習中? 邪魔してごめんよ」
「いいえ、休息にお茶を淹れたところです。友を呼んでも?」
「もちろん」
アウィンの友人も居るとは、ちょうどいい。本人たちに直接伝えた方が、早く警戒体制も整うだろう。
しかし座ったのはリッテだけ。アウィンの隣に腰を下ろしながら、ガーネットの瞳はマリンを警戒するように見ていた。そんな視線を気にも留めず、マリンはルルを探してきょろきょろと部屋を見る。
「ルルはアルナイトと、国の探索に行っています」
「あぁ、そうなのか。じゃあ今から言う事、アウィンから伝えてもらえると有難いな。えっと、リッテ……だっけ? よろしく」
リッテは差し出された手を取ろうとせず、腕組みをしたままじっとマリンを見つめる。その疑わしそうなガーネットの全眼は、マリンの無くした目の器に嵌っているローズクオーツに向けられていた。同族だから、これがただの義眼でないのが分かるのだろう。
アウィンはそんな不躾な態度を取る友の脇を突く。
「リッテ、いつまでそうしているつもりです? すみませんマリン殿」
「いいよ、気にしないで。予想通り、この目はファルベのだ。僕らは恋人同士でね」
「ふん、訳ありか」
「あははは、その通り。でも世の中、訳ありじゃない方が少ないんじゃない?」
マリンは全く気を悪くしていなかった。ファルベの隣に一番居たからこそ、その警戒は正しく、当然だと思うから。
リッテはその言葉に目をパチクリさせると、呆れた様子でいるアウィンを一瞥する。人間なんて大嫌いなのに、彼に血を与え彼の血を飲み、足まで差し出した。きっと同族に知られたら、恥晒しと罵られるだろう。しかしそれに後悔しているかと問われれば、迷わず首を横に振る。
そう考えれば、自分も訳ありと言える。この性格は直りそうもないが、このおかげで友を守れていると言っていい。
リッテは鼻を鳴らすと、未だ差し出されている手をようやく握り返した。
「それで? 用件はなんだ」
「アヴィダンという商人についてなんだけど」
その家名に、リッテとアウィンは顔を見合わせ、同時に項垂れる。昨日の今日で、早速問題を起こすとは。
それだけでマリンがどうしてここへ来たのか、理解できた。ファルベに何か手を出そうとしたのだろう。尋ねればその通りで、マリンが居たからなんとか阻止できた。二人はそれに安堵したが、リッテは手で顔を覆い、深いため息をつく。
「多分、何か企んでる。今は僕の人形に尾行させてるんだ」
「人形?」
「マリン殿は人形劇を得意とするんですよ」
「でもルルたちが外に居るのは、少し心配だなぁ。すれ違わなかったし」
「朝早くに出ましたからね。なんでも、穴の中を探るんだとか」
「穴?」
マリンは目をパチクリさせる。ここに住んで長いが、探索するような穴なんてあっただろうか?
~ ** ~ ** ~
ぴちゃん、ぴちゃんと水滴が岩肌にぶつかる音が、遠くの方から絶えず聞こえる。ルルに音を伝える鉱石の耳でも、どこまで続いているか判断できない。
穴の中は、最初こそ立っていられる余裕があった。しかし今は、人一人でも腰を曲げて体を縮めなければ通れない。とりあえず今は、灯りを持っているアルナイトが前を進んでいる。
ルルの耳は音を大きく拾う。だから邪魔にならないよう彼女は黙っているが、少し気分が悪くなってきていた。
アルティアルの岩は、光の反射でオーロラ色をする。だから暗くても手元の灯りのおかげで、賑やかな色彩が見えた。しかしアルナイトの目にはそれが眩しすぎて、めまいを起こしそうな怪しさに見えてしまう。なにせ彼女の目は、普通では見えない色も見せるのだから。
そんな、ルルには到底分からない悩みを持つ彼女をよそに、鉱石の耳は水滴が落ちた際の音の広がり方の変化を伝えた。
『もうすぐで、開けた場所がある』
「ほんとかっ?」
見えない変化に、アルナイトは声を必死で抑えながら顔をぱっと明るくさせる。色がうるさいし、ずっと同じ道が続いていたから飽きてきたところだ。
好奇心が急かす足が滑らないよう、慎重に進んでしばらく。ほんの僅かな風が、ルルの鼻に水の匂いを運んできた。直後、アルナイトの興奮した声が、洞窟内に響き渡る。
「すげぇ、湖だ!」
先に広がっていたのは、水の溜まった洞窟。最初は雨水が溜まっただけかと思ったが、どうも違う。水自体が、青の強い緑色に淡く発光している。
ルルは陸の淵でしゃがみ、試しに片手で作った器で掬ってみる。ただの水にはない、微かな重量と粘りがある。アルナイトも真似するが、彼女にとっては、普通と同じサラサラな水だ。この違いが分かるのは、ルルが普段から指先を使っているからだろう。
「うわ、手にくっ付く!」
ルルはアルナイトの言葉に、仮面下で目をパチクリさせる。これには気付かなかった。ルルの薄青い指先にも、エメラルドのような色が付着し、未だ発光し続けている。
アルナイトは最初こそ驚いていたが、すぐ別の考えに頭が傾く。彼女は人差し指に液体を付けると、近くの壁をなぞった。
「やっぱ付いた!」
『色?』
「そう、これ描ける!」
興奮気味な声が、暗い遠くまで響く。ルルは自分の濡れた指を見る。しかし彼の指先は、もう光っていなかった。どうしてなのか、二人で首をかしげる。そしてアルナイトはとある事に気付いた。壁に描いた線が発光だけでなく、色の中で動いているものがある。
『微生物……とか?』
「あのすんごいちっちゃいヤツ?」
最初は水自体が発光しているのだと思っていた。だが、ルルやアルナイトの指に付着してから発光しなくなったのにも関わらず、同じ条件で壁に描かれた線は、今も光を放っている。水自体であれば、湖から空気中に掬われた時点で、同じように光を失うはずだ。
しかしこの発光理由が微生物であれば説明がつく。つまりは微生物が必要とするのが、ここの鉱石。彼らのエサなのだ。この光はおそらく、微生物自体か排泄物だろう。だからルルたちが触れば生きられないが、岩に付着した壁の線は生き続けて発光できるのだ。
もちろんこれらは全て仮説だ。
ここに来るまで、地面が滑らかだった。長い間の水流によってできた道だろう。だからこの水自体は元々、雨水だった可能性が高い。水が溜まった長期間で、鉱石を糧にする微生物が居座ったのだ。
「全然知らなかった。面白いな!」
『本当だね』
知らない事を知るのは、少し怖いが面白い。だから旅を続けられるのだ。
アルナイトは背負ってきた荷物の中から、試験管を取り出した。ガラスの中に転がっている小石を入れ、色を失わないようにしてから水も入れる。あとで帰って、他の意見を聞いたり、じっくり調べるためだ。絵の具として、何かに使えるかもしれない。
「でも、ここから先どーするかぁ」
『ずっと、水だね』
奥は暗くて見えないが、長く水が続いているのは分かる。
ルルはフードを取ると、手の平をぎゅっと握りしめる。開かれたそこで、きらりと煌めく宝石が転がった。少し歪なそれを、湖の遠くへ投げる。アルナイトは何をしているのか、不思議そうに首をかしげた。
ルルは仮面の下で目を瞑りながら、彼女の視線がこちらを向いたのを察し、答える。
『水の音が、どれだけ深いか、聞いているの』
「お~」
水の中の音は鈍い。それでも集中すれば、色鮮やかな鉱石の耳は、石が水底に落ちた音を伝えた。
おおよそだが、深い。ギリギリ足で進める程度だ。しかしそれでは、いくら立てる状況でも体力が無駄に奪われる。それにここから先はもっと深いかもしれない。
「う~、今日は一旦帰るか?」
『……そうだね。明日までに、色々考えよう』
行けるところまで行ってみるのもいい。しかし、引き返せるのは今のうちだ。無計画の好奇心は死に直結しやすい。それに何も収集がなかったわけじゃない。少し残念だが、それを今は理性で押し殺し、二人は地上へ戻る道へ向かった。
(なんか胡散臭いんだよね。全部)
マリンが誰にでも砕けた態度でいるのは、気さくな彼の根本からの性格でもある。しかし相手をすぐに信用しないという、警戒心の強さでもあった。
こちらが壁の無い態度を取れば、大抵の人間は本音を零す。だから相手の本性を探りやすくなり、自分や大事な人が無駄に傷付く前に守る事ができるのだ。そんな彼が一番嫌いな人は、丁寧すぎる人。笑顔を常に浮かべている人だ。
アウィンやアルナイトはそれらに当てはまるが、彼らの笑顔や丁寧さは純粋だ。だがアヴィダンのような人間は、企みを隠すための姿。
(そういう人は、賢いから厄介なんだ。バカはそこまで気が回らない)
だからマリンは追跡をやめた。アヴィダンはあの時、マリンからの敵意を感じている。だからそう簡単に背中を向けて、次の行動はしないはずだ。しかし野放しにできる輩ではない。
マリンはポケットから数個の木製人形を取り出す。これも劇で使う小人を模した人形だ。つまりは、マリンが自在に操れるという事。小人たちは地面に下ろされると、主人の糸に従って尾行を開始した。
糸は目視が難しいほどの細さだが、柔軟性があり刃も潜り抜けられる。小人に任せ、マリンはその場を離れた。だがまだ帰らない。ルルに警告をしなければ。きっとアヴィダンが狙う。
(あ、そういえば、アウィンの友達もオリクトの民だ。はぁ……美しいものは苦労が尽きないな。美しい世界なのに、生きにくいなんて……神様も罪な事をするよ)
マリンは見た事もない神へ愚痴を言いながら、ローズクオーツの義眼に触れる。
美しい世界なのだから、美しいものに生きやすくしてくれればいいのに。そうしたらきっと、この目は今でもあの子に世界を見せていた。そして、傷物になったと嘆く必要もなかったのに。
「……あの時、やっぱり殺せば良かった」
低い自分の声が、特徴的な長い耳に入ったところで、ハッと我に帰る。いけないいけない。この思考が一番ファルベを悲しませるのに。
(悪いやつは人を殺せるのに、いい人は悪いやつを殺せないなんて、変な決まりだなぁ)
深いため息を吐きながら、アウィンたちが居る宿のドアをノックした。ドアが開く直前、せっかくなら手土産を持ってくれば良かったと、少し後悔する。
顔を見せたのはアウィン。
「おやマリン殿。おはようございます」
「おはよう、今日も綺麗だね。君の時間を貰ってもいい?」
「どうぞ」
迎えられると、テーブルの上に何枚も楽譜が広がっている。劇をする際、音楽は必要だ。だから多少の知識はあるが、弾くのに苦労しそうな難易度をしている。
「やあ、凄いな。練習中? 邪魔してごめんよ」
「いいえ、休息にお茶を淹れたところです。友を呼んでも?」
「もちろん」
アウィンの友人も居るとは、ちょうどいい。本人たちに直接伝えた方が、早く警戒体制も整うだろう。
しかし座ったのはリッテだけ。アウィンの隣に腰を下ろしながら、ガーネットの瞳はマリンを警戒するように見ていた。そんな視線を気にも留めず、マリンはルルを探してきょろきょろと部屋を見る。
「ルルはアルナイトと、国の探索に行っています」
「あぁ、そうなのか。じゃあ今から言う事、アウィンから伝えてもらえると有難いな。えっと、リッテ……だっけ? よろしく」
リッテは差し出された手を取ろうとせず、腕組みをしたままじっとマリンを見つめる。その疑わしそうなガーネットの全眼は、マリンの無くした目の器に嵌っているローズクオーツに向けられていた。同族だから、これがただの義眼でないのが分かるのだろう。
アウィンはそんな不躾な態度を取る友の脇を突く。
「リッテ、いつまでそうしているつもりです? すみませんマリン殿」
「いいよ、気にしないで。予想通り、この目はファルベのだ。僕らは恋人同士でね」
「ふん、訳ありか」
「あははは、その通り。でも世の中、訳ありじゃない方が少ないんじゃない?」
マリンは全く気を悪くしていなかった。ファルベの隣に一番居たからこそ、その警戒は正しく、当然だと思うから。
リッテはその言葉に目をパチクリさせると、呆れた様子でいるアウィンを一瞥する。人間なんて大嫌いなのに、彼に血を与え彼の血を飲み、足まで差し出した。きっと同族に知られたら、恥晒しと罵られるだろう。しかしそれに後悔しているかと問われれば、迷わず首を横に振る。
そう考えれば、自分も訳ありと言える。この性格は直りそうもないが、このおかげで友を守れていると言っていい。
リッテは鼻を鳴らすと、未だ差し出されている手をようやく握り返した。
「それで? 用件はなんだ」
「アヴィダンという商人についてなんだけど」
その家名に、リッテとアウィンは顔を見合わせ、同時に項垂れる。昨日の今日で、早速問題を起こすとは。
それだけでマリンがどうしてここへ来たのか、理解できた。ファルベに何か手を出そうとしたのだろう。尋ねればその通りで、マリンが居たからなんとか阻止できた。二人はそれに安堵したが、リッテは手で顔を覆い、深いため息をつく。
「多分、何か企んでる。今は僕の人形に尾行させてるんだ」
「人形?」
「マリン殿は人形劇を得意とするんですよ」
「でもルルたちが外に居るのは、少し心配だなぁ。すれ違わなかったし」
「朝早くに出ましたからね。なんでも、穴の中を探るんだとか」
「穴?」
マリンは目をパチクリさせる。ここに住んで長いが、探索するような穴なんてあっただろうか?
~ ** ~ ** ~
ぴちゃん、ぴちゃんと水滴が岩肌にぶつかる音が、遠くの方から絶えず聞こえる。ルルに音を伝える鉱石の耳でも、どこまで続いているか判断できない。
穴の中は、最初こそ立っていられる余裕があった。しかし今は、人一人でも腰を曲げて体を縮めなければ通れない。とりあえず今は、灯りを持っているアルナイトが前を進んでいる。
ルルの耳は音を大きく拾う。だから邪魔にならないよう彼女は黙っているが、少し気分が悪くなってきていた。
アルティアルの岩は、光の反射でオーロラ色をする。だから暗くても手元の灯りのおかげで、賑やかな色彩が見えた。しかしアルナイトの目にはそれが眩しすぎて、めまいを起こしそうな怪しさに見えてしまう。なにせ彼女の目は、普通では見えない色も見せるのだから。
そんな、ルルには到底分からない悩みを持つ彼女をよそに、鉱石の耳は水滴が落ちた際の音の広がり方の変化を伝えた。
『もうすぐで、開けた場所がある』
「ほんとかっ?」
見えない変化に、アルナイトは声を必死で抑えながら顔をぱっと明るくさせる。色がうるさいし、ずっと同じ道が続いていたから飽きてきたところだ。
好奇心が急かす足が滑らないよう、慎重に進んでしばらく。ほんの僅かな風が、ルルの鼻に水の匂いを運んできた。直後、アルナイトの興奮した声が、洞窟内に響き渡る。
「すげぇ、湖だ!」
先に広がっていたのは、水の溜まった洞窟。最初は雨水が溜まっただけかと思ったが、どうも違う。水自体が、青の強い緑色に淡く発光している。
ルルは陸の淵でしゃがみ、試しに片手で作った器で掬ってみる。ただの水にはない、微かな重量と粘りがある。アルナイトも真似するが、彼女にとっては、普通と同じサラサラな水だ。この違いが分かるのは、ルルが普段から指先を使っているからだろう。
「うわ、手にくっ付く!」
ルルはアルナイトの言葉に、仮面下で目をパチクリさせる。これには気付かなかった。ルルの薄青い指先にも、エメラルドのような色が付着し、未だ発光し続けている。
アルナイトは最初こそ驚いていたが、すぐ別の考えに頭が傾く。彼女は人差し指に液体を付けると、近くの壁をなぞった。
「やっぱ付いた!」
『色?』
「そう、これ描ける!」
興奮気味な声が、暗い遠くまで響く。ルルは自分の濡れた指を見る。しかし彼の指先は、もう光っていなかった。どうしてなのか、二人で首をかしげる。そしてアルナイトはとある事に気付いた。壁に描いた線が発光だけでなく、色の中で動いているものがある。
『微生物……とか?』
「あのすんごいちっちゃいヤツ?」
最初は水自体が発光しているのだと思っていた。だが、ルルやアルナイトの指に付着してから発光しなくなったのにも関わらず、同じ条件で壁に描かれた線は、今も光を放っている。水自体であれば、湖から空気中に掬われた時点で、同じように光を失うはずだ。
しかしこの発光理由が微生物であれば説明がつく。つまりは微生物が必要とするのが、ここの鉱石。彼らのエサなのだ。この光はおそらく、微生物自体か排泄物だろう。だからルルたちが触れば生きられないが、岩に付着した壁の線は生き続けて発光できるのだ。
もちろんこれらは全て仮説だ。
ここに来るまで、地面が滑らかだった。長い間の水流によってできた道だろう。だからこの水自体は元々、雨水だった可能性が高い。水が溜まった長期間で、鉱石を糧にする微生物が居座ったのだ。
「全然知らなかった。面白いな!」
『本当だね』
知らない事を知るのは、少し怖いが面白い。だから旅を続けられるのだ。
アルナイトは背負ってきた荷物の中から、試験管を取り出した。ガラスの中に転がっている小石を入れ、色を失わないようにしてから水も入れる。あとで帰って、他の意見を聞いたり、じっくり調べるためだ。絵の具として、何かに使えるかもしれない。
「でも、ここから先どーするかぁ」
『ずっと、水だね』
奥は暗くて見えないが、長く水が続いているのは分かる。
ルルはフードを取ると、手の平をぎゅっと握りしめる。開かれたそこで、きらりと煌めく宝石が転がった。少し歪なそれを、湖の遠くへ投げる。アルナイトは何をしているのか、不思議そうに首をかしげた。
ルルは仮面の下で目を瞑りながら、彼女の視線がこちらを向いたのを察し、答える。
『水の音が、どれだけ深いか、聞いているの』
「お~」
水の中の音は鈍い。それでも集中すれば、色鮮やかな鉱石の耳は、石が水底に落ちた音を伝えた。
おおよそだが、深い。ギリギリ足で進める程度だ。しかしそれでは、いくら立てる状況でも体力が無駄に奪われる。それにここから先はもっと深いかもしれない。
「う~、今日は一旦帰るか?」
『……そうだね。明日までに、色々考えよう』
行けるところまで行ってみるのもいい。しかし、引き返せるのは今のうちだ。無計画の好奇心は死に直結しやすい。それに何も収集がなかったわけじゃない。少し残念だが、それを今は理性で押し殺し、二人は地上へ戻る道へ向かった。
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