宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と芸術の国】

女神像の仕掛け

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 太陽が朝を知らせるため、地平線から顔を覗かせる。しかし高く聳えるアルティアルの外壁は、まだ夜を残していた。それでも空気は新しい一日が幕を開けたように新鮮だ。そんな頃、まだ誰も居ない祭壇広場に、アルナイトは走ってやって来た。探すと、ベンチにルルがもう座っている。
 早起きな鳥が、唄声を響かせながら薄暗い空を飛んで行く。約束通り、それを合図に二人は集まった。アルナイトは早朝に慣れないから、なんとか目覚ましの力を借りて起きた。ルルはいつも鳥と共に目を覚ますため、慣れっこだ。
 彼女は背負った荷物を漁ると、ルルに何かを包んだ布を差し出した。結び目を解いた中には、たっぷりな具材を挟んだ丸いパンが四つ。

「へへ、朝ごはん。探索行くのに、腹に力が入らなかったらダメだろ?」
『僕の分も?』
「もっちろん! あ、嫌いだった?」
『ううん、美味しそう。ありがとう。僕もね、アウィンがミルクを、持たせてくれたんだ』

 パンとミルクは最高の組み合わせだ。アルナイトは目を輝かせながら、パンにかぶり付き、ミルクで喉を潤す。「うんまぁ!」という声は、静かな世界にはよく響いた。
 アルティアルでの食事は、軽食が多い。作業のついでに食べられる物を好むのだ。一食分の栄養を持つクッキーなどで済ませる者もいる。ちなみにアルナイトの荷物の中にも、その携帯品も入っている。

『どこの穴が、川に繋がってるか、分かる?』
「ん? んー! えっとな、道の途中にある四つの穴は、川に繋がってるんだ」

 地形が器の形をしていると言っても、完璧な円ではない。それこそ、人が丸まって寝たような、少し不完全な縦長の形をしている。
 住宅地は四つに組み分けられていて、そこにできた比較的大きな穴に、雨は集中して流れていく。

『じゃあ他は、別の所に、繋がっているんだ』
「いや、繋がってるのは一個だけなんだ」
『そうなの?』
「それが、ここ」

 ルルは目をパチクリさせて『ここ?』と繰り返した。アルナイトは不思議そうなルルの手を取って立ち上がらせると、女神像と向かい合う。

「この女神像の下に、みんなが知らない穴があるんだって」

 アルナイトは昨晩、今日に備えて少しだけ調べてみた。するとどうも、深くに繋がっているのは川に続く穴の他、一つしかないようだ。それが、女神の座る場所。
 つまりは誰かがこの一つの穴の中に入ったという事だが、詳しい記述がない。どうやら女神像が立つ前の出来事で、もう資料は古く再生できないのだ。それとも、何か別の理由があるか。

『でも、中に行くには』
「そーなんだよな~。これを動かさないといけないわけだけど」

 アルナイトは女神像が座る土台に両手を付くと、ぐっと押した。いくら全力で、全体重を乗せても、一向に動く気配はない。「うがあぁあ!」とうめきながらも、彼女の足が地面を滑るばかりだ。
 祭壇広場は、砂で敷き詰められていて、下の地面が見えない。だから、押す力に負けて滑った足の跡で下の岩肌が見えた。その瞬間、それまでなかった鉱石の香りがルルを呼んだ。

『待って、アルナイト』
「んぇっ? ルルも押す?」

 ゼーハーと肩で息をしながら尋ねられ、ルルは首を振る。女神像の下でしゃがみ、砂を手でかき分けた。不思議そうにしながら、アルナイトも手伝って隣の砂を退かす。
 そこから出て来たのは、オニキスでできた石板。そしてその中央に、少し濁った虹の石が嵌められていた。

「うわ、なんだこれ!」
『ここの砂は、最初に、ここに来た人が、わざと、やったんだね』
「これを隠すために? じゃあ穴はこの中にあるんだ! でも……開かないぃ!」

 地面と石板の僅かな間を広げようとするアルナイトに、ルルはふふっと可笑しそうに笑うような息を吐く。彼女の肩に、手を添えて止めさせる。

『力じゃ、無理だよ。仕掛けがある』
「えぇ~、オレ頭悪いから無理だぁ」

 アルナイトは忙しなく喜怒哀楽をコロコロ変えながら、今度は石板の石に気付く。明るい灰色の瞳が、正体を見抜こうとじっと見つめた。

「なんだろ、この石。いろんな色がある……なのにちょっと汚れてる?」

 どの石の特徴にも当てはまらない。ルルも、その石の匂いは初めて嗅いだ。しかし知っている。長い時間が経ったせいか、穢れてはいるが。

『開けられるかも』
「ホントっ?! ルルすっげぇ!」

 アルナイトは立ち上がると、慌ててルルに場所を譲った。ルルはそこに座り、そっと手を添える。
 薄青い両手の平が、に汚れた石を抱きしめるように包む。少女のような指の隙間から、眩しい虹の光が漏れた。視界に痛みを覚えるくらい強い光なのに、目を瞑るのを忘れて見惚れるほど美しい。
 強い突風に、ルルの顔を隠すフードが取れる。膝に届く長い髪を乱暴に撫でた所で、光は収まった。そこでルルは、石が下に沈む感覚を覚える。手を離すと、岩を引きずるような、鈍く重たい音が地面から響いた。

「わ、わっ! ルル危ない!」

 アルナイトは咄嗟にルルを抱き寄せ、女神像から数歩離れる。やがて音が止まったそこを、二人はそろぉっと見下ろした。そこには岩を荒く削った階段が闇へ続いていた。

「すっご! なんだこれぇ! ルル、なんで開けられたんだ?!」

 大興奮に、アルナイトはぎゅっとルルを抱きしめ、ぴょんぴょん飛び跳ねる。ルルは落ち着かせるように、抱き返した手で背中を優しく撫でた。

『内緒』
「え~!」
『僕が、オリクトの民だから、だと思う。石が、反応してくれたの』
「そっかぁ。だったらオレらには開けられないな!」

 曖昧な答えで、彼女は納得したようだ。その愛しい単純さを利用するのは心苦しいが、今はこう言うしかない。
 あの石は、間違いなく【ルルの石】だった。開けられたのは、その石を瞳に持つルルだからこそ。

(一体、これを作った人は、何を見たんだろう)

 ルルを石を持っていなければ、開けられない。そんなの、普通は不可能だ。なにせルルの石は神が愛でた幻と言われているのだ。もちろん貴族などの地位や、代々伝わっているという理由で持つ者はいるだろう。それでも、限られている。
 アルナイトに誤魔化したのは、ここが外だからだ。彼女に警戒したわけではなく、他人に勘付かれたくない。つい昨日、リッテからアヴィダンの件も聞いているから。

「よし、中行こうぜ!」
『うん』

 ルルは遅れて入り、出口に手をかざす。穴の縁からパキパキと音がした。そこから少しずつ中央を、アルティアルを作っている鉱石が埋めていった。カモフラージュだ。もしここを不審に思っても、同じ岩で蓋をしていれば気付かれない。

 明るくなってきた空が塞がれ、穴の中は冷たい闇に沈む。しかしすぐ、暗闇にふんわりと青い灯りが広がった。
 アルナイトが持つ丸い形をしたランタンに、白い鉱石があった。時折、白の中に水のような青色が混ざり、揺れている。そのつど灯りの強さは変化し、ルルが聞こえる音も、呼吸のように変わっていった。

「これな、月の花って言うんだ。夜、ムーンストーンを水に入れて月光で育つんだぜ」
『綺麗』
「先生には、もっと明るいの持って行けって言われたけど、コレが好きなんだ」
『僕も好き』

 アルナイトは月の花を見るルルに「へへへ」と嬉しそうにする。二人は手を繋ぎ、薄暗い中冷たい色をした光に守られながら、奥へ進んだ。

~               **              ~               **                 ~

 太陽がようやく、神の寝床に光を与える。時刻は九時になったばかり。アルティアルの衣装屋であるピンクローズは、いつもそんな頃に店の鍵を開け、看板で客を誘う準備をする。

「ごめんください」
「!」

 ピンクローズの亭主、ファルベは背後からの突然の声に、びくっと体を跳ねさせる。彼の店はアルティアルの国民、全員が親しむ場所。だから大抵は誰が声をかけたか分かり、驚く事はしない。それでも反応が大きくなったのは、聞き慣れない声だったからだろう。
 それでもお客はお客。失礼な反応をしてしまったと、反省しながらファルベは振り返った。

「はい」

 声をかけたのは、腰の曲がった老人。服装に見覚えはあるが、アルティアルの国民ではない。派手さはないが上質な服なのを見て、世界を旅したファルベには、どこかの国の商人だと予想できた。
 商人はにこにこと優しい笑顔で彼を見上げる。

「アタクシ、リベルタから参りました、アヴィダンという商人でございます。商売について、お話をと」
「あぁ、例の。中へどうぞ」

 アヴィダンは案内に背を向けたファルベに、細く小さな目を細める。その表情は、彼の中身を見ようとするような、どこか下品なものだった。
 キョロキョロと、小さな瞳が左右を行き来する。アルティアルで親しまれるだけあると、納得できる。店の規模に対して商品が多いが、丁寧な管理やレイアウトのおかげか見えにくくない。商品を愛しているのが分かる。
 視界に気になるものが入った。それは小さなスペースだが、商人には主張しているように見える。

「あちらは?」

 皺のある指が示したのは、ルルが置いた装飾品。あれが気になるとは、やはり商人だけに目が肥えている。
 ファルべはそこへ案内し、商品の机を挟んで座った。

「これは、今訪れている旅人が作った物なんだ。その人が滞在するまでの間の限定品として、ここに置いてある」
「ほうほう……これは……素晴らしい」

 アヴィダンは一番手前にある腕輪を手に取り、光に照らして眺めたり近くで見つめたりと繰り返した。これが単なる鉱石を削って作ったものではないと、すぐに分かった。これは間違いなく人間以外の生き物──鉱物にしか出せないものだ。
 ついっと、アヴィダンの目がファルベを眺めた。視線に気づいた彼は首をかしげる。

「お仲間の髪の毛……とかですかな」
「! ……さあ、私はそこまで深くは」
「失礼致しました。いやはや、素晴らしい作品でしたので。ちなみに、貴方のその瞳は……おいくらで売られたので? 片方は、アタクシが買い取っても?」

 先程までは人の良さそうな笑顔だった。それは急に、ニタニタとしたいやらしい表情に変わる。髪の毛で隠しているが、簡単にバレてしまった。
 ファルベは美しい顔を嫌悪にしかめ、話を切り上げようと腰を上げる。

「そういった話は、申し訳ないが受け入れる気はない。出口まで送ろう」
「そんなタダで、なんて思っちゃあいませんよ。眼球の一つや二つ、無くなったって貴方らは苦労しないでしょう? さあ、言い値で」

 ファルベの手に、淡い光が灯る。これ以上しつこくするのなら、この男を鉱石で固めてやろう。オリクトの民を装飾品としてしか見ていない、愚かな人間の頭を冷やしたい。
 しかし、後ろから肩をくいっと優しく引き寄せられ、バランスを崩す。

「じいさん、ここは奴隷商じゃない。他を当たって」

 そう言ってファルベを胸元に抱き寄せたのはマリンだった。外へ人形劇をやりに行こうと、二階から降りて来たのだ。名前を呼びかけた時、肩を抱く腕にぐっと力がこもる。
 彼はいつもの笑顔だ。しかし怒っているのが、ファルベには伝わってくる。今は大人しくしておこう。

「おや、おやおや……長寿の耳長族とは、これまた珍しい種族同士。貴方が主人ですか?」
「恋人だ。悪いけど、髪一本すら誰にも渡すつもりはないし、値段もつけない。つけても、到底払えないよ。分かったらさっさと帰った方がいいんじゃないかな? 怪我はしたくないだろう?」

 マリンのまだ残っている青い瞳が、仄暗く瞬く。互いに譲らず、じっと見つめ合う。地獄の沈黙は、アヴィダンが微笑んだ事で終わりを告げた。

「では、今日は失礼いたします。ごきげんよう」

 彼は折れた腰をさらに深く曲げ、ピンクローズから去って行った。小さな後ろ姿が消えた事に、ファルベは無意識に体から力を抜く。するとマリンに抱きしめられ、解放されたと思えばすぐ頬を両手で包まれた。

「ごめんよファルベ、気付かなかった。大丈夫? 何もされなかった?」
「あ、あぁ……うん、大丈夫。心配かけてすまない」
「いいんだ。でも君は美しいから、そう簡単に知らない相手と二人きりにならないでくれ。もう二度と、君と離れたくない。本当に、そんな事があったら、僕は死んでしまう」

 悲痛そうな表情で語られる甘い言葉は真実だろう。きっとマリンは、本当にファルベが居なくなれば生きられない。彼が生きる意味であり、全て。それが分かっているファルベは、大げさだとは笑わない。
 キスをねだられ、恥ずかしそうに軽く口づけをした。マリンは強く彼を抱きしめる。

「僕の愛しい人、アレはどう名乗った?」
「アヴィダンだと。多分、家名の方を名乗っていたと思う」
「ふぅん? 本名を言わないなんて、後ろめたいか、よほど家に誇りがあるかだね」

 基本、初対面でも皆名前を名乗る。家名は家族が揃っている時か、家自体の事を語る時くらいだ。

「……どうしよう」
「ん? どうしたの?」
「あの商人、ルルの商品を見て、すぐオリクトの民の髪だと判断したんだ。私が迂闊だった」

 胸元で悔しそうに、不安そうにするファルベを、マリンは慰めるように優しくさする。透き通るような青とローズクオーツの義眼が、じっと店の外を見つめた。
 ふっと体が解放されるのをファルベは感じた。少し寂しく、思わずマリンを見ると頭をポンと撫でられる。

「少し出てくるよ」
「マリン」
「大丈夫、下手な事はしない」
「……じゃあ、ケーキを焼くから、冷める前には帰って来てくれ」
「愛情たっぷりで頼むよ。愛してる」
「私も───」

 ファルベは嬉しそうに手を振るマリンを不安気に見送りながら「愛してる」と、小さく呟いた。
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