宝石少年の旅記録

小枝 唯

文字の大きさ
上 下
178 / 210
【宝石少年と芸術の国】

芸術祭に向けて

しおりを挟む
 家を出たアルナイトは、居ても立っても居られず走っていた。やっと絵が完成できる。描くべきものが見えた興奮で、胸が踊る。早くルルにこれを伝えたい。
 ルルも絵が進んでいない事に心配してくれていたのだ。きっと彼なら、自分の事のように喜び合ってくれる。もちろん、描かせてもらいたい旨も伝えるが。

 ルルとアウィンが宿として使っている空き家の位置は、住宅街として奥まってはいるが覚えている。そり立つ壁の近くで、土台が綺麗なラピスラズリ。
 アルナイトは、辿り着いた木製のドアをノックする。ドアにはめ込んだ曇りガラスの窓に、人影が立った。しかし彼女を迎えたのは、深い赤をしたガーネットの瞳の人物。リッテとアルナイトは初対面だ。
 アルナイトは家を間違えたかとも思ったが、すぐ否定した。アルティアルの家は個人で作られるため、外見に少しずつ個性がある。土台に大胆にラピスラズリが使われているここは、間違いなくルルたちの泊まっている家だ。

「じゃ、じゃあ不審者……!」
「じゃあとはなんだ」
「リッテ、お客様に失礼ですよ」

 なんの騒ぎだと、後ろから顔を覗かせたのはアウィン。リッテは目線だけでアルナイトを示す。

「おやアルナイト、久しぶりですね」
「なんだ、知り合いか?」
「国に案内してくれた子です」
「不審者じゃなかったぁ」
「失礼なやつめ」

 リッテはふんっとそっぽを向くと、アウィンと入れ違う形で部屋の中へと戻って行った。自己紹介でもすればいいのにと、アウィンは仕方なさそうに笑う。

「友が失礼をしましたね。何かご用ですか?」
「オレこそごめんな? 今日はルルに会いに来たんだ」
「あぁ、生憎ですが、出かけているんです。なんでも、国を調べるのだとかで……ここ数日は日が出ている時は外出していますよ。芸術祭の出し物が決まったみたいです」

 ルルはあの本を展示すると言っていた。本の中を埋めるために忙しいのだろう。
 帰るまで待つかとお茶に誘われて嬉しかったが、今日は我慢する事にした。国は比較的小さいから、外で探した方が早く会えるのだ。

「そういえば、アウィンは何で参加するんだ?」
「私はさっきの友と一緒に、歌で参加します」

 今二人で楽譜作りをしているのだそうだ。そういえば、ルルからアウィンの歌が素晴らしいと聞いていた。アルナイトは歌があまり得意ではない。だが聞くのは大好きだから、目を輝かせる。

「すげえ! あ、今度喉にいい茶葉持って来るな!」
「それは嬉しいです。ありがとう。アルナイトの絵も、見れるのを楽しみにしていますね」
「おう! じゃあまたな~」

 アウィンは、転ぶのではないかと思えるほど大きく手を振るアルナイトに、微笑んで手を振り返す。彼女の活力に溢れた姿を見ていると、こちらも触発されてやる気になった。

「アウィン、戻ってこい。さっさとやるぞ」
「ええ、今戻ります」

 彼女の人間性にはとても興味がある。今度は時間を作って、ちゃんとお茶会に誘おう。そう思いながら、アウィンは急かすリッテの声に部屋に引き返した。

 小さな鼻歌が聞こえると、住人はさり気なくそちらへ視線を向ける。そして納得するように微笑んだ。
 歌声はアルナイト。別にいい事があってもなくても、彼女はいつも鼻歌を口ずさむ。上手いものではないが、聞いている側の気持ちも自然と明るくなれた。独特なリズムを刻み、彼女の足取りがそれに合わさる。地面の石で、小さい物は踏んではいけないみたいな遊びが始まった。
 ジャンプし、大きな円を描く石畳に着地する。そこで、家のベンチで編み物をしている女性と目が合った。

「ご機嫌ねアルナイト。今日は何をしているの?」
「へへ、人探してるんだ。紫のマント着た人見なかったか?」
「あぁ、あのフードの? 祭壇広場へ行ったわよ。新しいお友達?」
「そ、友達! 教えてくれてありがとな!」

 祭壇広場。それは名前通り、中央に国宝を祀っている祭壇を拝める、大きな広場だ。アルティアルは壁沿いが住宅地。家に寄るが、窓から祭壇が見えるように、広場は国の中心にある。
 言われてみれば、ルルはオリクトの民だ。国宝を気にして一度は見に行くだろう。

「お、居た。る──」

 石膏でできた柵越しに、ルルを見つけた。広場に足を踏み込んだ時、呼ぼうとした口が止まる。
 フードからほんの少しだけ横顔が見えた。隠れているのに完璧な形をしているその横顔は、じっと国宝が入っている箱に向けられている。石で掘られた箱は細かな掘りで、洒落たオルゴールのよう。あの中に国宝が眠っているのだ。
 なんとなく、声をかけてはならない気がした。まるでルルは中に隠された国宝自体を見つめていて、会話しているかのようだ。

(綺麗だなぁ)

 アルナイトはその場でおもむろにスケッチブックを開き、ルルを描き始める。本当は許可なしに描くなんて失礼だが、描かずにはいられなかった。
 国宝の箱を愛おしそうに持つ、美しい女神像。ルルの薄青い手が、労るようにそっと撫でる。そこで、すっと顔がアルナイトへ向いた。

『アルナイト?』
「あ」

 強く紙面にペン先を入れたせいで、音がしたのだろう。小さかったが、二人しか居ない今は、ルルにとって充分に聞こえる音だ。
 アルナイトは少し申し訳なさそうに頭をかきながら、広場に入る。

「へへへ、バレちった」
『何か、描いてた?』
「ルルを描いてたんだ。ごめんな、黙ってて。綺麗でつい」
『いいよ。見ていい?』
「もちろん!」

 正座する女神像の膝下に、石造りのベンチがある。二人はそこに座った。ルルはアルナイトが描いた速写そくしゃをなぞる。
 ルルが描くのは上半身、主には肩から上が多い。触らなければいけないから、相手が嫌がったりする場所は書けないのだ。オリクトの民には無いから感覚が分からないが、人は生殖器に近い部分を触られたくないのは知っている。だから本にある服を着ている絵は、頭にある体の知識と触れた場所を組み合わせた想像だ。
 ルルの唇から、ふふっと笑ったような息が聞こえ、アルナイトは不思議そうにする。

「どうした?」
『面白いなって』

 全身描かれている絵が新鮮なのもそうだが、自分が描かれているという感覚が面白かった。自分の事は好きに触れるから、手が届く範囲は知っている。それを第三者目線で、しかも服を着ている状態が珍しい。

『服は触ると、シワができるでしょ? それは自然では、ないから』
「はえ~確かにそうだな。ルルの視点も面白いな!」

 アルナイトは代わりに、紺の本を捲る。視力に頼る自分では思いつかない空間を知る方法や、感じ方、表現の仕方があって、芸術家としてとても興味深かった。

『アルナイトは、休憩中?』
「あ、そうだった! ルルに会いに来たんだよ」
『僕に?』

 アルナイトは行動力があるが、目移りもしやすい。彼女にとっては楽しい事ばかりだから、仕方ないかもしれないが。今も、ルルに会いに来た本来の目的を忘れかけていた。

「ルルを描かせてほしいんだ!」
『いいよ』
「あ、えっとな、その、本番の絵で」

 キョトンとしたルルに、アルナイトは自分の絵を完成させる過程を説明した。あくまで感覚から生まれるものだから表現しにくいが、なんとか言葉にする。
 まず頭の中で絵のイメージを完成させる必要がある事。今まで本番の絵にはモヤがかかっていて、中々手をつけられなかった事。そしてようやくさっき完成した中に見えたのが、ルルであった事を。

「あ、えっと、服装とかは……イヤじゃなかったら、ピンクローズでオレに選ばせてほしいんだけど。その、できたら仮面も、取って……ダメ?」

 アルナイトは両手の人差し指をちょんちょんと触れ合わせながら、恐る恐ると言ったように上目遣いになる。
 ルルはしばらく考え込むように、口元に指を当てる。そして申し訳なさそうに頭に呟いた。

『締め付ける服は、苦手なの』
「服はそーいうんじゃないから、大丈夫だと思うぞ」
『そう。なら、いいよ』
「ホントッ?!」

 アルナイトは嬉しさのあまり、ルルの両手を握る。ルルは微かに笑ったような息を吐き、頷いた。
 アルナイトの絵の完成に携われるなら、喜んで手を貸す。この姿を見せるのは、信用した人物だけ。彼女になら、全部見せても後悔しない。何も見られない自分を、全ての色が見える瞳を持つ彼女がどう描いてくれるか、今から心躍った。

「あ、もちろんタダじゃないぞ」
『ルナーは、たくさんあるよ』
「物じゃなくて、オレもルルの頼み事を聞くってやつ! 無条件で色々やるのは、親切心でも良くないって、先生がいつも言うんだ」
『ジオードは、君を大事に、想っているからだね』

 彼の言う通り、いくらその相手が良心に溢れていても、無条件で与えればいずれ搾取してくるようになる。人は見返りを求めるなというが、いい関係を保つには優しさの安売りはしてはいけないのだ。
 ルルもそれを教わっているから、断らない。

『じゃあ、この国の探索を、手伝って』
「分かった! オレが知ってる綺麗な場所も案内するぜ!」
『ありがとう』

 とは言え、もう芸術祭まで残り13日と少ない。ルルの本とアルナイトの絵の作業を五日間で分け合い、残りの三日で仕上げをする事になった。アルナイトの分の五日の間には、顔料に混ぜたい鉱石を探すのも含まれている。

「んじゃあ、さっそく探索!」
『そうだね』

 アルナイトは勢い良く立ち上がり、ルルに手を差し出す。ルルはふふっと楽しそうな息を吐き、手を取った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

処理中です...