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【宝石少年と芸術の国】
初めての色
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アルナイトは、ルルを工房に招待した。制作に忙しく五日も経ってしまったが、約束していたのを忘れてはいない。
「友達と一緒に先生が昔使ってた工房を借りてるんだ」
『じゃあ、ジオードはもう、使っていないの?』
「そ。あ、じゃあオレのとこ見終わったら、先生の工房見学しに行こうぜ!」
辿り着いたその家も、例に漏れず他の建築物と同様縦に長い。アルナイトは濃い灰色の木製ドアノブに、バングルの中に埋め込んだラピスラズリをかざす。ドアが開いた瞬間、ルルを絵の具と筆、キャンバスの木枠に張られた動物の革の匂いが一斉に迎えた。
嗅いだ事は数回程度あるにはあるが、これほど強いのは初めてだ。
アルナイトは家に一歩入ったところで、唖然としたままのルルに気付いた。見えないと知りつつも、呼びかけながらついつい顔の前で手を振る。そこで、絵の具の──特に油彩の独特な臭いは、人間でも慣れるまでは苦手で具合を悪くする者も居るのを思い出す。加えて、ルルは他の人よりも鼻が効く。
油彩の絵の具というよりは、絵の具に付ける油が癖のある臭いなのだ。毎日絵を描くアルナイトはすっかり慣れてしまっている。
「わー! ごめんな、換気するからちょっと待っててくれ!」
アルナイトは急いで、壁にある窓という窓を開け払う。今日は幸い風があったから、開ければいくらか臭いが出ていった。しかし臭いとは頑固なもので、壁や道具にすっかり染み付いている。これは流石に取れそうにない。
「ルル、大丈夫か? 気分悪いか?」
『ううん、大丈夫。ありがとう』
確かにいい臭いではない。興味のない者が嗅げば、一瞬は息を止める。それでも、ルルにとっては、嫌な臭いだとは感じなかった。
換気したことで多少薄くはなったが、臭いは絶えない。それはつまり、それほどこびりつくまで、この家は画家たちを見守ってきたという事。それを知れるのは、なんだか嬉しかった。
アルナイトにはルルが嬉しそうなのが分かったようだが、理由までは理解できず、ただ具合を悪くしていないなら良かったと言って、中へ手を引いた。
工房は二階建てで、下が道具などの物置きとして使い、上を作業スペースにしている。仮眠できるよう寝そべられる空間はあるが、基本ここでは作業だけで生活はできない。ジオードいわく、怠けないようにだそうだ。
「怠けるわけねぇのにな~」
先生のケチと言いながら、アルナイトはできるだけ綺麗な椅子にルルを座らせ、自分はキャンバス前の椅子にどかっと腰を下ろす。ルルは、ジオードに面と向かって文句を言っているアルナイトを思い浮かべ、ふふっと笑った息を吐いた。
『アルナイトはジオードが、大好きなんだね』
「そりゃあだって、オレは先生の一番弟子だからな!」
「──そう思ってるなら、口じゃなく手を動かせ」
胸を張ったアルナイトに釘刺すように、呆れた声が聞こえた。声の通り、やれやれと言った様子で階段を登って来たのは、両手に重たそうな紙袋を持ったフロゥ。彼はルルに気づくと、驚いたように肩をビクッと跳ねさせる。今ルルはアルナイトだけに話しかけていた。だからフロゥは、いつもの独り言だと思い込んでいたのだ。
「お、フロゥ! おかえり~」
「ただいま……って、すまん、客か」
フロゥは我にかえったようにハッとすると、ルルへ軽く会釈し、急いで荷物を置いて去ろうとした。別に二人きりじゃないとダメというわけでもない。ルルは立ち上がると、その動きに足を止めたフロゥへ手を差し出した。
『僕はルル。旅をしているんだ』
「あ……僕はフロゥ。ここを借りて、画家をしているんだ。もしかしてだが、アルナイトが崖から落ちた時、助けてくれた人じゃないだろうか?」
『うん。治療をした人は、別だけど』
「やっぱりそうか。本当にありがとう。何も用意できずすまない」
お茶でもてなせない事を悔やんでいるのだろう。ここは作業に特化してて、客人をもてなす想定はしていないのだ。
慌てて茶菓子を買いに行こうとするフロゥを、ルルは可笑しそうな息を吐きながら止めた。
『気にしないで。フロゥも、作業があるでしょ?』
「そ、それはまあ」
『フロゥの絵は……それ? 一個一個の、絵の具の匂いが、大きいね』
「オレのはどんな感じ?」
『アルナイトのは、とても細かく感じる』
「すげ~、正解!」
アルナイトは細い筆を扱うため、様々な絵の具が混ざった複雑な匂い。比べてフロゥは、大きな筆やバケツを使う事が多いため、一種類の香りが主張している。キャンバスには触れられないから、その線がどんな絵を描いているかまでは分からない。
感動するアルナイトと違い、フロゥは言い回しに首を傾げる。ルルが盲目であるのを知らないからだ。
『僕は、目が見えないの。声も出ない。その代わり、鼻や耳がよく効く』
「そうだったのか。だから匂いで……いや、けどそこまで分かるのは凄い」
「だろ?」
「なんでお前が得意げなんだ」
フロゥに軽く小突かれ、アルナイトはへへへと笑った。しかし彼の口は止まらず、ルルが指先の感覚だけで絵が描けるだとか、剣が得意だとかを自分の事のように楽しげに語る。褒められるのは悪い気はしないが、それでもなんだかむず痒い。
『今日は、アルナイトに絵の具を、教えてもらいに来たの』
「あ、そうだった」
「どうやって教える気なんだ? またお前……考え無しに言ったんじゃないだろうな?」
「またってなんだよぉ。オレはいつだってちゃんと考えてるぞ! えっとな」
アルナイトは道具が敷き詰められている床を漁り、何枚か重なった小皿を引っ張り出す。それから丁寧に棚に収納されている小箱から、試験管を持って来た。薄いガラスの中には、顔料となる鉱石が細かくなって入っている。
皿をルルの前に並べ、そこへ数種類の顔料を一枚ずつに分けて入れた。
「これはラピスラズリで、こっちがジャスパー、んでこれがヘマタイト」
差し出され、ルルはそっと皿を受け取り中の小石を触る。鉱石が絵の具になるのは知っているが、実際に触ると不思議な変化だ。
『これをもっと、細かくするの?』
「そ、結構硬いから大変なんだ~」
『噛んでも?』
「アハハ、オレらがやったら歯が割れちまうよ」
触れて、聞いて、嗅いで。目以外の五感を使えば、見れなくても知る事ができる。やりとりを覗いていたフロゥは、そんなアルナイトの教え方になるほどと頷いた。
明るい中で影となったルルの顔はあまり分からないが、興味深そうなのは理解できた。するとフロゥは自分のスペースに行き、買って来た荷物に手を入れた。そこから数本の絵の具チューブを持って、二人のところへ戻る。
「ちょうど、その顔料が元になった絵の具を買ったんだ。良ければ試しに触ってみてくれ」
『新しい物、使っちゃっていいの?』
「構わない。新しい物の方が匂いもハッキリしているから、分かりやすいと思う。僕も画家だ、絵の事を好きで知ろうとしている人が増えて嬉しいんだ」
フロゥは微笑んでそう言った。無表情が多いせいか、笑うとふわりとした優しい顔になる。アルナイトが太陽の笑顔なら、フロゥは月に例えられるだろう。
好意をありがたく受け取り、ルルは皿に出された絵の具を指ですくった。少し固く、重い。粘り気もあり、油をつけてない状態でも他の絵の具より油分があるのが分かる。
「……舐めても美味しくないぞ?」
仮面越しでも、じっと見て迷っていた理由がアルナイトにバレた。人工物は含まれていないから体に毒ではないが、お勧めしない。アルナイトも初めて絵の具を見た時、綺麗だからとぺろっと舐めた事があるのだ。
『描いてみたい。あとで、お礼するから……少しだけ絵の具、借りてもいい?』
「お礼なんていい。試し書きの小さいキャンバスがあるから、楽しんでくれ」
壁に何枚も立て掛けられたキャンバスのうち、10号サイズが引き抜かれる。アルナイトはその間に、筆やタオルなどの小道具を用意した。ルルはそこで、描く道具は絵の具だけじゃないを思い出す。
用意してもらった道具のうち、一番気になったのは油だ。丸い瓶にたっぷり詰まっている。専用の、底の深い皿に注ぐ様子を近くで見ようとしたが、鼻の効くルルには強烈な臭いだった。思わず距離を取ると、慣れ親しんだ二人は可笑しそうに笑った。
「さて、準備完了! 何描く?」
『ありがとう。ん……アルナイトとフロゥを、描こうかな。色、初めてだから……変になったら、ごめんね』
ルルは絵の具の匂いを頼りに、筆に乗せてキャンバスへ滑らせる。全て感覚だ。たくさん使いたいが、できるだけ色合いが喧嘩しないよう均一な物を選んだ。
フロゥとアルナイトが見守っていた筆の動きが、やがて止まった。
『色って……難しいね』
思ったよりも感覚を掴めなかった。モノクロであれば一色で立体感を表現できる。しかし色があれば、光と影の色合いによって立体感が失われるのだ。
「お~!」
「いや、初めて色を扱ったにしては……」
確かに、その出来栄えは画家である二人には到底及ばない。本に描いた肖像画に比べても拙かった。それでも形を捉え、想定通りに同色を選んで統一感を演じている。目が見えないというハンデを背負っているとは思えない処女作だ。
それでもルルは納得いっていないのか、仮面下で目をしかめ、頭を傾げている。彼は意外と、理想が高いようだ。すると、ムスッとしているルルの顔を、アルナイトの両手が包む。
「楽しくなかったか?」
『え? ううん、とても楽しかった。夢中だったよ』
「だったらいいんだ。楽しんでできたんだから、いい絵なんだ! オレ、この絵すんごい好き!」
「ああ、僕も好きだ。芸術が人の心を掴むのは、技術力じゃなくて想いがあるからなんだ」
『想い……』
そう言われて思い出せば、筆を動かしている最中、上手く描こうとは思っていなかった。親切にしてくれた二人に喜んで欲しくて描いた。だからとても楽しかったのだ。
『ありがとう、二人とも』
「へへ~……あ! 今度はオレがルルを描いてもいいか?」
『いいよ』
アルナイトは早速15号のキャンバスを引っ張って来ると、画材の準備をいそいそとし始めた。
思えばルルは描くばかりで、描いてもらった事はない。結局見えないから、描いてほしいとも思った事がないからだろう。しかし今は不思議と楽しみで仕方なかった。
「友達と一緒に先生が昔使ってた工房を借りてるんだ」
『じゃあ、ジオードはもう、使っていないの?』
「そ。あ、じゃあオレのとこ見終わったら、先生の工房見学しに行こうぜ!」
辿り着いたその家も、例に漏れず他の建築物と同様縦に長い。アルナイトは濃い灰色の木製ドアノブに、バングルの中に埋め込んだラピスラズリをかざす。ドアが開いた瞬間、ルルを絵の具と筆、キャンバスの木枠に張られた動物の革の匂いが一斉に迎えた。
嗅いだ事は数回程度あるにはあるが、これほど強いのは初めてだ。
アルナイトは家に一歩入ったところで、唖然としたままのルルに気付いた。見えないと知りつつも、呼びかけながらついつい顔の前で手を振る。そこで、絵の具の──特に油彩の独特な臭いは、人間でも慣れるまでは苦手で具合を悪くする者も居るのを思い出す。加えて、ルルは他の人よりも鼻が効く。
油彩の絵の具というよりは、絵の具に付ける油が癖のある臭いなのだ。毎日絵を描くアルナイトはすっかり慣れてしまっている。
「わー! ごめんな、換気するからちょっと待っててくれ!」
アルナイトは急いで、壁にある窓という窓を開け払う。今日は幸い風があったから、開ければいくらか臭いが出ていった。しかし臭いとは頑固なもので、壁や道具にすっかり染み付いている。これは流石に取れそうにない。
「ルル、大丈夫か? 気分悪いか?」
『ううん、大丈夫。ありがとう』
確かにいい臭いではない。興味のない者が嗅げば、一瞬は息を止める。それでも、ルルにとっては、嫌な臭いだとは感じなかった。
換気したことで多少薄くはなったが、臭いは絶えない。それはつまり、それほどこびりつくまで、この家は画家たちを見守ってきたという事。それを知れるのは、なんだか嬉しかった。
アルナイトにはルルが嬉しそうなのが分かったようだが、理由までは理解できず、ただ具合を悪くしていないなら良かったと言って、中へ手を引いた。
工房は二階建てで、下が道具などの物置きとして使い、上を作業スペースにしている。仮眠できるよう寝そべられる空間はあるが、基本ここでは作業だけで生活はできない。ジオードいわく、怠けないようにだそうだ。
「怠けるわけねぇのにな~」
先生のケチと言いながら、アルナイトはできるだけ綺麗な椅子にルルを座らせ、自分はキャンバス前の椅子にどかっと腰を下ろす。ルルは、ジオードに面と向かって文句を言っているアルナイトを思い浮かべ、ふふっと笑った息を吐いた。
『アルナイトはジオードが、大好きなんだね』
「そりゃあだって、オレは先生の一番弟子だからな!」
「──そう思ってるなら、口じゃなく手を動かせ」
胸を張ったアルナイトに釘刺すように、呆れた声が聞こえた。声の通り、やれやれと言った様子で階段を登って来たのは、両手に重たそうな紙袋を持ったフロゥ。彼はルルに気づくと、驚いたように肩をビクッと跳ねさせる。今ルルはアルナイトだけに話しかけていた。だからフロゥは、いつもの独り言だと思い込んでいたのだ。
「お、フロゥ! おかえり~」
「ただいま……って、すまん、客か」
フロゥは我にかえったようにハッとすると、ルルへ軽く会釈し、急いで荷物を置いて去ろうとした。別に二人きりじゃないとダメというわけでもない。ルルは立ち上がると、その動きに足を止めたフロゥへ手を差し出した。
『僕はルル。旅をしているんだ』
「あ……僕はフロゥ。ここを借りて、画家をしているんだ。もしかしてだが、アルナイトが崖から落ちた時、助けてくれた人じゃないだろうか?」
『うん。治療をした人は、別だけど』
「やっぱりそうか。本当にありがとう。何も用意できずすまない」
お茶でもてなせない事を悔やんでいるのだろう。ここは作業に特化してて、客人をもてなす想定はしていないのだ。
慌てて茶菓子を買いに行こうとするフロゥを、ルルは可笑しそうな息を吐きながら止めた。
『気にしないで。フロゥも、作業があるでしょ?』
「そ、それはまあ」
『フロゥの絵は……それ? 一個一個の、絵の具の匂いが、大きいね』
「オレのはどんな感じ?」
『アルナイトのは、とても細かく感じる』
「すげ~、正解!」
アルナイトは細い筆を扱うため、様々な絵の具が混ざった複雑な匂い。比べてフロゥは、大きな筆やバケツを使う事が多いため、一種類の香りが主張している。キャンバスには触れられないから、その線がどんな絵を描いているかまでは分からない。
感動するアルナイトと違い、フロゥは言い回しに首を傾げる。ルルが盲目であるのを知らないからだ。
『僕は、目が見えないの。声も出ない。その代わり、鼻や耳がよく効く』
「そうだったのか。だから匂いで……いや、けどそこまで分かるのは凄い」
「だろ?」
「なんでお前が得意げなんだ」
フロゥに軽く小突かれ、アルナイトはへへへと笑った。しかし彼の口は止まらず、ルルが指先の感覚だけで絵が描けるだとか、剣が得意だとかを自分の事のように楽しげに語る。褒められるのは悪い気はしないが、それでもなんだかむず痒い。
『今日は、アルナイトに絵の具を、教えてもらいに来たの』
「あ、そうだった」
「どうやって教える気なんだ? またお前……考え無しに言ったんじゃないだろうな?」
「またってなんだよぉ。オレはいつだってちゃんと考えてるぞ! えっとな」
アルナイトは道具が敷き詰められている床を漁り、何枚か重なった小皿を引っ張り出す。それから丁寧に棚に収納されている小箱から、試験管を持って来た。薄いガラスの中には、顔料となる鉱石が細かくなって入っている。
皿をルルの前に並べ、そこへ数種類の顔料を一枚ずつに分けて入れた。
「これはラピスラズリで、こっちがジャスパー、んでこれがヘマタイト」
差し出され、ルルはそっと皿を受け取り中の小石を触る。鉱石が絵の具になるのは知っているが、実際に触ると不思議な変化だ。
『これをもっと、細かくするの?』
「そ、結構硬いから大変なんだ~」
『噛んでも?』
「アハハ、オレらがやったら歯が割れちまうよ」
触れて、聞いて、嗅いで。目以外の五感を使えば、見れなくても知る事ができる。やりとりを覗いていたフロゥは、そんなアルナイトの教え方になるほどと頷いた。
明るい中で影となったルルの顔はあまり分からないが、興味深そうなのは理解できた。するとフロゥは自分のスペースに行き、買って来た荷物に手を入れた。そこから数本の絵の具チューブを持って、二人のところへ戻る。
「ちょうど、その顔料が元になった絵の具を買ったんだ。良ければ試しに触ってみてくれ」
『新しい物、使っちゃっていいの?』
「構わない。新しい物の方が匂いもハッキリしているから、分かりやすいと思う。僕も画家だ、絵の事を好きで知ろうとしている人が増えて嬉しいんだ」
フロゥは微笑んでそう言った。無表情が多いせいか、笑うとふわりとした優しい顔になる。アルナイトが太陽の笑顔なら、フロゥは月に例えられるだろう。
好意をありがたく受け取り、ルルは皿に出された絵の具を指ですくった。少し固く、重い。粘り気もあり、油をつけてない状態でも他の絵の具より油分があるのが分かる。
「……舐めても美味しくないぞ?」
仮面越しでも、じっと見て迷っていた理由がアルナイトにバレた。人工物は含まれていないから体に毒ではないが、お勧めしない。アルナイトも初めて絵の具を見た時、綺麗だからとぺろっと舐めた事があるのだ。
『描いてみたい。あとで、お礼するから……少しだけ絵の具、借りてもいい?』
「お礼なんていい。試し書きの小さいキャンバスがあるから、楽しんでくれ」
壁に何枚も立て掛けられたキャンバスのうち、10号サイズが引き抜かれる。アルナイトはその間に、筆やタオルなどの小道具を用意した。ルルはそこで、描く道具は絵の具だけじゃないを思い出す。
用意してもらった道具のうち、一番気になったのは油だ。丸い瓶にたっぷり詰まっている。専用の、底の深い皿に注ぐ様子を近くで見ようとしたが、鼻の効くルルには強烈な臭いだった。思わず距離を取ると、慣れ親しんだ二人は可笑しそうに笑った。
「さて、準備完了! 何描く?」
『ありがとう。ん……アルナイトとフロゥを、描こうかな。色、初めてだから……変になったら、ごめんね』
ルルは絵の具の匂いを頼りに、筆に乗せてキャンバスへ滑らせる。全て感覚だ。たくさん使いたいが、できるだけ色合いが喧嘩しないよう均一な物を選んだ。
フロゥとアルナイトが見守っていた筆の動きが、やがて止まった。
『色って……難しいね』
思ったよりも感覚を掴めなかった。モノクロであれば一色で立体感を表現できる。しかし色があれば、光と影の色合いによって立体感が失われるのだ。
「お~!」
「いや、初めて色を扱ったにしては……」
確かに、その出来栄えは画家である二人には到底及ばない。本に描いた肖像画に比べても拙かった。それでも形を捉え、想定通りに同色を選んで統一感を演じている。目が見えないというハンデを背負っているとは思えない処女作だ。
それでもルルは納得いっていないのか、仮面下で目をしかめ、頭を傾げている。彼は意外と、理想が高いようだ。すると、ムスッとしているルルの顔を、アルナイトの両手が包む。
「楽しくなかったか?」
『え? ううん、とても楽しかった。夢中だったよ』
「だったらいいんだ。楽しんでできたんだから、いい絵なんだ! オレ、この絵すんごい好き!」
「ああ、僕も好きだ。芸術が人の心を掴むのは、技術力じゃなくて想いがあるからなんだ」
『想い……』
そう言われて思い出せば、筆を動かしている最中、上手く描こうとは思っていなかった。親切にしてくれた二人に喜んで欲しくて描いた。だからとても楽しかったのだ。
『ありがとう、二人とも』
「へへ~……あ! 今度はオレがルルを描いてもいいか?」
『いいよ』
アルナイトは早速15号のキャンバスを引っ張って来ると、画材の準備をいそいそとし始めた。
思えばルルは描くばかりで、描いてもらった事はない。結局見えないから、描いてほしいとも思った事がないからだろう。しかし今は不思議と楽しみで仕方なかった。
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