宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と芸術の国】

騎士の戯言

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 リッテはすぐ、慣れた手付きで紅茶を二人分淹れた。その間も、ずっと眉間にシワがあったが、アウィンには逆に安堵を隠している表情にも見える。自身の誇りを貫くオリクトの民らしいプライドの高さを持つ彼が、感情を表に出す事がないのを知っているからだ。
 だからこそ、ルルが奴隷で、人間の元で育ったと聞いた時のリッテの反応が気になった。確かに人間は私利私欲に溺れやすいし、オリクトの民にとっては天敵。それでも、ルルの現在を見れば、大事に育てられたのを確定できなくとも、奴隷よりはいい暮らしをしただろうと想像できる。
 いい人間と悪い人間がいる事は、リッテもよく分かっている。それなのに決めつけた事が違和感だった。

 懐かしい香りが、ティーカップから漂った。目の前に置かれた紅茶は、空の色のような鮮やかな青。香りからもしかしてと思ったが、やはり母国で好んで飲んでいた茶葉だ。

「懐かしい。持って来ていたのですか?」
「これはリベルタにしかないからな」
「ええ、何年ぶりでしょう」
「三年ぶりだ」
「ふふふ、よく覚えていますね」

 アウィンが定期的に帰国する時、母がいつも振る舞ってくれる。それをリッテは覚えていて、わざわざ淹れてくれたのだ。
 彼は物言いと性格に棘がある。よく言えば物怖じしない堂々とした姿勢だが、貴族たちには不評だ。しかしこういったさり気ない優しさが、彼の美しさだとアウィンは思っている。だから、放って置けない。
 ひと口、故郷の味を久しぶりに味わって、静かに赤い宝石の全眼と小さな青い瞳が合わさる。

「何故あんな事を?」
「別に、意図はない」
「そんな訳がないでしょう。お前は……とても世界の王を慕っていたじゃないですか。ルルが語った買い主は、そんなに愚かに見えましたか?」
「違う……!」

 リッテは喰らいつくように小さく叫び、顔を逸らす。そして、観念したように呟いた。

「俺はもう、これ以上世界の王に傷付いてほしくないんだ」
「これ以上? どういう意味です?」
「…………これはお前だから言うんだ。お前が、王に信頼されているからだ」
「ええ」
「俺は世界の王は──咎人だと思ってる」

 アウィンは呆気に取られるように口を開け、カップへ伸ばされた手が空気を掴んだまま固まった。リッテはその反応を読めていたのか、後悔ともつかない息を深く吐く。
 世界の王が行く旅は、普通の旅よりも簡単ではない。実際、ルルの旅路も次々と悪意が蝕む道を辿っている。しかし多くの者たちから称賛され、敬われる存在でもある。リッテの言う咎人とは真逆だ。
 リッテも最初こそそう思っていた。地上に降りられない神の代わり。世界の王となったその人は、何よりも不自由なく幸福な存在。そう信じていた。

「俺がまだこの世に生まれ、百年……人間で言えば、まだ幼少期と言える時期に、とあるオリクトの民と──」

 リッテは言い淀むようと膝に両肘を置くと背を丸め、閉じた口を隠すように手の指を絡ませた。そして未だ怯えるように小さく言う。

「前王の騎士の片割れに、会った」
「騎士って……それは妙では?」

 オリクトの民の寿命は二千年前後。人間の間で千年まで生きると云われているのは、単純に乱獲や牢屋などの不潔な環境に閉じ込めた推定だ。だが前王が居たとされる過去は、もう三千年は前だ。つまりその騎士は、寿命を遥かに超えている事になる。

「俺も、幼いとは言え疑ったさ。だが右目はルルの石だった」

 世界の王に仕える二対の騎士。その特徴は、片方の目に王と同じ石を持つオリクトの民だ。ルルの石を目に持つ民は、王と騎士のみ。
 何よりリッテが相手を騎士だと信じたのは、体の劣化の仕方だ。
 オリクトの民の死は、他の生物と比べると特殊だった。死が近づくととある場所に行き、最期の時を過ごしたあと、宝石の花となるのだ。その影響で体の一部が鉱石となっていくのだが、騎士を名乗る民は、どうして生きているのが不思議なほど、体が鉱石となっていた。永い間生き続けているのを、すぐに飲み込めるほどだった。

 そんな騎士に、リッテは世界の王への想いを拙くも伝えた。尊敬し、自分も王のような存在になりたいと。彼らに憧れる民はとても多い。特に子供は。
 しかし騎士はそれに笑った。優しくではなく、どこか哀れみを含んだ嘲笑を返したのだ。そして笑みを崩さないまま、まるで吐き捨てるように語った。

「……終わる事のない世界への犠牲。国宝を新しくするためだけの存在。それを知ってもなお、そんなふうに思えるかと」

 まだ幼かったリッテに、その言葉の真意は分からなかった。聞いた当初は、騎士のくせに世界の王を侮辱しているとさえ思った。しかしそれにしては、妙に頭に刻まれていた。

「成熟した今、その言葉を少しだけ理解したような気がするんだ」

 考えれば考えるほど、確かに言い得ていると思えてしまうようになった。
 誰よりも敬われる絶対的な存在。しかしその言葉を知ってからでは、どうにもそれが皮肉にしか思えない。

「自分の人生ではない、世界のために生まれ、国宝全てを新しくし終えたら死ぬんだ。まるで、世界という巨大な檻に閉じ込められているようじゃないか?」
「そんな……考えすぎでは」
「俺だってそう思うさ。だが……ならば何故、神は王をこのような形で作った? 本当に大事にされるべき存在なら、古くなった、何よりも穢れた国宝を体内に入れるだなんて残酷をどうしてさせられる?」
「それは、王の体が耐えられるからではないのですか?」

 リッテは数秒後、静かに首を横に振る。アウィンの言葉は半分合っていた。多くの生物を代表して国宝を扱えるのはオリクトの民。しかし古くなり様々な悪意を吸収した事で穢れた国宝に触れられるのは、世界の王だけだ。

「王が国宝の誕生と共に終えるか分かるか?」

 紛れもなく、耐えられないからだ。世界を巡り、国宝を新しくするまでは耐えられる体。言えばあくまでもそれまでの命。そういうふうに、王の体はできている。

「そう考えると……王の起源は咎人で、世界の犠牲に体良く作られたのではと思えて仕方がないんだ」

 アウィンは何も言えない。今彼は、実際にリッテが騎士から話を聞いて、それが染み込んでいった過程を追体験しているかのような気分だった。
 そんな事、正直考えた試しがなかった。世界の王の存在は幼い頃から教えられる。世界を繋ぐための尊い存在であると。しかし聞いて考えれば、自身の人生を捨ててまで世界の犠牲になりたいと、誰が思うのだろうか。
 英雄になりたいと立ち上がる者は居るだろうが、それを実践し、成功する者が毎回現れるなんて都合が良すぎる。だから、そういった行動を使命とする存在を最初から作っておけば……自然に物事が運ぶ。

 ゾッとするのをアウィンは感じた。もしこれが本当なら、世界の王というのは、なんて恐ろしくなんと哀れなのか。

「しかし、ルルは王の基準とはずいぶん外れています」
「そうだな。だから俺は心配もしているんだ」
「何故?」
「さっき言ったように、もしルル様が奴隷とされ、今もなおご自身が曖昧なのには、何か別の意図があっての事で、人間と共に暮らさせ、感情を植え付ける……それらも偶然ではなく、仕組まれた必然だとしたら?」

 リッテの口は止まらない。冷や汗が流れ、ガーネットの瞳が暗く瞬いている。アウィンもそれを制止させる事はできなかった。現実的だからだ。そして彼がこれ以上傷付いてほしくないと言った理由も、同時に理解した。

「アウィン、どれほど旅を共にするつもりだ?」
「互いの道が別れるまで……という約束です。流石に、永遠に共に居る事はできません」

 リッテは難しそうに小さなため息をついて目を閉じる。分かりきっていた回答だ。するとアウィンは、彼の拳にそっと手を置いて微笑んだ。

「いつまでかは分かりませんが、隣に居る限り、必ず守ります。大丈夫です」
「……ああ」
「それに、ルルはとても強いのですよ? なにせ聞いたところによると、アヴァール国で一、二を争う剣使いから術を教わったのですから」
「……クリスタ・クルーカスと、クーゥカラット・ガネールか?」
「ええ。そしてクーゥカラット殿が、ルルの育て親です」

 リッテはそれに驚いたような顔をする。ガネールは奴隷好きで有名な家系だ。しかしリッテが顔をしかめないのは、家系に関係なくクーゥカラット自身の事を知っているからだ。奴隷制度に対して積極的ではなく、むしろ減らそうとする運動が多い印象で、好感を持っていたくらいだ。

「ルルの仮面やマントは、クーゥカラット殿が作ったそうですよ」
「それであんな大事そうに」

 どんな人間の元で育てられたか少し心配していたが、どうやら無駄だったようだ。あれだけ素直に育った事にも納得がいく。
 アウィンは壁の時計を見て、腰を上げる。あと少しで足が動かなくなってしまう。ルルには夜に帰ると言ったのだから、それまでには動かなければいけない。

「行くのか」
「ええ。まだ滞在するでしょう? また来ます」
「……暇じゃないんだがな」

 つかれる悪態が本心でないのは、逸らされた視線で分かる。
 別れを告げてドアノブに手をかける直前、アウィンは思い出したように振り返る。

「今日聞いた事は、お互い胸の内に収めましょう」
「ああ、そのつもりだ」
「では、また」

 静かにドアが閉められる。国の外にはまだ太陽がある時間だが、アルティアルの中は薄暗い。アウィンは歩調に合わせて家路を照らす地面を見ながら、今日を思い出す。そしてすぐ、無邪気に微笑むルルを頭に描いた。
 不安がないわけじゃない。結論を出すには知らない事が多すぎる。しかしこれだけは確かだ。

「たとえ最悪な事が起きようとも、全ての選択を選ぶのはルル自身。私は……何があっても彼を信じています」

 これは鼓舞でも言い聞かせでもない、本音。自分が今できるのは、彼の隣で見守る事だけだ。
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