宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と芸術の国】

芸術祭と景品

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 一人、初老に見える男が駆け寄って来た。知り合いであるのは分かるが、アルナイトはますます顔を歪めると、救いを求めるようにルルの腕に抱きついた。

「アルナイト! お前はまた勝手な事をしおって!」

 突然の怒声に、人一倍聴覚の鋭いルルはビクッと体を強張らせる。アウィンはその様子に慌てて彼らの真ん中に立った。どうやら男は怒りのあまりか、アルナイトにしか目が行っていない。
 男は壁が現れたところで、ようやくアウィンたちの存在に気づいた。怪訝そうに、自分より頭が一つ分高い男を見上げ、シワの寄った眉根をさらに濃くさせる。しかしアウィンも怯まず見据えた。

「友は音に敏感なのです。声をもう少し抑えていただけますか?」
「ああ?」
「ジオード、叱るのはあとにしとけ。お客さんがいるみたいだ」

 仕方なさそうなため息と共に、ジオードと呼ばれた男の背後から、青年が遅れてやって来た。彼を見た途端、アルナイトの灰色の目が輝く。

「マリン~!」

 甘えたような声で歓喜し、アルナイトはすがるようにマリンに抱きつく。彼は受け止めながら姿勢を正し、ジオードの前に立つ。そして呆気に取られているアウィンの片手を取ると、女性にするように唇を寄せる真似をした。

「ようこそ、アルティアルに。美人が二人とは嬉しいお客さまだ」
「ご丁寧にどうも。しかし残念ながら、私は男ですよ?」
「美人に性別は野暮じゃないかい?」
「それはごもっとも」

 マリンという名前に、ルルは聞き覚えがあった。そうだ、アルナイトが夢から覚めた時に、先生に続いて出た名前だ。ふと彼の青とピンクの目がルルに向けられる。その時、敏感な鼻を涼やかな香りがくすぐった。

「それで、二人は移住者かな?」
「いえ、私たちは旅を生業にしている者です」
「なんだ、罪人か?」
「ジオード」

 マリンが肩を落としながら、短く叱咤する。しかしジオードは顔を背け、ふんっと乱暴に鼻を鳴らした。ずいぶん失礼な言いようだが、アウィンたちはあまり気にしている様子はない。慣れているのだ。
 旅人とは、主に罪人がなる職。殺人やそれに等しい罪を犯した者は国を追放され、国石も没収。加護も受けられなくなった放浪者の末路は、皆悲惨だ。アルナイトのように、旅人に胸を躍らせるのはごく僅かな存在だ。

「先生、そーいう事言うとまた嫌われるぞ。二人とも、ごめんな」
「いいえ」
『この人が、先生なんだね』
「うん。先生は巨匠なんだ!」
『巨匠って、芸術で優れた人……だっけ?』
「そうそう! オレは先生の弟子なんだ」
「勝手に名乗ってるだけだろうが」
「アルナイト、そろそろ二人と親しくなった経緯を教えてくれるか?」

 ジオードの言葉にかぶせるように、マリンが尋ねる。アルナイトは思い出したように、ルルたちとの出会いを二人へ語った。すると、ジオードは顔を真っ赤にさせて彼の頭に拳を落とす。禁止されている場所に勝手に行ったのだから、当然かもしれない。
 ゴチンと派手な音に、ルルは仮面の下で目を丸くする。試しに、アルナイトのピンクが混ざる紫の頭を撫でると、若干たんこぶができていた。

「殴る事ねえじゃん!」
「殴るだけで済ましてやったんだ。馬鹿もんが」
「まあ……これはアルナイトが悪いね。それで、顔料は取れた?」

 アルナイトは肩を跳ねさせると、そろぉっと顔を逸らした。何も収集が無かった事が、容易に伝わる。
 ジオードは何度目かのため息をつき、マリンはだろうなと笑った。

「あそこの岩は、普通の縄じゃ無理だ。せめて宝石で編んだ物じゃないと。さて、一旦この話は終わりだ。二人とも、この子を助けてくれて本当にありがとう。僕はマリン。こっちの偏屈じいさんはジオード」
「アウィンと申します」
『僕はルル。よろしく、マリン、ジオード』
「二人は国を寄って行くんだろう? そろそろ日が暮れるし、空き家に案内するよ」
『まだ太陽、高いよね?』

 まだ一日の半分になっていない。言った通り、太陽は真上に到達して間もなく、日が暮れるまでまだ数時間はかかるだろう。マリンはそれに、肯定に頷いた。
 この国は、背の高い崖の壁に包まれている。そのため太陽がはやくに崖に隠れてしまって、夜が長いのだという。昼が過ぎれば、夕方は数時間もないのだ。
 しかしアウィンはそれにしてはと、周囲を不思議そうに見る。夜が長い理由は分かったが、それにしては街灯が見当たらない。すると心を読んだようにマリンは言った。

「夜は、思ってるよりも暗くならない。だから街灯は必要ないんだ」
「それは一体何故?」
「へへ、それは夜になってからのお楽しみ!」

 ルルの手を引いて、アルナイトが悪戯っ子のように笑った。何か光る生物なんかが居るんだろうか。
 しかしそれらしい気配もない。気になるものと言えば、土地の素材だろうか。ルルの鼻が、嗅いだ事の無い鉱石の香りを伝えてくる。人知れず入念に周囲を探っていると、一人の気配が無くなっている事に気付く。

『ジオードは?』
「あれ、ホントだ」
「あー……アイツは工房に帰っちゃったか」
「現役でいらっしゃるので?」
「ああ。近いうちに、大きな芸術祭もあるんだ」
「おや、それは忙しい時にお邪魔してしまいましたね」
「とんでもない。むしろお客さんが増えて嬉しいよ。国が賑わうのは大歓迎だから」

 アルティアルは特殊な国だ。ただ住人が集まるわけではなく、己の芸術を極めるための移住者ばかり。そのため人口は、千年ない歴史だとしても、一つの大きな街程度の人数なのだ。修業という目的のためか永住者も多くはなく、空き家は中々埋まらないらしい。
 ルルとアウィンが案内された家は壁に近く、斜面に沿って建設されていた。根本に所々、海のような青い石が見える。しかし最近まで人が住んでいたのか、空き家と呼ぶには綺麗な状態だ。

「よろしいのですか? こんな立派な」
「もちろんさ。美しい人には綺麗な場じゃないと」
「ふふふ、お上手ですね」

 マリンは出会った頃と同じように、アウィンの手にキスをする真似をした。それから、家の底に根付くものと同じ石を持たせる。ラピスラズリは、アルティアルの国石だ。

「なあなあルル、今から工房来ないか? 遊ぼうぜ!」

 嬉しい誘いだった。そういえば材料を見せてくれると言っていたのをルルは思い出す。誘いに頷こうとすると、アルナイトの頭をマリンの手が優しくポンと叩いた。

「アルナイト~? 芸術祭まで残り何日だったっけ?」
「う……は、二十日……」
『アルナイトも、それに参加するの?』
「そうなんだ。でもまだメインが決まらないんだよ……」
『じゃあ、遊ぶのはまた、今度にしよう? 僕らはまだ、しばらく居るから』
「うぅ、約束したのにごめんなぁ」
『ううん。絵、楽しみにしてる』
「そういえば、芸術祭に参加するとどうなるのですか?」
「優勝すると、国宝を扱う権利を貰えるんだ」

 アウィンはその言葉に目を丸くした。まさか、商品に国宝が絡んでいるだなんて。五大柱の一人だったからこそ、国宝の扱いに詳しい。だからこそ、そんな扱いをしているとは思わなかった。しかし咄嗟に出かけた言葉を、ルルの手が指に絡んで止める。
 驚いている様子の彼に、マリンたちは首をかしげる。

「どうかしたかい?」
「あぁ、いいえ。少し疲れているようで」
「あ、そうだよな。長い旅路だっただろうし。ゆっくり休んでくれ」
「ええ、そうさせていただきます」
「今度は遊ぼうな!」
『うん。ジオードにも、よろしくね』
「おう! じゃあな~!」

 元気良く手を振るアルナイトに、ルルは緩く手を振りかえす。アウィンも去って行く二人に会釈をし、彼らの背が建物に消えたのを見て、溜め込んだ息を吐いた。

「ルル」
『中で話そ?』

 詰まっている声色に、焦りを感じる。ルルは大丈夫だと言って、口角を微かに上げて見せた。
 貰ったラピスラズリで鍵を開け、家の中に入る。まず戸棚からカップを取り出し、紅茶を淹れた。いやにのんびりしているが、落ち着くためにはこの行動が必要だ。
 アウィンは礼を言ってカップを受け取り、揺れる赤い水面を見つめる。悩みに迷わせた視線が、フードと仮面を外すルルに向けられた。

「まさか、国宝を景品にするとは」
『そうだね。初めてかも』
「今回、この国に来たのは偶然ではありませんか?」
『偶然なんて、無いよ』

 その一言は、予想通りだった。元々、国宝の音を辿っているのだから、新しくすべき国であるのは当然。アウィンはそれを分かっていてなお、偶然であってほしいと望んだのだ。
 国宝の音が、世界の王を求めるほどの大きさ。それはつまり、穢れて国民に悪影響を及ぼす可能性が大きいという事。そんな状態で、王以外が手にすればどうなってしまうのか。想像しようとしただけでゾッとする。

「王であるのを公表し、景品を変えるのはどうでしょうか?」
『ダメ。それは、彼らへの冒涜だ』

 全員この芸術祭に、きっと何時間と途方のない時間を費やしただろう。それを台無しにする権利はない。例え歴代の世界の王は許しても、ルルはそれを許したくなかった。

「……すみません。軽率でした」
『ううん。アウィンの言う通り、このまま、誰かの手に渡るのは、良くないから』 

 ルルは紅茶をひと口飲んでからテーブルに置き、顎に指を絡める。思案の沈黙がしばらく続いたが、何か閃いた様子で顔をぱっと上げた。

『その国のルールには、絶対従う。だから、僕らも参加しよう』
「芸術祭にですかっ?」
『うん。僕は色々、考えないといけないけど……アウィンの歌は、素晴らしい。充分、芸術として、成り立つと思う』
「嬉しい言葉ですが」

 期待を込めた虹の目が、渋るアウィンをじっと見つめる。この無言の要求はずるい。アウィンはたまらず息を吐くと、観念したように頷いた。
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