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【宝石少年と霧の国】

また、気まぐれで

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 体の感覚が戻ってまず、口の中に液体が入ってくる感覚を覚えた。鉄臭く、体が拒絶するのを感じるが、何故か舌は甘さも感じている。
 アパティアはそんな不可思議な感覚に、恐る恐る目を開く。降り注ぐ光のせいで、世界が白く見える。眩しさに目を細めながらも、なんとか瞬きをして視力を取り戻した。

『目が覚めた?』
「!」

 感情の無い、穏やかな声。殺意や嫌悪も感じないのに、何故か恐ろしいと錯覚した。
 声の通り、ルルが少し遠くで立っていた。後ろにはアウィンとオリクトの民の子供も居る。

「こ、こは……? 私は」

 疑問は他者へ投げたものではなく、混乱を落ち着かせるため自分に呟いた言葉だった。
 状況を把握できない。辿った記憶では、確かに腹を貫かれたはず。夢ではない。突然の事だったが、痛みだって鮮明に覚えているんだ。それなのに今は嘘のように痛みがない。あるのは多少の体の重み。
 手で腹を触ってみる。ここには穴が空いていると思ったのに、傷跡すらない。
 一体何が起こったのか。ルルを見ると、その手が赤くなっているのに気付く。その赤を見ただけで、アパティアは口の中の鉄臭さを理解した。

「な、何故私に血を……?」
『まだ、終わってないから』
「え?」
『あんな一瞬で、眠ってしまってはダメ』

 アパティアの顔がさあっと青ざめる。この口に広がる、拒絶を感じながらも甘美に思える血は、世界の王の血。それが傷を治し、絶命から救ったのだ。しかしその理由は慈悲なんかではない。まだ裁きを終えていなかったからという、残酷な理由。
 アパティアが死んでいたら、そのまま手は出せない。しかしあくまで瀕死状態だった。あのままだったら、きっとそのうち眠るように死ぬ。だがそんな楽な死を許していい相手ではない。だからルルは、試しに自分の手をナイフで傷付け、血を与えてみた。以前の国で、治癒力が高いという記録を読んだから。
 血が彼女の口に入って数秒。ぱっくり開いた傷口が、縫われるように塞がっていった。そして死人の色をしていた肌にも血の気が戻り、穏やかな寝顔に変わった。

「も、もう一度私を殺すの?」
『言ったでしょう? そんな楽な最後に、させないと』

 どこまでも淡々とした頭に綴られる言葉が不気味だ。この場で殺す以外、一体どんな制裁が待っているのだろう。今までやる側だった彼女には、到底想像できない。
 ルルは視野を広げさせるように、両手を広げた。

『貴女は、知らないといけない、事がある。だから木に、部屋を作ってもらった』

 促されるように、アパティアは周囲を見渡す。確かに、記憶に残っている緑豊かな地下ではない。そこで彼女は足元の感覚に気付いた。
 足が動かない。体を見下ろし、その光景に短い悲鳴が漏れた。

「な、な、何よこれ!」

 足に何重も根が巻きついているだけではなく、そのうち細い数本が皮膚の下を通っていた。根と体が、完全に一体化している。

『新しくなった木には、栄養が必要なの』

 それも莫大な栄養が必要だ。新たな国宝を守る力を安定させるまでの間、下手をすれば全ての生命から栄養を奪うだろう。だからルルは、代わりを用意した。それがアパティア。もちろん彼女も本来ただの人間だ。一日と持たず枯れる。
 だがそれは、彼女がそのままだった場合。今、アパティアの体には世界の王の血が流れている。人間の器に収まるには大きすぎる血が。

『きっと、数百年は持つよ』

 つまり、数百年は栄養になれという事。彼女が望んだ世界の王の血。その作用は、使い用によって残酷を生む。

『搾取される側を、知るといい』

 これが罰。搾取する側であると安心しきり、自然を蔑ろにした彼女への罰だ。嫌った物の命の栄養源となる。殺そうとした物を生かすために生きるのだ。
 アパティアの呼吸が徐々に浅くなる。事の重大さを理解した。もう、死ぬまでここで一人、この土地のために生きて枯れる定め。そんな屈辱は耐えられない。

「許して! 世界の王よ、慈悲をください! 謝るわ、だから」
『謝る?』
「え、ええ、全員へ頭を垂れる!」
『誰に?』
「えっ?」
『貴女の枯らした植物も、水の妖精の母も、貴女が使った者……全員、もう、居ないのに?』

 アパティアは歪な笑顔を引き攣らせる。
 彼女はすでに、赦しを与えてもらう機会を失っているのだ。他の誰でもない、自身の手で。

『さようなら、アパティア』
「待って、嫌、イヤ──」

 ルルはつんざく絶叫に構わず、背中を向ける。アウィンは子供の耳を塞ぎながら、驚いたように彼を見ていた。虹の目はもう幼く、キョトンと首をかしげてきた。
 彼がこんな罰を思い付くなんて想像していなかった。さらに罪を課したあと、何事もなかったようにできるなんて。

『行こう?』
「あ、ええ」

 根を撫でるとゆっくりと扉が開き、三人はそこへ飛び込んだ。消える背中を見つめるアパティアの目から、絶え間なく涙が溢れる。根に落ちるそれすら、今は栄養となった。

~               **              ~               **                 ~

 眩しい光に包まれてしばらく。目蓋越しに感じていた痛みが消え、アウィンは恐る恐る目を開いた。反動で白くぼやける視界を擦り、なんとか視力を取り戻す。

「ここは……?」

 立っていたのは、草原を乱雑に狩って出来上がった道。地平線すら見えるほど開けた世界は、数日ぶりに見る。
 そこは外だった。森の、イリュジオンの外だ。一体どうして外なのか、訳がわからず慌てて辺りを見る。そんな彼の手に、華奢な指が絡んだ。

『アウィン、大丈夫?』
「ルル、ご無事で! しかし、何故二人ともここに?」

 一緒に居た子供までいない。まるで追い出されたような──。

『もう僕らは、部外者なんだ』

 そういうルルの声色は、言葉とは裏腹に可笑しそうだった。唖然としたアウィンも、理解したのか小さく笑う。
 確かに、もう国宝を新しくした。だからもう自分たちは必要なくなった。はやく他の国宝を助けに行けという事だろう。素直というか、正直すぎる。アンブルたちへ礼や別れを言いたかった。まあしかし、迷わせない辺りは親切と言えるだろうか。
 ルルは紺色の本を取り出し、白紙のページに何かを書くと、催促するようにアウィンを見る。彼はクスリと微笑むと、ガラスペンを借りて短く言葉を記した。
 満足そうにしたルルは、それを剥がして森の出口に置いた。

『さようなら。また、会える時まで』

 それだけ言って、ルルは待っているアウィンの手を握る。そして最後、二人で森へ大きく手を振り、旅路を歩き出した。

~               **              ~               **                 ~

 眩しい輝きが、焼け焦げた大木から放たれる。水辺に避難したアンブルたちはそれを見て、国宝の終わりを理解した。
 光が終わり、騒めく住人たち。不安そうに身を寄せたアガットの肩に、アンブルは優しく手を回す。

「大丈夫だ。坊やたちを信じて待とう」

 そう言いつつ、心臓が胸を破って出てきそうなくらい跳ね続ける。全てが焼け落ちたそこをじっと見つめ、とある変化が起こった。
 黒に、新緑が見えた。それは小さな木の芽。途端に地面を震わせ、それは見上げるほどの大木へ成長する。大木はただ驚いて見上げる住人の中、アンブルへ枝を伸ばした。枝先の蕾が小さく震えてポンと開く。
 白い花の中、まるで海底のような深い青い石があった。それはアズライト。成長を意味する石。新たな国宝だ。

「ああ……あの子たちはやったんだ」

 その瞬間、花が咲き乱れる。それに触発されるように、住人たちは勝利と喜びの叫びを上げた。

「ルルさんたちは?」
「二人は無事なのか……?」

 コーディエとジプスは不安そうに大木に尋ねる。木は枝で頷いた。しかし、それならどうして姿を見せないのか。

「まさか、もう外に返したんじゃないだろうね?」

 肯定した木に、アガットたちは残念そうな声を上げた。アンブルも仕方なさそうに頭を振る。礼も言わせてくれないなんて、せっかちにも程がある。

「……なら、どうして俺は、まだここに?」

 ジプスたちの後ろから、コーパルが前へ出る。治療したとは言え、片腕と右目を失った姿は痛々しい。まだ体力も戻っていないのか、喋る声も少し掠れている。立つのもやっとで、木は慌てたように枝を作ると彼に持たせた。

「お前はどうやら、部外者じゃないみたいだよ」

 木にはきっと、全てバレている。自然に人間が隠し事なんてできないのだ。

「でも、俺は……」

 自分は直接手を汚さないまでも、様々な悪事に加担している。それなのに会いたかった人の元でぬくぬくと生活するには、なんとも甘すぎる気がするのだ。
 後ろめたさに下がった顔を上げさせるように、アンブルの手が頬を撫でる。

「罪は、一緒に償おう。お前を諦めて、一人にした私にだって罪はあるんだ」
「ああ──母さん」

 コーパルは昔よりも皺のある優しいその手に、まだ残っている自分の手を重ねて頷いた。

 コーディエとジプス、アガットの背中を、木が遠慮気味にツンツンと突いた。振り返った先にある低木が、ガサガサと音を立てる。動物かと思って見れば、見知らぬ子供がひょこっと顔を見せた。淡い紫の肌は、ルルを思い出させる。

「もしかして、オリクトの民の子供?」
「まあ、どうしてイリュジオンに?」

 子供は木に連れられて三人の前に歩いてきた。少し怯えているのか、木の蔓をぎゅっと抱きしめている。どう見ても懐いているのが分かる。

「まさか、今までずっと匿っていたのか?」

 疑わしそうなコーディエの言葉に、木は大きく枝を縦に振って見せた。国宝の在処を言わない理由がこれだったなんて、誰が予想できるだろう。
 今までは国宝の力で、食事をせず子供は生きられた。しかし新しくなった今、解放された子供を木だけでは育てられない。植物以外の育て方を木は知らないから。
 ジプスとアガットの手首に、何かを主張するように蔓が巻きつく。しかし言いたい事が分からず、二人は顔を見させて首をかしげた。

「お前たちに、親になってほしいんじゃないか?」

 背後からのアンブルの言葉に、木は花を咲かせて肯定を示す。
 アガットとジプスは、お互い愛していれども子を作れなかった。呪いが影響する恐れが強いからだ。それに、呪いを解いたとしても、産めるかどうか分からない。そしてこの子も、このままでは寂しく死ぬ。
 二人はしばらく互いに丸くなった目を見合うと、どちらともなく頷く。子供としゃがんで視線を合わせると、手を差し伸べた。

「はじめまして。僕らと一緒に、生きてくれませんか?」
「朝起きて、ご飯を食べて、一緒に遊んで。きっと楽しいですわ。そうだわ、お花も一緒に育てましょう?」

 今まで木しか隣に居なかった子供には、その言葉の意味が分からない。それでも、影に隠れようとしたのを止めたのは、二人の心が伝わったからだろう。子供は恐る恐る近付くと、小さな手と大きな手を取る。そしてその暖かさに、嬉しそうに笑った。

 死者は、奇跡的に出なかった。しかしイリュジオンの半分は炎の被害を負っている。これを一からまた再構築するとなると、数年はかかるだろう。
 森の母としては、本来ならすぐにでも取り掛かれと下すべきだ。それでも、アンブルの口はそれを言わない。

「みんな、今日までよく頑張ってくれた。本当にありがとう。今日はたくさん食べて、ゆっくり休んでくれ」

 英気を充分に養ってから、国を再構築したってバチは無い。
 風に吹かれ、どこからか紙切れが飛んできた。丁寧に畳まれたそれを開くと、見知った二つの文字。ルルとアウィンの書き置きだ。木に預けたのだろう。

─気まぐれで、また、会えますように─
─お互い新しい道を、お達者で─

「ふふふ、ああ……別れ言葉なんて、必要ないね。また来た時、その時はまた、森の母として歓迎しよう」

 アンブルは遠い森の出口を見つめ、二人の旅人を見送った。
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