宝石少年の旅記録

小枝 唯

文字の大きさ
上 下
156 / 210
【宝石少年と霧の国】

託し託され

しおりを挟む
 少し日が落ちてきた頃。徐々に夜がやってくるのを窓の外を眺めていたコーパルは、居ても立っても居られず、部屋を飛び出した。獣人の動きが心配なのだ。
 アンブルの部屋のドアを、多少の冷静を装って叩く。しかし不安は隠せなかったのか、椅子から振り返った彼女は可笑しそうに声なく笑った。

「獣人たちの様子なら、心配しなくていいよ。もう、あと最後だ」
「そ、そうか」

 コーパルは胸を撫で下ろしながらも、未だ落ち着く様子はない。金の目が、居場所を彷徨うようにキョロキョロしている。アンブルはその目元に、薄らと隈が刻まれているのを見逃さなかった。

「坊や、こっちへ来てごらん」

 アンブルは整頓されたベッドに腰を下ろすと、隣をトントンと叩いた。コーパルは理由が分からずも、言われるまま指定された場に浅く座る。彼は沈黙が苦手だ。困惑と戸惑いに拳を握る。
 静寂を破ろうと、コーパルが口を開いた瞬間だった。アンブルが腕を軽く引き寄せ、バランスを崩す。

「ぅわっ?」

 横に揺れた視界に、ぎゅっと目をつぶる。力が入らずベッドに倒れ、柔らかなものが後頭部にぶつかった。何が起こったのかと目を開けると、見上げる形でアンブルの顔があった。頭部を支えるのは枕ではなく、彼女の膝。コーパルは突然の膝枕に目を白黒させる。起きあがろうとすると、そっと目元を優しく塞がれた。

「アンブルっ!」
「少し休みなさい。昨日も、まともに眠っていないんだろう?」
「お、俺は子供じゃないぞ」
「私にとっては、みんな子供さ。それとも、年寄りの膝は嫌か?」

 視界を覆う手を退かそうとしていた自分のを、コーパルはピタリと止める。そんな事を言われたら、黙って膝を借りるしかないじゃないか。少し不貞腐れるように、暗闇の中で目を閉じて溜息をついた。
 少し強引だが、こうでもしなければ彼は休まない。今後のため無理にでも、見張ってでも眠らせた方がいいのだ。

「坊やはよくやっているよ。ありがとう」
「……敵に何を言ってるんだ」
「ふふふ、お前に悪役は向いていなかったね」

 笑う声があまりに優しく、コーパルは耐えられないというように、外側へ寝返りをうつ。
 アンブルの少し大きな手は、髪を梳くように撫でる。それが懐かしくて暖かく、緊張に絡まった糸がゆっくり解けていくのを感じた。

(そうだ、こんな感じだった。俺が知っている、優しい手だ。どうして今……思い出すんだ)

 微睡む意識の中、誰かの微笑みが見える。両手をあげてせがむと、仕方ないと言いながら抱き上げて、頭を撫でてくれる誰か。眠れないとぐずって迷惑をかけても、微笑んでこうやって膝枕をしてくれた。そして決まって、歌を口ずさむのだ。優しい子守唄。

「──青い青い空の下、耳をすませてごらん。キラキラ、キラキラ、笑う声。それは、あなたへの、祝福の歌」
「!」

 コーパルは意識が覚めるのを感じ、飛び起きる。そうだ、その歌だ。彼女はその歌を、歌ってくれた。全く同じ声で。

「その、歌」

 記憶を紡いで、組み合わせただけの歌だと思っていた。だが子守唄なんて、世の中にいくらでも存在する。まさかと飛び起きてから、これに気付いた。早とちりだ。
 するとアンブルは、驚いて瞬かせた目を優しく、愛しそうに細めた。

「これは、私が作った歌だ」
「え……?」

 そう、これはアンブルだけの歌。知っているのは弟ならび妹弟子と、息子だけ。
 彼女の小さな瞳は、光の角度で金にも見える。まさにコーパルと同じ、鮮やかな金色。

「あ、アンブル……俺は、その歌を、知っているんだ。おかしい、初めて会ったはずなのに」

 水に溺れたように、言葉が辿々しい。まるで救いを求めるような、泣き出しそうな彼を、そっとアンブルの手が撫でた。何も言わないまま指先は頬を滑り、奇妙に継ぎ足された首元を撫でる。

「かあさ──」
「アンブル様!」

 切り裂くような悲鳴に似た、アガットの声が部屋に轟いた。悲痛そうな声色に振り向けば、彼女は小さな体でジプスを支えている。

「じ、ジプスっ?」
「何があった」

 コーパルはアガットからジプスを受け取り、そっとベッドに寝かせる。消えかかっているが呪いの痣が見えた。しかし彼はコーディエと共に居たはず。二人が真っ先に持った疑問を、アガットが告げられる前に答えた。

「魔獣の移動中、襲撃にあったんですわ!」
「何だって? コーディエはどうした」
「も、元々、僕ら、どちらかを、狙っていて……呪いが、その時……。コーディエが、僕を、庇って」
「分かったジプス。もういい、喋るんじゃない。アガット、薬を」
「はいっ」

 アンブルはカーテンを開け、遠くをじっと見つめる。もうすっかり夜に侵食された空と森の境界。そこに、揺れる業火が見える。まさか、火を放ったのか?
 二百を超えてもまだ若さを見せる彼女の顔に、怒りのシワが濃く刻まれた。

「コーパル、アウィンたちを呼んで来なさい」
「わ、分かった!」

 コーパルはドアを破る勢いで部屋から出ていく。ジプスは、アガットが戸棚から持ってきた薬を飲ませると、いくらか苦しさが軽減されたようだ。
 アンブルはその様子を確認するように一瞥し、コーパルがくぐった物とは別のドアを開けた。その先は外に繋がる小さなバルコニー。そこからは木がそびえる坂の下が見渡せる。普段は花がポツポツと見えるだけの草原だが、今は森の各地から集まった獣人たちが詰め寄っていた。
 どうやら皆、アンブルが来るのを待っていたようだ。動物の血からくる本能か、森に危機が迫っているのを理解しているのだ。暗闇に反射する数々の瞳は、全員森の母からの命令を待っている。

「みんな、力をかしておくれ! 水魔法を使える者は、火の消化を。子供と負傷者、戦闘力を持たない者は湖へ。他の者は、籠の前でこれ以上の侵入を防ぐんだ。相手は人間。我々の力を見せてやろう!」

 獣人たちは拳を掲げ、森の母に応えて鬨の声を上げた。それぞれが速やかに移動していく様子を見てから、アンブルも部屋へ戻る。もちろん、命令だけして終わらない。まずは湖にシールドを貼って、最前線で戦う。
 アガットは既に下へ向かっているようで、アンブルも続こうとドアを開けた。と、目の前でアウィンたちが壁となっていて、ぶつかる前になんとか姿勢を正す。そうだ、彼らへの説明が先だった。

「悪いね坊やたち、手短に話そう。森に火が放たれた。まもなく敵が攻めてくるだろう。私は獣人たちと迎え撃つ。隙をついて、至急、国宝を探してくれ」
『待ってアンブル。国宝が、見つかったの。探す必要は、最初から、無かったんだ』
「国宝を探す必要が、無かっただって……?」
「──その国宝は、私の物だ!」

 知らない声が、窓ガラスが派手に散る音と一緒に割って入った。アンブルは咄嗟にシールドを貼って、鋭利な欠けらから皆を守る。不躾な侵入者は二人の男女。いち早く反応したのはコーパルだった。

「アパティア、シリカ……!」
「久しぶりね、ルース?」

 向ける笑顔はとても美しい。しかしコーパルだけは、心臓を震わせるような気持ち悪さを感じる。しかしシリカはコーパルに一切興味が無いらしい。彼に目もくれず、真っ先にルルを見つけて無邪気な笑顔を浮かべていた。

「世界の王、やっと会えたぁっ!」
「ルル、下がって」

 アウィンはルルを後ろにし、杖を構える。途端に、シリカの顔はつまらなさそうに表情を失った。

「邪魔だよ」

 言葉を理解する頃には、シリカはアウィンの視界から消えていた。気配は真横。風と共に、体に激痛が走る。一瞬の出来事だった。瞬きにも満たないほどの速さで、彼はアウィンを壁へ蹴り飛ばしたのだ。

『アウィン!』

 ルルすらもその動きに気付けなかった。痛みに喘ぐアウィンへ駆け寄ろうとしたが、前に進めない。シリカの手が、ルルの腕を掴んで引き止めていた。彼は興奮に頬を高揚させ、手は離さないままその場に跪く。

「世界の王、ようやくお会いできて光栄です……! 僕は、貴方に出会うために、ここへ来ましたっ」
『離して』
「あんなの、どうだっていいでしょう? ねえ王様、僕に幸せをください!」
『幸せ……?』
「そう! 僕、僕は、幸せを貰うために、貴方の姿を求めていたから」

 シリカは世界の王に対して、信仰深かい。王にさえ会えれば、幸せになれると信じているのだ。それは王に会えれば、この世の幸福を手に入れられるという、アダマスの教え。彼は純粋に幸せを望んで王を手に入れようとしている。
 ルルは振り払おうとした腕から力を抜くと、シリカと向かい合った。

『貴方はいつから、信仰を違えたの?』
「え?」
『シリカ、貴方は幸せには、なれない』

 ルルは虹の目を哀れむように細める。なんて可哀想な人なのか。他人からの幸せだけを望み、自分で幸せになろうとしない。その術を知らない。それでは一生、心は枯渇する。
 シリカは絶望するように呆然とした。それまで痛いほどだった力も手から抜け、少女のような腕がするりと逃げていく。

「……そだ」
「?」
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ! 世界の王はそんな事を言わない。王は神だ。神様は慈悲深くて、全てを幸せにする!」
『それは、夢想だ』
「違う、僕の王を返せ!」

 怒りに身を任せ、シリカは世界の王その人へ襲いかかる。ルルはそれを避ける事はしなかった。しかし、来たのは風圧だけで、痛みは無い。
 シリカの拳を受け止めたのは、コーパルだった。彼の重い一撃を受けたら、ひとたまりもない。それでも受け止められたのは、コーパルの体が同じ宝石だからだ。

「ルル、この哀れな同胞は、俺が裁いてもいいか?」

 ルルは頷くとその場を任せ、起き上がろうとするアウィンを支える。小さな手で引っ張り上げられ、彼も腰を上げようと足を立てた。しかし、いくら脳が力を入れろと指示しても、体は背き続けた。まるで切り離されたように、足がピクリともしない。薬を飲んだはずなのに。
 同時に、呼吸をするだけで激しい激痛が襲い、胸元を押さえた。鈍くも突き刺さるようなこの痛みは、骨が折れている証拠だ。怪我の状況は、ルルには分からない。アウィンはこれ以上悟られないよう、無理にでも起きあがろうと杖に体重をかける。

「坊や、これをお飲み!」

 声と共に二人の元へ瓶が投げられ、ルルは反射的に受け取った。チャプンと跳ねる液体の中で、黒い花が揺れている。それはアンブルが作った薬の中でも、強力な治癒力を持つものだ。
 手の平サイズの瓶をルルから貰い、アウィンは一気に飲み干す。苦味を持つ花が喉を通った頃、痛みは嘘のように治っていた。

「ここはいい。国宝の元へ急ぐんだ!」
「はい!」
『アウィン、こっち』
「待てぇ!」

 部屋に向けた背中を、アパティアが追いかける。すると、触れそうになった手が弾かれた。よく見れば、魔法陣が淡い線で浮かび上がっている。

「行かせるわけがないだろう? お前には、まだ礼が済んでいないんだ」

 アンブルの顔は笑みを浮かべてはいるが、言葉の中には殺意が垣間見えた。肩まで高さへ上げられた手に、魔法陣が現れる。中を探っていた彼女の手は、鋭い剣を持って抜き出された。
 容赦なくアパティアへ振られた刃は黒く渦巻き、見たところただの金属ではない。アパティアは舌打ちすると、両手にした短剣で防いだ。

「魔女って、ずいぶん野蛮なのね」
「お前さんには負けるよ」

 直接交えたわけではないが、アパティアは強者を何人も見てきた。だからこそ、アンブルの強さがよく分かる。魔女のくせに剣術も持ち得ているのは想定外だ。このままでは、国宝の元へ行けない。なんとしても、王を足止めしなくては。
 アパティアは距離を取った僅かな瞬間、腕を高く上げた。何が来るかと身構えたアンブルは、細い目を丸くする。見慣れた艶やかな茶色の羽根が、床に落ちた。

「コーディエ……!」

 舞い降りた鷹は、姿を人に変える。鋭い青の目には、いつも存在する光が見えなかった。
 連れ攫われたと聞いてから、こうなる未来は考えていた。しかし、洗脳に打ち勝ってくれると、心のどこかで淡い期待もしていたのだ。
 手にした両剣がアンブルに向けられる。彼女にとって、コーディエは我が子も同然。そう簡単に傷付けないだろう。アパティアの予想通り、彼女の刃は動揺に揺らいだ。しかし振り上げられた両剣は、突然何かに弾き飛ばされる。それは風の刃。
 アパティアも魔女の端くれだ。見えた刃の軌道を辿った目は、ベッドに向けられる。息も絶え絶えに、ジプスが起き上がってこちらに手をかざしていた。

「師匠には……手を出させない」

 まさかあのフクロウが生きていたとは。アパティアはその生命力に少し感心しながらも、迷惑そうに顔をしかめる。

「死に損ないが。ふふ、でもちょうどいいわ。大事なお友達の手で死になさいな。お前、相手をしておやり」

 多少の足止めになってしまうが、どうせあの獣人はすぐに死ぬ。呪いの痛みが終わったとはいえ、瀕死であるのに代わりないのだから。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました

ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

【完結】平民聖女の愛と夢

ここ
ファンタジー
ソフィは小さな村で暮らしていた。特技は治癒魔法。ところが、村人のマークの命を救えなかったことにより、村全体から、無視されるようになった。食料もない、お金もない、ソフィは仕方なく旅立った。冒険の旅に。

処理中です...