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【宝石少年と霧の国】
それぞれの一夜
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ジプスとコーディエの視線が、同時にアンブルへ向けられる。それは命令を乞う視線だ。
「お前たち、獣人たちを籠の中へ集めなさい」
「はっ」
「はい!」
言葉の終わりにかぶせるように、二人は目を閉じる。瞬時に彼らの体は翼に包まれ、フクロウと鷹となり窓から飛び立って行った。彼らが行く空は、もう夕暮れへと姿を変えている。
「アンブル様、我々もすぐ行動を」
「もう一時間も経たずに日が暮れる。今日行動するのは得策じゃない。急ぐのは分かるが、無駄に命を削る必要は無いんだよ」
獣人ならば多少視界が悪くなっても行動できる。心が急いでも足止めは早い。そして付き人無しでのルルたちの探索は危険だ。アンブルが側に居られればいいのだが、獣人を籠へ集めに行かせた手前、ここから離れるわけにもいかないのだ。
アンブルはアウィンを納得させるため、理屈のある理由を述べた。だが実際には、精神的な面を最も考慮している。彼らに必要なのは作戦を考える事ではなく、いち早く休息を取る事。多くの出来事が起こったため、精神的な疲労に気付いていないからだ。
ルルとコーパルは、なんとなく理解しているようだ。アウィンは責任感が強いがため、急かす気持ちに足を取られやすい。
「分かるね? 出発は、早くても明日だ」
アウィンは堪えるようにグッと表情を固めたが、渋々といったように頷いた。
~ ** ~ ** ~
森の夜は早い。月が昇るよりも闇が先に顔を出す。その日、アンブルたちは普段よりも少し早めに夕食を済ませ、各部屋で休む事となった。
アガットはジプスがいつ帰ってもいいように、窓を半分開けていた。留守は慣れたが、二人分の部屋はやはり広く感じる。極めて普段通りに見える彼女だが、胸の奥のざわめきは存在するのだ。この森を愛しているからこそ、やはり危機に不安が募る。それでも、できるだけ日常生活は崩さない。基盤を崩したら終わりだ。
アガットは広いベッドの上で正座し、姿勢を正した。胸の前で指を絡め、星空が瞬く空へ向けて祈りを作る。これは毎晩ジプスと行なっている、森への祈りだ。
「森よ……わたくしの愛しい人に、どうぞ愛の加護を」
言葉はいつもと違った。今心からの切なる願い。常に森を愛する彼だけのために祈っても、今日くらいはいいじゃないか。夫が無事友とこの窓を潜る事を願い、アガットはカーテンだけを閉めた。
~ ** ~ ** ~
アウィンの手に、何輪かの花があった。アンブルが追加で、足用の薬を用意してくれたのだ。何かあった時のため、休む休まない関係無しに今晩は飲んでおこう。そう考えてじっと花を見つめていると、少しシワのある手が蓋をするようにかぶせられた。
「今夜は飲むんじゃない」
「しかし」
「坊や。意味まで説明するほど、分からない子じゃないだろう?」
薬というのは、加減が必要だ。いくらアンブルが作った物であっても、当然副作用というものが存在する。そもそも、普段動けないものを動かすというのは、体に大きな負担となるのだ。
アウィンは珍しく子供のような顔で眉根を寄せたが、何も言わずにただ目を閉じて頷いた。
「力というのは、必要な時に振るうべきだ。そうだね?」
「はい、アンブル様」
「いい子だ。ゆっくりおやすみ」
アンブルは優しく微笑み、部屋を出て行った。アウィンはドアが閉まるのを見届けると、そのまま広いベッドの上に力無く倒れる。
自分の情けなさに、堪らず溜息が漏れる。平静を装っているように見せて、全く焦りを隠せていない。比べてアンブルはいつも通りの冷静さだ。きっと頭では様々な考えを巡らせているだろうが、それを一切感じさせない。
(とにかく頭を冷やさなければ……)
冷静さを取り戻すには、一つの方法があった。それは楽器に触れる事。だがこんな時に、悠長に弾いていいものだろうか。
悩みに目を閉じると、ガサガサと枝が軋むような音がした。なんだと目を開けようとした時、寝ている体にドサドサと何かが降ってきた。顔面も覆う量に、堪らず起き上がる。
目の前には、もう見慣れた動く枝。そしてベッド一面が葉っぱだらけだった。
「な、何か私にご用でしょうか?」
体に降り積もるほどの緑。アウィンは肩に乗る一枚の葉を取った所で、その種類に気付いた。それは音の葉と呼ばれるもので、名の通り空気を当てると振動で音が出る。子供の頃、庭に落ちたのをよく拾って吹いていた。
驚いた。イリュジオンでこの葉を付ける木は見かけなかった。まさか、記憶を覗いて生み出したのだろうか。
「……もしかして、私に元気が無かったからですか?」
ギシリと枝が頷くように縦に動いた。この木は意思を持つとは言え、ここまでハッキリと意思疎通を図ったのは初めてだ。
アウィンは少しの間濃い緑の葉を見つめ、そっと唇に当てた。口を震わせるように空気を送ると、ヴァイオリンとよく似た音が伸びる。
穏やかな記憶にあるこの音は、とても気持ちを落ち着かせる。一曲が終わる頃、枝は淡い青色の花でその身を満開にさせた。
~ ** ~ ** ~
一通りの作業を終え、アンブルは自室のドアを開けた。しかし、しんと静かな空間の中にポツンとルルが立っている。ずっと待っていたのか、彼女の帰りにハッと振り向く。
「どうした坊や?」
『お話、したい』
「ベッドにお座り」
ルルはコクンと頷くと、ベッドに浅く座った。物憂げな虹の目が、膝の上で緩く握った手をぼんやり見つめている。
ふわりと優しい香りが漂ってきた。顔を上げると、目の前にティーカップが差し出される。アンブルはルルの手を取って持たせると、隣に腰を下ろした。
「さあ、お飲み」
『ありがとう』
寒くないのに、陶器を通じた熱に何故かホッとする。ミルクの白に茶葉から出る青がほんの僅かに混ざり、柔らかな色をしていた。一口含むと、茶葉の華やかな香りとミルクの甘さが、心の奥を解してくれる。
話がしたいと言ったのに、ルルはカップを空にするまで何も言葉を綴らなかった。アンブルは気にしている素振りはなく、ただ優しく頭を撫でる。しばらくそうしていると、トンと肩に何かが乗った重さを感じた。隣を見ると、ルルが寄りかかっている。
『僕、強くなりたい』
アンブルは小さくもハッキリした言葉に目を細める。理由は分かっていた。ジプスとアウィンから、少しだけ水の洞窟での出来事を聞いたから。
『僕は幼いって、言ったよね?』
「ああ」
『だけど、僕は今、ここに居る。だからきっと、別の強くなる方法が、あると思うんだ』
幼く心を持った世界の王。偶然が重なった間違いかもしれないが、それでも、自分の存在を意味する何かがあるはずなのだ。ルルでしかできない救い方、人の裁き方が。
アンブルはこちらを見上げるルルの頭を、そっと撫でる。そして膝に置いた剣を握る手にそっと自分のを重ねる。
「そうだね、坊やは強くなれる。それも、望めば望んだ分」
『本当?』
「ああ。だがね、だからこそ、お前は自分が世界の王である事を、忘れちゃいけない」
ルルは、強くなれるという言葉に希望を見出して上げた顔を、低い声が綴る言葉にかしげた。アンブルはどこまでも幼い彼の頭を、また優しく撫でる。
「お前がこれまでの王と異なるのは、きっと意味がある。だけど、例外だろうと王である事には変わりないんだ。それを忘れれば、いずれ手に入れた力が坊やを壊す」
『僕、壊す力は、欲しくない』
「そうだね。坊やが欲しいのは、自他ともに守れる力。だから、一つ覚えていなきゃいけない事がある」
『何?』
「恨みの血を浴びてはいけない。どれだけ相手が罪深かろうとね」
世界の王は、国宝を新しくし世界を繋ぐだけの存在。他者を裁くというのは、後付けされた任務だ。
国宝に触れられるのは、穢れの無い者のみ。それに触れる王は、世界の何よりも純粋でなければならない。そんな彼らが恨みの血を浴びれば途端に、この世の何よりも深く穢れに侵食される。
特にルルは、他人の心を自身の心で受け止める。だから危うく、脆い。間違えば、世界を破壊する凶器となりうる。きっと彼を利用して世界を貶めようとする輩も現れるだろう。
「お前は純粋でいるんだ。誰よりも。私と約束してくれるね?」
何をどうすれば、言われる純粋でいられるのか、ルルには分からない。それでも求める彼らへ、どう答えられるだろう。空っぽと言える自分に存在しているのは、愛だけ。ならば今はただ、愛しいものを愛しいと思おう。悲しいものを悲しいと嘆こう。自分の心を、道を見失わないために。
ルルは優しく抱きしめられながら、小さく頷いた。
「そろそろ寝ようか。もう遅い」
促されて横になったルルの薄い胸を、アンブルは鼓動に合わせて優しく叩いた。彼は微睡むようにゆっくり瞬きをすると、小さな欠伸をした。先程渡した茶葉には、安眠効果やリラックス効果があるのだ。きっと深く眠り、疲れを癒してくれるだろう。
ルルは布団の中で少しアンブルに近づくと、胸元に顔を寄せた。半分意識が夢の中で、子守唄が聞こえてくる。
『この歌……ジェイドが、歌ってた』
「あぁ、あの子が小さい頃、よく聞かせたからだね」
『…………コーパルも、歌ってた』
「何だって?」
微睡むように細くなった琥珀色の目が、覚めるかのように見開かれる。しかし、咄嗟の問いに答える声はすでに夢の中で、返っては来なかった。
~ ** ~ ** ~
胸の騒めきに、コーパルは目を覚ます。そういえば、意識を取り戻してからまだ数時間しか経っていないじゃないか。こんな短期間で長い睡眠はいくつも取れない。目を瞑ると思考が好き勝手回り出すせいもある。
窓の外を無数の影が激しく過ぎ去った。ギャアギャアと、鳥が森の異変を訴えるように飛んでいる。
おそらくアパティアは、明日にでも動き出すだろう。捨て駒とはいえ、一人の部下の動きが読めなくなったのだから、焦りも出る。それに比べて、コーパルの頭は静かだった。不思議だ。今まではやる事は決まっていても、頭の中は霧がかったようだった。それでも今はどこまでも澄んでいる。
(たとえ死ぬ事になっても、俺はお前たちには従わない)
これは、今まで所持した事の無い自分だけの意志。暖かく優しさに溢れるここを、これ以上穢すのは許さない。これまでは全てがどうでも良かった。だがもう自分を利用させない。
不死身と言えども、脆い体。貸せる力は微力でしかない。それでも最大限の力を持って、この森も世界の王も守る。
「お前たち、獣人たちを籠の中へ集めなさい」
「はっ」
「はい!」
言葉の終わりにかぶせるように、二人は目を閉じる。瞬時に彼らの体は翼に包まれ、フクロウと鷹となり窓から飛び立って行った。彼らが行く空は、もう夕暮れへと姿を変えている。
「アンブル様、我々もすぐ行動を」
「もう一時間も経たずに日が暮れる。今日行動するのは得策じゃない。急ぐのは分かるが、無駄に命を削る必要は無いんだよ」
獣人ならば多少視界が悪くなっても行動できる。心が急いでも足止めは早い。そして付き人無しでのルルたちの探索は危険だ。アンブルが側に居られればいいのだが、獣人を籠へ集めに行かせた手前、ここから離れるわけにもいかないのだ。
アンブルはアウィンを納得させるため、理屈のある理由を述べた。だが実際には、精神的な面を最も考慮している。彼らに必要なのは作戦を考える事ではなく、いち早く休息を取る事。多くの出来事が起こったため、精神的な疲労に気付いていないからだ。
ルルとコーパルは、なんとなく理解しているようだ。アウィンは責任感が強いがため、急かす気持ちに足を取られやすい。
「分かるね? 出発は、早くても明日だ」
アウィンは堪えるようにグッと表情を固めたが、渋々といったように頷いた。
~ ** ~ ** ~
森の夜は早い。月が昇るよりも闇が先に顔を出す。その日、アンブルたちは普段よりも少し早めに夕食を済ませ、各部屋で休む事となった。
アガットはジプスがいつ帰ってもいいように、窓を半分開けていた。留守は慣れたが、二人分の部屋はやはり広く感じる。極めて普段通りに見える彼女だが、胸の奥のざわめきは存在するのだ。この森を愛しているからこそ、やはり危機に不安が募る。それでも、できるだけ日常生活は崩さない。基盤を崩したら終わりだ。
アガットは広いベッドの上で正座し、姿勢を正した。胸の前で指を絡め、星空が瞬く空へ向けて祈りを作る。これは毎晩ジプスと行なっている、森への祈りだ。
「森よ……わたくしの愛しい人に、どうぞ愛の加護を」
言葉はいつもと違った。今心からの切なる願い。常に森を愛する彼だけのために祈っても、今日くらいはいいじゃないか。夫が無事友とこの窓を潜る事を願い、アガットはカーテンだけを閉めた。
~ ** ~ ** ~
アウィンの手に、何輪かの花があった。アンブルが追加で、足用の薬を用意してくれたのだ。何かあった時のため、休む休まない関係無しに今晩は飲んでおこう。そう考えてじっと花を見つめていると、少しシワのある手が蓋をするようにかぶせられた。
「今夜は飲むんじゃない」
「しかし」
「坊や。意味まで説明するほど、分からない子じゃないだろう?」
薬というのは、加減が必要だ。いくらアンブルが作った物であっても、当然副作用というものが存在する。そもそも、普段動けないものを動かすというのは、体に大きな負担となるのだ。
アウィンは珍しく子供のような顔で眉根を寄せたが、何も言わずにただ目を閉じて頷いた。
「力というのは、必要な時に振るうべきだ。そうだね?」
「はい、アンブル様」
「いい子だ。ゆっくりおやすみ」
アンブルは優しく微笑み、部屋を出て行った。アウィンはドアが閉まるのを見届けると、そのまま広いベッドの上に力無く倒れる。
自分の情けなさに、堪らず溜息が漏れる。平静を装っているように見せて、全く焦りを隠せていない。比べてアンブルはいつも通りの冷静さだ。きっと頭では様々な考えを巡らせているだろうが、それを一切感じさせない。
(とにかく頭を冷やさなければ……)
冷静さを取り戻すには、一つの方法があった。それは楽器に触れる事。だがこんな時に、悠長に弾いていいものだろうか。
悩みに目を閉じると、ガサガサと枝が軋むような音がした。なんだと目を開けようとした時、寝ている体にドサドサと何かが降ってきた。顔面も覆う量に、堪らず起き上がる。
目の前には、もう見慣れた動く枝。そしてベッド一面が葉っぱだらけだった。
「な、何か私にご用でしょうか?」
体に降り積もるほどの緑。アウィンは肩に乗る一枚の葉を取った所で、その種類に気付いた。それは音の葉と呼ばれるもので、名の通り空気を当てると振動で音が出る。子供の頃、庭に落ちたのをよく拾って吹いていた。
驚いた。イリュジオンでこの葉を付ける木は見かけなかった。まさか、記憶を覗いて生み出したのだろうか。
「……もしかして、私に元気が無かったからですか?」
ギシリと枝が頷くように縦に動いた。この木は意思を持つとは言え、ここまでハッキリと意思疎通を図ったのは初めてだ。
アウィンは少しの間濃い緑の葉を見つめ、そっと唇に当てた。口を震わせるように空気を送ると、ヴァイオリンとよく似た音が伸びる。
穏やかな記憶にあるこの音は、とても気持ちを落ち着かせる。一曲が終わる頃、枝は淡い青色の花でその身を満開にさせた。
~ ** ~ ** ~
一通りの作業を終え、アンブルは自室のドアを開けた。しかし、しんと静かな空間の中にポツンとルルが立っている。ずっと待っていたのか、彼女の帰りにハッと振り向く。
「どうした坊や?」
『お話、したい』
「ベッドにお座り」
ルルはコクンと頷くと、ベッドに浅く座った。物憂げな虹の目が、膝の上で緩く握った手をぼんやり見つめている。
ふわりと優しい香りが漂ってきた。顔を上げると、目の前にティーカップが差し出される。アンブルはルルの手を取って持たせると、隣に腰を下ろした。
「さあ、お飲み」
『ありがとう』
寒くないのに、陶器を通じた熱に何故かホッとする。ミルクの白に茶葉から出る青がほんの僅かに混ざり、柔らかな色をしていた。一口含むと、茶葉の華やかな香りとミルクの甘さが、心の奥を解してくれる。
話がしたいと言ったのに、ルルはカップを空にするまで何も言葉を綴らなかった。アンブルは気にしている素振りはなく、ただ優しく頭を撫でる。しばらくそうしていると、トンと肩に何かが乗った重さを感じた。隣を見ると、ルルが寄りかかっている。
『僕、強くなりたい』
アンブルは小さくもハッキリした言葉に目を細める。理由は分かっていた。ジプスとアウィンから、少しだけ水の洞窟での出来事を聞いたから。
『僕は幼いって、言ったよね?』
「ああ」
『だけど、僕は今、ここに居る。だからきっと、別の強くなる方法が、あると思うんだ』
幼く心を持った世界の王。偶然が重なった間違いかもしれないが、それでも、自分の存在を意味する何かがあるはずなのだ。ルルでしかできない救い方、人の裁き方が。
アンブルはこちらを見上げるルルの頭を、そっと撫でる。そして膝に置いた剣を握る手にそっと自分のを重ねる。
「そうだね、坊やは強くなれる。それも、望めば望んだ分」
『本当?』
「ああ。だがね、だからこそ、お前は自分が世界の王である事を、忘れちゃいけない」
ルルは、強くなれるという言葉に希望を見出して上げた顔を、低い声が綴る言葉にかしげた。アンブルはどこまでも幼い彼の頭を、また優しく撫でる。
「お前がこれまでの王と異なるのは、きっと意味がある。だけど、例外だろうと王である事には変わりないんだ。それを忘れれば、いずれ手に入れた力が坊やを壊す」
『僕、壊す力は、欲しくない』
「そうだね。坊やが欲しいのは、自他ともに守れる力。だから、一つ覚えていなきゃいけない事がある」
『何?』
「恨みの血を浴びてはいけない。どれだけ相手が罪深かろうとね」
世界の王は、国宝を新しくし世界を繋ぐだけの存在。他者を裁くというのは、後付けされた任務だ。
国宝に触れられるのは、穢れの無い者のみ。それに触れる王は、世界の何よりも純粋でなければならない。そんな彼らが恨みの血を浴びれば途端に、この世の何よりも深く穢れに侵食される。
特にルルは、他人の心を自身の心で受け止める。だから危うく、脆い。間違えば、世界を破壊する凶器となりうる。きっと彼を利用して世界を貶めようとする輩も現れるだろう。
「お前は純粋でいるんだ。誰よりも。私と約束してくれるね?」
何をどうすれば、言われる純粋でいられるのか、ルルには分からない。それでも求める彼らへ、どう答えられるだろう。空っぽと言える自分に存在しているのは、愛だけ。ならば今はただ、愛しいものを愛しいと思おう。悲しいものを悲しいと嘆こう。自分の心を、道を見失わないために。
ルルは優しく抱きしめられながら、小さく頷いた。
「そろそろ寝ようか。もう遅い」
促されて横になったルルの薄い胸を、アンブルは鼓動に合わせて優しく叩いた。彼は微睡むようにゆっくり瞬きをすると、小さな欠伸をした。先程渡した茶葉には、安眠効果やリラックス効果があるのだ。きっと深く眠り、疲れを癒してくれるだろう。
ルルは布団の中で少しアンブルに近づくと、胸元に顔を寄せた。半分意識が夢の中で、子守唄が聞こえてくる。
『この歌……ジェイドが、歌ってた』
「あぁ、あの子が小さい頃、よく聞かせたからだね」
『…………コーパルも、歌ってた』
「何だって?」
微睡むように細くなった琥珀色の目が、覚めるかのように見開かれる。しかし、咄嗟の問いに答える声はすでに夢の中で、返っては来なかった。
~ ** ~ ** ~
胸の騒めきに、コーパルは目を覚ます。そういえば、意識を取り戻してからまだ数時間しか経っていないじゃないか。こんな短期間で長い睡眠はいくつも取れない。目を瞑ると思考が好き勝手回り出すせいもある。
窓の外を無数の影が激しく過ぎ去った。ギャアギャアと、鳥が森の異変を訴えるように飛んでいる。
おそらくアパティアは、明日にでも動き出すだろう。捨て駒とはいえ、一人の部下の動きが読めなくなったのだから、焦りも出る。それに比べて、コーパルの頭は静かだった。不思議だ。今まではやる事は決まっていても、頭の中は霧がかったようだった。それでも今はどこまでも澄んでいる。
(たとえ死ぬ事になっても、俺はお前たちには従わない)
これは、今まで所持した事の無い自分だけの意志。暖かく優しさに溢れるここを、これ以上穢すのは許さない。これまでは全てがどうでも良かった。だがもう自分を利用させない。
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