宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

敵か味方か

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 朝日が登る少し前。ここ一帯の木は葉が無いため、まだ太陽が顔を出す前の朝焼けでも、ずいぶんと明るい。
 眩しさに目元を歪めながらも、先に意識を覚ましたのはアウィンだった。眠りに落ちた瞬間の記憶が無い。相当疲れていたようだ。しかし、見張り番ができなかった罪悪感が重く、微睡みから這い上がる。
 鮮明になった視界を、彼は疑った。近くに居たルルとコーパルが居ない。池にでも入ったのかと思ったが、視線を転がしたそこにも姿は無かった。それとも、探索に行ったのか? 何も言わず?
 瞳を左右に揺らすと、見慣れた物を見つけた。それはルルのカバン。中には食糧の宝石や商売道具が入っているし、なにより大事な本もある。室内でない限り、彼が荷物を置いてどこかへ行くはずない。
 アウィンは冷や汗が伝うのを感じた。居た堪れず、まだ眠っているジプスの肩を強く揺する。

「ジプス殿! ジプス殿、起きてください!」
「ん……? どうか、したんですか?」
「ルルとコーパル殿が居ないんです!」
「……え?」

 寝起きなせいなのか、ジプスは珍しく怪訝そうな顔をして周囲を確認する。信じられないのか、一度ではなく何度も視線は往復した。
 彼は勢い良く立ち上がると、森の奥を見回した。人間よりも数倍はある、梟の獣人だからこその特徴である視覚で、最大限奥を見渡す。幹だけのここは、比較的邪魔が無く見やすい。それでも、彼らの姿は映らなかった。
 手先が冷たくなり、心臓が耳に張り付いたようにうるさく跳ねる。青ざめた顔に、アウィンは付近には居ないのだと察した。

「まさか、コーパル殿」
「そんな! コーパルさんは……っ」

 違うと、そう言いたい。しかしジプスは、アウィンの顔も苦痛に歪んでいるのを知って、言葉を飲み込んだ。
 数週間という短い時間で、しかも彼は記憶喪失。だから記憶を取り戻せば、敵となる可能性が高い。それでもこんなに疑うのを信じたくないのは、想像よりも皆、臆病なのに他人を思う優しい彼を、愛してしまったから。
 疑いが間違いであってほしい。そう願って、とにかく彼らがどこへ行ったか痕跡を探す事となった。しかし無言で別れた数分後、アウィンが何か見つけたようだ。

「ジプス殿、私はこうも現実を呪った事は、無いかもしれません」

 弱々しい声に、ジプスは心臓を摘まれた気分になった。ほんの僅かな希望は捨てず、彼の隣に立つ。白い瞳が、動揺に揺れた。
 無造作に置かれているのは、彼が大事にしている仮面。そして、そのすぐ隣に一人分の靴跡。大きさから見て、明らかにルルのではない。
 二人は同時に、憔悴しきった顔を見合わせる。夢であれば、どれほど世界を祝福したか。それでも絶望している場合ではない。

「師匠に……報告します。アウィンさん、僕の脚に捕まってください」
「足?」

 ジプスが目を閉じると、風を必要とせずにクリーム色の髪がふわりと舞う。それを合図に腕が羽根に包まれ、たちまち巨大な翼となった。人型であった面影は瞬きが終わるより早く消え去り、一羽の白いフクロウへ姿を変える。
 フクロウは、驚くアウィンの目の高さまで器用に飛ぶ。そこで彼は、ジプスが言っていた意味を理解した。その刃のような鋭い爪のある脚に捕まれと言ったのだ。
 アウィンは自分の腕とそう変わらない太さをした脚首に捕まる。瞬間、フクロウは空へ飛んだ。

 二メートルは超える翼は力強く、景色は目まぐるしく過ぎていく。アウィンは風圧に思わず目を閉じそうになりながらも、薄く開け続けた。もしかしたら、コーパルたちらしき影があるかもしれないのだ。無駄な足掻きでも、何かしなければ気が済まない。
 空間が開けた。目の前には久しく思える巨木を囲った、命の籠。家の前に流れる川の水を汲んでいるアガットが居た。

「アガット殿!」
「あら、アウィン様にジプス? そんなに息を切らして、どうなさったの?」

 アウィンは脚から飛び降りる。アガットが慣れた手付きで腕を差し出すと、フクロウはそこへ止まり、地面に下され人型へ姿を戻した。

「師匠は?」
「家に居らっしゃいますわ」
「分かった。ごめん、アガットも来て」
「まあっ」

 ジプスは彼女の小さな体をひょいと横抱きにすると、魔法で開けた扉を急いで潜る。アガットは残りの二人を探して、後ろに続いたアウィンの後ろを見た。だがアウィンの背中を追う者は、いくら待っても居ない。
 ジプスは木にアンブルの居場所を尋ねた。応えるように、目の前の壁が水面のように波打ち、現れたドアが勝手に開かれる。どうやら急いでいるのが伝わったのか、開ける手間を省いてくれた。

「師匠……! あ、あれ、コーディエ?」

 扉を開け、まず目に入ったのはアンブル。だがその隣に珍しくコーディエが居た。彼は上の服を脱いでいて、体に巻いた包帯を新しくしている最中だった。
 そんな状態でも、コーディエは一体何があったのかと立ち上がる。しかし体に走る痛みに息が詰まり、その場に蹲った。ジプスはアガットを腕から下ろすと、慌てて彼の肩を支える。

「こら、まだ完治していないんだ。急に立ち上がるんじゃない」
「も、申し訳、ありません」
「コーディエ殿、その怪我はどうしたのです?」

 コーディエは苦々しく顔をしかめながら、三日前の出来事を辿々しくも語った。シリカと名乗る男が現れた事、彼が世界の王を求めている事。そして彼と組み合い、敗れた事も。
 傷の治りは、獣人だからこそのスピードだ。ジプスが持たせていた羽根のおかげもあって、動けるようになった。だがまだ日常生活が送れるほどではないのを見ると、相当な手だれだと想像できる。

「それで、二人はどうしたんだい? ルルとコーパルの姿が無いが」
「実は今朝、姿を消していて」
「何だって……?」
「おそらく、コーパル殿がルルを連れて行ったのかと」

 声は自然と小さく、歯切れが悪い。しかし驚きに鎮まった部屋では、よく聞こえた。しばらく時が止まったように音が消え、視線が絡み合う。沈黙を破ったのは、アンブルだった。

「確かだね?」

 ジプスはアウィンへ目配る。彼は地面に落ちていた仮面を、全員に見えるよう差し出した。

「すぐ近くに、コーパルさんのだと思われる足跡がありました」
「…………そうか。分かった。早急に二人の元へ向かおう」

 まるで当たり前のような言葉に、耳を疑った。人探しの魔法は確かに存在する。だがそれは、国石や魔力を辿るため、どちらかを持っているのが前提。オリクトの民であるルルは、どちらも所持していない。

「石が音を発しているのは知っているね? 私たちには聞こえない、特殊な音波だ」

 オリクトの民と、一部の魔獣が聞く事のできる音。それをオリクトの民は声と呼ぶし、ルルも例外ではない。

「実はね、坊やに持たせたおやつ袋に、念のため、アメトリンも入れておいたんだ」

 アンブルは机の上にある鉱石のうち、手の平サイズの水晶玉を手前に引き寄せる。空中で撫でるようにすると、一輪の花が浮かび上がった。それは誘い草と呼ぶ、日用品の照明として使っている野草だ。場所は知っている。

「場所は分かった。行くよ」

 アンブルが立ち上がると共に、それまであったソファやベッドが@消えるように床へ収納される。

「全員、離されないよう、近くの者と手を組みなさい」

 部屋の中心に立った彼女を囲むようにし、それぞれ隣同士で肩を組む。目を閉じたアンブルに合わせて、目蓋を伏せた。直後、床全体に巨大な魔法陣が現れ、体に僅かな痺れが走る。
 つま先から頭へ、一瞬で小さな痛みが駆け上り終えると、頬にふわりと風が当たるのを感じた。窓から入る風とはどこか違うそよ風。アンブルの呼吸が、控えめなものから普段の調子へ変わる。その様子に、四人は恐る恐る目を開いた。

「ルル!」

 花畑の真ん中に、探し求めていた彼が居た。突然現れた気配に驚いたのか、ルルは倒れているコーパルを庇うようにして、剣を構えている。

『みんな?』
「ご無事ですか……!」
『どうやって、来たの?』

 思わず抱きしめてきたアウィンの背中を撫でながら、ルルはポカンとして目を瞬かせる。その様子は、なんというかいつも通りののんびりさで、自然と皆の緊張も解れた。

「坊やに持たせた、水玉入りの袋があるだろう? あの中に入れておいたアメトリンで、居場所を見つけたんだよ」
『そうだったんだ。探してくれて、ありがとう』

 外傷も見当たらない。どうやら朝方から今まで何も襲われなかったらしい。
 アンブルは彼が守っていたコーパルへ視線を向ける。眠っているというより、気を失っていると言った方が正しいだろう。ルルはその視線の動きに気付いたのか、小さく頷いた。

「どうしたい? ルル」
『話をしたい。これからどうするか……コーパルに、選ばせる。いい?』

 アンブルは無言で頷く。四人も、それに反対意見は無いようだった。ルルは無事だった事や、何より彼が離れず守っていたのもある。それを無下にできないし、直接、コーパルから話を聞きたい。
 目覚める様子のないコーパルをアンブルが抱え、逸れないよう今度は手を繋ぐ。花畑全体に魔法陣が描かれ、次の瞬間には、部屋へテレポートした。

~               **              ~               **                 ~

 何故だか体が重く、指先を動かそうとする事すら億劫だった。少しずつ意識が浮上する中、頭が過去を振り返る。
 確か、安心して眠りについた。その時、声が聞こえたんだ。そうだ、ルースという、不思議と懐かしく感じる名前を呼ぶ声だ。

「──!」

 コーパルは言葉にならない叫びを口の中であげ、起き上がる。心臓が破裂しそうに激しく跳ね続け、嫌でも生を実感させた。
 ベッドの上で自分を包む毛布は暖かいのに、意に反して体はガタガタと震えていた。覚えている。何をしたのか、ハッキリと。

『おはよう』

 コーパルは頭に響く優しい声に、目玉が零れ落ちそうなくらい目を見開いた。ベッドのすぐ隣で、ルルが目覚めにホッとしている。室内だから、空気に触れる虹の全眼が笑みを作るように細くなった。
 視線は一つではなかった。ルルの後ろで、アンブルたちも居る。

「な、んで」

 行動は覚えているが、それから何があったか、コーパルは分かっていない。だからどういった状況で、何故皆が居る所にまだ自分が居るのか、更に混乱させた。
 そっと、頬へ薄青い手が伸びた。コーパルはハッとし、慌ててベッドから降りると、距離を取って後ずさる。

「来るな! 俺が、お前に何をしたのか、分かっていないのか?!」
『コーパル』
「違う、俺は、コーパルじゃない……! 俺は、俺は……世界の王を、この森を、奪うために来させられた、敵だっ」

 叫んだ声は掠れ、震える。
 ああ、でも良かったと、コーパルは頭の片隅で思った。ルルにもっと何か、酷い事をする前で。そしてアンブルが居てくれて。彼女は強い魔女だから、きっと自分を壊せる。こんな事をさせるのは忍びないが、それでも、皆を傷付けるより良かった。自分には勿体ないくらい幸せな思い出もできた。
 人よりも冷たい手が、無意識に作っていた拳に触れた。

『貴方の、本当の名前なんて、どっちでもいい』
「え……?」
『聞きたいのは、貴方が、どうしたいか。言ったでしょ? 望む事をしてって』

 言われている事の意味を理解できなかった。数週間共に過ごしていたって、敵であった事に変わりはない。それなのに、彼らは猶予を与えるのか? まだ自分に手を伸ばすのか? その手を取りたいと、まだ共に居たいと、望んでもいいと?

『望んで、いいんだよ』

 コーパルはふらりとよろけると、その場に膝を落とす。手を振り払わなければならないのに、力が入らない。
 ルルは涙で濡れた目元を覆った彼の体を、優しく抱きしめた。
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