宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

思い出した記憶

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 エンジェに見送られてしばらく。水の洞窟を過ぎる頃には、空がすっかりオレンジに染まっていた。もう少し紺色が溶けるギリギリまでは、足を進めたい。
 辺りは、苔を着飾った白い木々がポツポツと視界に増え始めた。葉を付けない珍しい種類で、洞窟に来るまでの道のりでも見かけなかった。これまでは経験者であるジプスが、探索する際最も効率のいい道を辿っていたのだ。ここから先はむしろ、命の籠へ近道を選んでいる。
 それでも時は確実に過ぎていく。地面に落ちる影が、光を無くして世界に溶け込もうとしていた。やはり森の国は、夕方から夜までの時間が短い。
 これ以上動くのは賢明ではないだろう。寝床を作って早めに就寝し、太陽と共に歩き出した方が安全だ。
 野営場に選ばれた場所には、小さな池があった。白濁に青緑が混ざっていて、今までの湖とまた違った美しさを感じる。しかしルルは美しさより、肌に感じた僅かな気温の変化に気を取られた。ここだけ、気温が若干高く感じるのだ。
 彼はカバンをその場に置くと、微かな期待にドキドキしながら池に手を入れる。

『あったかい!』

 ルルは頬を高揚させ、ジプスに振り返った。彼は頭の中に響く声が興奮気味で、可笑しそうに笑って頷く。

「この池は、近くに火の洞窟がある影響で、暖かいんですよ」
『あとで、入っていい?』
「ふふ、どうぞ」

 そうと決まれば、早速準備だ。まず大きな布の角二つを、立っても頭が付かない程度の高さで木に結びつける。余った角は、ピンと張らせた状態で地面に杭を打つ。簡単な屋根の下に少し厚めのマットを敷いて、出来上がりだ。

『入ってくる。アウィンは?』
「私は少し休みます。足元に気を付けるんですよ?」
『うん』

 空は完全に暗くなる前で、まだまだゆったり湯に浸かれそうだ。
 フードを取った横顔は楽しそうで、きっと心の中で鼻歌でも奏でているだろう。服は慣れた手付きで地面に落ちる。そんな隠す気の無い裸体に、隣に居たコーパルは慌てて顔を逸らした。まだ慣れていないらしい。
 入浴の誘いを断ると、少しルルは残念そうにした。仮面が隠しても、しゅんとしているのが分かるその落ち込み具合に、コーパルは足だけならと、湯に沈ませる。するとルルは嬉しそうに、パシャパシャと湯をかけた。一緒に遊びたいのだ。コーパルはそれに迷いつつ、手で軽くルルの肩へかけ返す。
 二人の様子を遠くで、ジプスとアウィンは微笑ましそうに見守る。

「あはは、元気ですね」
「ええ、本当に。いくら治療を施して頂いても、遊ぶ元気は出ません。歳ですかね?」
「うーん……ルルさんは千年後とかも、変わらない気がします」

 確かにとアウィンは頷いた。千年という、人間には想像できないはずの年月でも、何故かその時代の姿をハッキリ思い描ける。
 アウィンは二人を眺めていた視界が傾いて、足に力が入らなくなったのを感じた。まるで穴に落ちるようなその感覚は、完全に太陽が落ちたのを報せる合図だ。

「わっ大丈夫ですか?」
「ええ。座ろうとしていたところなので、ちょうどいいです」

 腰を落としたマットの厚さもそうだが、元々地面が柔らかく、衝撃がほとんど無かった。ここで転んでもきっとあまり痛くないだろう。少し沈む感覚は天然のベッドのようで、心地良い。ぐっすり眠れそうだ。
 ジプスはそれにホッとし、池に視線を戻す。結局コーパルは、最後まで遊びに付き合うと決めたのか、服を捲ってギリギリの深さまで行っている。ルルは一緒に入るのがよほど嬉しいようで、泳いで逃げたり、思い切り湯をかけたりしてはしゃいでいた。

 池は中央が深く、端は膝下程度の浅さだ。そろそろゆったり浸かろうと思ったのか、ルルは端に座って深く息を吐いた。少し息を切らしたコーパルが、隣に足だけ浸けて腰掛ける。

『遊んでくれて、ありがとう。楽しかった』
「そうか」

 ほのかに緩んだ表情に、コーパルも付き合った甲斐があったと、小さく笑みを浮かべる。いい運動にもなった。
 白い木の合間を縫って、そよ風が吹いた。夜の香りを運ぶそれは気持ち良く、ルルは仮面の下で目を閉じた。すると、緩やかに閉じられていた目が、パッと開かれる。別の匂いがした。嗅ぎ慣れない、甘い香りだ。

「どうした?」
『不思議な、香りがする』

 ルルはキョロキョロしながら、匂いを辿って池から上がった。このままでは体に良くないと、コーパルが急いで自分の上着を羽織らせる。
 匂いの元は、案外近くにあった。木の根に隠れた草むらをかき分けると、二輪の花が顔を出す。それは白とピンクの花びらをドレスのようにさせた、綺麗な花。風に揺れる姿は、まるで花の妖精のようだ。
 もっと近くで嗅ごうと手を伸ばしたが、コーパルに止められる。

「それは猛毒だ! 少しでも口に入れば、死ぬ可能性だってある」
『そうなの?』
「……そろそろ戻るぞ。冷える」

 囁くような声はまるで、他の誰かに聞かれているのを恐れるかのようだ。ルルが応えるより先に、夜の空気に少し冷たくなった手を引いた。

 ジプスは荷物の中から、肉を挟んだパンと、野菜がたっぷり入ったスープを用意して二人を迎えた。
 マットに座ろうとした時、彼は自分の唇に人差し指を置く真似をした。どうしたのかと思ったが、疑問はすぐ晴れる。一つ、すぅすぅと静かな寝息が聞こえた。耐えられなかったのか、アウィンの目が穏やかに閉じられている。魔法をたくさん使ったのだから、無理もない。
 寝息に触発されたのか、ルルも小さな欠伸をした。ここに来て、体がやっと疲れを思い出したらしい。

「今日は早く食べて、早く寝ましょうね。最初の見張り番は、僕がやりますから」
『ん……ありがとう』

 野菜が蕩けるスープも肉も、散々歩いた体に染みる。アウィンの分を残して、あっという間に三人の腹と心は満たされた。


 青い月が真上に登った頃。ここは池のおかげで気温が一定なのか、真夜中を過ぎても寒くない。木に根を生やす苔が月光を吸収し、淡く光るため灯りを作る必要も無かった。ぼんやり灯る光は怪しくも美しい。
 ルルはハッと目を覚ました。微かに国宝の音が聞こえた気がする。いつもならこの程度で起きる事はないが、今日は眠りが浅く、慣れた音にも過敏になっていた。
 出発は早いのだと、もう一度目を閉じる。しかし眠気は、ルルを置いてどこかへ行ってしまった。原因は分かっている。

(助けられなかった)

 頭の中で、そればかりが巡っていた。妖精の母の死は、根強く記憶に居座る。彼女はきっと笑って終わった。それでもあれはきっと、救えた命。『もしも』なんて考えても虚しくするだけなのに、どうしても間に合わなかった自分を責める。

(ダメ。もう、責めるのは、お終いにしなきゃ)

 過去は過ぎた。自分がやるべきなのは、うじうじ考えるのではなく、二度と繰り返さない方法を見出す事。ルルはそう言い聞かせ、傷を抉りたいという不可思議な欲から、頭を振ってなんとか抜け出した。
 そういえばアンブルは、まだ幼いから力を使いきれないと言った。しかし自分は今ここに居る。そんな言い訳は使わない。どうにか補う力を身に付ける。

(あとは……)

 ルルは隣に置いたカバンの中にそっと手を入れる。取り出したのは、ブラックダイヤモンドの断片。母がこれを渡したのは、敵を討つ未来を託したから。
 ダイヤモンドからはもう脈動を感じない。それでも充分な情報だ。根源となる敵はアダマス。しかし恐らく、今回の相手は彼自身ではないと予想ができる。それはあの負傷。たとえオリクトの民の血を新たに摂取しても、そう早くは万全にならないはずだ。
 そして目的が違う。洗脳の使い方が違うからだ。アダマスは王の心臓と血、名誉を欲していた。だから娘を攫うため洗脳を使い、自らの姿を表して民に崇拝するよう促した。だが今回は、わざわざ戦意を向上させるために使い、森自体を破壊へ導いている。名誉を取得するのなら、今まさに現れて森を救うべきだろう。そして最も権力を持つアンブルのせいにするはずだ。
 考えられるのはアダマスの仲間か、彼と馬の合う相手。その敵は、イリュジオン自体をどうにかする事が目的。

(あの洗脳……もし、解かれなければ、どうなっていたんだろう)

 妖精を全員殺していただろうか。そして母を従えていた? ルルはそこまで考えて、目を閉じると思考に区切りをつけた。ここから先は、一人で考えるべきではない。ダイヤモンドの事も、みんなに伝えてからだ。

 眠れなくても、ひとまず目だけ瞑っていようと、ブラックダイヤをカバンにしまう。そこでふと、隣で寝ていたコーパルが居ない事に気づいた。
 どこに行ったのかと、気配を辿ろうとした時。どこからともなく、歌が聞こえてきた。それは聞いた事のある子守唄。眠れない夜に、アンブルが歌ってくれた。しかし歌を紡ぐのは、彼女ではない低い声。コーパルの声だ。
 ルルはジプスとアウィンを起こさないようにマットから立ち上がると、池の近くで森の奥を見つめる背中に近付く。呼びかけると、コーパルは驚いて振り返った。

「……起こしたか?」
『ううん。ねぇ、さっきの歌って』
「あぁ。なんとなく……知っている歌詞を繋げたらできたんだ」
『そう。見張り、交代する?』
「いや、いい。起きていたいんだ」

 彼はどこかぼんやりとしている。そんな様子にルルは何か考えると、「そうだ」と頭に呟き、寝床へ戻る。カバンを漁り小さな袋を取り出すと、走って来てコーパルの隣に座った。
 てっきり寝に戻ったかと思っていたため、コーパルは一体どうしたのかと、彼へ顔を向けた。それと同時に、目の前に手の平が差し出される。薄青い手に転がったのは、ガラス玉のような物。

「なんだ、それは?」
『おやつ。アンブルから、貰ったの。一緒に食べよ?』
「た、食べ物なのか」

 水玉と言う菓子だ。アンブルが母国で作っていたらしい。
 コーパルは手から拾って月に照らし、軽く振ってみる。中はゼリー状なのか、振動によって色が赤や紫などに変化した。ガリッと音がした方を見れば、ルルは早速齧っている。
 彼を真似して歯を立てた。見た目通り、本当にガラスかと思うほど硬い。薄いが、飴より硬い素材だろう。中は予想通りプルプルしていて、二層の食感が楽しい。舌に残る甘さは、子供が好きそうだ。何だか懐かしい味だ。

『美味しいね』
「そうだな」

 もう一粒を差し出されたが、コーパルは遠慮した。美味いが、あまり得意な甘さではない。ルルは既に新しいのを口に入れているのか、カランコロンと、世界一硬い歯に当たる音がしていた。
 コーパルは残った半分の水玉を見つめ、ポツリと呟く。

「思い出した記憶がある」
『どんな?』
「…………俺は、自ら望んで、記憶を失った」
『え?』
「いや、正確には、死のうとしたんだ。お前が見つけた、あの毒草を飲んで」

 どうしてそうしたのか、それは分からない。それでもハッキリと分かるのは、森に来た当時、自分が絶望していた事。
 イリュジオンには、何らかの目的があった。それも、誰かから言い渡されたもの。それに自分は嫌気がさして、死のうとした。こんな体でも、ここで眠れば自然の肥やしになれる。その方がマシだと。

「俺は、人間じゃないんだ」

 では何者か? 何のために来たか? 分からない。

「ルル──俺が敵だったら、どうする?」
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