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【宝石少年と霧の国】
終わる命と始まる命
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ポタポタと、生暖かい物が雨のように頬に降った。ルルの手は空気を掴んでいる。アウィンは痛みが来ない事に、空を見上げて目を丸くした。
目の前にあるのは鉱石の柱。それを受け止めたのは、妖精の向こう側に居る母の胸。彼女が三人を、鉱石から庇ったのだ。偶然では無い。彼女の意思だ。
「ど、どうして」
先程までとは表情が全く違う。怒りに赤かった瞳には青が混ざり、妖精を見つめる視線はとても優しい。本来の、母のそれだ。
『ダイヤが』
「あっ」
胸元をよく見ると、ブラックダイヤモンドは粉々に砕けていた。体を貫いた鉱石の柱が、ギリギリ心臓の真横を通り、ダイヤに亀裂を入れたのだ。
妖精の母は、大きな体を横たわらせる。青い目の妖精は急いで駆け寄り、柱を抜こうと引っ張った。しかし当然、彼女より数倍ある巨大な柱はビクともしない。母は諦めない我が子を優しく抱き寄せて止めた。
洗脳は解けた。ダイヤが砕けるよりも前に、洗脳よりも子を想う母の心が勝ったんだ。依代の力であっても、簡単に解けるものではない。
穏やかな青紫の瞳が、ルルに向いた。ルルは応えるように歩み寄り、その場で膝をつくと背中を丸める。
『……遅くなって、ごめんなさい』
頭に紡がれる音は、いつもより感情が読めない。しかしそれは、アウィンには涙を堪えているようにも聞こえた。そうだ。もう彼女を縛るものは無い。解放された。それでも、命の終わりは変わらないのだ。
鐘が鳴るような音がした。母の優しい声。顔を上げろと言われているのが分かった。透き通るような水色の肌の上には、ブラックダイヤの欠けらがあった。ルルは知らないうちに震えていた手でそっと受け取り、ギュッと胸元で握りしめる。母はそれに微笑んで頷き、我が子に視線を向けた。
──ありがとう。
優しい声に、ルルとアウィンは驚いて辺りを見る。それは妖精の母の声。口から聞こえるのではなく、触れる水を通してだった。
青い目の妖精の頬を、母の大きな手が愛しそうに撫でる。妖精はそれに小さな自分の手を添えた。
──あなたが居たから、私は私を取り戻せました。
ダイヤの力に抵抗する際、言葉にできない痛みが母の体を襲っていた。世界の王の目を理性で見ようとしたが、ダイヤの洗脳のせいか、恐ろしさが勝った。王の力は、反抗心が強ければ強いほど恐怖を覚える力なのだ。
か細い理性はどれほど足掻いても終わりが来る。ダイヤに抵抗する力はやがて、衰弱して諦めてしまおうという訴えに変わる。そうしてもう全てを手放そうとした時だった。他人事のような視界に、砕かれた鉱石の瓦礫からルルたちを庇おうとした妖精が映ったのだ。
気付けば体は動いていた。考えるよりも先に、他でもない母としての本能が体を動かしていた。きっとあの時妖精が居なければ、一瞬でも本能を取り戻す事など、できなかっただろう。
ポタポタと、湖に小さな雨が降る。それは妖精の大きな青い瞳からだ。微笑む母とは違い、妖精は悲しそうな顔をする。当たり前だろう。元に戻ったとは言え、彼女の死が近づいているのだから、笑えなどしない。
母の青紫の目が、アウィンに向けられる。
──貴方、この子に、この子の名を、付けてあげてください。私も、遠い昔、人に名を付けてもらい、母となったのです。
言葉の意味を理解して、アウィンは目を丸くした。
巣を統べる者となる条件が、誰かから名を授かる事なのだろう。彼女は自身の終わりと共に、新しい母を紡ごうとしているのだ。しかし何故名指しなのか。ルルなら世界の王だからと理解できる。それに比べて、アウィンはただの旅人だ。
不安そうにしている我が子に、母は優しく微笑んだ。
──貴方は、愛を知った。だから、大丈夫。
水の洞窟に住まう妖精は、何よりも他者を想う心を大切にしている。そんな彼らが大人へとなるには、仲間意外に関心を持ち、誰かを愛する事が必要だった。
青い目の妖精は、怪我を負ってもなお微笑みを向けるアウィンを、無意識に愛していたのだ。痛みを顧みない慈愛を受け、彼女もまた、身を挺して彼を守った。子供たちを愛して守る母となるには、充分条件を満たしている。
ルルは驚いている妖精とアウィンを交互に見たあと、立ち上がって場所を開けた。ここが一番妖精と近いのだ。アウィンは意味を理解しつつも、少し戸惑いながら、青い目の妖精と視線を合わせるようしゃがんだ。
大きな瞳は、良く見れば綺麗な淡い色だ。この色とよく似た石を知っている。
「エンジェ……というのは、どうでしょう?」
エンジェライトという石から取った名前だ。エンジェライトは、愛を願う石の一つ。
妖精はパッと顔を明るくさせ、嬉しそうに目を細めた。気に入ってくれたようで、アウィンもホッと胸を撫で下ろす。子供も居ないから、名付けは不安だった。
妖精──エンジェを抱きしめていた母の腕が、淡く光を帯び始めた。光は徐々に彼女全体を包み、端の方から崩れるように粒子となって水に溶ける。終わる時だ。いち早く気付いたルルに、母はまた微笑む。
──泣かないでください、慈悲深き世界の王よ。これは、自然の摂理。
新たな命が始まる時は、命の終わりがある。それはごく自然な事。そして母は自分を取り戻せた。だからこの別れは悲しいものではなく、笑顔で飾れる。
──ありがとう、エンジェ。貴方に溢れるほどの愛がありますように。そして皆様、イリュジオンを……どうか
言葉が紡ぎ終わる前に、妖精の母の体は粒子に包まれ、音も無く弾けて消えた。粒子はまるで雪のように湖に舞い降りる。光の粒子が触れた水面は、濁った色を弾くように、本来の透き通る青に変わった。
すると、母の体にあった鉱石の柱に突然亀裂が入り、あっという間に粉々になった。それはこの鉱石だけではないようで、辺りに散らばった瓦礫も同じように壊れ出す。母の命が、今までこれらを繋ぎ止めていたのだ。
後ろでガラガラと何かが崩れる音が聞こえ、振り返る。洞窟の出口を塞いでいた瓦礫も、例に漏れず粉々になっていた。事情を知らないコーパルは、急に目の前が開けて驚いている。急いで外へ出る妖精につられ、ジプスたちも湖へ入った。
「一体何があった? 二人とも、無事なのか?」
「それに、妖精の母は?」
「彼女は……」
──アウィン
「!」
──ジプス、コーパル……世界の王
水を通して、綺麗な声が聞こえた。皆誰の声かと周囲を見渡す中、アウィンはまさかとエンジェを見た。彼女はまだ幼さを残したまま、嬉しそうに笑う。しかしその顔は、どこか妖精の母を思わせた。
「……なったのですね。新たな母に」
エンジェは表情を変えず、静かに頷いた。
湖は再生したが、荒らされた滝壺の修復はまだされない。これから時間をかけ、仲間の妖精と共に新しい巣を作っていくのだ。ここが完全に戻る頃には、彼女も立派な母となるだろう。
エンジェは胸の前で両手の指を絡ませると、四人に祈るように言った。
──私たちを助けてくださり、ありがとうございました。けれどこの森の汚染は、まだ止まらない。どうかお願いです。国宝の嘆きを止めて、国を救ってください。貴方たちの力が必要です。
その願いを拒絶するという選択は、そもそも全員持ち合わせていない。頼まれなくても、この森を保つため尽力するつもりだ。とりあえず、一旦探索は終わりにして現状をアンブルたちと話し合う必要があるだろう。そんな今後の計画を聞いて、エンジェは安心に笑みを浮かべた。
計画は固まったのなら、早々に、アンブルの居る家へ帰らなければ。
水の洞窟から彼女たちが居る命の籠まで、相当な距離がある。今が太陽が傾く直前だから、おそらく途中で夜が来るだろう。急いでいるとは言え、流石に夜中に行動はできない。だから、暗くなる前にできるだけ進んでおきたかった。
下りだった洞窟を辿るのは少し時間がかかる。それを承知で、妖精たちへ別れを告げたが、エンジェに呼び止められた。協力したお礼に、ここから地上へ送ってくれるそうだ。
──離れないよう、しっかりお互いの体を掴んでください。
大の男が密着するのは小っ恥ずかしいが、言う通りに肩を組む。ルルは小さくバランスが崩れてしまうため、コーパルの腰にしがみつく形となった。
全員がアウィンの魔法で水面に足を置いたのを確認し、エンジェが両手を振り上げる。彼女の両手が天を向いたのを合図に、足元の水が震え、勢い良く噴き上がった。力強い水圧で、あっという間に地上までたどり着いた。地面に着地すると、水の柱は飛沫をあげて湖へ消える。
見下ろした先にある滝壺までの高さは、相当ある。落ちれば、たとえ水が受け止めても、怪我は免れないだろう。それでも絶景と呼べるそこを見ていると、エンジェと目が合った。彼女は最後の見送りにと、地上まで飛んで来た。
──良ければ、これを。きっと、お役に立てるでしょう。
差し出された手の平にあったのは、小さな結晶。よく見ると、それは彼女の翅の一部だった。水の洞窟の妖精は、一枚の翅ではなく小さな水の結晶が集まっているのだ。これは万能薬となるため、アンブルが重宝している。
しかし元々翅を貰うつもりではいたが、もうそんな気が無かった。アウィンはどうすればいいかと、ジプスに目を配る。
「それはアウィンさんが貰ってください。せっかくの、贈り物です」
採取ではなく、贈り物。そう言われると、断る気も引けてくる。
アウィンは一歩前に出て、透き通る水のような翅を受け取った。手の中で転がると、結晶の中で光が泳いで見える。美しさに少し見惚れたあと、礼を言おうと顔を戻すとエンジェと目が合った。変わらず向けられる微笑みに、どこか寂しさが混ざっているように感じる。
アウィンは自分のよりもひと回り以上は小さな彼女の手を、そっと握る。
「私は旅人です。それも、旅をするのが目的の。だから同じ国に行く事もあります。もし、再びイリュジオンに訪れた時、歓迎してくれますか?」
──! もちろんですっ!
「ありがとうエンジェ。その時まで、お元気で」
アウィンは手を離す最後、エンジェのしなやかな指先に口付けをした。
目の前にあるのは鉱石の柱。それを受け止めたのは、妖精の向こう側に居る母の胸。彼女が三人を、鉱石から庇ったのだ。偶然では無い。彼女の意思だ。
「ど、どうして」
先程までとは表情が全く違う。怒りに赤かった瞳には青が混ざり、妖精を見つめる視線はとても優しい。本来の、母のそれだ。
『ダイヤが』
「あっ」
胸元をよく見ると、ブラックダイヤモンドは粉々に砕けていた。体を貫いた鉱石の柱が、ギリギリ心臓の真横を通り、ダイヤに亀裂を入れたのだ。
妖精の母は、大きな体を横たわらせる。青い目の妖精は急いで駆け寄り、柱を抜こうと引っ張った。しかし当然、彼女より数倍ある巨大な柱はビクともしない。母は諦めない我が子を優しく抱き寄せて止めた。
洗脳は解けた。ダイヤが砕けるよりも前に、洗脳よりも子を想う母の心が勝ったんだ。依代の力であっても、簡単に解けるものではない。
穏やかな青紫の瞳が、ルルに向いた。ルルは応えるように歩み寄り、その場で膝をつくと背中を丸める。
『……遅くなって、ごめんなさい』
頭に紡がれる音は、いつもより感情が読めない。しかしそれは、アウィンには涙を堪えているようにも聞こえた。そうだ。もう彼女を縛るものは無い。解放された。それでも、命の終わりは変わらないのだ。
鐘が鳴るような音がした。母の優しい声。顔を上げろと言われているのが分かった。透き通るような水色の肌の上には、ブラックダイヤの欠けらがあった。ルルは知らないうちに震えていた手でそっと受け取り、ギュッと胸元で握りしめる。母はそれに微笑んで頷き、我が子に視線を向けた。
──ありがとう。
優しい声に、ルルとアウィンは驚いて辺りを見る。それは妖精の母の声。口から聞こえるのではなく、触れる水を通してだった。
青い目の妖精の頬を、母の大きな手が愛しそうに撫でる。妖精はそれに小さな自分の手を添えた。
──あなたが居たから、私は私を取り戻せました。
ダイヤの力に抵抗する際、言葉にできない痛みが母の体を襲っていた。世界の王の目を理性で見ようとしたが、ダイヤの洗脳のせいか、恐ろしさが勝った。王の力は、反抗心が強ければ強いほど恐怖を覚える力なのだ。
か細い理性はどれほど足掻いても終わりが来る。ダイヤに抵抗する力はやがて、衰弱して諦めてしまおうという訴えに変わる。そうしてもう全てを手放そうとした時だった。他人事のような視界に、砕かれた鉱石の瓦礫からルルたちを庇おうとした妖精が映ったのだ。
気付けば体は動いていた。考えるよりも先に、他でもない母としての本能が体を動かしていた。きっとあの時妖精が居なければ、一瞬でも本能を取り戻す事など、できなかっただろう。
ポタポタと、湖に小さな雨が降る。それは妖精の大きな青い瞳からだ。微笑む母とは違い、妖精は悲しそうな顔をする。当たり前だろう。元に戻ったとは言え、彼女の死が近づいているのだから、笑えなどしない。
母の青紫の目が、アウィンに向けられる。
──貴方、この子に、この子の名を、付けてあげてください。私も、遠い昔、人に名を付けてもらい、母となったのです。
言葉の意味を理解して、アウィンは目を丸くした。
巣を統べる者となる条件が、誰かから名を授かる事なのだろう。彼女は自身の終わりと共に、新しい母を紡ごうとしているのだ。しかし何故名指しなのか。ルルなら世界の王だからと理解できる。それに比べて、アウィンはただの旅人だ。
不安そうにしている我が子に、母は優しく微笑んだ。
──貴方は、愛を知った。だから、大丈夫。
水の洞窟に住まう妖精は、何よりも他者を想う心を大切にしている。そんな彼らが大人へとなるには、仲間意外に関心を持ち、誰かを愛する事が必要だった。
青い目の妖精は、怪我を負ってもなお微笑みを向けるアウィンを、無意識に愛していたのだ。痛みを顧みない慈愛を受け、彼女もまた、身を挺して彼を守った。子供たちを愛して守る母となるには、充分条件を満たしている。
ルルは驚いている妖精とアウィンを交互に見たあと、立ち上がって場所を開けた。ここが一番妖精と近いのだ。アウィンは意味を理解しつつも、少し戸惑いながら、青い目の妖精と視線を合わせるようしゃがんだ。
大きな瞳は、良く見れば綺麗な淡い色だ。この色とよく似た石を知っている。
「エンジェ……というのは、どうでしょう?」
エンジェライトという石から取った名前だ。エンジェライトは、愛を願う石の一つ。
妖精はパッと顔を明るくさせ、嬉しそうに目を細めた。気に入ってくれたようで、アウィンもホッと胸を撫で下ろす。子供も居ないから、名付けは不安だった。
妖精──エンジェを抱きしめていた母の腕が、淡く光を帯び始めた。光は徐々に彼女全体を包み、端の方から崩れるように粒子となって水に溶ける。終わる時だ。いち早く気付いたルルに、母はまた微笑む。
──泣かないでください、慈悲深き世界の王よ。これは、自然の摂理。
新たな命が始まる時は、命の終わりがある。それはごく自然な事。そして母は自分を取り戻せた。だからこの別れは悲しいものではなく、笑顔で飾れる。
──ありがとう、エンジェ。貴方に溢れるほどの愛がありますように。そして皆様、イリュジオンを……どうか
言葉が紡ぎ終わる前に、妖精の母の体は粒子に包まれ、音も無く弾けて消えた。粒子はまるで雪のように湖に舞い降りる。光の粒子が触れた水面は、濁った色を弾くように、本来の透き通る青に変わった。
すると、母の体にあった鉱石の柱に突然亀裂が入り、あっという間に粉々になった。それはこの鉱石だけではないようで、辺りに散らばった瓦礫も同じように壊れ出す。母の命が、今までこれらを繋ぎ止めていたのだ。
後ろでガラガラと何かが崩れる音が聞こえ、振り返る。洞窟の出口を塞いでいた瓦礫も、例に漏れず粉々になっていた。事情を知らないコーパルは、急に目の前が開けて驚いている。急いで外へ出る妖精につられ、ジプスたちも湖へ入った。
「一体何があった? 二人とも、無事なのか?」
「それに、妖精の母は?」
「彼女は……」
──アウィン
「!」
──ジプス、コーパル……世界の王
水を通して、綺麗な声が聞こえた。皆誰の声かと周囲を見渡す中、アウィンはまさかとエンジェを見た。彼女はまだ幼さを残したまま、嬉しそうに笑う。しかしその顔は、どこか妖精の母を思わせた。
「……なったのですね。新たな母に」
エンジェは表情を変えず、静かに頷いた。
湖は再生したが、荒らされた滝壺の修復はまだされない。これから時間をかけ、仲間の妖精と共に新しい巣を作っていくのだ。ここが完全に戻る頃には、彼女も立派な母となるだろう。
エンジェは胸の前で両手の指を絡ませると、四人に祈るように言った。
──私たちを助けてくださり、ありがとうございました。けれどこの森の汚染は、まだ止まらない。どうかお願いです。国宝の嘆きを止めて、国を救ってください。貴方たちの力が必要です。
その願いを拒絶するという選択は、そもそも全員持ち合わせていない。頼まれなくても、この森を保つため尽力するつもりだ。とりあえず、一旦探索は終わりにして現状をアンブルたちと話し合う必要があるだろう。そんな今後の計画を聞いて、エンジェは安心に笑みを浮かべた。
計画は固まったのなら、早々に、アンブルの居る家へ帰らなければ。
水の洞窟から彼女たちが居る命の籠まで、相当な距離がある。今が太陽が傾く直前だから、おそらく途中で夜が来るだろう。急いでいるとは言え、流石に夜中に行動はできない。だから、暗くなる前にできるだけ進んでおきたかった。
下りだった洞窟を辿るのは少し時間がかかる。それを承知で、妖精たちへ別れを告げたが、エンジェに呼び止められた。協力したお礼に、ここから地上へ送ってくれるそうだ。
──離れないよう、しっかりお互いの体を掴んでください。
大の男が密着するのは小っ恥ずかしいが、言う通りに肩を組む。ルルは小さくバランスが崩れてしまうため、コーパルの腰にしがみつく形となった。
全員がアウィンの魔法で水面に足を置いたのを確認し、エンジェが両手を振り上げる。彼女の両手が天を向いたのを合図に、足元の水が震え、勢い良く噴き上がった。力強い水圧で、あっという間に地上までたどり着いた。地面に着地すると、水の柱は飛沫をあげて湖へ消える。
見下ろした先にある滝壺までの高さは、相当ある。落ちれば、たとえ水が受け止めても、怪我は免れないだろう。それでも絶景と呼べるそこを見ていると、エンジェと目が合った。彼女は最後の見送りにと、地上まで飛んで来た。
──良ければ、これを。きっと、お役に立てるでしょう。
差し出された手の平にあったのは、小さな結晶。よく見ると、それは彼女の翅の一部だった。水の洞窟の妖精は、一枚の翅ではなく小さな水の結晶が集まっているのだ。これは万能薬となるため、アンブルが重宝している。
しかし元々翅を貰うつもりではいたが、もうそんな気が無かった。アウィンはどうすればいいかと、ジプスに目を配る。
「それはアウィンさんが貰ってください。せっかくの、贈り物です」
採取ではなく、贈り物。そう言われると、断る気も引けてくる。
アウィンは一歩前に出て、透き通る水のような翅を受け取った。手の中で転がると、結晶の中で光が泳いで見える。美しさに少し見惚れたあと、礼を言おうと顔を戻すとエンジェと目が合った。変わらず向けられる微笑みに、どこか寂しさが混ざっているように感じる。
アウィンは自分のよりもひと回り以上は小さな彼女の手を、そっと握る。
「私は旅人です。それも、旅をするのが目的の。だから同じ国に行く事もあります。もし、再びイリュジオンに訪れた時、歓迎してくれますか?」
──! もちろんですっ!
「ありがとうエンジェ。その時まで、お元気で」
アウィンは手を離す最後、エンジェのしなやかな指先に口付けをした。
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