宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

黒い宝石

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 コーディエは、少し落ち着かない様子で枝の上に腰をかけていた。当然だろう、ジプスたちが人工的な罠に遭遇したと聞いたばかりなのだ。もちろん彼が簡単に負ける事はないから、すぐ駆けつけたところで無駄足なのは分かっている。それでも心配なものは心配なのだ。森の母であるアンブルにも、すぐ魔の手が伸びるだろう。アガットが居れば安心できるが、やはりソワソワしてしまう。
 そしてコーディエには、彼らを心配すりよりもまず、役割があった。それは、新たに見つけた相手の尻尾を追う事。首から下がる見慣れないネックレスが、その尻尾だった。ヘッドになっているのは、親指程度の小さなガラスの小瓶。中には漆黒をした宝石の欠片が数個入っている。光を怪しく反射するのは、ブラックダイヤモンド。
 このダイヤは、とある場所へ戻ろうとしていた。導きの通りに行けば、きっと相手へ辿り着くだろう。

 無造作に絡み合う枝の間を、線を描くように一羽の鷹が飛んでいく。素早く過ぎていく視界は、青、緑、灰色と様々な色だ。見慣れていても、同じ顔を持たないイリュジオンは迷いそうになる。
 やがて目の前は開け、巨木が佇んだ。そこは森の母が住まう場所。太い木の枝を借りて、洗濯を干しているアガットが居た。

「あらコーディエ様、ごきげんよう!」

 青い瞳で鷹の正体が分かったのか、彼女は優雅に手を振る。その笑顔は、自分たちに危機が迫っている事など、全く気にしている様子が無い。
 鷹は軌道を変えて空へ行くと、応えるように彼女の上をクルクルと回った。きっと人型だったら、挨拶を返しながらもその呑気さに溜息をついているだろう。だが、とりあえずまだ二人に魔の手が伸びていない事に、コーディエは安堵した。
 首元でガラスの檻を破ろうと、ダイヤモンドが不自然に転がった。しかし導かれるままに駆けた先には、特に変わった物は無い。しばらくそこを迂回すると、生い茂る枝の隙間から、小さな光が太陽に反射したのが見えた。コーディエはそこへ向けて急降下し、地面に降りるよりも前に鷹から人型へ姿を戻す。足元に転がる光源は、ガラス瓶に入れたブラックダイヤの残りだった。
 周りに誰かが居る気配は無い。ダイヤだけでもと回収しようとした時、数センチ離れた所にくぼみを見つけた。それは土を掘り、何かを埋めた跡。動物が住まう森では何らおかしくない。しかしほんの少し残った手の形が、動物や魔獣では無い人間の物だと理解できた。そして、それが何を意味するのかも。
 次の瞬間、土がボコッと盛り上がると共に、巨大な食虫植物が顔を出す。しかしコーディエが飛び退く方が速く、無数の牙を持った頭は空気を食べる事となった。
 彼の足が地面に着くのを見計ったように、槍が数本背後から飛んで来た。やじりに使われている鉱石は見慣れない物で、おそらく人工物だ。透明度の高い石の中で、火花のような光が弾けている。刃先は空振り、地面に突き刺さった。

(俺を狙っていない……?)

 食虫植物の次にも、何かが待ち構えているのは予想できていた。しかしそこまで身構えて避けるよりも、そもそも槍の軌道がズレていたのだ。
 よく見て気付く。槍が刺さった場所は、自分を囲むような位置だ。途端、パンッと破裂音を立てると棒が弾け、無数の宝石の網に変化する。網は中心に降り立ったコーディエに襲い掛かった。
 コーディエは腰に手を添える。触れたのは変わった形のベルト。それを取り外すと、網へ向けて思い切り振った。すると網は粉々に砕け、虚しく地面にパラパラと落ちる。

「人獣を舐めるな。出て来い」

 茂みの奥を睨んだコーディエの手に握られているのは、背丈ほどある両剣。彼のベルトは、擬態させた武器だった。一定の衝撃を与えると鋭利な刃となる。これを武器に選んだのは、相手が丸腰だと勘違いして油断するからだ。
 背の高い草が、風以外の力で動く。現れたのは一人の男。凍った空気に軽快な拍手が響いた。二十代半ばに見える彼は、嬉しそうに拍手を送りながら前に出た。
 品定めするようにコーディエを見て、男は満足そうに頷く。絶えず微笑みながら向けられる瞳には光が無く、不気味だ。

「すごいな、君。とっても強い! 世界の王以外どうでもいいと思ったけど、うん、気が変わった。僕はシリカ。今日から君の飼い主の名前だから、しっかり覚えておいて」
「生憎だが、もう主は決めている。世界の王も渡さん」
「え? あぁ、ごめん。君に拒否権を与えたつもりは無いんだ」

 シリカはにこやかな表情を崩さないまま、懐に手を忍ばせる。コーディエは何が来てもいいよう、武器を構えた。しかし取り出されたのは、刃でも銃でもなく、大粒なブラックダイヤモンド。身構えていただけに肩透かしをくらった顔をするコーディエへ、差し出すようにぐっと近付けられる。彼はその勢いに一歩後退った。

「さあ、王さまはどこかな?」
「……貴様に教えるわけがないだろう」

 警戒心に低くなった声に、今度はシリカがキョトンとする。彼はダイヤを手元に引くと、代わりに顔をコーディエに近付けた。しかし突然の事で背中を退け反らせる彼へ攻撃するわけでもなく、目の前で軽く手を振ってきた。

「君、目見えてるよね?」
「は?」
「鳥類の獣人って、とっても目がいいよね? だから罠に気付いたんだよね?」

 目と鼻の先に迫られ、息を吐く暇なく飛んで来た問いに、コーディエはただ唖然とした。確かに言われた通り、人間の肉眼では見えない物もハッキリ見る事ができるほど、視力はいい。だが何の確認なのか。
 シリカがブツブツ何か呟き、思考に浸り始めた事で、コーディエは我に帰った。攻撃を入れるなら今だと、背中へ向けて武器を振るう。だがシリカの体は、風に吹かれたようにひらりと刃を避けた。

「わ、ちょっと、危ないじゃん」
「貴様、何が目的だ!」
「待って、今考え事してるから」

 味方ならば分かるが、誰が敵のそんな頼みを誰が聞くのか。森の番人は敵への慈悲など持ち合わせてはいない。
 コーディエは再び背を向けたシリカの足へ、両剣を突き刺した。しかし切れたのは草と空気だけ。

「反則はダメだよ」
「!」

 声は後ろからだ。コーディエは腰を捻り、そのままの勢いで男の頭目掛けて腕を振った。しかし刃が前を通り過ぎた頃、目の前にあったのは頭ではなく、足。男は手頃な枝にぶら下がり、振り子のように体を揺らす。重力を利用して、シリカはコーディエの顔を蹴り上げた。
 ゴッという固く重たい音が、木々に反射する。だがそれはコーディエが倒れた音ではなかった。彼は咄嗟に両剣の腹で受け止めたのだ。しかしその一撃は、細い足からは考えられないほど重く、刃から伝わる振動が両手の骨に響いた。痛みと痺れに思わず手が緩み、両剣は後ろへ弾き飛ばされた。
 シリカはくるりと宙返りをして枝から降りると、今度は拳を振り上げた。コーディエは休む暇無く振る攻撃をなんとか腕で防いだ。拳を止めた腕に来る衝撃に顔が歪む。

(なんて馬鹿力だ……!)

 シリカはそこまで筋肉質には見えず、むしろ細身だ。なのに一発一発が重く、しかも速い。避ける暇が無く、雨のような攻撃をただ受け止める事で精一杯だった。
 少しずつ、確実に押されるコーディエの体に、シリカは隙を見つけた。それまで固く結ばれて盾となっていた腕が、僅かに崩れている。彼は子供のような楽しげな笑みを浮かべた。

「待ってって言ったのに、待ってくれなかったお返しだよ!」

 彼は自分の手をグッと握り締める。コーディエはそこから、太陽に反射する何かを見た。身構えようとした体は思うようにいかず、避けようにももう遅い。すでに懐に入った手の中に握られているのは、先程までは無かった鋭利な鉱石。しかし、先端が胸を抉る寸前だった。

「うっぁ……?!」

 痛みはなく、聞こえたのはシリカの声。彼は遠くで、まるで何かに投げ飛ばされたかのような姿勢で仰向けに倒れている。攻撃を受けるはずだったコーディエは、何があったのかと目を丸くしてただ唖然としていた。
 一瞬の出来事を反芻する。鉱石の刃先は、確かに胸に触れた。しかしその瞬間、眩い光が放たれ、シリカの体は鉱石もろとも弾き飛ばされたのだ。
 シリカはがばりと起き上がると、驚いた顔でコーディエを見つめた。同じように呆然としている。いや、その表情は、どちらかと言えば信じられないと言ったようなものだ。

「君、お守り持ってるのか?」
「お守り……?」

 そんな物、持った覚えはない。そう思ったが、すぐコーディエの脳はとある記憶を引き出してきた。それはアンブルに新しい異変を報せに訪れた夜。
 コーディエはハッとして首元を漁った。彼が付けているネックレスは一つでは無かった。念入りに服にしまったもう片方のネックレスが外に出される。ヘッドは、落とさないようにと紐に縛った赤黄岩。まるで火を閉じ込めたように、今もなお揺めいている。
 かつて穢れに侵されていた石。ルルの手で生まれ代わったコレを、彼はお守りだと持たせてくれた。

 シリカはふらりと立ち上がる。コーディエはいつ何が来てもいいようにと、体をなけなしの力で強張らせた。だが一向に攻撃してくる気配は無い。

「何で……何でお前が王の寵愛を受けてるんだぁ?」
「寵愛だと? 貴様、一体何を知っていて、世界の王をどうする気なんだ」

 シリカはブツブツと呟くが、それはコーディエの問いを無視している。小さくて聞こえないが、落ち着き無くその場で円を描くように歩く足の仕草に、怒りと焦りを感じる。
 やがて動きが止まったかと思うと、今度はダランと項垂れた。

「萎えた」
「は?」
「あ~ぁ、嫌だなぁ。もういいや。がどうにかしてくれるまで待つかぁ」

 大きな独り言のあと彼は自分に頷くと、コーディエに見向きもせず歩き出す。

「! 待て!」

 追いかけようと一歩踏み出すが、足から全身へ激痛が走り、コーディエはそれ以上体を動かせなかった。節々に感じる重い痛みに、骨を犠牲にしたのは足だけでないのだと察する。それでも追おうとして再び前を向いた時、シリカの姿はもう無かった。
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