宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

広がる汚染

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 光が差し、山と空の境界が赤くなり始めた。まだ空気が新しくなって間も無い頃、ルルは鈴が鳴るような音を聞いて目が覚める。誰か起きたのかと体を起こすが、まだ寝息は三人分あった。しかし近くを動いている気配が一つある。その小さな気配は、妖精のものだった。

『目が覚めた?』
「!」

 リン……と、鈴のような音が口から零れる。顔の強張りはその音から伝わり、ルルは怯えさせないようフードと仮面を取ってみせた。三人はまだしも、姿をほとんど隠したこの姿では、いくら優しく声をかけても警戒させてしまう。
 露わになった耳の鉱石と虹の全眼に、妖精は深い青緑の目を丸くした。

 物音が聞こえたのか、皆の目蓋がそれぞれ眠たそうに開かれる。傍で看病したついでに眠りに付いていたアウィンは、妖精が意識を取り戻した事に胸を撫で下ろしていた。ジプスとコーパルも安堵している。
 しかし妖精にとっては、こんな大勢に囲まれれば恐ろしいだろう。体が再び震え始めた。困惑と恐怖に固まった顔はルルへ振り返る。

『大丈夫。ここの人たちは、みんな、君にひどい事、しないから。君の手当てを、してくれたんだよ』

 言葉に促されるように、瞳が三人の顔へ恐る恐る向けられる。

「良かった、少し回復したんですね」
「まだ翅がひどいな……」
「昨晩は怖がらせてしまって、すみませんでした。ですが、私たちは貴方の敵でないんです」

 そっと差し出されたアウィンの手に、小さな体が強張る。しかしそのしなやかな指に巻かれた包帯で、妖精は昨日の事を思い出したようだった。まじまじと包帯と彼の顔を見比べている。警戒して、本能的にやったとはいえ、傷付けたのに微笑みを向けられるのに驚いているのだろう。
 妖精は握手を返すように、指を両手で包み、そこへ小さく口付けをした。どうやら敵意が無いと信じてくれたらしい。
 体を包む光もだいぶ回復したようだ。その影響か、自己回復力も取り戻したようで、翅以外の傷は綺麗に無くなっていた。

「水の洞窟で、何かあったんですか?」
「……!」

 妖精はたちまちさっと顔を青ざめ、絶望するように両手で頬を覆った。そしてアウィンの手を強く掴むと、急かすように引っ張る。
 体に似合わず、なんて力持ちなのだろう。本人の力を必要とせず、強制的に立たされた。頭と同じくようやく目覚めたアウィンの足は、危なげにもつれてよろける。

「まだ無理しちゃ、体に障りますよ!」
「やっぱり、仲間に何かあったんじゃ」
「……、……!」

 状況を伝えようとしている口からは、理解できない鈴の鳴き声が出るばかりだ。妖精は杖で体を支えたアウィンの腕を離し、そっと顔を包むと額同士でくっ付ける。その瞬間、アウィンの脳裏に知らない映像が流れ込んだ。
 広い湖の上だ。周囲には、彼女と同じ姿をした妖精が何人も居る。本来なら美しいと言えるのだが、なんだか様子がおかしい。空気が緊迫しているのが伝わってくる。水飛沫と共に、刃のような凄まじい風が無数に体へ襲った。視界の端に誰かが映る。それは、姿形は妖精と似ていても、存在感は段違いに神々しい。
 何重に重なった水の翅が、人よりも倍以上大きな体をドレスのように包んでいる。姿は美しいが、その顔は似合わない怒りに侵され、醜く歪んでいた。いや、怒りというハッキリした感情ではなく、正気を失ったと言うのが正しいだろうか。
 妖精は駆け寄るように、彼女へ向かった。しかしこの小さな体は、優しいはずだった大きな手によって叩き落とされた。映像はそこで途切れる。

「今のは……貴方の記憶ですか?」

 妖精はコクコクと頷いた。アウィンはこちらを見ている三人へ、見たままに記憶を伝える。

「見えた大きな妖精は、おそらくこの子たちの親です」
「そんなに凶暴なものなのか?」
「いいえ、水の洞窟に住む妖精は、他の種族よりも温厚なんです。それに、自分の子供に危害を与えるような存在じゃ、ないはずなんですが……」

 妖精は基本的にイタズラ好きだ。しかし住む環境によって性格は異なり、特に水の洞窟付近の妖精たちは、愛の感情が大きい。そんな彼女たちをまとめる親は、誰よりも強く深い愛を持っているのだ。まるで別人のような豹変ぶりは、どう考えてもおかしい。
 ルルは悩ましそうに言うジプスの言葉に、既視感を覚えた。思い出されるのは、アメジストの湖で錯乱していた親。

『汚染』
「え?」
『アメジストの湖でも、似たような事、あった』

 ルルはジプスへ、仮面越しに視線を向ける。湖の中で起こった出来事を、外へ持ち出してはいけないと言われたのを気にしたのだ。ジプスはそれに頷き、気配で察したルルは三人へ稚魚と親の事を語った。

「そ、そんな事があったのか」
「その汚染というのは、アメジストの湖だけではないのですか?」

 アウィンとコーパルは、そもそも森の汚染を知らないらしい。元々白い肌を青くさせたジプスは、やはりアンブルから異変を聞いていたようだ。

「汚染がそんなに広がってるなんて」
「知っていたのか?」
「はい……。実は、数ヶ月前から森に異変が起きているんです。植物の突然変異や、魔獣たちの活動変化なんかが。けれど、そんなに深く侵食しているなんて、知りませんでした」

 どうやらここ数日で、森の異変が深く進んでいるようだ。ジプスは少しの間、悩ましそうに思考を巡らせると、迷うように三人へ視線を向けた。

「みなさん……イリュジオンを救うのに、手を貸してくれませんか? どうか、お願いします」

 本来、この森の住人として自分たちだけで問題を解決するべきだ。しかしここまでとなると、救いの手はいくらあっても足りない。危険に巻き込んでしまうのを承知で、彼は意を決したように深く頭を下げた。

『ジプス、大丈夫だよ』
「え?」
「俺たちにできる事は、協力したい」
「みんな、最初からそのつもりです」

 ジプスは弾くように顔を上げた。驚いて丸くなった目元には、少し涙が滲んで見える。彼は頷く三人へ嬉しそうに、仲間を噛み締めるように礼を言った。

 太陽はようやく山から顔を出したばかりで、空は夜を引きずっている。まだ吸う空気は、朝独特の冷たさと水気を含んでいた。
 ジプスが用事で少し席を外している間、ルルたちは簡単に腹ごしらえをしていた。急ぐべきだが、これから先はいつ休息できるか分からないのだ。少しは腹に何かを入れておかなければ、いざという時に力を出せなくなるだろう。
 それからはコーパルはジプスの代わりに、広げた荷物を片付ける。アウィンは貰った足用の薬である赤と青の花を飲んだ。
 どこか空気に緊張感がある彼らの様子を、妖精は不安そうに見つめている。彷徨う視線は、準備を済ませて宝石を口にしていたルルへ向けられた。ルルはそれに気付き、そっと手を差し伸べる。おずおずと近寄って来た彼女を宥めるように、頬を優しく撫でた。

『大丈夫だよ。みんなを、助けに行こう。これ以上、君たちの家族を、傷付けないために』

 妖精は頭に響く優しい音に安心したのか、目を細めて薄青い手に自分のを重ねた。

 ジプスは懐から、二枚の白い羽根を取り出した。彼の体に纏う物にしては、ひと回り小さい。そのうち一枚の根本に、彼は蔓を巻く。それは、あの罠に使われていた物だ。
 羽根を口元へ寄せると、祈るように目を閉じ、まるで語りかけるように何かを呟いた。そしてふっと鋭い息を吹き、羽根を手離す。すると羽根は真っ白な小鳥へと姿を変え、空へ向かって飛んでいった。
 これはコーディエとアンブルへの伝言だ。主には汚染の侵食と、気がかりな罠について。蔓はアンブルへ渡し、分析を頼んだ。小まめな連絡を入れる事で、それが途絶えたもしもの時の判断基準にもなる。

「ジプス、こっちは準備ができたぞ」
「あ、分かりました。すみません、片付けありがとうございました。水の洞窟へ、行きましょう」

 ジプスはコーパルから荷物袋を受け取り、先頭に立った。
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