宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

妖精の報せ

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 バラバラと落ちる宝石の糸が、地上に降る星屑のようだ。欠けらは眩しく、見上げた三人は思わず目を瞑る。コーパルは暗い視界の中で、体の締め付けがふっと緩んだのを感じた。自分の体を見下ろせば、拘束していた蔓が黒く変色して腐っている。
 腐った蔓が人間の体重を支えられるわけもなく、コーパルは受け身の準備すらできずに背中から地面へ落下した。せめてと体を強張らせたが、痛くない。むしろ柔らかく、何だと体を起こして急いで地面を見た。
 真下に居たのは、何匹ものスモウたち。彼らが落ちた体を受け止めたのだ。唖然としているコーパルの無事に、仲間同士で喜んでいる。一体、小さな体のどこにそんな力があるのだろう。

「コーパルさん、良かった無事で……!」

 駆け付けたジプスは、すぐにコーパルの腕から今も鮮血を流す傷口へ手をかざす。柔らかなぬくもりが肌に伝わった頃、退かされた手の下にあった傷は、跡形もなく消えていた。

「みんな、無事なのか?」
「はい、貴方のおかげです」
「? 俺は何も」
「罠の原因に気付いてくれたじゃないですか」
「コーパル殿が見つけなければ、我々も捕まっていましたよ」

 その言葉で思い出した。金の目が、戸惑いに震えながら草むらへ向けられる。小さくも深く剣の穴が空いたそこには、刻まれた魔法陣の姿が無い。しかし脳裏にハッキリ残っている。

(違う。見つけたんじゃない)
『どうしたの、コーパル?』
「どこか、まだ痛みますか?」

 いつの間にか、皆からの視線が注がれていた。それぞれの目は心配そうで、心臓が潰れそうな痛みを感じた。
 彼らは勘違いしている。言わなければ。見つけたのではなく、記憶の中で見えたのだと。

「──いや、何でもない」

 気付けば、口が勝手に言葉を作った。いや、心から嘘をつく事を望んだんだ。自分を見る彼らの目が変わってしまうのが恐ろしいから。臆病者が真実を言うには、他人である彼らに馴染みすぎたのだ。

「しかし、顔色が良くありませんね。休みましょうか」
「大丈夫だ。それに……休むとしても、ここでは何が起こるか分からない」

 眉根にシワを寄せて、しんとしている森を見渡す。これは話をはぐらかすための口実でもあるが、半分以上は本音だ。まだ罠があるかもしれない場にいては、いつまでも心臓に悪い。
 最もな言葉だった。ひとまず罠について考えるにしても、歩きながらの方がいい。少し時間を食ったせいで、枝の隙間から見える空が若干暗くなっている。

「今日はそろそろ寝床を作りましょうか」
『もう? まだ、太陽の匂いする』
「確かにまだ夕方になる前ですが、イリュジオンは山に囲まれている分、夜まではあっという間なんです。特にここは、葉の色素が薄くて光に敏感だから、夜は真っ暗になってしまうんですよ」

 ルルは、土地によって日の陰りの速さが違うのは初めて知った。ならば、安心できないここから離れて、早く腰を落ち着ける場所を見つけるのは納得だ。
 歩いてしばらく、空が少しずつ赤くなるのに共鳴するように、葉も同じ色に染まっていた。道は朝とは違って一層眩しく鮮やかで、まるで炎の中にでも居るように錯覚する。しかしそれは本当に僅かな時間で、数十分と経たないうちに大人しくなっていった。言葉通り太陽が顔を隠した途端、辺りは空気すら冷たく感じさせるほど薄暗い青に包まれる。

「もう少しで安全な場所です」

 何度か行き来しているだけあって、ジプスの頭には安地が記憶されていた。
 少し足が重くなった頃たどり着いたのは、エメラルド色をした小さな湖のほとり。水の匂いに誘われて掬ってみると、ルルは違和感に首をかしげる。なんだか普通の水よりも重たい気がした。気のなるなら飲んでみようと口を近付けると、ジプスに慌てて止められる。

「この湖は飲めません。魔獣を寄せ付けないように微量の毒があるんですよ」
「そ、そんな所で寝るのか?」
「近くに居るだけでは害はありませんから、休むには安全なんです。でも、飲んだらお腹痛くなっちゃうから、持って来てる水を飲みましょ?」
『……どんな味?』
「無味だそうです」
『そっか』

 無味ならばつまらない。ルルは両手に溜めた水を素直に戻した。苦いや甘い、酸っぱいと言われたら、ひと舐めしていた。腹痛だけなら我慢できるし、知りたい欲の方が強い。
 ジプスは布袋の中から、先ほど使った太陽のカケラを取り出した。その時、小さなポケットの中に入れた試験管に視線が向く。ガラスにしまわれているのは、すっかり枯れた蔓。あの罠の一部だ。一時的に解決したはいいが、やはり胸騒ぎは治らない。道中に顔を合わせる動物は、ルルのフードを一時的な住処にしたスモウを除いて、顔を出す事が無かったのもあった。

「どうした?」
「あぁいや、何でも」
「手伝う事はないか」
「休んでいなくて大丈夫なんですか?」
「ああ、もうすっかりいい。ありがとう、助かった」

 コーパルは僅かな汚れすら残らなかった腕や体を、確認するように眺める。ジプスは少し照れ臭そうに微笑んで、彼の言葉に甘えて準備を進めす事にした。
 コーパルは太陽のカケラが入った筒を、指定された場所へ丁寧に置く。薄暗くなった空間にさす陽の暖かさが、少しだけ心を宥めてくれた気がした。正直体はまだ休ませろと、脳に訴えている。だが理性がそれを許さなかった。動いていなければ落ち着かないのだ。もう消えて思い出せない、あの断片的な記憶が脳裏をチラつく。

(話さなければいけない)

 それなのに喉が詰まっていう事を効かなかった。

「コーパルさん」
「! な、何だ?」
「これを敷くのに、手を貸してもらってもいいですか?」
「ああ」

 とにかく今は無事に探索を終える事に集中しよう。もしそれで彼らが危険な目に遭い、自分が解決策を知るのなら、それでいいじゃないか。
 コーパルはそう言い聞かせ、準備に手を動かした。

 ルルは足元に咲く青い花を詰んだ。片手には同じ種類で小さな花束ができている。
 遊んでいるように見えるが、これでも立派に働いているのだ。その証拠に、隣に居るアウィンの手にも別の花が優しく握られている。言われた本数を見せると、彼は頭を撫でてくれた。
 今彼らは、寝床の準備をしているジプスの代わりに、薬草の採取をしていた。この付近には様々な効能がある草花が生えている。薬草や薬などの管理はジプスが任せられているそうで、少なくなった物を頼まれたのだ。

「たくさん採れましたね。そろそろ戻りましょうか」
『うん』

 薬の材料はいくら手元にあってもいい。基本的には魔法でどうにかなるが、万能というわけではない。最後に頼れるのは、いつだって自然の力だ。

 言われていた通り、陽が落ちてから光が森から消えるまで、一瞬の出来事だった。まだ夜までは遠いだろうが、森の中は一足先に闇の中に浸かっている。もう数分で、足元がおぼつかなくなるだろう。振り向くと、薄暗い中で眩しく見える太陽のカケラが見えた。
 数歩、そこへ向けて歩き出したアウィンの足が不思議そうに止まる。足音が自分の分しか聞こえない。見れば、ルルは一歩も進んでいなかった。光とは真逆の方をじっと見つめている。

「どうしました?」
『血の匂い』
「え?」

 ルルは呟くように言うと、誘われるように歩き出す。アウィンはジプスたちが居る方へ振り返ったが、すぐに小さな背中を追った。
 魔獣が怪我でもしているのだろうか。アウィンは光の精霊を呼び出して辺りを照らした。こうでもしなければ、視界が悪くてルルを見失ってしまう。彼の足は獣道も外れ、背の高い草をかき分けて進んでいった。少し止まり、周囲を確かめるようにキョロキョロしたあと、目の前の低木を手でこじ開ける。

「あ……!」

 同じく絡み合う枝を退かしたアウィンは思わず声を零す。そこにいたのは、美しい翅をボロボロにしている傷だらけの妖精だった。グッタリしていて、こちらに気付いていない。体の光は今にも消えそうな淡さだ。
 彼らは死ぬまで光を放ち、迷い人を導いたりさらに彷徨わせたりする。つまり、光が消えるというのは死ぬという事だ。輝きが弱まる彼女は、負った怪我のせいで命に終わりを迎えようとしている。
 アウィンはすぐに茂みから飛び出し、小さな体へ手を伸ばす。彼の指先が柔らかな銀の髪に触れそうになった時、それまで閉じていた目がカッと開かれた。彼女は牙を剥いて威嚇し、目の前にあるアウィンの指を思い切り噛む。肉を通り越して骨に当たる音と血の香りのルルは慌てて彼の肩に触れる。

『アウィンっ』
「大丈夫ですよ、大丈夫。弱っていたら、誰でも世界が恐ろしくなるものです」

 アウィンはじっと、その口から離されるのを待つ。やがて妖精は力を使い果たしたのか、ゆっくりと口を離すと再び倒れた。

「いきなり手を出してしまってごめんなさい」

 優しく囁き、人間の子供よりひと回り小さな妖精を抱き上げた。こちらを見つめるルルの顔は、フードと仮面でほとんど見えないのに、不安そうなのが分かる。

「まだ息はあります。急いでジプス殿に治療を頼みましょう。彼らの場所、分かりますか?」

 無作為に道から外れたため、視界に頼っているアウィンには元の場所が分からない。さらにはもう日が完全に落ちたようで、真っ暗だ。生きていないとはいえ、精霊を呼び出せば彼女の警戒を煽るだろうから、光を作れない。
 ルルは少しの間後ろを見てから、コクリと頷き元の道を辿った。彼の足は、まるで夜目でも使えているのではと思うほど、迷い無く進んで行く。やがて、太陽のカケラが発する光が肉眼で捉えられる場所までたどり着いた。光によって逆光になる形で、誰かが立っているのが見える。

「あ、アウィンさん、ルルさん! 良かった、ずいぶん遅いから何かあったのかと」

 人影はジプスだった。彼は駆け寄ると、二人の無事にホッと胸を撫で下ろす。そこで、アウィンの腕に抱かれた妖精に気付いた。手短に説明すると、急いでジプスは荷物袋の中から幾つか道具を取り出す。

「採ってきて貰った薬草をください。ルルさん、あの水をここに掬って持ってきてくれますか?」
『分かった』

 渡された深い小皿を、エメラルドの水で満たす。しかしこれは毒だと聞いた。一体何に必要なのだろう。
 その間、ジプスは薬になる花を三輪と元々持っていた薬草を、道具ですり潰す。潰した薬草たちを、ルルが持って来た水が入った器へ混ぜた。薬草の影響か、水の色は美しい緑から晴天のような鮮やかな青へ変わる。

「その水、使って大丈夫なのか……?」
「そのまま飲めば毒ですが、調合によっては薬になるんです」

 アウィンの腕で眠る妖精の、小さく苦しそうな呼吸を繰り返す口へ器を近付け、慎重に傾けていく。一瞬目元をしかめたが、喉が小さく上下したのが見えた。妖精は少しだけ咽せたあと、呼吸はすっかり穏やかに変わる。

「あとは、体の手当てをしながら目覚めるのを待ちましょう」
『大丈夫かな……?』
「彼女の生命力に頼るしかありません」

 壊れかけた翅は、完治までに数日はかかるだろう。それでも体に見える傷のほとんどは、かすり傷で大事に至らなさそうだ。
 弱った体を柔らかな布で優しく包み、そっと寝かせる。全員がホッとする中、コーパルは妖精の顔を撫でたアウィンの指の怪我にギョッとする。

「アウィン、その怪我はどうしたんだ……!」
「わっ、大丈夫ですか?!」
「あぁ、そういえば」

 慌ててジプスの治癒魔法で傷を塞ぎ、念のために包帯を巻いた。正直その傷口は、妖精の外傷よりもひどいのだ。
 しかし何故倒れていたのか。動物や魔獣の仕業ではないだろう。妖精は彼らに危害を加えないため、襲われる事が無い。彼女たちを襲うと言ったら、別種族たちが縄張りに入ったか、狩りにくる人間か。あの魔法陣の存在もあってか、脳をチラつくのは後者の方だ。
 イリュジオンには多くはないが、妖精は一種族だけではない。この妖精は、水の洞窟付近を住処にして、群れで生活している種族だ。
 今すぐにでも原因を確かめたいが、もうすっかり暗い。夜目が使えるジプスやルルは難無く動けるが、他の二人は難しい。そもそもアウィンの足はもう動かなくなっている。何かあった時のためにと渡された、足が動かせるようになる薬も限りがある。
 ひとまず今日は明日に備える事にし、皆太陽のカケラを囲んで眠りについた。
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