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【宝石少年と霧の国】
後悔を選ぶ
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空が霧の影響か青空が望めない。そのせいで空気も常に冷たかった。しかし次の探索には何も支障が無さそうだ。太陽のカケラのおかげで、まるで日向ぼっこしているような暖かさなのだ。ジプスから貰ったタオルで拭うと、ルルの体はあっという間に乾いた。
しかし三人は彼の薄い腹に痣が薄らある事に気付いた。ルルは痣が分からずキョトンとしたが、そういえば腹部を強打したと思い出す。だが痛みはもう無かった。
『大丈夫。仲直りしたから』
「な、仲直り?」
そう、もう解決したのだ。だからルルは深く言わず、ただ底の美しさだけを語った。そして、痣についてまた顔を見合わせる三人の気を逸らすように、手の中で光る鱗を差し出す。
「あ、これは」
『アメジストの鱗で、合ってる?』
「はい」
「アメジスト……と言うより」
「ああ。真珠のようだな」
アメジストと言われると、誰もがあの黒に見える紫を思い浮かべるだろう。まさに目の前の湖と同じような。しかしルルの手の平に乗るのは、磨かれたように真っ白な鱗だ。湖から取った名前なのだろうか。すると二人の思考を読み取ったように、ジプスが言った。
「ちゃんと想像通りになりますよ」
その言葉に目を凝らすと、鱗の変化に気付いた。純白な鱗の端から、少しずつ色が紫になっていっているのだ。まるで白紙に色が溶けていくようだった。やがて残った中心も染まり、アメジストの鱗は完成した。本当にアメジストを鱗の形に削ったような出来栄えだ。
「ありがとうございました、ルルさん。これで一つ、達成です」
『良かった。行かせてくれて、ありがとう』
終始平和にというわけにはいかなかったが、とてもいい経験をした。イリュジオンでしか触れられない事だろう。次集めるのは『妖精の翅』。一体どんなものだろう。
早く服を着て準備を整えたい。それでも、意に反してルルは微睡むように欠伸をした。体が、特に腕と足が重くてだるい。楽しくて気付かなかったが、相当疲れたようだ。
「ルル、口を開けて」
今にも夢の中へ引っ張られそうな意識の中、聞こえたアウィンの声に従って口を開いて見せる。すると、コロンと宝石が入ってきた。見知った冷たい食感に、空腹だったのを思い出す。半分眠っている状態の彼は、考えるよりも先にガリッと宝石を噛み砕き、満足そうに飲み込んだ。
体に宝石の粒が溶け込む。その感覚を数時間振りに味わった時、糸が切れるようにルルの体がふらりと揺れた。後ろに居たコーパルが慌てて受け止める。顔を覗き込むと、すうすうと穏やかな表情で眠っていた。
同じく様子を見ていたジプスに、アウィンが窺う視線を向ける。彼は微笑んで頷いた。
「みなさんも、何か少し食べますか?」
時間はまだある。昼食にしよう。
ジプスが荷物から取り出したのは、大きめの紙包み。中には、長細い形をした黄色の果物と、塩をまぶした干し肉。少しの旅にはちょうどいい軽食だ。
果物は黄色の薄皮の下は半透明で、噛むとプチプチとした食感だ。果実らしい甘酸っぱさは、疲労回復にはもってこいだろう。干し肉は少し分厚い。中が柔らかく、裂いてみると真新しい肉汁を持った生肉が顔を出す。普段は強いと感じる塩味も、歩いて疲れた体に程よく沁みた。
「どうですか?」
「とても美味しいです。ルルが知ったら、頬を膨らませてズルいと言いそうですね」
「あはは、確かに。お口に合って良かったです」
コーパルの膝の上で眠るルルを起こさないよう、二人はクスクスと控えめに笑った。
ジプスはルルが未だに握っている鱗をそっと拝借し、柔らかな布で丁寧に包む。最後に木箱に入れて荷物袋にしまった時、彼の首元がキラリと反射したのが見えた。
「それは? 以前まで着けていなかった気が」
「あぁ、これはコーディエから貰ったんです」
彼の指がそっと触れると、それは黒から青の輝きを一瞬見せる。夜のような黒に僅かに白の線が描かれたその石は、ホークアイ。
すると、それを聞いたアウィンは目を細めて笑う。そして身を寄せて話すような声で囁いた。
「仲直り、できたんですね?」
「あ……はい」
ジプスは照れるようにはにかみながら、嬉しそうにホークアイを指でいじる。その様子に、アウィンも安心したように微笑んだ。アウィンは彼らの関係を知っていた。実は呪いで倒れたあの日、二人で作業をしていた時に、ジプスから相談を受けていたのだ。
簡単な身の上話から始まったそれは、やがてアウィンの足についてへ話題が変わる。それが彼らの友情の証であるのを知った時、ふいにジプスは、自分たちの関係が重なった。全くの真逆であるというのに。
突然の相談だったが、アウィンは特に驚く事はしなかった。むしろ納得さえしていた。その出会いから二人の関係に違和感を感じたのは、自分と友の間にも様々な事情があったからかもしれない。まず二人の間には、他者が割って入れないような糸があるのを感じた。それなのに、何故か互いにそれを見ようとしていないのが不思議だった。
「やっぱり、アウィンさんの言う通りでした。僕も……彼から逃げてた」
ジプスはコーディエとの関係を直したかった。それでも今の今まで何も行動しなかったのは、心のどこかでこのままでもいいと思っていたから。それは、再び親友として並びたいと望めば望むほどに、心の中の自分が囁く『もしも』の不安から、そう思うようになった。
『もしも』──それは、これ以上心が離れてしまうという可能性。言葉を間違えれば、やっと治り始めたコーディエの傷を開くきっかけとなる。そうなれば彼は自分のせいでまた傷付き、もう二度と修復できなくなるかもしれない。そうまでして戻るべきなのだろうか、自分の我が儘で彼を壊す可能性を作っていいのだろうか。もしそうなったら……自分は耐えられるだろうか。だったら、今のこの距離に留まるのが幸せだ。
相談だと言ったのに、ジプスは自分でも驚くほどに、保身の理由を語っていた。こんな事が言いたいわけではなかったというのに。それでもアウィンは何も言わず、彼の口が閉じるまで静かに待った。
アウィンは目を泳がせる彼に、独り言のように呟いた。どんな関係にも、遅かれ早かれ終わりが来る。そして選択をする時、必ず後悔が付きまとうと。そのあと、いつもと変わらない微笑みで問いかけた。
──貴方は、どちらの後悔を取りますか?
当然ながら、いつも選ぼうとするのは正解ばかり。だから、そんな考えは初めてだった。後悔を選べと言われたのに、何故か気が重くない。むしろ楽だった。
そうだ、どっちを取っても必ず後悔する可能性がある。自分はきっと、話さない方が、大人しくこの関係を続ける後悔の方が大きい。なら、だったら早く動いてしまおう。どうせ終わる時が来るのなら、後悔しない終わり方を選びたい。
そう思っていたら、彼も背を押されたように切り出した。真剣な話だったのに、同じ気持ちだった事が嬉しくて、笑ってしまったけれど。しかし無事、壁を作り合っていた関係は終わり、また新しく、支え合う友としての関係を始まる事ができた。
「本当に、ありがとうございました」
「話を聞くだけなら、いくらでもできますからね。それはお守りですか?」
「はい。僕が危険に晒された時、すぐ駆けつけられるようにって」
ホークアイは元々、コーディエの腕を飾るブレスレット一部で、言うなれば彼の目だ。ジプスに何かあった時、彼が助けを求めた時に主人に報せるのだという。
代わりにジプスはコーディエへ、自分の羽根を渡した。彼は何を言っても無茶をやめないから。自分の羽根には、治癒と守護の魔法を施してある。だから、彼が深く傷を負った時や負いそうな時、遠くに居ても癒し、助けられるのだ。
「不思議です。これを持っていると、コーディエが近くに居るような感じがして、安心するんです」
それはきっと、心が繋がっているからだろう。大切そうにホークアイを両手で包む彼に、アウィンはあえてそれを言葉にせず、ただ微笑んで頷いた。
(──友、か)
聞いていいかは分からないが、コーパルの耳に二人の会話が入ってきた。深い事情は知らないが、彼らの仲がいい方向に向かった事にほっとしながら、自分の真っ白な脳内を考える。
こういった会話を聞けば、少しは過去に触れてピンと来るものでは? なんて思っていたが、そう甘くないらしい。全く引っかかるものが無い。イリュジオンで目覚めてからもう一週間は経つ。さすがに空虚なまま、これ以上過ごすのは少し息苦しい。
しかし何故だろう。それと共に、不安が募ってくる。もしも凄惨な記憶だらけだったら? 自分がもし犯罪者だったら、もうこの生活に身を置けなくなる。
(ここの人々とは、他人なのに……何故俺は不安なんだ)
コーパルは思考を切り捨てるように頭を振った。いけない、こんな考えばかりしていたら良くない事が起きる。よく体の感覚を思い出してみろ。悪い記憶ばかりじゃないのは確かじゃないか。
ほんの少し思い出したのは、脳の記憶ではない体が覚えている記憶。それはルルの手に触れられてから。自分の頬を撫でた、あの深い愛を知っている手。
(あの手を、俺は知っている)
誰かが、あんなふうに自分に触れた事があったはずだ。それが誰だか、それは脳の記憶だから分からない。もしかしたら友かもしれない。家族の手だったかもしれない。そうだったら、相手のために早く思い出さなければ。
穏やかに眠るルルの口元が、小さく動いたのが見えた。彼の喉が音を出したら、きっと寝言を言っているだろう。
『……クゥ』
「!」
驚いた。寝言も頭に浮かべれば聞こえるのか。アウィンたちが反応していないのを見ると、自分にしか伝えていないようだ。おそらく夢の中で喋ろうとした影響だろう。しかしコーパルにとって、それが何の意味を持つ単語か分からない。
ルルはモゾモゾと動き、胸元で縮まった手をギュッと握る。その直後、目蓋から頬に雫が伝った。予想していなかった涙というのもあってか、コーパルは思わず一瞬固まる。しかし少しの間動揺に迷った手は、やがて恐る恐る涙を掬った。
(この子も、泣く事があるのか)
むしろ泣いた事があるから、あんなに優しくて、前を向き続けられるのだろうか。
たとえそれでも、少しでも悲しみを取り除きたい。その一心で、コーパルはそっと頭を撫でた。こんな痩せ細った手で不器用に撫でられても、きっと気持ち良くないだろう。しかしルルの涙はもう流れる事は無かった。
安堵に思わず頬を緩める。そんな時時だった。脳裏に、見知らぬ映像が流れる。
「っ!」
まるで出来の悪い映像石のように、ザラザラとした映像。現実と交差して視界に映るのは、どこかの家の一室だった。
体は柔らかな──これは、ベッドの上に寝そべっているのだろうか。頭を乗せているのは枕ではなく、誰かの膝。そしてルルにしたように、誰かに頭を撫でられた感覚。優しい声が聞こえた。聞いた事の無い、それなのに懐かしいと感じる子守唄。
映像が途切れた。同時に、体が夢から覚めた時のようにびくっと震える。
「今の、は?」
『寝ちゃった……』
コーパルが動いた事で目が覚めたのだろう。気付けばルルの頭は膝に無く、彼は眠たそうに欠伸をしながら目蓋を擦っていた。頭の声は、いつもよりのんびりして聞こえる。
『どうしたの?』
「あ、いや。……ルル」
『なぁに?』
「いい夢、だったか?」
ルルはキョトンとし、思い出すように目を閉じる。しばらくして開かれた瞳は優しく細くなり、鮮やかな色彩は普段より優しく見えた。
「おや、ルル。目が覚めましたか?」
「おはようございます。体は大丈夫ですか?」
『ん、おはよう。ごめんね、寝ちゃって。もう大丈夫』
しかし主張するように、胃袋がキュウッと音を鳴らす。驚いたように腹を抑える彼に、二人は可笑しそうに笑った。
ルルは皆が食べていた果物をふた粒貰って食べると、満足そうにした。乾いた体に服をかぶせ、思い切り腕を天に伸ばす。相変わらずの曇天を見上げながらも頬を高揚させてジプスへ振り返った。彼はルルが何を求めているのか分かったのか、その表情にクスリと笑う。
「次は妖精の翅です。彼女たちが眠る前に行きましょう」
ルルは瞳の虹を鮮やかな青に輝かせ、急ぐように皆の先頭を歩き出した。
しかし三人は彼の薄い腹に痣が薄らある事に気付いた。ルルは痣が分からずキョトンとしたが、そういえば腹部を強打したと思い出す。だが痛みはもう無かった。
『大丈夫。仲直りしたから』
「な、仲直り?」
そう、もう解決したのだ。だからルルは深く言わず、ただ底の美しさだけを語った。そして、痣についてまた顔を見合わせる三人の気を逸らすように、手の中で光る鱗を差し出す。
「あ、これは」
『アメジストの鱗で、合ってる?』
「はい」
「アメジスト……と言うより」
「ああ。真珠のようだな」
アメジストと言われると、誰もがあの黒に見える紫を思い浮かべるだろう。まさに目の前の湖と同じような。しかしルルの手の平に乗るのは、磨かれたように真っ白な鱗だ。湖から取った名前なのだろうか。すると二人の思考を読み取ったように、ジプスが言った。
「ちゃんと想像通りになりますよ」
その言葉に目を凝らすと、鱗の変化に気付いた。純白な鱗の端から、少しずつ色が紫になっていっているのだ。まるで白紙に色が溶けていくようだった。やがて残った中心も染まり、アメジストの鱗は完成した。本当にアメジストを鱗の形に削ったような出来栄えだ。
「ありがとうございました、ルルさん。これで一つ、達成です」
『良かった。行かせてくれて、ありがとう』
終始平和にというわけにはいかなかったが、とてもいい経験をした。イリュジオンでしか触れられない事だろう。次集めるのは『妖精の翅』。一体どんなものだろう。
早く服を着て準備を整えたい。それでも、意に反してルルは微睡むように欠伸をした。体が、特に腕と足が重くてだるい。楽しくて気付かなかったが、相当疲れたようだ。
「ルル、口を開けて」
今にも夢の中へ引っ張られそうな意識の中、聞こえたアウィンの声に従って口を開いて見せる。すると、コロンと宝石が入ってきた。見知った冷たい食感に、空腹だったのを思い出す。半分眠っている状態の彼は、考えるよりも先にガリッと宝石を噛み砕き、満足そうに飲み込んだ。
体に宝石の粒が溶け込む。その感覚を数時間振りに味わった時、糸が切れるようにルルの体がふらりと揺れた。後ろに居たコーパルが慌てて受け止める。顔を覗き込むと、すうすうと穏やかな表情で眠っていた。
同じく様子を見ていたジプスに、アウィンが窺う視線を向ける。彼は微笑んで頷いた。
「みなさんも、何か少し食べますか?」
時間はまだある。昼食にしよう。
ジプスが荷物から取り出したのは、大きめの紙包み。中には、長細い形をした黄色の果物と、塩をまぶした干し肉。少しの旅にはちょうどいい軽食だ。
果物は黄色の薄皮の下は半透明で、噛むとプチプチとした食感だ。果実らしい甘酸っぱさは、疲労回復にはもってこいだろう。干し肉は少し分厚い。中が柔らかく、裂いてみると真新しい肉汁を持った生肉が顔を出す。普段は強いと感じる塩味も、歩いて疲れた体に程よく沁みた。
「どうですか?」
「とても美味しいです。ルルが知ったら、頬を膨らませてズルいと言いそうですね」
「あはは、確かに。お口に合って良かったです」
コーパルの膝の上で眠るルルを起こさないよう、二人はクスクスと控えめに笑った。
ジプスはルルが未だに握っている鱗をそっと拝借し、柔らかな布で丁寧に包む。最後に木箱に入れて荷物袋にしまった時、彼の首元がキラリと反射したのが見えた。
「それは? 以前まで着けていなかった気が」
「あぁ、これはコーディエから貰ったんです」
彼の指がそっと触れると、それは黒から青の輝きを一瞬見せる。夜のような黒に僅かに白の線が描かれたその石は、ホークアイ。
すると、それを聞いたアウィンは目を細めて笑う。そして身を寄せて話すような声で囁いた。
「仲直り、できたんですね?」
「あ……はい」
ジプスは照れるようにはにかみながら、嬉しそうにホークアイを指でいじる。その様子に、アウィンも安心したように微笑んだ。アウィンは彼らの関係を知っていた。実は呪いで倒れたあの日、二人で作業をしていた時に、ジプスから相談を受けていたのだ。
簡単な身の上話から始まったそれは、やがてアウィンの足についてへ話題が変わる。それが彼らの友情の証であるのを知った時、ふいにジプスは、自分たちの関係が重なった。全くの真逆であるというのに。
突然の相談だったが、アウィンは特に驚く事はしなかった。むしろ納得さえしていた。その出会いから二人の関係に違和感を感じたのは、自分と友の間にも様々な事情があったからかもしれない。まず二人の間には、他者が割って入れないような糸があるのを感じた。それなのに、何故か互いにそれを見ようとしていないのが不思議だった。
「やっぱり、アウィンさんの言う通りでした。僕も……彼から逃げてた」
ジプスはコーディエとの関係を直したかった。それでも今の今まで何も行動しなかったのは、心のどこかでこのままでもいいと思っていたから。それは、再び親友として並びたいと望めば望むほどに、心の中の自分が囁く『もしも』の不安から、そう思うようになった。
『もしも』──それは、これ以上心が離れてしまうという可能性。言葉を間違えれば、やっと治り始めたコーディエの傷を開くきっかけとなる。そうなれば彼は自分のせいでまた傷付き、もう二度と修復できなくなるかもしれない。そうまでして戻るべきなのだろうか、自分の我が儘で彼を壊す可能性を作っていいのだろうか。もしそうなったら……自分は耐えられるだろうか。だったら、今のこの距離に留まるのが幸せだ。
相談だと言ったのに、ジプスは自分でも驚くほどに、保身の理由を語っていた。こんな事が言いたいわけではなかったというのに。それでもアウィンは何も言わず、彼の口が閉じるまで静かに待った。
アウィンは目を泳がせる彼に、独り言のように呟いた。どんな関係にも、遅かれ早かれ終わりが来る。そして選択をする時、必ず後悔が付きまとうと。そのあと、いつもと変わらない微笑みで問いかけた。
──貴方は、どちらの後悔を取りますか?
当然ながら、いつも選ぼうとするのは正解ばかり。だから、そんな考えは初めてだった。後悔を選べと言われたのに、何故か気が重くない。むしろ楽だった。
そうだ、どっちを取っても必ず後悔する可能性がある。自分はきっと、話さない方が、大人しくこの関係を続ける後悔の方が大きい。なら、だったら早く動いてしまおう。どうせ終わる時が来るのなら、後悔しない終わり方を選びたい。
そう思っていたら、彼も背を押されたように切り出した。真剣な話だったのに、同じ気持ちだった事が嬉しくて、笑ってしまったけれど。しかし無事、壁を作り合っていた関係は終わり、また新しく、支え合う友としての関係を始まる事ができた。
「本当に、ありがとうございました」
「話を聞くだけなら、いくらでもできますからね。それはお守りですか?」
「はい。僕が危険に晒された時、すぐ駆けつけられるようにって」
ホークアイは元々、コーディエの腕を飾るブレスレット一部で、言うなれば彼の目だ。ジプスに何かあった時、彼が助けを求めた時に主人に報せるのだという。
代わりにジプスはコーディエへ、自分の羽根を渡した。彼は何を言っても無茶をやめないから。自分の羽根には、治癒と守護の魔法を施してある。だから、彼が深く傷を負った時や負いそうな時、遠くに居ても癒し、助けられるのだ。
「不思議です。これを持っていると、コーディエが近くに居るような感じがして、安心するんです」
それはきっと、心が繋がっているからだろう。大切そうにホークアイを両手で包む彼に、アウィンはあえてそれを言葉にせず、ただ微笑んで頷いた。
(──友、か)
聞いていいかは分からないが、コーパルの耳に二人の会話が入ってきた。深い事情は知らないが、彼らの仲がいい方向に向かった事にほっとしながら、自分の真っ白な脳内を考える。
こういった会話を聞けば、少しは過去に触れてピンと来るものでは? なんて思っていたが、そう甘くないらしい。全く引っかかるものが無い。イリュジオンで目覚めてからもう一週間は経つ。さすがに空虚なまま、これ以上過ごすのは少し息苦しい。
しかし何故だろう。それと共に、不安が募ってくる。もしも凄惨な記憶だらけだったら? 自分がもし犯罪者だったら、もうこの生活に身を置けなくなる。
(ここの人々とは、他人なのに……何故俺は不安なんだ)
コーパルは思考を切り捨てるように頭を振った。いけない、こんな考えばかりしていたら良くない事が起きる。よく体の感覚を思い出してみろ。悪い記憶ばかりじゃないのは確かじゃないか。
ほんの少し思い出したのは、脳の記憶ではない体が覚えている記憶。それはルルの手に触れられてから。自分の頬を撫でた、あの深い愛を知っている手。
(あの手を、俺は知っている)
誰かが、あんなふうに自分に触れた事があったはずだ。それが誰だか、それは脳の記憶だから分からない。もしかしたら友かもしれない。家族の手だったかもしれない。そうだったら、相手のために早く思い出さなければ。
穏やかに眠るルルの口元が、小さく動いたのが見えた。彼の喉が音を出したら、きっと寝言を言っているだろう。
『……クゥ』
「!」
驚いた。寝言も頭に浮かべれば聞こえるのか。アウィンたちが反応していないのを見ると、自分にしか伝えていないようだ。おそらく夢の中で喋ろうとした影響だろう。しかしコーパルにとって、それが何の意味を持つ単語か分からない。
ルルはモゾモゾと動き、胸元で縮まった手をギュッと握る。その直後、目蓋から頬に雫が伝った。予想していなかった涙というのもあってか、コーパルは思わず一瞬固まる。しかし少しの間動揺に迷った手は、やがて恐る恐る涙を掬った。
(この子も、泣く事があるのか)
むしろ泣いた事があるから、あんなに優しくて、前を向き続けられるのだろうか。
たとえそれでも、少しでも悲しみを取り除きたい。その一心で、コーパルはそっと頭を撫でた。こんな痩せ細った手で不器用に撫でられても、きっと気持ち良くないだろう。しかしルルの涙はもう流れる事は無かった。
安堵に思わず頬を緩める。そんな時時だった。脳裏に、見知らぬ映像が流れる。
「っ!」
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体は柔らかな──これは、ベッドの上に寝そべっているのだろうか。頭を乗せているのは枕ではなく、誰かの膝。そしてルルにしたように、誰かに頭を撫でられた感覚。優しい声が聞こえた。聞いた事の無い、それなのに懐かしいと感じる子守唄。
映像が途切れた。同時に、体が夢から覚めた時のようにびくっと震える。
「今の、は?」
『寝ちゃった……』
コーパルが動いた事で目が覚めたのだろう。気付けばルルの頭は膝に無く、彼は眠たそうに欠伸をしながら目蓋を擦っていた。頭の声は、いつもよりのんびりして聞こえる。
『どうしたの?』
「あ、いや。……ルル」
『なぁに?』
「いい夢、だったか?」
ルルはキョトンとし、思い出すように目を閉じる。しばらくして開かれた瞳は優しく細くなり、鮮やかな色彩は普段より優しく見えた。
「おや、ルル。目が覚めましたか?」
「おはようございます。体は大丈夫ですか?」
『ん、おはよう。ごめんね、寝ちゃって。もう大丈夫』
しかし主張するように、胃袋がキュウッと音を鳴らす。驚いたように腹を抑える彼に、二人は可笑しそうに笑った。
ルルは皆が食べていた果物をふた粒貰って食べると、満足そうにした。乾いた体に服をかぶせ、思い切り腕を天に伸ばす。相変わらずの曇天を見上げながらも頬を高揚させてジプスへ振り返った。彼はルルが何を求めているのか分かったのか、その表情にクスリと笑う。
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