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【宝石少年と霧の国】
隣にいる資格
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今度はルルの目が驚愕に丸くなった。本当はこんな事言う気は無かった。ただ彼があまりにも純粋だから、それを壊したくなったのだ。壊してしまわなければ、耐えられないから。
「ジプスが受けた呪いは、本来俺が受けるべきだったんだ」
やけになってしまった口に、もう理性は効かない。
ジプスとコーディエは、獣人が暮らす小さな集落で生まれた。家族共に仲が良く、幼い頃から隣にいた。しかしそれは、ここに来る事になった数年前までの話。
村と言えるほど小さな土地に、貴族らしく小綺麗な見た目をした数名の人間が訪れた。一度きりではなく何度かやって来て、集落の長とよく話していた。どうやら隣にある彼らの町と交易関係を結びたいらしかった。比較的友好的で、手が結ばれるのにそう時間は掛からなかった。
「それも最初のうちだ。何を求めだしたと思う?」
『……何を?』
「獣人の体だ。剥製や毛皮を求め始めた。アイツらにとって、所詮俺たちは道具なんだ」
そんな提案を、彼らは隠す事なく堂々と交渉した。もちろんそれを長が許すわけがない。交易関係は破断となった。地獄はそこからだ。
彼らは断った長を迷わず殺した。おそらくだが、断る断らない関係無しに実行する予定だったのだろう。
「それを皮切りに、仲間は次々と捕獲、あるいは殺された。俺たちの親もそうだ」
両親の死顔を見る暇も与えられなかった。とにかく逃げたが、子供だった自分たちが逃げ切れるわけはない。目の前を塞がれ、別の道を探して振り返った時だった。黒い霧のような物をまとった巨大な刃が、コーディエに向けて振り上げられたのは。
一瞬の出来事に呼吸も止まり、石のように体も固まる。しかし刃が胸を貫くよりも前に、いつの間にか目の前に立ちはだかっていたジプスの手が、ドンと後ろに押していた。
「……心臓は免れた。だが……あの刃には呪術がかかっていたんだ。傷は一生塞がらない。あの傷は、精神を蝕むんだ」
アガットの魔法は、所詮気休めだった。本来獣人であるため永いはずのジプスの寿命は、人よりはるかに短い。厄介な事に傷は常に彼の心臓に痛みを与え続けている。二人の魔法でかろうじて抑えてはいるが、呪いを解かない限り、痛みから解放される事は無いのだ。
ルルはただ黙って聞いていた。何故彼がジプスが目覚める前に立ち去ろうとする理由も、なんとなく理解した。だが、ルルの手はコーディエを離そうとしない。
『ジプスを、傷付けたくないから、会わないの?』
「そうだ」
『嘘つき』
コーディエは、鋭い目を零れ落ちそうなほど見開いた。感情がまとまらず、正直自分が何を言ったのかもう覚えていない。しかしそんな反応が返ってくるとは、予想していなかった。
神と呼ばれる瞳から冷静さは途絶えず、からかいも見えない。
『ジプスが言ったの? 会いたくないと』
「……違う」
『ならそんなの、優しさじゃない。ただの、独りよがり。君が、傷付きたくなくて、逃げてるだけだ』
「お前に何が分かる!」
『僕の大事な人は、僕が、囮になったせいで、殺された』
「……どういう事だ?」
『声と気配を変えて、僕を、狙ったふりをした。気付けなかった。彼は、僕の家族は……そのまま僕を庇って、毒で、殺された。何も、できなかった。だから、二度と無いように、その記憶を、悲しいだけにしないと、約束をしたの』
ルルは、まるでその頃の自分を睨むように、訴えるようにコーディエを見上げる。
『まだジプスは、生きている。なのに勝手に、彼の言葉を聞かずに、背を向けるのは、ただの逃げだ』
抑揚の無い声は、不思議と激しく聞こえる。コーディエは圧巻されるように、ただ茫然としていた。
そんな事知っていた。それでもまた繰り返すのが怖いから、止まっていた。そのまま何もしなければ楽だから。だがそれでは、何のために強くなったのだろう? あの、彼の背中に隠れて泣いていた頃と、何が違うのだろうか。
握り締めらたコーディエの拳から、ふっと、落胆するように力が抜ける。
「俺に、何ができる?」
ああ、本当にこんな事、言うつもりなんて無かったのに。
情けない声だった。ここまで考えて、なにも案は浮かばない。今までの厳格さはどこへやら、コーディエはまるで怯える子供のような顔を浮かべる。頬に、薄青い手がそっと触れ、慰めるように、言い聞かせるように撫でた。
『隣に居る事。彼を、見守る事ができる』
呆気に取られるように、コーディエはポカンとした。もっと何か複雑な要件が来ると思っていたのに、そんな簡単な事だとは。すると、そんな思考をいとも容易く汲み取ったように、声が続く。
『傍に居なくて、何ができるの?』
「!」
『行動するのは、本人だけ。周りは、それに何もできない。だから、傍に居るの。常に。何が襲っても、独りに、させないために。それは紛れもなく、他人じゃない、君にしかできない』
優しい声だ。そっと両頬を包む手と同じで、心まで溶かしそうなほど。もしジプスが、あの頃と同じように隣に居る事を許してくれるのなら、逃げる事をやめ、さらには自分を許す事ができるだろうか。
『独りじゃないという事、甘くみちゃ、ダメだよ』
三つ聞こえていた呼吸の一つが変わった事を、鉱石の耳がルルに伝えた。途端に、微笑むように緩んでいた顔がハッとし、彼は急いでベッドに振り返る。コーディエも促されて視線を向けた。透き通る白い瞳が、僅かにまつ毛を押しのけている。
『ジプス、目が覚めた?』
ボンヤリする頭に響く声は、少し怖がっているように聞こえる。ジプスは何度か目を瞬かせ、できる限りで笑って頷いて見せた。ルルは通話石が飾る胸に手を置いて、ホッと息をつく。
『アガットたちに、知らせてくる』
安心している場合ではないと、すぐ気持ちを切り替えるようにコーディエに顔を向ける。何か言いたげの彼の返事を置き去りにし、部屋を出て行った。
呼び止めようとしたコーディエの手は空中を彷徨う。今この部屋は、世界中のどの空間よりも静かなんじゃないだろうか。手持ち無沙汰に、腕が虚しそうに下される。
「コーディエ、居るんだよね?」
「!」
「待って、行かないで。目が、少し霞んで見えないんだ」
コーディエは意を決したように、ゆっくりと振り返った。これまでだったら、恐らくすぐ窓から飛び去っていただろう。だが今そうしたら、一生後悔する気がしたのだ。彼に傷を負わせたあの日のように。
ジプスは数秒目をキョロキョロさせたが、やはり視力はまだ戻らないのか、諦めたように閉じる。しかし口元は、嬉しそうに穏やかな曲線を描いて見えた。
「久しぶり」
「……先日、会っただろ」
「門番以外の君とだよ」
「何だそれは」
意味を理解して逸らされた青い瞳に、ジプスはくすくすと笑った。門番以外──つまり仕事以外での会話は、本当にどれくらい振りだろうか。他愛の無い会話をした記憶なんて、もう薄れるほど昔だ。
しばらくの間、再び沈黙が流れる。コーディエにとってそれは立っていられないほどの重さだった。
「……呪いは」
「うん、もう平気」
「そうか」
会話はまた途切れた。ジプスから何か言うつもりは無いらしく、ただコーディエからの言葉を待った。コーディエは汗ばんだ拳を握り締め、怯えるようにギュッと目を閉じた。
「まだ俺を友と呼べるか……?!」
思ってもなかった叫びにジプスは唖然とした。見えはじめた視界でチラリとコーディエを見れば、今からまるで殴られでもするのかと思うほど、目をギュッと固く閉じている。何か言わなければ。しかし開いた口から出たのは言葉ではなく、笑い声だった。
まさか笑われるだなんて、微塵も予想していなかった。コーディエは珍しく呆けた顔をし、呆気に取られる。しばらくの間、部屋には軽やかな笑い声が響いていた。
「今まで、友達じゃなかったの?」
「そ、れは」
「僕はずっと友達だったのになぁ」
ジプスはいじけるように寝返りをうち、コーディエに背を向ける。気まずそうに目線を左右に迷わせ、言葉を詰まらせているコーディエの様子に耐えきれず、小さく笑った。
「意地悪言ってごめん。でも、ずっと友達だと思っていたのは、本当だよ」
「……呪いを負ってもか?」
「胸が苦しくなった時も、悪い夢を見た朝も、後悔は浮かばない。でも、少し文句はある」
「な、何だ」
ジプスは身構えた彼を見上げると、ベッドから起き上がった。そして、咄嗟に体を支えようとして伸ばした腕を掴み、飛びついた。
「なっ?!」
重みにグラリと後ろへ傾く。そのまま二人は床の上に倒れ込んだ。ジプスはしてやったというような悪戯な笑みで、目を白黒させるコーディエの顔を両手で包む。
「逃げる事! やっと捕まえた」
「お前……傷が開いたらどうするんだ!」
「その時は看病してよ。散々僕からそっぽ向いたんだから」
深い紺の瞳が、痛いところを突かれたというように、静かに逸らされた。しかし白い瞳は、追いかけるように真っ直ぐ向けられる。
ジプスは自分の感情を、自分の中で撤回する。コーディエの事を許しているつもりだった。そもそも許すも何も、初めから責めていない。それでも、本当は許していないのだと、今理解する。自分さえ犠牲になればいいと言いながら、こちらに背中ばかり向けていた事を、結構根に持っていたのだから。
しかし、彼の気持ちが分からないわけではない。もし別の立場だったら。例えばそれこそ逆に、自分のせいで彼が傷付いたとしたら、同じように思うだろう。恨んでいる、嫌っている。しかし本当はそんな事思っていないのを理解している。その優しさが心苦しく、様々な理由を付けて逃げるのだ。
だから今まで黙っていた。何もせず、コーディエの好きにさせた。それでも限界は来る。
「──君の代わりが居ると思ってるの?」
「!」
「アガットが居ても、アンブル様が居ても……君の代わりには、ならないんだよ」
鼻先が当たりそうなほどの近くで、目が合った。こんなに長く目線が交わるのは、どれくらい振りだろう。とても久しぶりだ。
ジプスは嬉しそうに微笑む。コーディエはあの頃と全く変わらない笑顔に、自分が本当に彼へ背を向けていたのだと、胸の奥底でやっと理解する事ができた。
「だから」
「取ろう」
「え?」
両肩に手が置かれたと思えば、グイッと体が離される。キョトンとするジプスに、コーディエは真剣な眼差しを向ける。
「責任を取る。友としてもうお前の隣から逃げず、今度は俺がもしもの時、壁になる」
ジプスは力強くぶつかる宣言に目を瞬かせる。彼はやはりバカ真面目だ。別に壁となって欲しいわけじゃない。しかし彼らしい責任の取り方で、思わず笑ってしまった。
互いの間で、小指を差し出して見せる。一体なんだと、コーディエは訝しそうにした。
「じゃあ約束。僕を独りにしない事。それと、コーディエも独りにならない事」
彼は今日何度目かの呆けた顔をした。そしてどこか憑き物が落ちたような表情で笑い、自分より少し細い小指に自分のを絡めた。
「ジプスが受けた呪いは、本来俺が受けるべきだったんだ」
やけになってしまった口に、もう理性は効かない。
ジプスとコーディエは、獣人が暮らす小さな集落で生まれた。家族共に仲が良く、幼い頃から隣にいた。しかしそれは、ここに来る事になった数年前までの話。
村と言えるほど小さな土地に、貴族らしく小綺麗な見た目をした数名の人間が訪れた。一度きりではなく何度かやって来て、集落の長とよく話していた。どうやら隣にある彼らの町と交易関係を結びたいらしかった。比較的友好的で、手が結ばれるのにそう時間は掛からなかった。
「それも最初のうちだ。何を求めだしたと思う?」
『……何を?』
「獣人の体だ。剥製や毛皮を求め始めた。アイツらにとって、所詮俺たちは道具なんだ」
そんな提案を、彼らは隠す事なく堂々と交渉した。もちろんそれを長が許すわけがない。交易関係は破断となった。地獄はそこからだ。
彼らは断った長を迷わず殺した。おそらくだが、断る断らない関係無しに実行する予定だったのだろう。
「それを皮切りに、仲間は次々と捕獲、あるいは殺された。俺たちの親もそうだ」
両親の死顔を見る暇も与えられなかった。とにかく逃げたが、子供だった自分たちが逃げ切れるわけはない。目の前を塞がれ、別の道を探して振り返った時だった。黒い霧のような物をまとった巨大な刃が、コーディエに向けて振り上げられたのは。
一瞬の出来事に呼吸も止まり、石のように体も固まる。しかし刃が胸を貫くよりも前に、いつの間にか目の前に立ちはだかっていたジプスの手が、ドンと後ろに押していた。
「……心臓は免れた。だが……あの刃には呪術がかかっていたんだ。傷は一生塞がらない。あの傷は、精神を蝕むんだ」
アガットの魔法は、所詮気休めだった。本来獣人であるため永いはずのジプスの寿命は、人よりはるかに短い。厄介な事に傷は常に彼の心臓に痛みを与え続けている。二人の魔法でかろうじて抑えてはいるが、呪いを解かない限り、痛みから解放される事は無いのだ。
ルルはただ黙って聞いていた。何故彼がジプスが目覚める前に立ち去ろうとする理由も、なんとなく理解した。だが、ルルの手はコーディエを離そうとしない。
『ジプスを、傷付けたくないから、会わないの?』
「そうだ」
『嘘つき』
コーディエは、鋭い目を零れ落ちそうなほど見開いた。感情がまとまらず、正直自分が何を言ったのかもう覚えていない。しかしそんな反応が返ってくるとは、予想していなかった。
神と呼ばれる瞳から冷静さは途絶えず、からかいも見えない。
『ジプスが言ったの? 会いたくないと』
「……違う」
『ならそんなの、優しさじゃない。ただの、独りよがり。君が、傷付きたくなくて、逃げてるだけだ』
「お前に何が分かる!」
『僕の大事な人は、僕が、囮になったせいで、殺された』
「……どういう事だ?」
『声と気配を変えて、僕を、狙ったふりをした。気付けなかった。彼は、僕の家族は……そのまま僕を庇って、毒で、殺された。何も、できなかった。だから、二度と無いように、その記憶を、悲しいだけにしないと、約束をしたの』
ルルは、まるでその頃の自分を睨むように、訴えるようにコーディエを見上げる。
『まだジプスは、生きている。なのに勝手に、彼の言葉を聞かずに、背を向けるのは、ただの逃げだ』
抑揚の無い声は、不思議と激しく聞こえる。コーディエは圧巻されるように、ただ茫然としていた。
そんな事知っていた。それでもまた繰り返すのが怖いから、止まっていた。そのまま何もしなければ楽だから。だがそれでは、何のために強くなったのだろう? あの、彼の背中に隠れて泣いていた頃と、何が違うのだろうか。
握り締めらたコーディエの拳から、ふっと、落胆するように力が抜ける。
「俺に、何ができる?」
ああ、本当にこんな事、言うつもりなんて無かったのに。
情けない声だった。ここまで考えて、なにも案は浮かばない。今までの厳格さはどこへやら、コーディエはまるで怯える子供のような顔を浮かべる。頬に、薄青い手がそっと触れ、慰めるように、言い聞かせるように撫でた。
『隣に居る事。彼を、見守る事ができる』
呆気に取られるように、コーディエはポカンとした。もっと何か複雑な要件が来ると思っていたのに、そんな簡単な事だとは。すると、そんな思考をいとも容易く汲み取ったように、声が続く。
『傍に居なくて、何ができるの?』
「!」
『行動するのは、本人だけ。周りは、それに何もできない。だから、傍に居るの。常に。何が襲っても、独りに、させないために。それは紛れもなく、他人じゃない、君にしかできない』
優しい声だ。そっと両頬を包む手と同じで、心まで溶かしそうなほど。もしジプスが、あの頃と同じように隣に居る事を許してくれるのなら、逃げる事をやめ、さらには自分を許す事ができるだろうか。
『独りじゃないという事、甘くみちゃ、ダメだよ』
三つ聞こえていた呼吸の一つが変わった事を、鉱石の耳がルルに伝えた。途端に、微笑むように緩んでいた顔がハッとし、彼は急いでベッドに振り返る。コーディエも促されて視線を向けた。透き通る白い瞳が、僅かにまつ毛を押しのけている。
『ジプス、目が覚めた?』
ボンヤリする頭に響く声は、少し怖がっているように聞こえる。ジプスは何度か目を瞬かせ、できる限りで笑って頷いて見せた。ルルは通話石が飾る胸に手を置いて、ホッと息をつく。
『アガットたちに、知らせてくる』
安心している場合ではないと、すぐ気持ちを切り替えるようにコーディエに顔を向ける。何か言いたげの彼の返事を置き去りにし、部屋を出て行った。
呼び止めようとしたコーディエの手は空中を彷徨う。今この部屋は、世界中のどの空間よりも静かなんじゃないだろうか。手持ち無沙汰に、腕が虚しそうに下される。
「コーディエ、居るんだよね?」
「!」
「待って、行かないで。目が、少し霞んで見えないんだ」
コーディエは意を決したように、ゆっくりと振り返った。これまでだったら、恐らくすぐ窓から飛び去っていただろう。だが今そうしたら、一生後悔する気がしたのだ。彼に傷を負わせたあの日のように。
ジプスは数秒目をキョロキョロさせたが、やはり視力はまだ戻らないのか、諦めたように閉じる。しかし口元は、嬉しそうに穏やかな曲線を描いて見えた。
「久しぶり」
「……先日、会っただろ」
「門番以外の君とだよ」
「何だそれは」
意味を理解して逸らされた青い瞳に、ジプスはくすくすと笑った。門番以外──つまり仕事以外での会話は、本当にどれくらい振りだろうか。他愛の無い会話をした記憶なんて、もう薄れるほど昔だ。
しばらくの間、再び沈黙が流れる。コーディエにとってそれは立っていられないほどの重さだった。
「……呪いは」
「うん、もう平気」
「そうか」
会話はまた途切れた。ジプスから何か言うつもりは無いらしく、ただコーディエからの言葉を待った。コーディエは汗ばんだ拳を握り締め、怯えるようにギュッと目を閉じた。
「まだ俺を友と呼べるか……?!」
思ってもなかった叫びにジプスは唖然とした。見えはじめた視界でチラリとコーディエを見れば、今からまるで殴られでもするのかと思うほど、目をギュッと固く閉じている。何か言わなければ。しかし開いた口から出たのは言葉ではなく、笑い声だった。
まさか笑われるだなんて、微塵も予想していなかった。コーディエは珍しく呆けた顔をし、呆気に取られる。しばらくの間、部屋には軽やかな笑い声が響いていた。
「今まで、友達じゃなかったの?」
「そ、れは」
「僕はずっと友達だったのになぁ」
ジプスはいじけるように寝返りをうち、コーディエに背を向ける。気まずそうに目線を左右に迷わせ、言葉を詰まらせているコーディエの様子に耐えきれず、小さく笑った。
「意地悪言ってごめん。でも、ずっと友達だと思っていたのは、本当だよ」
「……呪いを負ってもか?」
「胸が苦しくなった時も、悪い夢を見た朝も、後悔は浮かばない。でも、少し文句はある」
「な、何だ」
ジプスは身構えた彼を見上げると、ベッドから起き上がった。そして、咄嗟に体を支えようとして伸ばした腕を掴み、飛びついた。
「なっ?!」
重みにグラリと後ろへ傾く。そのまま二人は床の上に倒れ込んだ。ジプスはしてやったというような悪戯な笑みで、目を白黒させるコーディエの顔を両手で包む。
「逃げる事! やっと捕まえた」
「お前……傷が開いたらどうするんだ!」
「その時は看病してよ。散々僕からそっぽ向いたんだから」
深い紺の瞳が、痛いところを突かれたというように、静かに逸らされた。しかし白い瞳は、追いかけるように真っ直ぐ向けられる。
ジプスは自分の感情を、自分の中で撤回する。コーディエの事を許しているつもりだった。そもそも許すも何も、初めから責めていない。それでも、本当は許していないのだと、今理解する。自分さえ犠牲になればいいと言いながら、こちらに背中ばかり向けていた事を、結構根に持っていたのだから。
しかし、彼の気持ちが分からないわけではない。もし別の立場だったら。例えばそれこそ逆に、自分のせいで彼が傷付いたとしたら、同じように思うだろう。恨んでいる、嫌っている。しかし本当はそんな事思っていないのを理解している。その優しさが心苦しく、様々な理由を付けて逃げるのだ。
だから今まで黙っていた。何もせず、コーディエの好きにさせた。それでも限界は来る。
「──君の代わりが居ると思ってるの?」
「!」
「アガットが居ても、アンブル様が居ても……君の代わりには、ならないんだよ」
鼻先が当たりそうなほどの近くで、目が合った。こんなに長く目線が交わるのは、どれくらい振りだろう。とても久しぶりだ。
ジプスは嬉しそうに微笑む。コーディエはあの頃と全く変わらない笑顔に、自分が本当に彼へ背を向けていたのだと、胸の奥底でやっと理解する事ができた。
「だから」
「取ろう」
「え?」
両肩に手が置かれたと思えば、グイッと体が離される。キョトンとするジプスに、コーディエは真剣な眼差しを向ける。
「責任を取る。友としてもうお前の隣から逃げず、今度は俺がもしもの時、壁になる」
ジプスは力強くぶつかる宣言に目を瞬かせる。彼はやはりバカ真面目だ。別に壁となって欲しいわけじゃない。しかし彼らしい責任の取り方で、思わず笑ってしまった。
互いの間で、小指を差し出して見せる。一体なんだと、コーディエは訝しそうにした。
「じゃあ約束。僕を独りにしない事。それと、コーディエも独りにならない事」
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