宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

呪われた夫婦

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 その場で一人、ルルはダンスのようにクルリと回ってみる。するとすぐ、興奮気味な拍手が聞こえてきた。

「まあ素敵! やっぱりお洋服は着る人が居てこそですわ!」

 アガットは歓喜に叫び、両手を胸の前で絡めてうっとりと見惚れる。ルルが今居るのは彼女の部屋だ。そして、今着ているのは普段の服ではない。彼女の過去着ていた服だった。昨日、着れなくなった服を代わりに着ると、約束をしたから。
 部屋には天井にまで届くクローゼットが設置されている。開ければ、四つの階段上に掛けられたたくさんの服が顔を出す。豪華なフリルが付いた物から、体のラインがハッキリ分かる細身のドレスと、様々だ。

『似合う?』
「ええとっても。素晴らしいですわ! 今着ていらっしゃる、マーメイド系もお似合いよ。今度はこんな変わり種はどうかしら」
『こういうの、マーメイドって言うんだ』

 肌との面積が少なく、普段より少し窮屈に感じる。しかし、幼い頃試しに履いたパンツよりは動きやすい。右足の太もも辺りからスリットが入っているからだろう。アシンメトリーで、左へ斜めに裾が長くなっている。
 アガットは小さな体を突っ込ませる形で、クローゼットの中へ潜り込む。しばらくモソモソと漁ったあと、一着を引っ張り出してきた。ルルを鏡の前に立たせ、服を持たせる。アガットはこれまでも、一度着せる前に触らせてくれる。薄い布が何枚か複雑に重なり合っていて、何だか不思議な手触りだ。

「このお洋服、実はわたくしが作った物ですの。自信作ですわ」
『作ったの? 凄い。でもこれ、普通のドレスと、少し違うね』
「うふふ、今まで着た物とは、一味違いましてよ?」

 アガットの手が、布越しにルルの体に触れる。子供と間違えそうなほど小さくても、大人のような指の長さを感じた。そう思っていると、あっという間に服が脱げていく。手際良くテキパキとした手付きで、ルルは何度目かの裸になった。しかし、肌が空気に触れていると気付くよりも早く、ふわりと布がかけられる。

「寒くはなぁい?」
『ん、大丈夫』

 用意されたホットミルクを飲み、ひと息つく。そうしている間にも、アガットは衣装屋の店員のように、服をルルの体に当てる。背後で満足そうな声が聞こえた。

「ルルの身長は、以前のわたくしと一緒なのね。全部ぴったりですわ。準備はよろしくて?」
『どうぞ』

 今度は上下で別れている。下がスカート状になっているのは今までと同じ。しかしよく見れば、布が鳥の羽のように幾度にも複雑に重なっている。裾は後ろになるにつれて、床に引きずるほど長い。それでも重さは無かった。
 肩に残した布を取り、今度は上着を背中から羽織る。腕を通した袖は右腕だけが大きく広がっていて、動けば蝶のようにヒラリと空気に流れた。布の面積は今までよりも多いのに、野暮ったさが全く無い。

『動きやすそう』
「そうでしょう? これはただ着るだけではありませんの」

 斜めに開いた胸元は、襟の端に付いた紐で小さくリボンで結ぶ。裾は腰よりも長く、雲のように柔らかな帯で止めた。
 着付けが終わったのか、アガットは数歩後ずさって全身を目で収める。動いで欲しいと頼まれ、再びその場でくるりと回った。すると味気なく見えた純白のドレスは、虹色の輝きを持った。光りや布が見える角度によって色が変わるのだ。ただ着るだけではないと言った意味がよく分かった。これで舞でも踊れば、全ての観客の目を奪うだろう。
 それを見た新緑の瞳は、宝石のように輝く。

「素晴らしいですわ、まるで女神様のよう!」
『この布……全部、鳥の羽根?』
「ええ。シュータムという国に飛んでいる鳥から採れるんですの。とっても大きくて美しい翼を持っているんですのよ」

 柔らかな素材で全体的にとても軽く、動きやすい。色が変わると聞けば、見えなくても余分に動きたくなってしまう。無意識に手で泳ぐように空気を撫でれば、ゆったりとした動きでできた波が虹色に輝いた。

「そうだわ、せっかくですから好きなアクセサリーも付けましょう!」

 言葉が終わるよりもはやく、アガットはドレッサーに向かっていた。大きな鏡を囲むようにある小さな引き出しを手当たり次第開け、机の上で吟味する。
 ルルは自分の事のようにはしゃぐ彼女を、微笑ましく見守った。ベッドに腰を下ろし、食用に持っている宝石を口に転がす。歯に当たる軽やかな音を聴いていると、目の前に布が敷かれる。候補を選び終えたのか、アガットは柔らかな布の上へ丁寧に装飾品を並べていった。

「どれでもお好きなのをどうぞ。是非お手に取って」

 用意された物は、チョーカーやブレスレット、ネックレスにブローチといったように様々だ。他にも、どうやって付けるのか分からない、変わった形の装飾品もある。全てが細かな柄で、一度触っただけでは頭に描くのが大変そうだった。
 一通り触ったあと、華奢な薄青い指が誘われたのは、一見してネックレスのようにも見える。だがそれは、頭にかぶる形となる髪飾りだった。細い糸が輪っかになっていて、額側に大振りの飾りが見えるよう、髪に編み込んで頭部に固定するのだ。
 中心にある小さなアゲートを囲むように、模様が施された青い宝石が葉の形に削られている。左右対象となった葉の下で、涙型の大きなアゲートが揺れていた。

「まあ、お目が高いですわ」

 アガットは何故か幸せそうに言った。首をかしげたルルから髪飾りを受け取ると、宝石を愛おしそうに撫でる。

「これは、ジプスがわたくしに贈ってくださったものなんですのよ」
『そうなの?』
「ええ。それも手作りですわ。わたくしたちね、この結婚は急遽決まった事でしたのよ」

 そういえば、彼女も別の土地から来たのだと、ルルは思い出す。縁というのはなんだか不思議だ。別のところで、全く違う環境で育った彼らが出会い、結ばれる。二人だけが持つ特別な運命と言える。
 彼女の声は甘く、少女というよりも今は女性らしさを感じた。

『二人は、どんなふうに、出会ったの?』

 彼らの事を、もっと知りたかった。当然二人にしか触れる事を許されない思い出もあるだろう。それでも、もしかしたら知り合う事ができなかったかもしれない彼らを、深く記憶に刻みたかった。
 アガットは目を瞬かせると、クスリと笑ってルルの隣に腰かけた。

「わたくし、とってもお喋りですのよ?」
『うん、聞きたい』
「……このお洋服、シュータムの伝統だと言ったでしょう? わたくしの故郷ですの」
『どんな国?』
「イリュジオンと似て、自然豊かな場所ですわ。貴族も柱の制度もありません。妖精族や植物人が多くて、みんな中心にある生命樹の力をお借りして生きているんですのよ。わたくし、シュータムが大好きでしたの」

 アガットは目線を髪飾りに落としながら、ポイントとなっているアゲートを指で撫でる。その新緑の瞳は、今まさに故郷の風景を見ているようだった。
 母父共に、アガットを深い愛で育てた。素直に育った彼女は、少しの破天荒さを持ちながら、男女と言わず種族も問わず、周囲から愛され、周囲を愛した。そんな心から愛する者たちが居る母国から、一体何故彼女は旅立たなければならなかったのか。

「わたくしの腕を、アウィン様が気にしていらっしゃったのを覚えているかしら?」
『うん』
「この体ね、呪われているんですの」
『え?』

 アガットはおもむろに、肘まで隠している手袋を外す。露わになったのは、黒く変色した腕だった。色だけではない。奇妙な模様が、血管のように浮かび上がっている。
 こちらを見るルルの頬に、そっとその手を添える。肌とは思えないザラリとした感触に、虹の瞳は大きく見開かれた。

「手足は全部こうなっているの」
『どうして?』
「一人、とても大切なお友達が居ましたの。とても可憐で、素敵な子」

 愛に恵まれた彼女をよく思わなかった。友も容姿に恵まれ、愛されていたと言うのに。

「わたくしは……生きているみんなが美しいと思っていますわ。でも……あの子は違ったみたい」

 友は自分が一番美しくなければ気が済まなかった。だから純粋に笑顔を見せるアガットに、嫉妬したのだ。友は嫉妬の心が囁くままに呪いをかけた。醜く死ぬ呪いを。アガットは呪いを解く方法を探し、数年の旅を経てここへ来たのだ。
 ルルは死ぬ呪いと聞いて、ヒュッと喉から息を呑む音を鳴らした。確かめるように、アガットの小さな手を握り返す。すると彼女は何故か微笑んだ。

「心配なさらないで。死なないために、ここに居るんですもの」
『アンブルの薬?』
「いいえ。呪いというのはね、かけた人物にしか解けないものなんですの」
『じゃあ……?』
「呪いを抑える事ができたのは、ジプスの魔法でしたの」

 ジプスは自然の寵愛を受けて育った。それは彼が毎日、森に対して祈りを捧げていたからだ。その恩恵で、自然が許す魔法全てを扱えた。特に長けていたのは癒しの力。それは自然が美しい限り、力を増していくという。
 そんな彼だったからだろう。それまで誰も触れる事ができなかった腕に触れられたのは。たちまち呪いは侵食を止めたのだ。

「そしてね、ジプスもまた同じでしたのよ」
『同じ……? もしかして』
「ええ。あの子も、呪いを受けていましたの」

 彼の呪いは、アガットよりもとても重かった。日に日に、目に見えて寿命を削っていくもの。それを止められたのはアガットだった。彼女の治癒魔法が、ジプスの命を救った。
 本来、適性が無かったり相性が合わなかったりすると、呪いが跳ね返って相手も脅かす危険があった。二人が抑え合えたのは、ほぼ奇跡だとアンブルは言っていた。そして呪いを安定化させるには、傍に居る事だとも。

「そこで提案されたのが、夫婦となる事でしたの。そうすれば常に傍に居られますから」

 二人の関係は、利害が一致したためのものだった。関係を結び、やがてアンブルの予想通り、呪いの侵食がパタリと止んだ。しかしもちろんだが、止んだだけであって解いたわけではない。どちらかが居なくなれば、呪いに殺される事は変わりないのだ。

「世の中、何があるか分からない。だから少し不便でしょう?」

 呪いを解く方法は、現在の技術では限られている。だから二人は、アンブルの元につきながら呪いの研究を続けていた。

『解く方法が分かったら、二人は、離れちゃうの?』
「そのつもりでしたわ」

 この関係は、呪いが解かれたら終わりとなるものだった。しかし共に過ごすうち、他人には感じない感情が生まれていた。彼の事を知れば知るほど、呪いが無くとも隣に居たいと思えるようになった。
 それは形だけの結婚でもと、律儀に贈り物を渡す他者を思いやる心。謙虚だが決して譲らない強かさもある。時々努力が実らずに空回る時も、可愛らしく思える。

「だから今は、呪い抜きにジプスを愛していますわ」

 感情というのは不思議だ。交流の仕方でいくらでも変わる。いくら本を読み漁っても、何十人と触れ合っても、予想すらできない。とても不思議で不確かで、素晴らしい存在。
 ルルは笑うように目を細くし、アガットが持つ髪飾りを手で包んだ。

『ならこれは、アガットが着けなきゃ。そして君も、素敵な服を着て、ジプスに見せようよ』

 アガットは、楽しそうに頭へ綴られた提案に、一瞬キョトンとした。しかしすぐに笑顔の花が咲く。

「ええ、そうしましょう! アンブル様にも見てもらいたいですわ。一緒に選んでくださる?」
『うん。アウィンにも、見せたい』

 ルルは立ち上がると手を引かれ、アガットとクローゼット前に立つ。いくつか触りながら、今の彼女を最も輝かせる衣装と選び合った。
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