129 / 210
【宝石少年と霧の国】
呪われた夫婦
しおりを挟む
その場で一人、ルルはダンスのようにクルリと回ってみる。するとすぐ、興奮気味な拍手が聞こえてきた。
「まあ素敵! やっぱりお洋服は着る人が居てこそですわ!」
アガットは歓喜に叫び、両手を胸の前で絡めてうっとりと見惚れる。ルルが今居るのは彼女の部屋だ。そして、今着ているのは普段の服ではない。彼女の過去着ていた服だった。昨日、着れなくなった服を代わりに着ると、約束をしたから。
部屋には天井にまで届くクローゼットが設置されている。開ければ、四つの階段上に掛けられたたくさんの服が顔を出す。豪華なフリルが付いた物から、体のラインがハッキリ分かる細身のドレスと、様々だ。
『似合う?』
「ええとっても。素晴らしいですわ! 今着ていらっしゃる、マーメイド系もお似合いよ。今度はこんな変わり種はどうかしら」
『こういうの、マーメイドって言うんだ』
肌との面積が少なく、普段より少し窮屈に感じる。しかし、幼い頃試しに履いたパンツよりは動きやすい。右足の太もも辺りからスリットが入っているからだろう。アシンメトリーで、左へ斜めに裾が長くなっている。
アガットは小さな体を突っ込ませる形で、クローゼットの中へ潜り込む。しばらくモソモソと漁ったあと、一着を引っ張り出してきた。ルルを鏡の前に立たせ、服を持たせる。アガットはこれまでも、一度着せる前に触らせてくれる。薄い布が何枚か複雑に重なり合っていて、何だか不思議な手触りだ。
「このお洋服、実はわたくしが作った物ですの。自信作ですわ」
『作ったの? 凄い。でもこれ、普通のドレスと、少し違うね』
「うふふ、今まで着た物とは、一味違いましてよ?」
アガットの手が、布越しにルルの体に触れる。子供と間違えそうなほど小さくても、大人のような指の長さを感じた。そう思っていると、あっという間に服が脱げていく。手際良くテキパキとした手付きで、ルルは何度目かの裸になった。しかし、肌が空気に触れていると気付くよりも早く、ふわりと布がかけられる。
「寒くはなぁい?」
『ん、大丈夫』
用意されたホットミルクを飲み、ひと息つく。そうしている間にも、アガットは衣装屋の店員のように、服をルルの体に当てる。背後で満足そうな声が聞こえた。
「ルルの身長は、以前のわたくしと一緒なのね。全部ぴったりですわ。準備はよろしくて?」
『どうぞ』
今度は上下で別れている。下がスカート状になっているのは今までと同じ。しかしよく見れば、布が鳥の羽のように幾度にも複雑に重なっている。裾は後ろになるにつれて、床に引きずるほど長い。それでも重さは無かった。
肩に残した布を取り、今度は上着を背中から羽織る。腕を通した袖は右腕だけが大きく広がっていて、動けば蝶のようにヒラリと空気に流れた。布の面積は今までよりも多いのに、野暮ったさが全く無い。
『動きやすそう』
「そうでしょう? これはただ着るだけではありませんの」
斜めに開いた胸元は、襟の端に付いた紐で小さくリボンで結ぶ。裾は腰よりも長く、雲のように柔らかな帯で止めた。
着付けが終わったのか、アガットは数歩後ずさって全身を目で収める。動いで欲しいと頼まれ、再びその場でくるりと回った。すると味気なく見えた純白のドレスは、虹色の輝きを持った。光りや布が見える角度によって色が変わるのだ。ただ着るだけではないと言った意味がよく分かった。これで舞でも踊れば、全ての観客の目を奪うだろう。
それを見た新緑の瞳は、宝石のように輝く。
「素晴らしいですわ、まるで女神様のよう!」
『この布……全部、鳥の羽根?』
「ええ。シュータムという国に飛んでいる鳥から採れるんですの。とっても大きくて美しい翼を持っているんですのよ」
柔らかな素材で全体的にとても軽く、動きやすい。色が変わると聞けば、見えなくても余分に動きたくなってしまう。無意識に手で泳ぐように空気を撫でれば、ゆったりとした動きでできた波が虹色に輝いた。
「そうだわ、せっかくですから好きなアクセサリーも付けましょう!」
言葉が終わるよりもはやく、アガットはドレッサーに向かっていた。大きな鏡を囲むようにある小さな引き出しを手当たり次第開け、机の上で吟味する。
ルルは自分の事のようにはしゃぐ彼女を、微笑ましく見守った。ベッドに腰を下ろし、食用に持っている宝石を口に転がす。歯に当たる軽やかな音を聴いていると、目の前に布が敷かれる。候補を選び終えたのか、アガットは柔らかな布の上へ丁寧に装飾品を並べていった。
「どれでもお好きなのをどうぞ。是非お手に取って」
用意された物は、チョーカーやブレスレット、ネックレスにブローチといったように様々だ。他にも、どうやって付けるのか分からない、変わった形の装飾品もある。全てが細かな柄で、一度触っただけでは頭に描くのが大変そうだった。
一通り触ったあと、華奢な薄青い指が誘われたのは、一見してネックレスのようにも見える。だがそれは、頭にかぶる形となる髪飾りだった。細い糸が輪っかになっていて、額側に大振りの飾りが見えるよう、髪に編み込んで頭部に固定するのだ。
中心にある小さなアゲートを囲むように、模様が施された青い宝石が葉の形に削られている。左右対象となった葉の下で、涙型の大きなアゲートが揺れていた。
「まあ、お目が高いですわ」
アガットは何故か幸せそうに言った。首をかしげたルルから髪飾りを受け取ると、宝石を愛おしそうに撫でる。
「これは、ジプスがわたくしに贈ってくださったものなんですのよ」
『そうなの?』
「ええ。それも手作りですわ。わたくしたちね、この結婚は急遽決まった事でしたのよ」
そういえば、彼女も別の土地から来たのだと、ルルは思い出す。縁というのはなんだか不思議だ。別のところで、全く違う環境で育った彼らが出会い、結ばれる。二人だけが持つ特別な運命と言える。
彼女の声は甘く、少女というよりも今は女性らしさを感じた。
『二人は、どんなふうに、出会ったの?』
彼らの事を、もっと知りたかった。当然二人にしか触れる事を許されない思い出もあるだろう。それでも、もしかしたら知り合う事ができなかったかもしれない彼らを、深く記憶に刻みたかった。
アガットは目を瞬かせると、クスリと笑ってルルの隣に腰かけた。
「わたくし、とってもお喋りですのよ?」
『うん、聞きたい』
「……このお洋服、シュータムの伝統だと言ったでしょう? わたくしの故郷ですの」
『どんな国?』
「イリュジオンと似て、自然豊かな場所ですわ。貴族も柱の制度もありません。妖精族や植物人が多くて、みんな中心にある生命樹の力をお借りして生きているんですのよ。わたくし、シュータムが大好きでしたの」
アガットは目線を髪飾りに落としながら、ポイントとなっているアゲートを指で撫でる。その新緑の瞳は、今まさに故郷の風景を見ているようだった。
母父共に、アガットを深い愛で育てた。素直に育った彼女は、少しの破天荒さを持ちながら、男女と言わず種族も問わず、周囲から愛され、周囲を愛した。そんな心から愛する者たちが居る母国から、一体何故彼女は旅立たなければならなかったのか。
「わたくしの腕を、アウィン様が気にしていらっしゃったのを覚えているかしら?」
『うん』
「この体ね、呪われているんですの」
『え?』
アガットはおもむろに、肘まで隠している手袋を外す。露わになったのは、黒く変色した腕だった。色だけではない。奇妙な模様が、血管のように浮かび上がっている。
こちらを見るルルの頬に、そっとその手を添える。肌とは思えないザラリとした感触に、虹の瞳は大きく見開かれた。
「手足は全部こうなっているの」
『どうして?』
「一人、とても大切なお友達が居ましたの。とても可憐で、素敵な子」
愛に恵まれた彼女をよく思わなかった。友も容姿に恵まれ、愛されていたと言うのに。
「わたくしは……生きているみんなが美しいと思っていますわ。でも……あの子は違ったみたい」
友は自分が一番美しくなければ気が済まなかった。だから純粋に笑顔を見せるアガットに、嫉妬したのだ。友は嫉妬の心が囁くままに呪いをかけた。醜く死ぬ呪いを。アガットは呪いを解く方法を探し、数年の旅を経てここへ来たのだ。
ルルは死ぬ呪いと聞いて、ヒュッと喉から息を呑む音を鳴らした。確かめるように、アガットの小さな手を握り返す。すると彼女は何故か微笑んだ。
「心配なさらないで。死なないために、ここに居るんですもの」
『アンブルの薬?』
「いいえ。呪いというのはね、かけた人物にしか解けないものなんですの」
『じゃあ……?』
「呪いを抑える事ができたのは、ジプスの魔法でしたの」
ジプスは自然の寵愛を受けて育った。それは彼が毎日、森に対して祈りを捧げていたからだ。その恩恵で、自然が許す魔法全てを扱えた。特に長けていたのは癒しの力。それは自然が美しい限り、力を増していくという。
そんな彼だったからだろう。それまで誰も触れる事ができなかった腕に触れられたのは。たちまち呪いは侵食を止めたのだ。
「そしてね、ジプスもまた同じでしたのよ」
『同じ……? もしかして』
「ええ。あの子も、呪いを受けていましたの」
彼の呪いは、アガットよりもとても重かった。日に日に、目に見えて寿命を削っていくもの。それを止められたのはアガットだった。彼女の治癒魔法が、ジプスの命を救った。
本来、適性が無かったり相性が合わなかったりすると、呪いが跳ね返って相手も脅かす危険があった。二人が抑え合えたのは、ほぼ奇跡だとアンブルは言っていた。そして呪いを安定化させるには、傍に居る事だとも。
「そこで提案されたのが、夫婦となる事でしたの。そうすれば常に傍に居られますから」
二人の関係は、利害が一致したためのものだった。関係を結び、やがてアンブルの予想通り、呪いの侵食がパタリと止んだ。しかしもちろんだが、止んだだけであって解いたわけではない。どちらかが居なくなれば、呪いに殺される事は変わりないのだ。
「世の中、何があるか分からない。だから少し不便でしょう?」
呪いを解く方法は、現在の技術では限られている。だから二人は、アンブルの元につきながら呪いの研究を続けていた。
『解く方法が分かったら、二人は、離れちゃうの?』
「そのつもりでしたわ」
この関係は、呪いが解かれたら終わりとなるものだった。しかし共に過ごすうち、他人には感じない感情が生まれていた。彼の事を知れば知るほど、呪いが無くとも隣に居たいと思えるようになった。
それは形だけの結婚でもと、律儀に贈り物を渡す他者を思いやる心。謙虚だが決して譲らない強かさもある。時々努力が実らずに空回る時も、可愛らしく思える。
「だから今は、呪い抜きにジプスを愛していますわ」
感情というのは不思議だ。交流の仕方でいくらでも変わる。いくら本を読み漁っても、何十人と触れ合っても、予想すらできない。とても不思議で不確かで、素晴らしい存在。
ルルは笑うように目を細くし、アガットが持つ髪飾りを手で包んだ。
『ならこれは、アガットが着けなきゃ。そして君も、素敵な服を着て、ジプスに見せようよ』
アガットは、楽しそうに頭へ綴られた提案に、一瞬キョトンとした。しかしすぐに笑顔の花が咲く。
「ええ、そうしましょう! アンブル様にも見てもらいたいですわ。一緒に選んでくださる?」
『うん。アウィンにも、見せたい』
ルルは立ち上がると手を引かれ、アガットとクローゼット前に立つ。いくつか触りながら、今の彼女を最も輝かせる衣装と選び合った。
「まあ素敵! やっぱりお洋服は着る人が居てこそですわ!」
アガットは歓喜に叫び、両手を胸の前で絡めてうっとりと見惚れる。ルルが今居るのは彼女の部屋だ。そして、今着ているのは普段の服ではない。彼女の過去着ていた服だった。昨日、着れなくなった服を代わりに着ると、約束をしたから。
部屋には天井にまで届くクローゼットが設置されている。開ければ、四つの階段上に掛けられたたくさんの服が顔を出す。豪華なフリルが付いた物から、体のラインがハッキリ分かる細身のドレスと、様々だ。
『似合う?』
「ええとっても。素晴らしいですわ! 今着ていらっしゃる、マーメイド系もお似合いよ。今度はこんな変わり種はどうかしら」
『こういうの、マーメイドって言うんだ』
肌との面積が少なく、普段より少し窮屈に感じる。しかし、幼い頃試しに履いたパンツよりは動きやすい。右足の太もも辺りからスリットが入っているからだろう。アシンメトリーで、左へ斜めに裾が長くなっている。
アガットは小さな体を突っ込ませる形で、クローゼットの中へ潜り込む。しばらくモソモソと漁ったあと、一着を引っ張り出してきた。ルルを鏡の前に立たせ、服を持たせる。アガットはこれまでも、一度着せる前に触らせてくれる。薄い布が何枚か複雑に重なり合っていて、何だか不思議な手触りだ。
「このお洋服、実はわたくしが作った物ですの。自信作ですわ」
『作ったの? 凄い。でもこれ、普通のドレスと、少し違うね』
「うふふ、今まで着た物とは、一味違いましてよ?」
アガットの手が、布越しにルルの体に触れる。子供と間違えそうなほど小さくても、大人のような指の長さを感じた。そう思っていると、あっという間に服が脱げていく。手際良くテキパキとした手付きで、ルルは何度目かの裸になった。しかし、肌が空気に触れていると気付くよりも早く、ふわりと布がかけられる。
「寒くはなぁい?」
『ん、大丈夫』
用意されたホットミルクを飲み、ひと息つく。そうしている間にも、アガットは衣装屋の店員のように、服をルルの体に当てる。背後で満足そうな声が聞こえた。
「ルルの身長は、以前のわたくしと一緒なのね。全部ぴったりですわ。準備はよろしくて?」
『どうぞ』
今度は上下で別れている。下がスカート状になっているのは今までと同じ。しかしよく見れば、布が鳥の羽のように幾度にも複雑に重なっている。裾は後ろになるにつれて、床に引きずるほど長い。それでも重さは無かった。
肩に残した布を取り、今度は上着を背中から羽織る。腕を通した袖は右腕だけが大きく広がっていて、動けば蝶のようにヒラリと空気に流れた。布の面積は今までよりも多いのに、野暮ったさが全く無い。
『動きやすそう』
「そうでしょう? これはただ着るだけではありませんの」
斜めに開いた胸元は、襟の端に付いた紐で小さくリボンで結ぶ。裾は腰よりも長く、雲のように柔らかな帯で止めた。
着付けが終わったのか、アガットは数歩後ずさって全身を目で収める。動いで欲しいと頼まれ、再びその場でくるりと回った。すると味気なく見えた純白のドレスは、虹色の輝きを持った。光りや布が見える角度によって色が変わるのだ。ただ着るだけではないと言った意味がよく分かった。これで舞でも踊れば、全ての観客の目を奪うだろう。
それを見た新緑の瞳は、宝石のように輝く。
「素晴らしいですわ、まるで女神様のよう!」
『この布……全部、鳥の羽根?』
「ええ。シュータムという国に飛んでいる鳥から採れるんですの。とっても大きくて美しい翼を持っているんですのよ」
柔らかな素材で全体的にとても軽く、動きやすい。色が変わると聞けば、見えなくても余分に動きたくなってしまう。無意識に手で泳ぐように空気を撫でれば、ゆったりとした動きでできた波が虹色に輝いた。
「そうだわ、せっかくですから好きなアクセサリーも付けましょう!」
言葉が終わるよりもはやく、アガットはドレッサーに向かっていた。大きな鏡を囲むようにある小さな引き出しを手当たり次第開け、机の上で吟味する。
ルルは自分の事のようにはしゃぐ彼女を、微笑ましく見守った。ベッドに腰を下ろし、食用に持っている宝石を口に転がす。歯に当たる軽やかな音を聴いていると、目の前に布が敷かれる。候補を選び終えたのか、アガットは柔らかな布の上へ丁寧に装飾品を並べていった。
「どれでもお好きなのをどうぞ。是非お手に取って」
用意された物は、チョーカーやブレスレット、ネックレスにブローチといったように様々だ。他にも、どうやって付けるのか分からない、変わった形の装飾品もある。全てが細かな柄で、一度触っただけでは頭に描くのが大変そうだった。
一通り触ったあと、華奢な薄青い指が誘われたのは、一見してネックレスのようにも見える。だがそれは、頭にかぶる形となる髪飾りだった。細い糸が輪っかになっていて、額側に大振りの飾りが見えるよう、髪に編み込んで頭部に固定するのだ。
中心にある小さなアゲートを囲むように、模様が施された青い宝石が葉の形に削られている。左右対象となった葉の下で、涙型の大きなアゲートが揺れていた。
「まあ、お目が高いですわ」
アガットは何故か幸せそうに言った。首をかしげたルルから髪飾りを受け取ると、宝石を愛おしそうに撫でる。
「これは、ジプスがわたくしに贈ってくださったものなんですのよ」
『そうなの?』
「ええ。それも手作りですわ。わたくしたちね、この結婚は急遽決まった事でしたのよ」
そういえば、彼女も別の土地から来たのだと、ルルは思い出す。縁というのはなんだか不思議だ。別のところで、全く違う環境で育った彼らが出会い、結ばれる。二人だけが持つ特別な運命と言える。
彼女の声は甘く、少女というよりも今は女性らしさを感じた。
『二人は、どんなふうに、出会ったの?』
彼らの事を、もっと知りたかった。当然二人にしか触れる事を許されない思い出もあるだろう。それでも、もしかしたら知り合う事ができなかったかもしれない彼らを、深く記憶に刻みたかった。
アガットは目を瞬かせると、クスリと笑ってルルの隣に腰かけた。
「わたくし、とってもお喋りですのよ?」
『うん、聞きたい』
「……このお洋服、シュータムの伝統だと言ったでしょう? わたくしの故郷ですの」
『どんな国?』
「イリュジオンと似て、自然豊かな場所ですわ。貴族も柱の制度もありません。妖精族や植物人が多くて、みんな中心にある生命樹の力をお借りして生きているんですのよ。わたくし、シュータムが大好きでしたの」
アガットは目線を髪飾りに落としながら、ポイントとなっているアゲートを指で撫でる。その新緑の瞳は、今まさに故郷の風景を見ているようだった。
母父共に、アガットを深い愛で育てた。素直に育った彼女は、少しの破天荒さを持ちながら、男女と言わず種族も問わず、周囲から愛され、周囲を愛した。そんな心から愛する者たちが居る母国から、一体何故彼女は旅立たなければならなかったのか。
「わたくしの腕を、アウィン様が気にしていらっしゃったのを覚えているかしら?」
『うん』
「この体ね、呪われているんですの」
『え?』
アガットはおもむろに、肘まで隠している手袋を外す。露わになったのは、黒く変色した腕だった。色だけではない。奇妙な模様が、血管のように浮かび上がっている。
こちらを見るルルの頬に、そっとその手を添える。肌とは思えないザラリとした感触に、虹の瞳は大きく見開かれた。
「手足は全部こうなっているの」
『どうして?』
「一人、とても大切なお友達が居ましたの。とても可憐で、素敵な子」
愛に恵まれた彼女をよく思わなかった。友も容姿に恵まれ、愛されていたと言うのに。
「わたくしは……生きているみんなが美しいと思っていますわ。でも……あの子は違ったみたい」
友は自分が一番美しくなければ気が済まなかった。だから純粋に笑顔を見せるアガットに、嫉妬したのだ。友は嫉妬の心が囁くままに呪いをかけた。醜く死ぬ呪いを。アガットは呪いを解く方法を探し、数年の旅を経てここへ来たのだ。
ルルは死ぬ呪いと聞いて、ヒュッと喉から息を呑む音を鳴らした。確かめるように、アガットの小さな手を握り返す。すると彼女は何故か微笑んだ。
「心配なさらないで。死なないために、ここに居るんですもの」
『アンブルの薬?』
「いいえ。呪いというのはね、かけた人物にしか解けないものなんですの」
『じゃあ……?』
「呪いを抑える事ができたのは、ジプスの魔法でしたの」
ジプスは自然の寵愛を受けて育った。それは彼が毎日、森に対して祈りを捧げていたからだ。その恩恵で、自然が許す魔法全てを扱えた。特に長けていたのは癒しの力。それは自然が美しい限り、力を増していくという。
そんな彼だったからだろう。それまで誰も触れる事ができなかった腕に触れられたのは。たちまち呪いは侵食を止めたのだ。
「そしてね、ジプスもまた同じでしたのよ」
『同じ……? もしかして』
「ええ。あの子も、呪いを受けていましたの」
彼の呪いは、アガットよりもとても重かった。日に日に、目に見えて寿命を削っていくもの。それを止められたのはアガットだった。彼女の治癒魔法が、ジプスの命を救った。
本来、適性が無かったり相性が合わなかったりすると、呪いが跳ね返って相手も脅かす危険があった。二人が抑え合えたのは、ほぼ奇跡だとアンブルは言っていた。そして呪いを安定化させるには、傍に居る事だとも。
「そこで提案されたのが、夫婦となる事でしたの。そうすれば常に傍に居られますから」
二人の関係は、利害が一致したためのものだった。関係を結び、やがてアンブルの予想通り、呪いの侵食がパタリと止んだ。しかしもちろんだが、止んだだけであって解いたわけではない。どちらかが居なくなれば、呪いに殺される事は変わりないのだ。
「世の中、何があるか分からない。だから少し不便でしょう?」
呪いを解く方法は、現在の技術では限られている。だから二人は、アンブルの元につきながら呪いの研究を続けていた。
『解く方法が分かったら、二人は、離れちゃうの?』
「そのつもりでしたわ」
この関係は、呪いが解かれたら終わりとなるものだった。しかし共に過ごすうち、他人には感じない感情が生まれていた。彼の事を知れば知るほど、呪いが無くとも隣に居たいと思えるようになった。
それは形だけの結婚でもと、律儀に贈り物を渡す他者を思いやる心。謙虚だが決して譲らない強かさもある。時々努力が実らずに空回る時も、可愛らしく思える。
「だから今は、呪い抜きにジプスを愛していますわ」
感情というのは不思議だ。交流の仕方でいくらでも変わる。いくら本を読み漁っても、何十人と触れ合っても、予想すらできない。とても不思議で不確かで、素晴らしい存在。
ルルは笑うように目を細くし、アガットが持つ髪飾りを手で包んだ。
『ならこれは、アガットが着けなきゃ。そして君も、素敵な服を着て、ジプスに見せようよ』
アガットは、楽しそうに頭へ綴られた提案に、一瞬キョトンとした。しかしすぐに笑顔の花が咲く。
「ええ、そうしましょう! アンブル様にも見てもらいたいですわ。一緒に選んでくださる?」
『うん。アウィンにも、見せたい』
ルルは立ち上がると手を引かれ、アガットとクローゼット前に立つ。いくつか触りながら、今の彼女を最も輝かせる衣装と選び合った。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです
青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる