宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

知っている理由

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 コーディエの姿が闇夜に紛れたのを見送り、アンブルは指を窓へ向ける。すいっと横へ動かすと、糸が付いているかのように窓がパタンと閉まった。

「さて、ルルも戻ってゆっくり休むんだよ」
「……」
「? どうした?」
『明日は、一人で寝るから……今日は、ここで寝ちゃ、ダメ?』

 ねだる声はとても小さい。顔もおずおずと上目遣いで、アンブルはたまらず吹き出した。こんなふうに言われたら断れない。

「ははは、私なんかと寝たいだなんて」
『アンブルがいいの』
「甘え上手で困ったね。ほら、おいで」

 再び胸の中へ誘われ、ルルは遠慮なく腕に包まれる。やはり彼女の抱擁は、とても安心する。クーゥカラットにされるような安心感だ。ずっとこうしていたくなる。そしてもっと、わがままを言いたくなる。

『まだ、眠くない』
「しょうがない子だ。ほら、ベッドに入りなさい。眠くなるまで話でもしようか」

 促され、やっとルルはベッドに潜り込んだ。アンブルは腰をかけ、じっとこちらを見る頬を優しく撫でる。眠くなかったというのに、それだけで微睡んでしまいそうになった。そんな曖昧になりかけた思考でも、ルルは尋ねておきたかった疑問を思い出す。

『ねえ、そういえばどうして、僕が王だと、分かったの? それも魔法?』

 マントと仮面で特徴全てを隠している状態で、正体を見抜いたのはアンブルが初めてだ。彼女は目を瞬かせたが、そうかと小さく頷く。

「魔法じゃない。私はね、坊やを見た事があったんだよ」

 ルルは通り過ぎた相手の気配にも敏感だ。だから彼女のような強い気配は、余計に忘れるはずも無い。間違い無く初対面だ。
 しばらくしてゆっくり首をかしげるルルに、アンブルは可笑しそうに笑った。

「そうだね、意地悪は止めようか。言ったって分からない。『あの子』は、いっときでも私たちを忘れていたんだから」
『あの子?』
「ああ。私はね、ルルに礼を言いたかったんだ。ジェイドを助けてくれて、ありがとうね」

 パチクリとした虹の瞳が緑色に輝くと、ルルはそれまで寝そべっていた体を起き上がらせる。眠気なんて消え去る。何故ならそれは、忘れられない友の名だからだ。

『ジェイドって、グリードの? どうしてアンブルが、彼を知ってるの?』
「あの子はね、私の弟弟子なんだ」
『弟弟子って?』
「師の弟子が数人居る場合、あとから弟子入りした相手を弟弟子、妹弟子と呼ぶんだ。あの子は自分に師が居ると言っていなかったかい? その師はスフェーンと言う、元錬金術師の大魔法使いさ」

 そういえば彼は確かに、最高の錬金術師に教えられたと、誇らしげに言っていた。そうか、彼はその事すら忘れられていたのか。

「スフェーンが取った十一人目の……最後の弟子が、ジェイドなのさ。可愛気のある子でね。末っ子なのもあって、ずいぶんみんなに可愛がられたんだ」

 スフェーンは気まぐれな魔法使いだった。弟子を取るのだって、タイミングと気分で、運命以外の絶対的な理由は無い。しかし、受け入れた弟子たちの事は家族同然に、愛情を注ぐ。二番目に拾われたアンブルも、彼に深い愛情を受けて立派な魔女へ育った。
 アンブルはベッドから腰を上げ、机の鍵の掛かった引き出しから、何かを持ってきた。

「律儀な子でね。年に一度、必ず全員へ手紙を出すんだ。ほら、知っている字じゃないかい?」

 差し出された手紙には、確かに彼の字で、親しげな言葉が綴られていた。懐かしい。
 手紙の内容は、アンブルの近況を案じる言葉と、自身の状態。それからは、新しい錬金術や旅で知った事など、彼女が好きそうだと思えそうなものが書かれていた。読めば自然と、優しい彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。

「それが十年も音沙汰が無いんだ、そりゃあ心配もするだろう? だから、あの子へ『目』を飛ばしたんだ。そうしたら、ジェイドの気配はとある森でパッタリ消えているじゃないか」

 彼女の飛ばした『目』が伝えた情報は、まるで大きな別空間が強大な土地を覆っていたそうだ。それは、ジェイドから聞いた当時のグリードの様子そのものだ。彼も国があろう場所が、ドーム状に包まれて中が見渡せないと言っていた。それはジャスパーの言葉の魔法の影響だ。

「入る方法は無くてね。だが突然、その空間が粉々に砕けた。そこから出てきたのが、坊やだったんだよ。ほら、あの時仮面は外れていたろう?」
『あ、そっか、だから王だって、分かったんだ』
「その通りだ。礼の意味も分かったかい? 坊やが訪れなければ、あの子は永遠にあそこに居た。それはあまりにも……我らが師が哀れだ」
『あの、怒らないで』
「え?」
『ジャスパーの事、怒らないで。あのね、えっと───』

 独りぼっちの孤独に飲まれた彼の、切実な欲望。それをただ責めるだけでは、どうにも救いが無い。友としても王としても、彼の罪はどうにも悲しすぎるのだ。
 しかし、どうにか弁解の言葉をと逡巡しながら綴られた声は、アンブルの部屋に響く笑い声によって消された。彼女は心底可笑しいようで、しばらく笑い続ける。きょとんとしていると、両頬をムニッと強く包まれた。

「そんなに必死にならなくても、大丈夫だ。私は、いや、他の弟子たちも誰も責める気は無い。ジェイドから全部聞いている。ふふふ、あの子も同じ事を言っていたねぇ。坊やの事は、私たち一家は歓迎さ。いずれ故郷に連れて来いと、スフェーン直々に言われたそうだよ」
『本当?』
「ああ、だから安心おし。それにね、あの国での出来事が、二人にとって全て偽物だったわけじゃない。最後、私が飛ばした目とジェイドの目が合った。気付いているか分からないが……しばらく見ないうちに、ずいぶんいい顔つきになっていたよ」

 そう語る声はとても愛おしそうで、本当の弟を想っているかのように聞こえる。彼女の愛は、決して盲目ではない。だからこそジェイドは優しく、ジャスパーを家族のように受け入れて愛する事ができるのだ。

(僕も……クゥに、成長したって、思われていたら、いいなぁ)

 あの旅立ちから、四年が過ぎている。ただし、ルルにその正確な歳月は分かっていない。時間が読めない彼にとって、永遠に思える。見守ってくれている彼に、成長していると思われているだろうか。
 なりたい大人の像は、あまり無い。強いて言うのなら、やはりクーゥカラットのような人だ。相手を包み込む、優しいあの人のように。

 アンブルの手が、優しく頭を撫でた。髪を梳くように指が通り、眠りを誘うように頬を撫でた。その仕草はやはり記憶の中の彼と重なる。ふと、ルルはとある本の中身を思い出した。それは父と母という存在。もしクーゥカラットが世間で父と呼ばれるのなら、母は──。

『もし、お母さんが居たら、アンブルがいい』
「急にどうしたんだい?」
『僕を、育ててくれた人と、同じ感じがしたの。彼は、男の人だったから』
「ははは、こんなおばあちゃんと一緒にしちゃあ、かわいそうだ」
『なんで? 僕は好きだよ。とっても、落ち着く』

 そんな事を言われたら、蓋をした記憶が零れてしまう。混ざり気の無い言葉に、アンブルは目を細める。ルルに向けられた瞳はまるで、自分の子を見るような愛おしさで染まっていた。

「──私にはね、坊やくらいの子供がいたんだ」
『そうなの?』
「ああ。コーパルと言う名前の息子さ」

 微睡みかけていた思考が覚めるのを、ルルは感じた。そうか、だから彼女は、彼にコーパルと名付けた事に、戸惑いを感じていたのか。しかし無意識に開かれた唇が、そっと指で抑えられる。

「いいんだよ。見えたんだろう?」
『……うん』
「それならいい。あの子は生きられなかった。だからせめて、今ある命の加護になればいいんだ」
『どんな子、だったの?』
「坊やのように、素直で可愛い子だったよ」

 農民との間にできた子供だった。好奇心旺盛で、父親の手伝いやアンブルの薬を作るための材料を採りに行くのが、冒険みたいだと言って大好きだった。
 それまで小さな村で平和に暮らしていたが、突如身に覚えの無い罪に問われた。それは一人の貴族による、国が滅ぶという予言。滅びの元凶は、悪魔に身を売った魔女だと貴族は言った。
 貴族といえど、ただの人間の予言を目の当たりにする事なんて、本来はほとんど無い。しかしその時は違った。国民全員が鵜呑みにし、血眼になって偽りの元凶を潰しに掛かった。しかしその国は小さく、魔女はアンブルしか居なかった。そのため、彼女が全員から矛先を向けられるのは必然だ。

『その貴族は、誰?』
「さあ? 名前も知らないね。何せ急で、会ってもいないんだ。だがもちろん、そんな予言は嘘だった。私が占っても、予言を得意とする魔女の占いでも、そんな未来は見えなかったんだからね」

 だが実際にその結果を見せても、信じる者は一人も居なかった。完全なる濡れ衣からアンブルと子供を守って、夫はその貴族の部下に殺された。彼の死を悲しむ猶予も無い中、必死に逃げた。
 それまで掴んでいた小さな手が消えたのは、国から出る直前だった。気付いた一瞬の間。振り返った瞬間、呼吸するよりも早く、その小さな頭は首から切り離されていた。

「あの子は最期、なんて言ったと思う?」

 自身の血で汚れた口はハッキリと「逃げて」と言葉の形を作っていた。
 まだ子供だ。一瞬だろうと、激痛とそれ以上の恐怖が襲ったはずだった。なのに出たのは、助けてでも嫌でも無く、母を思っての言葉。息子の首を持った相手の体は、気付けば木っ端微塵にしていた。

「それからは逃げた。あの子の言った通り……逃げ続けた。そうしてこの森に来たんだ」

 心身共に疲れきった所を迎えたのは、無人の森だった。意思を持つ森は、彼女を懸命に看病した。すっかり疑心に満ちた心も、長い時間をかけて癒えていった。そんな頃、獣人たちが訪れたのだ。アンブルと同じ、逃げ込むように。
 彼らもまた、人に追いやられた存在だった。アンブルも最初こそ他者との交流に警戒していたが、やはり傷付いた者同士。自然と互いの傷を労わるように交流を続け、やがて家族のような関係を築く事ができた。

「だから、私は幸せさ。あの子らと一緒に生きて、笑顔を見るのが何よりだ。今は、このまま同じ日が続くよう、守るだけだ」

 少しの沈黙後、アンブルはベッドに横になり、ルルを静かに抱き寄せた。それはまるで、冷えた体で熱を求めているかのように。その仕草をルルは知っていた。たまに、どうしようもなく冷たい夜が来る事があるのだ。
 ルルは応えるように、彼女へ身を寄せた。必要なのは慰めの言葉ではない。誰かの鼓動とぬくもりだ。

「坊やは、今育て親に会ったら、幸せだと言えるかい?」
『言える。僕の命が、終わったらね……その人と、たくさんお喋りするって、約束してるの。だからその時に、言うつもりなんだ』

 頭に響く声は微睡みかけながらも、どこか楽しそうに弾んで聞こえた。きっとそれまでに、様々な事があるだろう。拭いきれない悲しみが襲うかもしれない。それでも、この世界全てを嫌い、不幸だと嘆く事は無いだろうと信じる事ができた。
 ルルは甘えるように、彼女の胸元に顔を寄せて体を丸める。

『ねえ、ここに居る間、たまにこうやって、一緒に寝ても、いい?』
「ふふふ、いつでもおいで可愛い坊や。さあ、おやすみ」
『ん……おやすみ、アンブル』

 人の肌のぬくもりは、まるで氷を優しく溶かすかのような暖かさだ。加え、アンブルは小さく歌を口ずさみだす。それは聞いた事のある子守唄。ジェイドが鏡の洞窟で聞かせてくれた歌だ。
 透き通った歌声に乗る眠りの闇はとても優しく、ルルは迷わず意識を委ねた。
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