宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

宴の準備

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 確かめるようにアウィンの長い腕が肩を抱く。ルルは宥めるように彼の背中に手を回し、優しくトントンと叩いた。

『心配させて、ごめんね』
「無事ならいいのですよ」
「おかえり坊や。悪かったね、無事で良かった。木にはあとで言っておくよ」
『ただいま、アンブル。大丈夫だよ、解ってくれたから』

 アンブルは、そう言って頬を緩めるルルの小指に、小さな花のリングがある事に気付く。その意味も理解したのか、仕方無さそうな笑みを浮かべた。そして琥珀色の瞳は、彼の後ろに居るアガットとジプスに向いた。

「ちょうど良かった。おいで、二人とも」
「はい、お師匠様」
「はい師匠」

 アガットは可愛らしい笑顔でアンブルの隣に。その反対にジプスが並んだ。彼らはそれぞれ、ルルとアウィンへ丁寧に会釈をする。

「派手な歓迎になってしまったけれど──改めて、ようこそ我が家へ。ここに住んでいるのは、私たち三人なんだ。よろしくね」
「わたくしはアガットと申します。仲良くしてくださいまし」
「ジプスといいます。何かご用があるさいは、僕に言ってください」
「私はアウィンです。しばらくお世話になります」
『アガットも、弟子なの?』
「ええ、少し前から弟子入りしましたの」
「この子は治癒力が高くてね。いい弟子だよ」

 アガットは褒められた事が嬉しいのか、頬をほのかに赤らめながら、エメラルドのような目を少女のように輝かせた。
 そんなこちらまで微笑ましく思えるような彼女に、ふとアウィンは違和感を覚える。視線は細くしなやかな腕を隠す長い手袋へ置かれる。そこからは、彼女では無いものを感じた。それも彼女を蝕む、毒のような力だ。探るような視線になってしまったが、アガットはそれに気付いても嫌な顔はしなかった。

「あら、貴方も魔法をお使いになって?」
「ラピス・ヴィッツの息子さ」
「まあ、ラピス様の?」

 アガットは興奮気味な笑顔をアウィンに向けると、彼の手を両手で握って上下に振る。

「素晴らしい魔術士様ですわ! だから貴方も魔力がお強いのね? 若い頃、一度お会いしましたの。その後お元気かしら?」
「え、ええ、すこぶる」
「アガット、そろそろ食事の準備をしよう。お喋りはまたあとだ」
「あらやだ、わたくしったら。うふふ、うるさくてごめんなさい。わたくしお喋りしたら止まれませんの」

 アガットは口に手を添えて笑うと、先に小さな扉をくぐったアンブルへついて行った。マシンガンのように過ぎ去った彼女に、アウィンは呆気に取られている。するとドアの向こうからアンブルの声が飛んだ。

「ジプス、上の倉庫にあるのを頼めるかい?」
「分かりました」
『ねえ、手伝っていい?』
「え、でも」
「私もお手伝いします。泊まらせていただくのですから……それなりに働かなくては。ね、ルル?」

 アウィンの目配りに、ルルはこくりと頷く。頬を緩めるその仕草が笑った顔に見えるのは、気のせいだろうか。さらに肯定するように、虹の全眼が静かに細くなる。
 ジプスはうっと言葉を詰まらせた。彼らはお客で、くつろいでもらいたいのが本音だ。しかし、まっすぐ向いた虹の目が何をするのかと無邪気に輝いていれば、悪魔でも断れないだろう。ジプスは降参を示すように息を吐いた。彼の白い手が壁に触れると、階段が現れる。

「では、僕について来てください」

 彼は天井付近に作られた小さな扉をくぐった。アウィンは先に階段を一段上がったところで、ルルに振り返って手を差し伸べる。即席の階段には手すりが無く、少し不安定なのだ。突然動かれない限り落ちはしないだろうが、ルルはその気遣いに甘えて手を取った。

 開けっ放しのドアの中へ、屈んで入る。二人が入ると、ドアはパタンと閉まった。アウィンは目の前の光景に青い目を丸くする。
 中は外観から想定できる広さの二倍はある。高い天井はドーム状で、更に空間に余裕を感じさせていた。歩く隙間などないくらいに敷き詰められ、のびのびと体を伸ばしているのは植物。多肉植物が多いようだが、そのほとんどは見た事のない種類だ。

「植物園、ですか?」
「食糧庫の一つです。ここで育っているのは全て、食用なんですよ。この土地では主に、果物や木ノ実、植物を食べます」

 ルルは何もしなくても手に触る場所にある花を突く。すると優しくしたつもりなのに、花弁はプチリと音を立て、茎から離れてしまった。花はクルクルと回りながら落ちていく。
 勝手に触って落とした事に謝罪したルルに、ジプスは微笑んで首を横に振る。

「大丈夫。その花はクランカと言って、そういう物です。軽く触って落ちたら、収穫の合図なんですよ」

 ジプスは拾って差し出した。ルルは恐る恐る受け取り、花の容姿を触って確かめる。細く柔らかな花びらはまるで蜘蛛の糸のようだ。匂いを嗅いでいると、そのまま丸ごと食べられると言われ、思い切って口へ放る。
 柔らかそうな見た目に反し、花びらはシャキシャキと小気味いい音を立てる。ぷっくりした花の中心から溢れる蜜は酸味があるが、不思議と花びらが甘くて程よく混ざっていた。

『お菓子みたい』
「お口に合って良かった。子供のおやつに、よく出されるんです」

 アウィンもジプスから貰い、未知の食用花の食感を楽しんでいた。気に入ったようで、驚いた顔のまま何度か頷いている。
 するとジプスは何かいい事を思い付いたのか、楽しそうな笑顔で両手を合わせる。

「お二人とも紅茶は?」
『うん、好き』
「ええ、よく飲みます」
「なら、僕は別の準備をするので、その間、収穫をお願いします。新鮮なうちに紅茶に入れると、香りが引き立って美味しいんです。準備だけなので、終わったら呼びに来ますね」

 頷いた二人を残し、ジプスは生い茂る草木をかき分けて奥へ消えて行った。
 彼が向かった先あったのは、何かを包む大きな葉。覆っている葉を一枚一枚丁寧に退かして出てきたのは、巨大な肉の塊だった。全身は茶色く、乾燥している。ジプスは細かな枝のベッドに寝る肉塊の全身をぐるりと見回す。きちんと乾燥しているようで一安心だ。
 アンブルがこれを出すという事は、ずいぶんと豪華な食事になりそうだ。久々の来客なのだから当然だろう。

(師匠もやっぱり、人間に会えて嬉しいのかな?)

 そう思ったが、すぐに頭を振って否定する。人間という種族的な範囲で見れば、まだ彼女の傷を抉る存在が多いだろう。アウィンを迎え入れたのは、師の教え子の息子だからだ。
 アウィンを迎え入れた時は内心震えたが、彼の微笑みの中に殺意が無いと分かり安心している。

「あ、早く準備しちゃわなきゃ」

 といっても、残りは道具を揃えるだけだ。自由に伸びた蔓草を退かし、隠れていた壁に取り付けた黒いナイフを三本手にする。ゴツゴツと野生的な見た目はまるで、岩を割って作った物のようだ。しかし天井に舞う小さな灯りに刃が美しく透け、海のような青が垣間見えた。
 それを肉塊の手前に置いて、先程の場所へ戻る。背の高い草の間から顔を出し、ジプスは目をパチクリさせた。ルルの細い腕の中に、たくさんのクランカがふわふわと抱かれている。紅茶に使うにしては有り余るくらいだ。

「わあ、たくさん採れましたね」
『採りすぎちゃった。ごめんね……楽しくて」
「大丈夫ですよ。余ったのは、花びらを乾燥させて砕けば、料理に使えるから」

 ジプスは、新たな使い道に丸い全眼を興味津々に輝かせるルルに、クスクスと笑う。アガットが彼を可愛らしいと言った気持ちが、なんとなく分かった気がする。

「準備ができました。こっちへ来てください」

 先程の肉が待つ場へ、二人を連れて行く。その間にも、ルルとアウィンの興味を引っ張る物は多く、目移りしないよう必死に耐えた。
 草木の壁を抜け、二人は堂々と目の前に寝そべる物体に圧巻される。ルルに関しては、気配の影で大きな何かがあるとしか、判断できないが。

『この大きいの、何?』
「見たところ……肉でしょうか」
「はい。イリュジオンで生息している、ホーンモウという魔獣の肉を、乾燥させた物です」
『頭は?』
「手脚や頭、尻尾なんかは削ぎ落としてます。胴体だけを数週間ほど、このヒータルと言う木の枝の上で乾燥させるんです」
「なるほど……森の中の国ならではですね」
「お二人には、頭があった方から、薄く肉を切っていただきます」

 ジプスは他の手順を行うそうだ。手渡されたのは黒いナイフ。ルルはグルグルと手元で回し見て、天井へ掲げた。淡い青色が透けて見え、虹色の瞳に溶ける。

「それは、ホーンモウのツノなんです。とても硬い鉱石だから、ナイフや武器に多用できるんですよ」
「美しいツノですね」

 ホーンモウが外界に知られたら、きっとすぐ絶滅に追いやられるだろう。それほど美しい。

 ジプスの指示に従って、二人は首から背中の部位の側に立った。どこから切ってもいいわけではないようだ。切った場所からすぐ乾燥して、使い物にならなくなるらしい。一度刃を入れたら薄く素早く切り、ヒータルの葉で包む。そうすると乾燥を防げるのだ。
 固い肉なため、結構な力作業だ。アウィンは赤紫のコートを脱ぎ、シャツの袖をめくると深く刃を入れ、蓋を開けるように思い切り切り裂く。剥がれ落ちたのは顔ほどの分厚さだ。ズシリと重いが、ルルはなんとか支えて枝の上へ下ろした。二人はいそいそと切り口を覗き込む。

「おお」
『……いい匂い』

 味気ない茶色の下には、キラキラとしたピンクの肉が顔を見せた。上質な肉ほど輝き、淡い色をしているのだ。脂の乗りといい、本当に肉の宝石と言える。どれほどのルナーになるだろう。そんな考えにアウィンはハッとして首を横に振る。この土地でこんな考えは下劣だ。すぐルナーやら市場の価値にしたがるのは職業病だ。
 早く切ってしまおう。乾燥して駄目にしてはいけない。今度は薄く、慎重に削いでいく。こういった作業はルルの方が得意だ。切ったそばから脂が染み出してくる。滑りそうになりながらも、一定に力を込める事を意識して一枚、二枚と切り取った。向こう側が透けるほど薄い。これくらいでちょうどいいらしいが、味は感じるのだろうか。
 ルルはナイフを布で拭きながら、指先に付いた脂をぺろっと舐めた。丸くなった目の色が、赤と黄色の虹をチカチカと作る。

『しょっぱい』
「おや、そんなにですか?」
「あ、そのまま食べちゃうとしょっぱいですよ」
『脂……舐めた、だけなのに』

 顔をキュッとシワ寄せるルルに、戻ってきたジプスは可笑しそうに笑う。タオルで彼の手を拭いながら、丁寧に畳まれた肉を見る。

「充分です、ありがとうございます。大変でしたよね」
『ううん、楽しかった』
「いい運動です。しかしこれはこのまま?」
「さすがにしょっぱすぎるので、果実水に浸けて食べるんです。甘くて美味しいですよ」

 ジプスは蕾の形を模した半透明な瓶から、葉の器に果実水を注ぐ。ルルは早速飲み干した。口に満ちた塩気が、透き通った甘さに浄化されていく。瓶の中まで飲み干したい気分だ。
 切った肉を葉で包む。

「これで下に行きましょう。ホーンモウの肉は、とっても美味しいんですよ」
「これだけ上質な肉を贅沢に使うなんて……楽しみです」
『お腹空いた』

 クランカの紅茶も飲みたいし、あのしょっぱい肉が果実水によってどんな味になるのか、楽しみで仕方がない。想像だけで腹が鳴った。
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