宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

二人の弟子

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 空間の揺れが収まり、目の前に現れたのは一室の扉だった。振り向けば後ろには部屋同士を繋ぐ長い廊下が続いている。手頃な場所の部屋は他に無いようだ。ルルはそれを手探りで確かめ、試しにノブを回した。灯りは無く、寝息が聞こえる。しかしその呼吸は穏やかそうではなく、少し苦しげだ。
 どうやらアウィンやアンブル以外の誰かのようで、ルルは忍足で近付き、そっと顔を覗く。うなされているのは、人間の男。しかしふと、妙な香りを感じ取った。

「──きゃっ! ど、どなた⁈」
「!」

 不意打ちで聞こえた少女の声に、ルルはビクッと肩を跳ねさせた。眩しく見える新緑の目と、曝されたままの虹の全眼が確かに合わさる。数秒間、互いに言葉を無くす。ルルは数回目を瞬かせ、姿勢を正すように彼女と向き合う。少女はそれに合わせて後ずさる。

『勝手に入って、ごめんなさい。僕はルル。旅をしていて……この家には、アンブルに招待、されたんだ』
「アンブル様に? ですが何故このお部屋に?」
『えっと、木が』

 そこまでで言葉は途切れる。よくよく考えてみれば、どう説明すればいいのだろう。どうして木がここへ帰したのか、理由が分からない。しかし少女の口からは、ホッと安堵のような息が聞こえた。

「そうでしたの。木が貴方をここへ下ろしたのですね?」
『うん。理由は……分からないけど』
「ふふ、木は気まぐれですもの。あ、自己紹介が遅れましたわ。わたくし、アガットと申します」

 彼女は僅かに足が見えるほど長いスカートの裾を持ち、優雅に頭を下げる。ルルは動きの仕草にハッとし、胸に手を置いて会釈を返した。どうやら彼女も、彼らの気まぐれに合わされた経験があるようだ。
 チラリと、ベッドに眠る人物に視線を向ける。

「その方、森で気を失われていらっしゃって……。息はしていたので、手当をしているんですの。あ、アンブル様に許可は得ておりますわ」
『そう。この人も、霧を、抜けたんだね』
「ええ、そのようですわ」

 アガットはベッドに近付き、背の低いテーブルに置いた桶へ持ってきたタオルを入れる。よく冷やしたタオルを絞り、汗の滲んだ男の額を拭う。
 廊下から覗いていた光に、一人の影が落ちる。扉から見えたのは、淡く光を帯びた白い瞳。

「アガット、調子はどう?」
「まだ夢の中ですわ」
「そっか……え? ルル様……?!」
「ジプス、静かになさいっ!」
「あ、ご、ごめん!」

 ルルは彼らのやりとりにキョトンとしたあと、自分の唇に指を当ててしーっと息を吐いた。二人はハッと我に返り、同時に口を手で覆う。
 様子を見に来たのは、最初に森を案内してくれたジプスだった。そういえば、彼はアンブルの事を『師匠』と呼んでいた気がする。

 ジプスは思わず止めた息を吐き、小声で改めて尋ねた。

「何故ルル様がここに? お一人ですか?」
『うん、今は。アウィンとアンブルと、ここに来たの。だけど木が、遊びたがって……。今、帰して、もらったんだけど』
「あら。でしたら、早く元のお部屋へ戻るべきですわね。ジプス、お願いできますか?」
「うん、もちろん」

 しかしジプスは扉を開ける事をせず、近くの壁を撫でる。すると木目調の壁は歪み、それまで無かった扉が現れた。アガットはノブを回す彼の背に、当然のように続く。しかしルルは驚いて彼らを見つめた。見えないため、音に無い壁の変化に気付けないのだ。

「どうかなさいましたか?」
『壁の中、空間があるの?』
「え?」
「あら……?」

 アガットは扉から部屋に戻ると、ルルの顔へグッと自身の顔を寄せる。じっと瞳を見つめてから、確信して頷いた。

「貴方、目が見えていらっしゃらないのね」
「えっ?」
『うん、よく分かったね』
「今ジプスは、アンブル様たちがいらっしゃる部屋を木に尋ねて、近道を作ってもらいましたの」
『そんな事、できるの?』
「ええ。ジプスやわたくしは、この家と契約をいたしましたの。ですから、木を傷付けさえしなければ、大体は思った通りに動いてくれますわ」
『そ、そうなんだ……ありがとう』

 ルルはあっけに取られて目を瞬かせる。説明してくれるのは、純粋にありがたい。しかし、こんなにスムーズに盲目の旅人が受け入れられるだなんて、初めてだ。最初は皆、ジプスのように一度は驚き、疑う。
 ルルはそっと、確かめるようにアガットの顔に触れた。彼女は驚いたようだが、身動いだのは一瞬で、すぐに顔を知りたいのだと理解し、大人しくなった。鮮明に脳裏に描かれるのは、10くらいの幼い子供の顔。そして気付く。彼女は獣人ではなく、人間であると。

『アガット』
「何でしょう?」
『貴女も、姿を変えられるの?』
「まあ! うふふふ、そのお話は歩きながらいたしましょう? さあ」

 アガットは何故か嬉しそうに笑い、急かすように手袋をした手でルルを招いた。
 彼らが先に通った壁に触れると、手触りが全く異なっているのが分かった。確かに途中から扉ができていて、丸いノブがちゃんとある。廊下は羽毛のカーペットのようにふかふかとしていて、微かに木の脈動を感じた。物珍しそうにしていると、鈴のような笑い声が聞こえてくる。

「木が貴方と遊びたがるのも、よく分かりますわ」
『そう?』
「ええ。とっても可愛らしいんですもの」

 ルルはクスクスとした笑い声に乗った言葉に、何度も目を瞬かせる。美しいや綺麗なんかは言われ慣れているが、可愛いと言われたのははじめてなのだ。するとジプスは困っていると思ったのか、慌てたようにアガットに耳打ちする。小さな声だが、鉱石の耳には届いた。

「アガット、この方、王様だよ。失礼な事言っちゃ──」
『いいよ』
「へっ?」
『いいよ。失礼でも、何でもない。ジプスもアガットも、僕をルルと呼んで。友達になりたいの』

 今度はジプスが面食らって目を丸くした。一方でアガットは嬉しそうな笑顔でルルの両手を握る。

「嬉しいですわ、こんな可愛らしいお友達ができるなんて! ねぇルル、スカートはお好き? わたくしが着れなくなったお洋服、着てさしあげて。あの子たち、誰も着なくなったから退屈していますの」
『着方、教えてくれるなら』
「もちろんですわ」

 彼女はキャッキャとはしゃいだ。女用でも男用でも、窮屈な服装でなければ別に構わない。ルルは唖然としているジプスと目を合わせる。静かな虹の全眼が心を捉えるようで、ジプスは自然と背筋が伸ばした。
 伝承では、美しくも氷のように冷たく、鋭い瞳だった。それなのにこちらを見つめるその色は、想像よりはるかに優しい。
 ジプスの透き通る白の両眼が、探るようにルルを見つめる。彼は笑うように、目を細めて小さく頷いた。輝く虹の全眼を目蓋に隠し、自分の胸に手を置く。

『確かに僕は、王だと言われる。役割は、果たすつもり。だけど、旅はしたいから、しているの。王じゃなく……ルルという存在で、記憶に残るように。それに僕は、丁寧に対応されるより、普段の君と、お喋りがしたい』

 ジプスはおそらく、他者へのマナーや敬い方を熟知しているだろう。しかし緊張の方が上回り、ギクシャクしている。常にそんな状態で、引きつった笑みを向けられたくはない。
 ルルはジプスの頬を両手でそっと包み、指でなぞるように触れる。ジプスは思わず体に力を込めるが、氷が溶けるとうに徐々に肩の力が緩んだ。

『自分の事を、私じゃなく、僕と呼ぶ君と仲良く、なりたいな』
「……じ、実は……僕も、貴方に興味が、あります」

 師であるアンブルの霧を抜けたというだけで、充分に興味が湧く人物だった。ジプスは恥ずかしそうに眉根を寄せて笑う。
 アガットは彼の緊張が解れた事に微笑む。しかしすぐ、どこか意地悪そうに笑った唇を手で隠した。

「あらジプス、目の前で浮気なさるだなんて」
「えっ?! ち、違うよアガット……! そういう意味じゃなくて」
『うわき?』
「うふふふっ」

 ジプスは必死に弁解をしながら、無意識に自身の頬に羽根を生やす。気付かずに慌てふためく腕の肌がふわっと羽根に変わり始めた頃、小悪魔のようなアガットの笑みは天使の微笑みに変わった。

「可愛い子には意地悪を言いたくなるものですわ」
「も、もう」

 ジプスは本気の言葉ではないと分かったのか、安堵に胸を撫で下ろす。可愛らしくも悪戯げに笑うアガットに、ルルは首をかしげた。

『うわきって、何?』
「わたくしたち、夫婦ですの」

 ルルはキョトンとし、見比べるように二人を見る。恋の感情を理解する事はできずとも、夫婦は知っている。血の繋がらない者同士が、婚約をして互いの生涯を共にする関係。しかしルルが唖然としたのは、アガットの年齢だ。16をまだ過ぎていないのに、結婚なんてできるのだろうか。
 アガットはルルの手を取って再び自分の頬に触れさせる。そして、彼の疑問を汲んだように言った。

「わたくし、もう今年で28ですわ」
『え?』

 垂れた大きな虹の全眼は、さらに丸くなる。チグハグした事実に、頭は言葉を作れない。その時、ジプスの足が不意に立ち止まった。後ろのルルへ振り向いていたアガットは、気付かずに歩き出したため背中にぶつかる。

「あ、ごめん、大丈夫? 扉が現れたから……」
「んもう! 木ってばせっかちなんですから」
「まあまあ。ここを開ければ師匠たちが居る部屋です。多分だけれど」

 部屋を作るのは、あくまでもジプスではなく家だ。主軸である木が途中で気まぐれを起こす可能性もあるのだろう。
 アガットは大きく肩を落とす仕草をしたが、すぐ花の咲いた笑顔に戻す。そして目を瞬かせるルルにまた振り返り、引き寄せるように手を握った。

「行きましょうルル。またあとでお話しますわ」
『あ……うん』

 ジプスは花の蕾が飾るドアのノブを回す。僅かにドアと壁の境界線に隙間ができた時、鉱石の耳が音を拾った。その会話は、側に居る二人以外の声だ。

「ルル!」

 ドアが完全に開かれたと分かった瞬間、ルルは体が拘束されたのを感じた。突然の事で思わず身じろいだが、背中に回ったのが腕だと理解する。息が詰まりそうなほど強く抱きしめる腕はアウィンのものだ。

『アウィン──』
「ああ、ご無事で良かった……! お怪我はありませんか?」

 言葉を待つよりも早く、アウィンは体を離してルルの体をグルリと見回す。かすり傷すら無いと分かってくれたのか、彼は切り詰めていた息をやっとの思いで吐き出した。
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